102話 「人魔大戦1」
ゴロゴロと雷鳴が轟く。
暗雲が青空を閉ざし、重くのしかかる空気は全てを圧殺するかのようだった。
人魔入り混じる平原では、怒号と咆哮が衝突する。
地面には人と獣の死体が放置され、それらの血液が地上を紅く染め上げる。
空を飛ぶ飛行船からは雷光と炎が地上へ降り注ぎ、牙をむき出しにする獣たちへ直撃する。それでも魔物たちの猛攻は止むことがない。
「不味いね。こちらが押されてるよ」
「分かっておる。今はグリムの準備が終わるまで保たせなければならん」
「ハハハッ、我らも老いたものだ」
賢者であるビアンヌ、シヴァ、ボルドの三人は、小型飛行船の船首から地上を見下ろす。彼らは杖を掲げ、何度も魔法を行使した。ビアンヌは炎を使い魔物を焼き払う。ボルドは雷光を放ち消し炭へと変えた。そしてシヴァは、時間を操り魔物たちの動きを遅くする。
三人の後ろでは目を閉じたまま瞑想するグリムが居た。
複雑な魔法を幾重にも構築し、全身全霊の魔法を行使するために集中しているからだ。彼の額から玉のような汗がしたたり落ちた。
「グリム、あとどれくらいだい?」
「まだじゃ。三十分はかかる」
「かぁ~アンタも老いぼれたねぇ。昔は数分で構築してたはずなんだけどねぇ」
「五月蠅い! 今は集中しておるのだ、話しかけるでない!」
ビアンヌは話ながらも巨大な炎を操り魔物を焼き殺す。老婆とは思えない程に研ぎ澄まされた魔法の操作は賢者の中でも随一である。
「まぁそう言うな。グリムの属性は昔から時間がかかるものだ。今さら文句を言っても変わりはしない」
ボルドがそう言いつつ雷光を放つ。飛行船を狙って飛んでくる鳥型の魔物は一瞬で消し飛ばされ、炭だけが煙を放ちながら地上へ落下した。彼の攻撃速度と機転の早さは賢者の中でダントツと言われている。
「しかし、こうやって儂らが揃って戦うのも久しいものじゃ。特に今の状況はムーア様と共に戦った日々を思い出す」
シヴァは杖を振ると、地上に居る魔物たちは動きを止める。兵士や冒険者達はチャンスとばかりに剣や槍を突きたてた。それでも総数五十万もの魔物の群れを後退させるには至らない。
グリムの魔法発動まで賢者たちはひたすらに戦い続ける。
◇
「くっ! 殺しても殺してもいくらでも湧いて来るようだ!」
炎の大鳥で飛翔するフィリップは、眼下の状況を見て表情をゆがめる。
三十五万の王国軍は、約五十万もの魔物の大群に押されている。敵の猛攻はすさまじく、兵士が一瞬にして肉塊と化しているのだ。戦場は地獄と化していた。
フィリップ自身も幾度と敵からの攻撃にさらされ、自慢だった真紅のローブはボロボロに破けている。過度な疲労は全身を支配し、いつ終わるか分からない戦いに精神は摩耗する。
「行け、
炎の小鳥たちが出現すると、空を舞って敵へ突撃する。
大型の虎型魔獣がイフリートによって爆砕した。しかし、仲間が殺されようと魔物たちは死体を踏みつけて突進する。地上は魔物の海が形成されており、それは地平線にまで続いていた。
「これでは埒が――っ!?」
フィリップの右腕が一瞬で切断された。
何かによってすれ違いざまに攻撃されたのだ。
彼の肩からは鮮血が噴き出し激痛に悶える。
「ぐっ……うぐっ……ふぅ、ふぅ……まずは止血だ……」
氷魔法を使って肩を凍らせると、自身を攻撃した敵を確認する。
黒い影は大きく旋回をすると、再びフィリップの方へと軌道を向ける。
彼はすぐに魔族だと気が付いた。
闇に覆われておりはっきりと姿は見えないが、それは今に始まった事ではない。そもそもこの場に魔族が居ない方が不自然であり、自身が不覚を取った理由も理解が出来た。
「魔力も残り少ない……そして退けぬ状況。覚悟を決める時か」
痛みに耐えながらフィリップは左手で杖を掲げた。
彼の真上で極寒の空気が生成され、周囲の空気を氷点下まで下降させる。空気中の水分は凝固し、涙のように地上へと降り注いだ。
「これが私の奥義とも呼べる魔法。
冷気は美しき女性を形作ると、腕を広げて影を抱きしめる。
極寒の抱擁から逃げ出そうとするが、影の身体は急速に凍り始め、女性は顔を近づけてキスをした。そして、徐々に影が薄れて行く。
影の下から現れたのは、氷漬けになった男だった。
「最後に魔族に勝つとは、私の人生も捨てたものではなかったな……」
凍り付いた男の右腕には心臓が握られていた。
それはフィリップの胸を貫いており、彼自身も魔法によって凍り始める。
男とフィリップはそのまま地上へと落下して砕け散った。
宙を舞う氷の欠片はキラキラと風に乗って戦場から離れていった。
「くそっ! フィリップがやられたか!」
一部始終を目撃していたカエサルは歯噛みをした。
同じ英雄として互いを認め合っていた故に、カエサルはフィリップの死に強烈な怒りを感じたのだ。戦友の死は英雄の力をさらに高める。
「ぐるぁああああ!」
「邪魔だ!」
彼は身長約三mもあるオーガを剣で切り伏せた。
ダイヤモンドブレード呼ばれる魔法剣はカエサルの十八番であり、剣の刀身にダイヤモンドを形成し剣の強度と切れ味を強化する。風と土の属性を持つ彼だけのオリジナル剣技。
しかし、彼の真骨頂はここからだ。
「この身が滅ぼうとも、我が精神は不滅なり。
一般的に身体強化の魔法は誰にでも使えるものとして知られている。だが、その上があることはあまり認知されていない。何故なら、
発動後は肉体に大きなダメージを与え、最悪の場合は死亡することもありうる大変危険な魔法として王国では使用を禁じられていた。だが、カエサルはグリムに頼み込みこの魔法を入手していた。
カエサルの身体から赤いオーラが噴き出し、周囲の魔物たちを闘気だけで弾き飛ばす。消える前のロウソクのように、彼の肉体は煌々と輝いていた。
「エドレス王国に栄光あれ!!」
腰にあったもう一本の剣を抜くと、二刀流で戦場を駆け抜ける。
相対した魔物たちは次々に首を狩られ、死体の山だけが築き上げられる。それを見た兵士達は英雄の背中を追ってさらに前へと突き進む。ここにきてようやく魔物の軍勢に衰えが見られた。わずかに王国軍が押し始めたのだ。
「カエサルの奴、あんな隠し玉を持っていたのか」
剣を振るアーストはカエサルの様子を見て笑みを浮かべる。
すでに整った容姿は泥にまみれ、鮮やかだったオレンジ色の髪はくすんでいた。それでも彼の剣技は魔物を圧倒する。
「押しつぶされろ! 重力剣!」
剣を振り下ろすと、攻撃された魔物だけでなく周りの敵も押しつぶされる。地面は陥没しグチャグチャに潰された肉塊だけがその場に残るのだ。
「俺が敵を引き付ける! お前らは弱い奴らから集中的に狙え!」
兵に指示を出すと、アーストの剣は再び振るわれる。
上位の魔物と呼ばれるゴブリンキングやデッドリースケルトンを寄せ付けず、一振りの斬撃でそれらは雑草のように宙を舞う。
「兄上! 俺も戦います!」
騎士の鎧を身につけたマルスが剣を持って前に出ようとする。それをアーストは強引に下がらせて魔物へ攻撃した。
「邪魔だ! 後ろに下がっていろ!」
「嫌です! 兄上ばかり活躍して卑怯ではないですか! 俺にも手柄をください!」
アーストは内心で舌打ちする。
騎士になったばかりの弟は厳しい教育によって多少はまともになった。しかし、元々目立ちたがり屋の性格であるために、ことあるごとに前に出ようとする。あまりの馬鹿さ加減にアーストは怒りすら感じていた。
「俺はお前を死なせたくないんだ! 命を大切にしてくれ!」
「兄上は見くびっています! 俺の本当の実力はこんな物じゃない! あの大友よりも俺が英雄に相応しいとすぐに分かりますよ!」
「馬鹿野郎! お前はこの戦場を見て、まだ自分の力だけで生き残れると思っているのか!」
「当然です! 俺は他の奴らとは違う!」
マルスは猛然と走り始める。
すぐに止めようとアーストが手を伸ばそうとすると、目の前のマルスは爆炎に包まれる。アーストは爆風を受けながらもマルスの名を叫んだ。
小さなクレーターの真ん中では、ブスブスと焼け焦げた死体だけが残る。
「うわぁぁああああああああ!! マルスゥゥウウウウ!!」
駆け寄ったアーストは死体を抱きしめて泣き叫ぶ。
馬鹿な弟だったが、この世界でたった一人の可愛い弟だった。
マルスはアーストと同じように剣士に憧れ、同じように冒険者になった。全ては兄であるアーストに憧れたからだ。それを分かっていたからこそアーストはずっと罪悪感のようなものを持っていた。弟がこうなったのは自分のせいだと。
彼はマルスの死体を抱いたまま己を責め立てた。
しかし、敵は休むことを知らず、これはチャンスとばかりに猛攻を強めた。兵士達は壁を作り必死でアーストをかばう。
「アースト様! 敵の攻撃が激しくなっています!」
「わがっでい゛る゛……」
弟の死体を地面に置くと、アーストは涙を拭うこともせず立ち上がる。次第に彼の中の悲しみは怒りに変り、烈火のごとく燃え盛る。
「くそったれぇぇえええええええ!!」
振り下ろした剣は何十という魔物を押しつぶす。
それは今までにない限界を超えた攻撃。アーストの猛攻は魔物たちをさらに押し込んだ。
魔物に紛れて攻撃を仕掛けていた魔族すらも彼には手も足も出ず、空間をゆがませる重力は魔法を消し去り、魔族をも抵抗させぬまま圧殺した。
◇
「
何本もの風の矢が弧を描くと、地上に居る魔物たちへ降り注ぐ。
爆発的な暴風が地面を抉り魔物の海に大きな穴が空いた。
だが、すぐに穴は埋まる。
「まだ敵が優勢か……」
ロビンは後方からの攻撃に徹していた。
彼の後ろには弓兵を従え、掛け声とともに一斉に矢を放つ。魔法が付与された矢は魔物へ刺さると爆発を起こした。
「よし、次の矢を構えろ!」
「ロビン様! 敵です!」
弓兵がロビンに叫ぶ。
一匹の魔物が兵士をかき分けて後方へと迫っていた。巨躯を誇るミノタウロスである。血走った眼はロビンに定められ、太い脚で地面を蹴りながら突進する。
「私が相手する! お前たちは次の攻撃をしろ!」
弓兵に指示を出したあと、すぐにロビンは走り出す。
ミノタウロスは急ブレーキをかけると、勢いのままロビンの後ろを追いかけた。
「私が支援攻撃の要だと見抜いたか。魔物もなかなか知恵が回る」
「ぶもぉぉおおおおお!」
上位の魔物として名を馳せているミノタウロスは、鋭い角が生えた牛の頭部に、盛り上がった筋肉で魔物の中でも桁違いの力を誇っている。加えて黒い体表は兵士の血でさらにどす黒く染まっていた。
ロビンへ追いついたミノタウロスは、大きな拳を彼に向かって振り下ろす。
「ふっ!」
地面を転がって敵の一撃を避けると、起き上がったと同時に矢を射る。ロビンほどの卓越した技術でなければできない芸当だ。
矢はミノタウロスの左目に刺さる。
「ぶもぉぉおおおおっ!?」
「トドメだ!
強烈な矢を放つ。それはミノタウロスの胸に突き刺さった。
――が、鋼のような筋肉に阻まれ、矢は心臓まで届かなかった。
「頑丈な身体を売りにしているだけのことはある」
「ぶもぉぉおおおおおお!」
蹴りが繰り出されると、ロビンはバックステップで避けつつ矢を射る。
強靭な筋肉は矢が刺さることは許しても、深部にまで届くことは拒んでいた。
「倒せるとすればあの技だが……そんな時間は与えてくれはしないだろうな……」
ミノタウロスは見た目に似合わず手数が多い。さらに体力は底なしだった。
そのせいで倒せるだけの一撃を出せずにいた。
「加勢するぜ!」
ミノタウロスの足を何者かが切りつける。
使い込まれた大剣に男らしい黒短髪。不敵な笑みはミノタウロスを見ても消えることはない。
その男は天狼傭兵団のガルダスだった。
「ぶもおおおおおおお!」
怒る狂うミノタウロスの反撃をガルダスはギリギリで回避する。その隙にロビンが狙いを定めて弓を引き絞る。出すのは彼の奥義とも呼べる技。
「奥義・
二mにもなる槍のような風の矢が創り出され、ロビンの手元から閃光のように射出される。軌道は定規で線を引いたかのようにまっすぐであり、ミノタウロスの頭部を一瞬で消し飛ばした。
頭部のなくなったミノタウロスは地面に倒れる。
「英雄ってのはスゲェ技を持ってんだな」
ロビンへ近づいたガルダスが話しかけた。
「加勢感謝する」
「良いってことよ。偶には人助けってのをしておかないと、傭兵業はままならねぇからな」
「なら、もう一体も引き付けてもらえないか?」
ロビンが指差すと、その方向には新たなミノタウロスが暴れていた。
「しょうがねぇな。付き合ってやるよ」
「感謝する」
ロビンとガルダスは走り出した。
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