エピローグ
「君に会いに」
あれから五年が経過した。
「大友さん、次はこの書類です」
「えぇ? まだあるんですか?」
「当然です。大友さんは今や大英雄にして、英雄ギルドのバーテックスですからね」
バートンさんが丸眼鏡を指でクイッと上げてニヤリと笑う。
反対に僕は大量の書類を見てため息を吐く。
人魔大戦から五年が経過して、僕の日常は至って平和だ。
戦っていた魔族は全てが降伏し、今までの事を謝罪してくれた。そして、少しずつだけど魔族とヒューマンは交流を増やしている。中には結婚する者も出ているらしく、究極魔法のすごさを知るばかりだ。
戦争が終わって僕は数え切れないほどの賞賛と褒美を頂いた。
魔王に打ち勝ち、邪神すらも改心させたなんて言われるのだから恥ずかしい話だ。今では王国第三の公爵家となり、広大な領地の開拓と英雄ギルドの頂点としての役目をこなす毎日だ。忙しくて仕方がない。
ああ、英雄ギルドが何なのかを忘れちゃいけない。
今までは険悪だった冒険者ギルドと魔法使いギルドが統合されて、英雄ギルドとして新しく出発したのだ。そこまではいい。問題はそれからだ。
当初はグリム様がバーテックスになる予定だったけど、そろそろ引退をしたいから僕に任せると言い残して旅に出てしまった。そうなると、逃れることはできない。大勢の人が僕こそがふさわしいと背中を押しまくって気が付けばギルドバーテックスになっていたという訳だ。
書類に判子を押そうとしたところで、部屋のドアが鳴らされる。
「大友君、調子はどうかな?」
「ああ、ビルさん。見ての通りですよ」
紅茶会社社長のビルさんが部屋へ入ってくると、近くにあった椅子へ腰を下ろす。
「はははっ、流石の大英雄も書類は苦手か」
「そりゃあそうでしょう。ビルさんだって、時々トイレに逃げているって聞きましたよ」
「トイレは良い。書類から逃げられて静かだからな」
ビルさんは窓から外を眺める。
その横顔は悟りを開いたブッダのようだった。
「それで用は?」
「ああ、B&T運送会社が出来たから、その挨拶と思ってね」
「とうとう出来たんですか!?」
僕は思わず立ち上がる。
B&T運送会社とは、飛行船を運送の主とした人も荷物も運ぶ新しい形態の会社だ。移動手段に乏しいこの世界では画期的なサービス。さらに、飛行船には紅茶も積んでいて、世界各国へ紅茶を広げる役も担っている。
「これでこの世界は変わるぞ。新しい時代の幕開けだな」
「そうですね、僕らの時代がとうとうやって来たって気がします」
僕とビルさんは互いに笑い合う。
ここまでの道のりは平たんなものではなかった。
戦争の爪痕は深く、亡くなった多くのものたちは数え切れない。
英雄のフィリップさん。
英雄のカエサルさん。
ゴリラ―ド将軍。
クランのメンバーに、その他にも知った人が地に還って行った。
彼らは未来の為に戦った。その意志は僕らが次へと繋げなくてはならない。
ビルさんは軽く話をすると帰って行く。
「さぁ僕も頑張らないと!」
書類仕事を終えると、今度は屋敷の外へと出る。
僕が住んでいるこの屋敷はとてつもなく大きく、沢山の使用人を抱えている。その為か、定期的に薪割をしないとすぐに薪が無くなってしまうのだ。
「もっと腰を入れなさい! これでは薪が切れませんよ!」
「いや、でもこれ以上は力が……」
「ええい、代わりなさい! 私がやります!」
屋敷の裏では何故か使用人を押し退けて、ドレス姿のシェリスさんが薪を割ろうとしている。僕は慌ててシャリスさんを止める。
「侯爵夫人が薪割なんて駄目です! 止めてくださいシェリスさん!」
「しかし、ご主人様……」
「もう僕は貴方の主人ではありません。シェリスさんはシルベスターさんと結婚をしたんですから、使用人のような事をさせることはできません」
そう、シェリスさんはめでたくシルベスターさんと結婚した。一年前に式を上げたのだけれど、どうもメイドだった頃の感覚が抜け切れていないようだ。そもそもどうしてウチの屋敷に居るのだろうか。
「仕方ありませんね……ですが、今の使用人はなっていません。もっと骨の髄から叩き込まないと、ご主人様が恥をかいてしまいます」
「う、うん……ほどほどにね……」
僕は薪割を代わると、槍で木材をバラバラにする。
雇った使用人はシェリスさんの言う通り、まだ若くて経験が足りていない。なので、僕が定期的に薪割に来ている。それに槍を振っていないと感覚が鈍ってしまいそうなので、運動代わりにやっている感じだ。
「はぁ、いつ見てもスゲェ」
若い使用人はぼーっと感心したように見ている。
ちょうどいい丸太を宙に放り投げると、槍で切断するだけだ。英雄クラスならだれでもできる芸当だと思う。
「これで最後っと」
薪を切り終えると、いつの間にか後ろにロキが来ていた。
その体は一段と大きくなり、大型トラック並に巨大である。使用人は腰が抜けて座り込んでいた。
「ロキ!」
「わぉおん」
ロキを撫でると、目を閉じて顔を擦り付けて来る。
多分だけど別れの挨拶だろう。
「もう大迷宮に帰るんだね」
「わうぅ」
「分かっているよ。ここでは君は暮らしていけないもんね。大丈夫、時々会いに行くから元気で暮らすんだよ?」
ロキは僕の顔を舐めると、風のようにその場から消えた。
少し寂しいけど、僕とロキの気持ちは繋がっている。それに会おうと思えば転移ですぐに会いに行けるんだ。だから、ロキの旅立ちを笑顔で送り出せる。
「おお、ここに居たか! 主人よ!」
屋敷裏にアーノルドさんにフィルティーさんにセリスがやって来る。
最近は三人で行動しているらしく、暇になればこうやってこの屋敷へ暇潰しに来るのだ。多分今日も子供に会いに来たのだろう。
「今日も子供に会いに来たんですか?」
「いや、今日は別れの挨拶と思ってな」
「別れ?」
フィルティーさんの言葉に首を傾げる。
すると今度はセリスが話し始めた。
「私たちは旅に出るつもりです」
「旅?」
「この世界にはまだまだ未踏の地が沢山あります。そこにはまだ見ぬ強敵に、眼が開けられないほどの輝かしい財宝。そして、感じた事のないロマン。これはもう旅に出るしかありません」
セリスの言葉に苦笑する。
察するに平和でのんびりとした生活に耐えられなくなったのだろう。最近のクランの仕事は簡単なものが多いからそろそろかなとは思っていた。
「分かったよ、三人とも気を付けてね」
「うむ、主人も達者でな」
「大友、また会おう」
「ちゃんと帰ってきますからね」
三人は手を振って旅立っていった。
共に戦った仲間が旅立ってゆくのは嬉しくもあり寂しくもある。でも、誰だって譲れない自分の人生があるのだ。僕だってそう。
「いやぁ、子供ってのは可愛いもんだな」
「ならば、貴殿も早く結婚すればいい」
声に振り向くと、アーストさんとロビンさんがこちらへ歩いて来ていた。足元には大きくなったレオ君がロビンさんと一緒に歩いている。
「お二人ともこんにちは。あとレオ君も」
「おっ、何処にもいねぇと思って居れば、こんなところに居たのか!」
アーストさんが肩を組んでくる。よく顔を合わすので、最近では仲のいいお兄さんのような感覚だ。アーストさんも僕を弟のように感じているのかもしれない。
「こんにちは大友さん」
レオ君が挨拶をしてくれる。
金の髪に愛らしい顔。性格も素直で頭も良い。
僕はレオ君に挨拶を返した。
「今日もミユに会いに来てくれたの?」
「うん、ミユちゃんと一緒にいると楽しいんだ」
なんだか微笑ましくて笑ってしまった。
「いつも邪魔をして悪いな」
ロビンさんが申し訳なさそうに話しかけてきた。
その言葉に僕は首を振る。
「いえ、ウチの子もレオ君に会えるのは楽しみにしているみたいなので、こちらこそありがたいです」
「そうか、ならばこちらも気が楽になる」
三人と軽い雑談をすると、しばらくして帰って行った。
ロビンさんの家はウチの裏側にあるので、裏口を使って帰ることが多い。二人の貴族を裏口から帰すなんて少々気が引けるが、アーストさんもロビンさんもあまり気にしていないようだ。
「そうだ、ミユの様子を見に行かないといけないな」
僕は裏口から屋敷の中へ入る。
二階へ上がると、まずはリリスの部屋へ訪問する。
「リリス? いる?」
「なに?」
リリスは椅子に座って本を読んでいた。テーブルには紅茶が置かれ、何処からどう見ても貴族の奥様だ。
「ミユは?」
「隣の部屋よ。さっきまでレオ君と遊んでいたから興奮しているかも」
「ああ、またか。どうして父親自慢なんてするんだろうね……」
レオ君とウチのミユは、よく父親自慢をするらしい。ただ、レオ君の方が年が上だし頭がいいから言い包められてしまうそうだ。結局、自分の父親を自慢できずに不機嫌になる。
そりゃあロビンさんは頭も良いし顔も良い。さらに英雄だし弓を持たせるとこの国で右に出る者はいないほどだ。兎に角、挙げればきりがないほどの人だから、レオ君の気持ちも分からなくはない。
僕も自慢できることは沢山あると思うけど、見た目は普通の人だからなかなかミユの思い通りにはならないだろうね。心の中で謝っておこう。
僕は部屋を出ようとすると、リリスがテーブルに本を置いて駆け寄ってきた。
「あなた、今から愛を深めない?」
「そうしたいところだけど、ミユの機嫌を直さないといけないから」
「放っておきなさいよ。どうせあなたに甘える為の口実なんだから」
僕はリリスとキスを交わす。
彼女は美しくてまさに僕の女神だ。
けど、今は我慢しておく。
「娘の機嫌を直してからの方が、きっと気にせずに愛を深めることができると思うんだ」
「……そうね。あの子、放置し過ぎると泣き出すもの」
僕とリリスは笑ってしまった。
可愛い我が娘は僕たちの愛の結晶であり、かけがえのない宝だ。
僕だけ部屋を出ると、隣の部屋のドアを恐る恐る開ける。
「パパの方がかっこいいもん! レオ君のばか!」
娘は部屋の中でぬいぐるみを振り回して暴れていた。
小さな怪獣がジタバタとしている姿は可愛くて死にそうだ。
「ミユ」
部屋へ入ると、娘のミユがダッと走って来て足に抱き着く。
「パパ! パパはかっこいいよね!」
ミユを抱き上げると、僕は語りかけるように返事をする。
「そうだね、君のパパは強くて世界一カッコイイ。ミユがピンチになると、すぐに駆け付けて来るよ」
「ほんとにほんとにほんと?」
「もちろんさ。僕は君のパパだからね」
絹のような長い銀髪に透き通るような紅い眼。目元は僕に似ているけど、顔は全体的にリリス似だ。とても愛らしく、笑顔になるだけで僕の心は幸せで満ちてゆく。
「パパ大好き!」
ミユはぎゅっと抱きしめる。
僕もミユを抱きしめた。そして、ほっぺにキスをする。
やっと分かった。
僕は君に会いに異世界へ来たんだ。
【完】
君に会いに異世界へ行く 徳川レモン @karaageremonn
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