106話 「愛する者の為に」
「うぐっ!?」
バーゲンのハンマーがリリスを叩く。
直線を描くように地上へ落下すると、建物を破壊してようやく威力が殺しきれるほどだった。
「あのハンマーは厄介ね……」
瓦礫を押し退けて出てきたリリスは足取りがおぼつかない。
ふと、口元を左腕で拭うと、腕には血液が付着していた。リリスは僅かに動揺するも沸々と闘志がわき始めた。
幼き頃より王族として育ち、向かう敵はことごとく叩き伏せた。
その強さは抜きんでており、どんな魔族でも彼女を褒めたたえたほどだ。
しかし、リリスは強い不満を覚えていた。戦う魔族はあまりに弱く、自身の血を見ることもない戦いにうんざりしていたのだ。私の闘争本能を満足させる相手はどこにもいないのかと。
「いるじゃない。私に血を流させる奴が」
リリスは歓喜に笑みを浮かべる。
背中の翼にあるスライサーを起動させると、爆風を巻き起こして飛翔する。すぐに音速へ到達すると、すれ違いざまにハンマーを握っていた右腕を引きちぎった。
「ぎゃぁぁあああああ!」
四本ある腕の一本を千切られたバーゲンは、傷口を押さえて痛みに悶える。
「あら、本当の腕を千切ったみたいね」
引きちぎった腕を放り捨てると、バーゲンの様子にニコニコとご満悦だった。対するバーゲンは憤怒の顔でリリスを睨む。
「このアマァ! 手加減してやれば調子に乗りやがって!」
彼の両足からロケットのように炎が吐き出されると、黒い尾を引きながらリリスへ突撃する。拳と拳がぶつかると、衝撃波が周囲に広がった。
「まだまだ!」
バーゲンの三つの拳が勢いを増して繰り出される。
リリスも拳で応戦するが、手数が多いバーゲンの一発を腹部にもらう。
「うぐっ! これくらい!」
リリスは口から血を吐いた。だが、攻撃の手は止めない。
拳同士が打ち鳴らされ、爆音が空気を振動する。
それはまるで雷鳴の如く地面すらも揺らした。
「ぐふふふ、最強と言われたリリスもこの程度だったか」
「だったら見せてあげるわ! 最大の攻撃を!」
そう言いながらも翼の推力をフルパワーにして真上に飛翔する。
バーゲンも推進力を最大にすると、リリスを追うようにして上昇を始めた。
「俺の方が推進力はあるようだな!」
追い着いたバーゲンの攻撃を避けつつリリスは空を目指していた。
悔しいが力も手数も劣っている、正面から戦えば間違いなく負けるだろう。リリスはそう考えていた。
徐々に空気は澄んでゆき、気温は下がり続ける。
「ぐふふふっ! 俺からは逃げきれないぞ!」
並列して飛行するバーゲンは、執拗に追いかけて来る。何度も捕まえようと手を広げて来るが、ギリギリで回避し続けた。
「そろそろね」
推力を切ると、リリスは自由落下を始める。
すでに視界は星空が見え、上から見る大地は丸みを帯びている。酸素は薄く呼吸もやっとの状態だ。
「ちっ! 逃がさん!」
バーゲンも急停止すると下降を始める。
それを見てリリスはニンマリと笑う。
「私がどうしてこんなとこまで来たか分かるかしら?」
「俺に怯えて逃げただけじゃないのか? ぐふふふっ」
「答えはコレよ」
翼の推力を一気にフルパワーにすると、バーゲンとすれ違うように急上昇する。空に手を向けると、構築していた魔法を発動させた。
「
成層圏の風が渦を巻き、バーゲンへ向かって下降する。氷点下を大きく下回る冷気はバーゲンを包み込んだ。それはまるで、白い蛇が獲物を飲み込むような無慈悲な物に見える。
「なんだこれは!? ひぃぃ、凍り付く!?」
バーゲンの身体を白く覆って行く。苦悶の表情のまま凍り付くと、そのまま魔都の中心部へ落下した。
「彫像としてなら悪くないわね」
傍に降り立ったリリスはバーゲンを見て呟いた。
バーゲンの落ちた場所にはクレーターが出来ており、足元から埋まった姿は生きているようには見えなかった。
トドメをさそうとバーゲンへ近づくと、ピキピキと氷にひびが入る。
「まさか……」
逃げようと後ずさりをしたところで、バーゲンは氷を砕いてリリスを抱きしめるように捕まえた。
「ぐふふふっ! 俺が死んだと油断したな!」
「っ……ぎゃぁぁああ!」
バーゲンの鎧の棘がリリスに突き刺さる。
「俺の抱擁は痛いだろう? 腕を引きちぎられたお返しだ」
鋭い棘はリリスの身体を貫き、全身から血液を流れさせた。経験したことのない激痛にリリスの意識は朦朧とする。
「ぐふふふ。これでリリスは俺の物だな」
「……誰が……誰の物……よ……」
ギリギリで意識を繋ぎとめたリリスは、大口を開けて笑うバーゲンに魔法を行使した。まだ周囲には成層圏からの冷気が漂っている。
「もう諦め――あげっ!?」
膨大な空気がバーゲンの口へ流入する。口を閉じようとしようにも、冷気によってすでに凍り付き、閉じることが出来なかった。
「あごごごごっ!? ばべでぐべ!!」
凶暴とも言える冷気はバーゲンの内側から凍らせ始め、だんだんと声も聞こえなくなる。いつしか魔法が止まると、バーゲンとリリスが抱き合った氷像が出来上がっていた。
バキッとリリスの像にひびが入ると、バーゲンの腕を砕いてリリスが現れた。しかし、その体にはいくつもの穴が空いており、血液は止まることなく流れ出る。
「今頃は魔王と……達也を守らなきゃ……」
立ち上がったリリスはフラフラと魔王城へと向かう。
彼女の後ろではバーゲンだった氷像が音を立てて砕けた。
◇
「俺の名はザイード。四強の一角だ」
鎌を持った男は骸骨を模した仮面をつけていた。灰色のローブはボロボロであり、印象としては死神。フィルティーとアーノルドは言葉を聞きつつも警戒を解かない。
「たかがヒューマン相手に本気を出すこともあるまい」
ザイードは床をすべるようにして近づくと、フィルティーへ鎌を振る。
「ふんっ!」
鎌をアーノルドの斧が止める。
「俺を無視しては困るぞ! ふははははっ!」
「助かったアーノルド!」
すかさずフィルティーが剣を振る。
ザイードは後ろへ跳躍すると、二人を見て口を開いた。
「……二人とは面倒だな」
「そう簡単にはやられなしないぞ! 私たちは今日という日の為に鍛え上げたのだからな!」
「ふははははっ! 筋肉が魔族を倒せとピクピクしているぞ!」
フィルティーがザイードへ一瞬にして距離を詰めると、鋭い剣閃が繰り出される。ザイードは連撃を床をすべるようにして避けると、瞬足で後ろへ回り込んだアーノルドの斧を鎌で受け止める。
甲高い音と火花が散った。
「訂正しよう。ヒューマンにしては、なかなかやるな」
「お前も魔族にしてはやるじゃないか!」
鎌と斧がせめぎ合い、互いに一歩も譲らない。
アーノルドもザイードも笑みを浮かべていた。
「たぁ!」
背後からフィルティーが攻撃を仕掛けると、ザイードはまたもや滑るように攻撃を回避する。離れた場所で停止すると、口角を上げて薄ら笑いを見せる。
「ヒューマンが魔王城へ来ると聞いていたが、期待以上に戦えるようだな。喜ばしいことだ」
「どういうことだ? 私たちが此処へ来ることを知っていたような口だな」
「もちろん知っていたさ。魔王様はお前達をわざわざ招いてやったのだからな。城の警備が妙に少ないとは思わなかったのか?」
二人は驚きに目を見開く。
敵に動きが筒抜けだったのだ、驚かない方がおかしいだろう。
「まさかリリスが……」
「そんなはずはない! リリスは俺達の仲間だ!」
「しかし……筒抜けなのはどう説明するのだ?」
「ぐっ……」
フィルティーは疑い、アーノルドは言い訳が出来ずに押し黙る。
ザイードはその様子を見てますます笑みを深める。
「そうだ、リリスは魔族を裏切ってはいない。仲間だと信じ込ませるために演技をしていたのだ」
「やはりそうだったのか……リリスめ……」
フィルティーは怒りに剣を握る。
だが、アーノルドは何かを思い出したのか首を傾げた。
「では契約魔法を刻まれたのも演技だったのか?」
「え? 契約魔法??」
ザイードは額から汗を垂らす。
リリスの名前が出たので、上手く仲間割れを起こしてやろうと考えていたのだが、まさか契約までされているとは思っていなかったのだ。
「け、契約魔法も騙すために必要だったんじゃないかなぁ」
「む、そうか。ならばリリスは上手く騙したな。すっかり信じてしまっていた」
「それよりも戦いを再開するぞ! この話はもう終わりだ!」
ザイードが二人を見ると、ジト目で見られていることにようやく気が付いた。
「あのリリスが自分から奴隷になるとは考えられないな。どうやら騙されたのは私か」
「ふははははっ! 魔族っ子は我儘だが、演技ができるほど器用ではない! 俺達を騙そうとしても無駄な事だ!」
二人は意気揚々と攻撃を開始する。
ザイードは騙しきれなかったことに舌打ちした。
「ヒューマンの奴隷になるとは魔族の面汚しめ! おかげでいらぬ恥をかいた!」
フィルティーの攻撃を鎌で防ぎつつ、後ろへと滑るように下がる。逃げ場を失って壁に突き当たると、フィルティーの後ろから跳躍したアーノルドが、着地と同時に斧を振り下ろす。
「くっ! やはり二人は面倒だな!」
床を転がるようにして回避すると、起き上がりに魔法を発動させる。
「
床から黒い水で形成された狼たちが姿を現す。
二十頭もの黒き狼が二人へと襲い掛かった。
「ぐはっ!」
「フィルティー!?」
狼の一匹がフィルティーの太ももへ噛みついた。
アーノルドにも何頭もの狼が噛みついていたが、幸いにして装備していた鎧は強固であり牙を通すことはない。
「さぁ、そのままバラバラにしてやれ!」
ザイードの命令に狼たちは二人へ群がる。
鋭い牙は二人の身体を貫き、柔らかい部分を食いちぎろうともがく。ただのヒューマンならここで魔族の恐ろしさを思い知った事だろう。
だが、ここに居るのはただのヒューマンではない。
「「ぬあぁああああああああ!!」」
朱いオーラを身に纏った二人は狼を弾き飛ばした。
眼は闘志を滾らせ、噛みつかれた部分は急速に止血する。
「私の魂よ。敵を滅するために力を!」
フィルティーの生命の根源から気が流れ出す。力は全身を駆け巡り、脳にまで到達した。さらに剣はびりびりと振動すると、オーラによって真っ赤に光り始めた。眩いほどの光は彼女の命そのものを刃としたように見える。
「我が筋肉は不滅なり!」
アーノルドの肉体を朱きオーラが取り巻く。闘気は全身を極限まで強化し、斧に流し込まれた膨大な闘気はフィルティーの剣と同じように輝いていた。あふれ出る闘気は彼の身体から蒸気のように噴出し、そこにいるだけで威圧感をまき散らす。
「なんだその姿は……」
ザイードは動揺した。
彼が殺してきたヒューマンとは何かが違う。本能が警報を鳴らしていたのだ。
二人は魔族四強であるザイードへ襲い掛かった。
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