最終章 君に会いに
81話 「絶望」
大聖堂の入り口をくぐると、赤い絨毯が敷かれた通路では、騎士たちが私に敬礼をする。見慣れた光景だ。
「聖女様、陛下との謁見では失礼がないようにお願いいたしますよ」
「分かっています。私を誰だと思っているのですか」
私の前を歩く大司教は、相も変わらず小言のように注意を繰り返す。姑かと言いたくなるような彼女だが、二代前の聖女であり現在はデザイト教の頂点だ。とは言っても、この国の支配者ではない。
この国を支配するのは、聖王と呼ばれる一握りの王族である。
何時から聖王が居たのかは定かではないが、四千年前にはこの国は存在していた。そして、デザイト教を信仰していたのだ。
「聖女様のご帰還!」
私が大きな扉の前に辿り着くとラッパが吹き鳴らされ、騎士が大聖堂中へ響くように叫ぶ。私は聖女。この聖教国でたった一人にだけ与えられる聖人としての称号。
扉が開かれると、煌びやかな謁見の間が目に映る。
信者であり民である聖教国民から吸い上げた豊かな資金で贅を凝らし、大聖堂とは名ばかりの王族の城で私は嫌悪感を膨らませる。
そっと部屋の中へ踏み入ると、聖王が座る玉座の前で両膝を突いた。
聖王は私とは違い、聖なる者ではなく神そのものだとされている。正確には半神。
デザイト教徒が信仰するのは女神デザイト様であり、聖王は女神の子孫だと言われているのだ。正直、本当か怪しいと私は思っている。
「表を上げよ」
聖王様の声がかかり、私は祈りを捧げてから立ち上がる。ただし、まだ声を発してはいけない。私は聖女だが、王族ではないのだから。
「聖女セリスよ、其方のエドレス王国においての活動を我は報告を受けている。言っている意味が分かるか?」
「はい。私は王国を聖教国の一部にするために遣わされました。陛下のおっしゃる意味は十分に理解しております」
「ならば聞こう。何故、其方は冒険者となり英雄と行動を共にする? 王国での布教活動はどうした? 其方は我が国を裏切ったのか?」
私は内心で緊張した。
絶対に聞かれるであろう質問が、矢の如く次々に聖王様から放たれるのだ。これは相当に怒りを買っていると確信した。
「ご質問の返答ですが、私は王国に着いてからとあることを考えていました。それはエドレス王国とは何なのかと言う事です。かの国は英雄によって人心を集めています。ならば、千の民を教徒にするよりも、英雄一人を信者にする方が効率が良いと考えました。私が冒険者として活動を始めたのも、英雄に近づく為です。決して祖国を裏切った訳ではございません」
私は事前に考えていた言葉をスラスラと述べる。
聖王様は黙ったまま深く頷いた。
「…………大司教よ、其方は聖女の言い分をどう思う?」
私の後ろで一部始終を見ていた大司教様が返答した。
「私も聖女様の言葉に賛成でございます。しかし、祖国へ重大な報告を怠った罪は軽くはございません。ここは相応の罰を与えるべきかと」
「うむ、では聖女には大聖堂内の独房にて三日の禁固を言い渡す」
「なっ! それはあんまりです! 私は何も間違ったことはしておりません!」
聖王様に抗議したが、騎士たちが私の両腕を掴むと、謁見の間から強制的に退出させられる。大友がくれた杖も取り上げられ、薄暗くじめじめした独房へと放り込まれた。
「聖女様もこうなると、ただの女だな。その体で俺達の身体を癒してくれよ」
冷たく頑強な独房の扉に備えられた窓から、数人の兵士がニヤニヤと私を覗く。
聖教国の地下牢は残酷なことで有名だ。デザイト教に忠誠を誓わせるためなら、なにをしてもいい。それがたとえ聖女だったとしてもだ。
私はすぐにめくれていた足の部分をローブで隠し、独房の隅へ身を縮める。
「おい、止めておけ。今回の禁固は三日だそうだぞ。手を出さない方が利口だ」
「ちっ、仕方ねぇ。他の女で我慢するか」
兵士達は私の独房から離れて行き、しばらくして何処からか女性の悲鳴が聞こえた。私は耳を塞ぎ震える。これがこの国の正体だ。教義の為なら何をしてもいいと思う人間に溢れているのだ。
「本当は聖女になんてなりたくなかった…………」
私の人生は単純だ。
この国で生まれ、普通の家庭で育った。ただし、両親は当然と言うくらい熱心なデザイト教信者だった。でもこの国ではそれが普通。異教徒が住めるほど、この国は甘くはない。
ある日、両親に連れられて教会へ行ったことが大きな転換期だった。
教会で行われていたのは、聖女適正テストと呼ばれる石を触るだけの試験。
私は見事合格し、次代の聖女へと選ばれてしまった。
それからあっという間に両親から引き離され、聖女としての訓練が始まった。以来両親とは会っていないけど、風の噂で国から多額の報奨金を得たと聞いて、もう親子の縁は存在しないものと思い知った。
聖女は女神が遣わした使いであり、例え母親が生んだとしても親子の血縁関係は存在しない。それがこの国の常識だ。
私と両親は何一つ似ていなかった。
だから、お父さんお母さんは私のことを「いつか聖女様になるはずだ」と言っていた。今思えば、両親は私のことを我が子とは思っていなかったのかもしれない。現実は残酷だ。
そんな私でも、憧れたものが一つある。
エドレス王国だ。
あの国は、八人の大英雄が大賢者と共に建国したすごい国だ。
話は童話になり、聖教国の子供達を魅了した。その中の一人が私だ。
強力無比の魔族たちを大英雄と大賢者は、卓越した技術と超越的な魔法にて、人類の魂と誇りに賭けて魔族と戦った。私には真似できない崇高な精神だ。だから王国や英雄を間近で見てみたかった。
私は大司教に願い出て、エドレス王国にて布教活動を行うことを誓うと、すぐに王国へと渡った。
もちろん憧れだけではない。
英雄をその眼で見ることで、知りたかったことが分かると思ったからだ。
かつての大英雄が何を思って死線を潜ったのか。人々の期待を背負った彼らは何のために戦ったのか。そして、私は何なのか。どうして私は聖女なのか。私は生きていていいのか。
「単純よね……」
独房で呟く。
どこに行っても私が聖女であることは変わらない。いつだって私は人心を集める道具として動かされてきた。考えなくても分かっている。私は聖女。それだけの女だ。冒険はひと時の夢。
「……地震?」
私の居る独房が揺れた。
いや、大聖堂全体が揺れているのだ。
すぐに扉へ近づいて、外に居る兵士に声をかける。
「これは何の揺れですか!?」
しかし、返事は返ってこない。
外からは轟音と幾人もの怒鳴り声が聞こえる。
「何が起きているの……?」
一時間ほどすると、一人の騎士が地下牢へと駆け込んできた。
「聖女様! どこにいらっしゃいますか!?」
「こ、ここです! 私はここに居ます!」
声を張り上げると、騎士は独房の鍵を開けて私を解放する。
まだ若い男性のようだが、彼は私の前で片膝をつくと祈りを捧げる。
「一体何が起きているのですか?」
騎士は立ち上がると、しばしの沈黙の後に話し始めた。
「魔族どもが攻めて来たのです。今は軍が抵抗していますが、それもいつまでもつか……」
「魔族…………」
私は言葉がそれ以上出なかった。
聖教国はエドレス王国の北に存在する。
そんな祖国が魔族に狙われなかったのは、エドレス王国を盾にしていたからだ。
かつての聖教国では、壁になってくれる王国に感謝をしていた。支援と言う名目で、我が国の宣教師たちを送り込んだのもそれが始まり。
けど、いつしか王国は聖教国の一部になるべきだと考え始めた。
女神デザイト様が与えた防壁なのだと勘違いしたのだ。普通に考えればあり得ないけど、この国ではそんな考えがまかり通っている。私が王国へ派遣されたのも、王国を自由に操作するための布石だった。
それが今、この国へ魔族の軍勢が押し寄せている。
意味することは、王国が裏切ったと言うことである。西で押しとどめる筈の王国が、魔族の軍勢を見逃したのだ。それ以外にあり得ない。
「……王国側はなんと言っていますか?」
「先ほど陛下に返答が送られてきました。どうやら王国は加勢しないと言っているようです」
「間違いないようですね。王国は聖教国を滅ぼすつもりです」
どうやったのか分からないけど、王国の賢者たちは魔族の軍勢を聖教国へ差し向けた。我が国の企みに気が付いていたと言う事だ。
「陛下に御会いします。私を連れて行ってください」
「し、しかし、聖女様は今は投獄の身。私が御救いしたのも、かつて聖女様に我が身を助けていただいた恩からです。もうこの国は長くありません、どうか逃げてください」
「それは出来ません。私はこの国の聖女です。ならば、最後の最後まで人々を救う為に生きたいと思っています。恩を感じているのならば、陛下の元まで案内してください」
「……承知しました」
騎士は歩き出すと、大聖堂内を案内する。
どこももぬけの殻となり、あれほどいた筈の人気は失われていた。
「誰もいませんね」
「ええ、兵士や騎士たちは西門へ向かいました。私は混乱乗じて戻ってきたのですが、国の中はどこも荒れています。大臣や貴族たちはすでに王国へ逃げ出したようですね」
「逃げ出したのですか? 呆れてしまいますね……」
私たちが謁見の間に辿り着くと、聖王様の怒鳴り声が聞こえた。
「早く王国に撃退させろ! なぜ我の命令を拒否する!!」
「しかし……王国は断固として応じない構えのようでして……」
「ふざけるな! 我を誰だと心得ているのだ! 我は聖王だぞ! 早く聖王の名のもとに加勢させろ!」
まるで子供の我儘だ。
守られている自覚がないほどこの国は腐ってしまった。
それでも私は聖王の前に進み出ると、両膝を突いて祈りを捧げる。
「おい、なぜここに聖女が居る! 誰か摘まみだせ!」
「聖王様、どうか私のお話をお聞きください」
「早く追い出せ! 今はお前に構っている暇はない!」
私の両腕を二人の騎士が掴む。
必死で聖王に向かって言葉を投げかけた。
「王国に謝罪をして応援を求めましょう! それしかありません! 彼らを裏切ったのは私たちです! 今まさに私たちの行動が見られているのです!」
「下らぬ。なぜ我が王国ごときに謝罪をせねばならぬ。裏切者は王国だ」
私の声は遠くなり、とうとう謁見の間から追い出されてしまった。扉は堅く締められ、扉を叩いても開くことはない。
「私は無力ですね……」
扉の前で座り込むと、己の無力さを噛みしめる。
「聖女様……これを……」
振り向くと、先ほどの騎士が杖を握っていた。
大友から頂いた私の杖だ。
「ありがとうございます」
杖を握ると、沈んでいた気持ちがわずかだが浮上した。
私は日輪の翼のメンバーだ。今もみんなが帝国と戦っているのに、私が簡単に諦めては恥ずかしい。きっとアーノルドさんやリリスさんやフィルティーさんに笑われてしまう。
私も戦うんだ。私なりのやり方で、この国の人々を救おう。
「そう言えば、貴方の名前を聞いていませんでしたね」
「私はモカと言います」
「モカ? もしかして女性ですか?」
騎士は兜を脱ぐと、赤毛のショートヘア―を見せて苦笑いする。
「よく男と間違えられるんです」
「ふふっ、あまりに凛々しいので勘違いしてしまいました。よく見ると、とても素敵な女性だったのですね」
モカは顔を赤らめて恥ずかしそうにしていた。
◇
「すぐに神聖魔法をかけます! 落ち着いてください!」
混乱する戦場で、私は兵士に回復魔法を行使する。
すでに魔物や魔人達が聖都の中へ侵入していた。私は戦う兵士や騎士たちのサポートを買って出て、負傷した人たちを次々に回復する。
中には救えない程の重傷を負い、痛みを和らげることしかできない人々もいた。それでも私は必死に神聖魔法を行使して、彼らが安からかに旅立てるように笑顔で声をかけた。
街は悲惨な状況だった。
建物は破壊され、何処からともなく火の手が上がる。
悲鳴や獣の鳴き声が響き渡り、美しかった聖都は血に汚れて行く。
私の故郷が壊されてゆく光景は絶望だった。
「も……う……この国は……終わりだ……ちくしょう……」
そう言って、また一人の兵士が天へと旅立っていった。
私の手の中で眼を見開く兵士を見て、涙が溢れそうになる。また私は無力だった。
「聖女様! ここはもう無理です! 大聖堂へ下がりましょう!」
モカが私の肩を叩く。
私の足に力は入らなかった。
「聖女様! しっかりしてください! 貴方は私たちの希望なのです! 貴方さえいれば、きっとデザイト様は御救い下さります!」
「そんなのは……嘘です……本当は貴方も……気が付いているんでしょ?」
モカは私の顔を両手でつかむと、グイッと引き寄せて目を合わせた。
「貴方は聖女です! たとえ真実がどうあれ、私たちは目の前に居る貴方を信じています! 最後まで信じさせてください!」
私は唇を噛みしめると、腕に抱いていた兵士を地面に置いた。
「大聖堂へ逃げましょう。逃げ延びた民も保護してください」
「承知しました」
気が付けば、私の周りには多くの兵士や騎士たちが片膝を突いていた。
私は聖女と言うだけのつまらない女だ。
でも、それが私であり私の生きる意味。
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