第44話 雨空 2/3
ダンプカーが言う。
「山小屋などはありませんが、山の中腹に今は使われていない大きな別荘があります。もしお嬢さまが連れ去られたのなら、まずそこでしょうね」
「なるほど。だが、何故その事を初めに言わなかった」俺は聞く。
「い、いえ。憶測で話しては皆さまのお邪魔になると思いまして」
なんだ、こいつ。顔が揺れているな。俺は兄嫁に鍛えられて、人の顔色や人相を読み取るのが病的に上手い。その俺の直感が告げている。
ダンプカーは、ウソをついている。
締め上げるのは簡単だが、それによって起こる結果は予測不能だな。まずは、その山の別荘跡に行くしかないか。
そして山を登ること三十分。
「ここか。確かにデカい屋敷だな」
「テル、斥候を出してくれ」
「了解」
テルが傀儡人形で屋敷周辺をサーチしている。
その間に俺は考えていた。この誘拐には、何かがある。執事たちも何かを隠していた。考えられることは何だ? 執事たちと犯人の共謀か? だが、それに何のメリットがある。ダメだな、全て予測に過ぎない。俺に出来ることは、目の前の敵を倒すことだけだ。
ただ、さっきから、この手の震えが止まらない。
「見てきたよ。正門に人影なし。周りを囲む壁も、やろうと思えばどこからでも越えられる」
「なるほど。後はタイミングだな」
「太一」
「将、何だ」
「先に言っておく。敵を目の前にした時、俺はきっと冷静じゃいられない。俺が相手を殺しそうになったら何をしても止めてくれ」
「お、おい。本気か?」
「みなにも言っておく。これは格好をつけている訳ではない。俺は、仲間を傷つけるやつらを絶対に許さない。仮にだ、仮に、麗美が、やつらに女としてひどい目にあわされていたら、まず俺を倒せ」
「将…」凛子が俺を見つめ、そして俺の手に手のひらを重ねた。
「させないよ。絶対! 助けよう。みんなで笑って帰るんだ」凛子が頷く。
「ダーリン。愛する人を殺人者にはせん。安心して戦ってくれ。ダーリンが道をたがえそうになったなら、私が必ず止める。碓氷の名の全てに賭けて、ここに誓おう」
その様子を、太一とテルが見つめていた。
「将。俺たちが平野さんを救出するまでお前は待機だ。悪いが危険すぎる。俺たちだけじゃない。仮にお前が暴走したら、次に傷付くのは平野さんかもしれないんだぞ」
「うん。信じて待っててよ。いつも僕たちは、何だかんだで将くんに頼ってたよね。たまには僕たちに頼ってもいいんじゃないかな」
俺の震えは、熱い気持ちで、溶けていった。
二十分経った。まだ動きはない。
屋敷は静かだ。降りしきる雨は生温い雫となって俺を濡らし、一人で待機する俺の心を揺らす。
頼む。頼むっ! 麗美を、みなを守ってくれ。俺はあの日祈ることをやめた神にただ祈る。
あの日を思い出す。
家族旅行だった。親父が珍しく休みをとって、兄嫁の腹の中には赤ちゃんがいて、兄貴は笑い、母さんははしゃぐ俺を、困ったように見つめていた。
稲光と血の海が、俺たちを襲った。
神話級の、無機魔法生物。
親父は倒れ、兄貴も地に膝をつき、兄嫁は戦える身体じゃなかった。俺の目の前には、憎らしいほどに美しい美蛇悪女の妖艶な肢体。
何も出来なかった。俺さえいなければと思った。
殺される。若い命が、遠くにあったはずの死を受け入れていた。
紅い血。それは誰のものか。目をつむった俺の頬にかかる鮮血。
「母さんっ!」
今でも覚えている。血に染まる母さんの笑顔を。
「うおおぉーーー!」
親父が跳ね起きて美蛇悪女に突っ込む。無理だと、分かっていた。誰もが、ここで死ぬと思っていた。
それでも麻生の男は立ち向かった。その中で俺だけ、ただ震えていた。
「詩織。将を、そして俺たちの子を、頼むな」
最後の兄貴は、笑っていた。笑顔で死を、飲み込んでいた。
気が付けば、俺は守られて守られて、庇われて庇われて、醜い生を生きながらえていた。
あんな想いっ! あんな絶望っ! 二度と、二度と御免だっ!
俺は地に爪を立て、屋敷を凝視する。
その時、信号弾が上がった。テルかっ!
俺は駆け出した。信号弾は脱出開始の合図だ。ならば俺は援護。
「散りゆく葉に隠れ打て、
亜空間から忍び装束の幻影風魔が跳躍する。そして屋敷中庭で印を結び詠唱する。
木の葉が舞う。風と枯葉が地を覆い、視界は全て突風の渦の中だ。
見ると四人がこちらに向け駆けてくる。麗美は、テルの背だ。
その奥に何か巨大な、壁のような物がそそり立っている。
「ヌリカベだ。将、あれやるぞ」太一が叫ぶ。
「ああ。太一、氷雨、行くぞっ」
俺は地を滑りヌリカベの前に立つ。距離は十メートル。
「陣風裂斬、横一文字っ!」
槍を構え、風雲魔法を纏って槍を横に薙ぐ。
次いで太一!
「陣風裂斬、縦一文字っ!」
太一の大剣が縦に空を切る。
縦と横、二つの風の斬撃がヌリカベに吸い込まれる。
「氷雨っ!」
「三心揃いて断てぬ物無し。碓氷式炎術、三位一体、
どす黒い火炎がヌリカベを吹き飛ばす。
黒煙を上げる前方の景色を見て俺は叫ぶ。
「まだだっ! 全員、全力集中砲火」
五人でエーテル弾を撃ちまくる。だが、雨と泥が躍る眼前で、ヌリカベはなおも前に進んでくる。
「テル! 私たちもだ。練習の成果を見せよう」
「うん!」
凛子が
「凛子、行くよ。エナジーハウリング」
射撃体勢のテルから魔法弾が発せられる。凛子は自らその射線に飛び込み短刀で銃弾を受け取る。
「雷切、
目に見えぬほどの光の線がヌリカベを切り刻む。
「将! 行けっ! お前が決めろ!」太一が吠える。
「海を裂き荒らぶれ、
大地に足を開き、盾を前にかざし、後方一直線、右手の槍に全てを込める。
「雪花、終式、
突き入れた槍先から溢れ出す終わりのない白の海。
吹雪が完全にヌリカベの身体を凍結した。だが、ここまでか。
白海は兄嫁の技だ。俺には扱えん。意識が、遠のく。
「ダーリン」
「将」
「将くん」
みんなの声が、遠く聞こえる。
俺は意識を失った。
「よう、将。気が付いたな。そして起き抜けでも恰好いいな」知った声がする。
「お、親父!?」
「お兄ちゃん。私もいるよ」桃の顔が、伏した俺の顔を覗き込んでいる。
「い、一体…」
眩む頭に活を入れて起き上がる。
場所は先刻と同じ別荘跡。そこに…。
「まったく、こんな茶番はこれっきりだぞ。なんで私が休みの日にこんな…。起きたね、ひ弱なボクちゃん」
「し、師匠! おい、どうなっているのだ」
そこに太一たちがぞろぞろとやってくる。
「おい太一」
「ああ。説明が必要だろ。計画実行委員は考えた訳だ。一人じゃ大した事は出来ないってね。そこでテルと平野さんたちに相談したんだ。さすがはタレントさんだよな。俺じゃ思いもつかないドッキリを考えてくれた」
「計画実行委員、ドッキリ、まさか」氷雨が何かに気付いたようだ。
そして俺も、分からないなりに事の顛末が見えてきた。
「つまり、俺と氷雨は、お姫様の巻き添えを食って騙されていた、という訳か」
「凛子ちゃんっ!」麗美が凛子の前に立って、目隠しする。
「ちょ、ちょっと待って。なに、なんなの? 分かってないの私だけっ?」
太一が掛け声をかける。
「せーのっ!」
『ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデーディア凛子ー、ハッピバースデートゥーユー』
拍手が巻き起こり、目隠しをされた凛子以外、俺、氷雨、太一、テル、麗美、そして親父と兄嫁と桃とマリちゃんが目で頷き合う。
そして、もう一人。
「凛子。お誕生日、おめでとう」
「え、そ、その声ってまさか…」
麗美が目隠しを取る。
「きょ、鏡花っ!!!」
サマーワンピース姿の柴田鏡花その人が満面の笑みで凛子の前に立っていた。小柄で、濡れたような黒髪をツインテールにしている。
「凛子、わたし弱くてゴメンね。でも、今更だけど、でもっ、大切な凛子の事、守りたくなっちゃったんだ。麻生くんに叱られてから、ずっと考えてた。今日戦っていたみんなを見て、羨ましいって思っちゃった。いつも戦闘で庇われていたわたしは、いつの間にか、仲間だからって安心感に甘えていた。そうじゃないよね。わたし、凛子と対等になりたい。凛子の大切なものは、きっとわたしが守るよ」
「きょ、鏡花ぁ…」
凛子が泣きながら柴田鏡花を抱きしめる。
雨は、優しい雨に変わっていた。
細かな霧雨が上着を濡らし、そこから流れ落ちた雫が、ポタっと、地に吸い込まれる音がした。
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