第18話 絶望を駆けるモノ達


 人間という種として考えれば因果応報。しかし個として考えれば余りにも理不尽。戦う術を持たない一般人にとっては正に理不尽そのもので、我先にと近隣の避難シェルターへと逃げ込むしかなかった。…そうして身を縮ませて座り込み、ただ時が過ぎるのを待つ。


 今まで一度もこのような事は無かった。都市は平和そのものだったのに、それなのに突然このような事になって、私達一般人はどうすればいいのか。何も出来ない。怖い。怖いっ!


 何の力も持たない一般人は怯え震える事しか出来ず、爆発音が聞こえる度に人々は恐れ戦き、二度、三度と爆発音が徐々に近づいて来ると何処からか啜り泣きが聞こえてくる。


 …でも、彼らの一人でも考えただろうか。そんな自分達を守ってくれているのは誰なのか。人々が逃げ込んだシェルターの周りを囲う様に立って、侵入者から守ってくれているのは果たして誰なのか。我が身を犠牲にしてまで戦っているのは誰なのか。誰か考えただろうか。


 おそらく誰一人考えもしていないだろう。守って貰えるのは当然の特権と考えて、誰一人想像すらしていないのだ。いま自分達を守っている者達がどのような経緯でその場に立ち、危険な場に立って戦う事を余儀無くされているのか。彼らには理解出来ていないのだ。


 そんな恐怖だけが支配する中、母親と共に身を縮ませていた幼い少女がふと顔を上げて、おずおずと自分を抱き締めてくれている母親を見上げながら訊ねていった。


「ねぇ、ママ。…シャルルお姉ちゃんは?」


「っ!」


 何気無い我が子の問い掛けに、母親は顔を強張らせる。…それは妹の名前だった。幼い娘から見れば叔母に当たり、時々家を訊ねて来ては娘の相手をしてくれていた。妹は十代前半にダストとなり、そのまま歳を取らず現在も当時の姿を保って日々を過ごしている。


 しかし、幼い娘にはまだその意味が理解出来ていなかった。自らが「お姉ちゃん」と呼ぶ存在が何であるか。そのお姉ちゃんが自分から見ればどんな立場に当たるのか。幼い娘には何一つ理解出来ていなかった。その為に発せられた問い。…余りにも純粋で、残酷だった。


「……」


 それに母親は答えず、ただ唇を噛み締めて娘を見つめるばかり。ダストは歳を取らない。それは彼らの体が機械であり、脳以外の大半が赤い血の通わない無機物だからだ。


 でも、それを幼い娘に理解しろと云うのは無理な話だった。それ故に母親が浮かべている苦悩の意味が判らず、娘は不思議そうに小首を傾げながら更に問い掛けてくる。


「ねぇ、ママ。シャルルお姉ちゃんは何処に居るの? …外はボンボン言ってて凄く怖い音がしてるのに、シャルルお姉ちゃんだけが居ないよ? お隣のおばちゃんも、公園で一緒に遊んでる子達もここに居るよ? それなのにお姉ちゃんだけが居ないよ? どうして?」


「…アイラ」


 まだ幼く無垢である事がこれほどにも残酷だとは。そう母親は思いながら娘のアイラを抱き締めていき、娘に見られないよう静かに涙を零す。そして娘を抱き締めながら告げた。


「シャルルお姉ちゃんはね、今お外で悪い奴らと戦っているの。…私達を守ってくれているのよ? 私達がこうして無事で居られるのは、お姉ちゃん達が戦ってくれているからなの。だからね、アイラ。…アイラが成長して体が大きくなっても、たとえお姉ちゃんの背を追い越す日が来たとしても。この日の事を絶対に忘れないで。お姉ちゃんは凄い人よ? 私達はお姉ちゃん達のお陰で生きていられる。その事を絶対に忘れないで。お願いよ、アイラ」


「…悪い奴ら? お姉ちゃんが?」


 娘のアイラはそう不思議そうに首を傾げた後、ぱぁっと表情を明るくして大きく頷いて見せた。そして笑いながら「お姉ちゃん、凄いね!」と嬉しそうに言ってくる。


 そんな娘を母親は静かに抱き締める。…そんな親子の遣り取りを、同じ避難シェルターに居合わせた人々はぼんやりと聞きながら思っていた。彼らは今どうしているだろうかと。


 同じ学び舎で育った友達は、兄は、姉は、弟は、妹は。彼らは今どうしているだろうか。強固な造りをしたシェルターですら爆発の衝撃を受けて揺れて、中にまで大きな爆発音が聞こえているというのに。彼らは避難せずに外で戦っているのだろうか。…人間を守る為、自分達人間を守る為に。その身を投げ打って戦っているのだろうか。こんな中で。


 今更になって彼らは考えていた。この都市を守ってくれているのは誰なのか。現在都市の防衛は誰が担っているのか。一昔前とは違って自律型ロボットが禁止された現在、その役を担うのはダストの仕事だ。大昔とは違って生身の人間では最早役に立たない。だから機械の体を持つダストがその役を担っているのだ。…ならば分かり切った話ではないか。


 彼らは戦っているのだ。これほど大きな爆発音が聞こえる中で、シェルターの中からでも分かるほど衝撃波が伝わってくる中で。彼らは戦っている。私達人間を守る為に。


 今更に後悔が胸を蝕んでいた。何故もう少し優しい言葉を掛けてやらなかったのか。何故一度でも抱き締めてやらなかったのか。何故もう少し、もう少しだけでも優しく――。


 余りにも今更で、そして無意味にも等しい感情であった。でも彼らは思う。この中を無事生き延びて、再会できた暁には抱き締めてやろうと。一言でも優しい言葉を掛けてやろうと。


 そう思いながら爆発音に身を縮ませていた時、硬く閉ざされていたシェルターの鉄扉が緩やかに開かれていく。そして僅かな隙間が出来ると少女が顔を覗かせて来て、顔の右側が赤く爛れた痛々しい姿を晒しながら、危機迫った顔で避難している人々へと叫んできた。


「このシェルターはもう持ちませんっ! 現在は敵の攻撃が薄くなっています。今のうちにここから北西二キロ地点、ゴウバード区のシェルターまで移動して下さい!」


 それを聞いて人々は小さく悲鳴を上げる。だが少女はその中で赤子の泣き声に気付いて人込みの中に居る赤子を抱いた女性を見つけて、女性に「大丈夫ですから」と微笑んでいく。


 そんな少女の後ろから一人の少年が駆け寄って来て、少女へと「道は確保したぞっ!」と告げてくる。少女はそれに頷いていくと、改めて人々を見回しながら言っていった。


「我々が誘導します。途中で怖いものを見るでしょうが、今だけは感情を捨てて逃げる事を優先して下さい。…恐怖で足を止めてはいけません。いいですね?」


 少女は厳しい顔付きでそう告げてから、外の様子を何度も確認しつつ扉を大きく開いていく。すると現れたのは十代半ばの少年少女達で、そんなダスト達を見て人々は息を呑む。


 彼らは皆、自分達とさして違わない一般的な服を着て、その手に電光棒を持っているだけだったのだ。何一つ違わない姿をして、全身は塵や灰で黒く汚れ、中には片腕が無かったり体の半分が爛れて機械が剥き出しになっていたりする者も居た。余りにも酷い有様だった。


 そんな彼らの左腕は銅、下位のダストであった。炎や煙で赤黒く染まった都市の中に立ち、無残な姿を晒す彼らは痛々しくてならなかった。…それを見て、男性の一人が思わず叫ぶ。


「…お、俺の兄貴はあんたらと同じダストなんだ。何処に居るか知らないかっ」


 男性の発言を聞いて、アイラの母親―オリビアもまた咄嗟に声を上げていた。


「私の妹もダストなの。シャルルっていう綺麗な金髪をした女の子よ。何か知らない?」


 すると続く様に「俺の娘もダストなんだっ」「私の弟もなのっ!」と声が上がり始める。それを聞いてダスト達は嬉しそうに微笑んでいき、だが少女は悲しげに頭を振って告げた。


「今の我々に言えるのは、すぐに移動して下さいという事だけです。我らはダスト。我らは都市を守り、あなた方人間を守るのが務め。…皆さんのお気持ちだけで我々には十分です。現在は全ての通信網が遮断されています。その原因を我らは聞かされていませんが、他の者から伝え聞いた所によると、都市のメイン・システムに何者かの侵入を受けたからだとか。その為に私達も仲間の居場所を掴めないのです。だからごめんなさい。そしてありがとう」


「「……」」


 そんな風に言われてしまうと、もう人々は何も言えなくなってしまった。そこへダストの少年が別のダストから何かの報告を受けて、改めてシェルター内を振り返って叫んでくる。


「今です。行って下さいっ!」


「こちらです。早くっ!」


 すると傍に居た別の少年がシェルター内へと手を差し伸べて来て、次々と避難している人々をシェルターの外へと連れ出していく。それを先導する様に走り始める少女。一定間隔でダスト達は避難民の列を守る様に立ち、アゾロイドだけではなく、何処からか飛んで来るコンクリートの破片などからも人々を守り続ける。その中を走りながら人々は思っていた。


 ここは一体何処だ、と。そこは燃え盛る炎だけが広がる地獄。あの均等に建ち並んでいた高層ビルの数々も、人々が行き交う交差点も、憩いの場として皆が笑い集っていた公園も。そこには何一つ存在しなかった。在るのは瓦礫の山。そして燃え盛る炎だけ。


 道路には大きく穴が空いて隆起して、最早使い物になるようには思えなかった。そんな中を人々はダスト達に守られながら只管と走る。その途中で何度かアゾロイドに襲われたが、その度にダストの誰かが自らを楯にして防いでいく。そして走り出す。その繰り返しだ。


 避難民を誘導している少女の背中を見ながら人々は思っていた。何も知らなかったのは自分達だと。これこそが現実。おそらく彼らが見続けて来た現実だったのだ。


 確かにダスト達は危機迫った表情をしているが、自分達人間のように慌てふためき、恐怖に怯えている様には見えなかった。彼らは日々生きている中で経験しているのだ。目の前で仲間が死んで逝く様を。そして自らが傷を負って倒れる事を。何もかも経験しているのだ。


 だからこそ、こうして事態に動揺する事無く人々を誘導できる。自分を捨ててでも人間を守る事が出来る。それこそが彼らの役目だからだ。それでもと、人々は少女を見て思う。


 少女の背中は大きく抉れており、引き裂かれた人工筋肉の下には千切れた配線や機械が剥き出しとなっていた。…しかし、少女はそれを物ともせず電光棒を手に炎の隙間を縫って走っている。さもそれが普通だと言わんばかりに。自らの役目を全うする。それだけの為に。


 そんな痛々しい背中を見て人々は思っていた。…何故あれほどにもダストを毛嫌いして、心無い言葉を浴びせ続けていたのか。自分達は彼らに何をしてきたのか。ずっと様々な脅威から守ってくれていた彼らに向かって、自分達はどれだけ汚い言葉を浴びせてきたのか。


 余りにも自分達が情けなく、自らの愚かさに打ち拉がれるしかない。そうして走り続けてようやくシェルターが見えてくると、先導していた少女が人々を次々とシェルター内へと押し込んでいく。やがて避難民の収容を終えていくと、シェルターの外に佇んでいた少女は人々の不安を感じ取ったのか、「ここに居れば安心ですから」と微笑んで慰めてくれた。


 そして少女は重い鉄扉へと手を掛けていって、性急な動きで堅固な扉を閉じて行く。だが人々は思わず身を乗り出しており、そんな扉の隙間からダスト達に向かって叫んでいた。


 …どうかあなた達も無事で。あなた達の無事を祈っています、と。


 するとダスト達は淡く微笑んできて、誰もそれに応える事は無かった。その時に見た彼らの笑みが忘れられない。余りにも痛々しく、誰もが覚悟を決めているような笑みだった。


 もう人々には祈る事しか出来なかった。ただシェルターの中で恐怖に怯えて震えるのみ。それしか出来なかった。あんなにもなって戦っているダストの手助けの一つも出来ない。


 何がダストだ。何が人間だ。ただ彼らに守られているだけじゃないか。彼らは自らを虐げ続けて来た人間達を、あんなになってまで守ってくれている。それなのに自分達は――。


 苛まれるのは後悔、そして自らの愚行。ただ彼らの無事を祈るしかなかった。…しかし、


 自分達人間が生み出した世界は余りにも非情で、人間の手によって生み出された自律型ロボットの成れの果て―アゾロイドによる猛攻は凄まじかった。その中で人々は祈る。


 どうか無事で。一人でも多くのダストが無事で居ますように、…と。

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