70話 「嵐の前触れ」
僕は応接間で紅茶を飲みながら目の前の人物の話を聞く。
名前は【バートン・ロッテス】
彼の大英雄と呼ばれる八人の傭兵の子孫らしい。貴族らしいが今では没落し、名ばかりの一般人と変わらない生活を送っているそうだ。
「自分は魔法使いですが、戦術知識などはお任せください。ご先祖様は傭兵団の参謀を任されていたこともあり、子孫である自分にもそれらの教育は施されています。必ずや日輪の翼のお役に立てることでしょう」
丸メガネに黒短髪の男性は流暢に話す。クエストで助け、この屋敷にはゲルドと共にやってきたという面識はあるものの、いまいち人柄が分からない。何というかポーカーフェイスなのだ。それに気配も落ち着いていて感情の発露がない。僕は判断に困っていた。
現在の日輪の翼は魔法使いは一人もいない。全員が冒険者であり、魔法に関しては僕とリリスが得意としている。確かに一人や二人くらいは魔法を使える人材が欲しいところだ。
もう一つ言うと彼の主張する参謀という人材も欲しい。実のところこのクランは頭脳がない状態だ。僕は少人数のパーティーなら指示は出せるが、大人数になるとどう扱っていいのか分からない。経験不足に勉強不足だ。その辺りを教えてくれる人も欲しいし、僕が居ない状態でも指示を出せる人間は欲しいのだ。
渡りに船だと思う。
でもゲルドの右腕だった男という肩書は痛い。
事情は聴いたけど、はいそうですかとすんなり引き受けるわけにはいかないのだ。まず、彼がゲルドとは縁を切ったという証拠を見せてもらわなければならない。
「ではゲルドとは仲間ではないという証拠を見せてください」
「証拠ですか?」
「ええ、もしゲルドとは本当に縁を切ったというのなら、これにサインをしてください」
僕はテーブルの上に一枚の羊皮紙を広げた。
「これは……」
「僕が作った魔法書です。サインをすると、貴方は僕の奴隷になります。それでもいいですか?」
この魔法書は僕が羊皮紙に魔法陣を刻んだ特別な契約書。本当に奴隷になる正真正銘の本物だ。奴隷業者が持っているものと違うのは、羊皮紙を破れば簡単に解除されることだ。言うなれば仮初の奴隷契約書。彼にそれだけの覚悟があるのか僕は知りたかった。もちろん彼がサインすれば僕も覚悟を決める。
「…………分かりました。それではサインいたします」
彼はスラスラと流れるように自身の名を記す。それを受け取ると僕は頷いた。
「分かりました。バートンさんは今日から日輪の翼のメンバーです。この魔法書はゲルドが捕まれば破棄します。それまでは不安でしょうが、我慢してください」
「ええ、そちらの方で良くしてください。自分はこのクランでは新参者です。信用していただけるまで頑張って行くつもりです」
ポーカーフェイスだった彼が少し笑みを見せる。気配も安堵の感情が伝わってきた。もしかすれば僕は彼の弱みにつけこんだのかもしれない。少し罪悪感を感じるが、組織のリーダーとしてやるべきことを疎かには出来ない。
「ところで大友様」
「様なんてやめてください。君でいいですよ」
「いえ、それでは威厳が損なわれます。では大友さんと御呼びいたしましょう」
彼は眼鏡をクイッと中指で上げると、クールに会話を進める。悔しいけどカッコイイ。どう見ても眼鏡系クールイケメンだ。いかにも頭脳派。
「ところでですね、戦の準備は整っていますか?」
「…………」
僕は頭がましっろになる。イクサ? なにそれ?
「まさか準備をしていないと?」
彼は冷や汗を流した。
すぐに再起動した僕は、バートンさんへ詳しい話を求めた。
「少し前からダハード帝国の動きがあわただしくなっています。恐らく戦争が始まるのではないかと噂なのですが、ご存じありませんでしたか」
ダハード帝国とはエドレス王国の東に位置する軍事大国らしい。総合的な力はエドレス王国と同等らしく、長い歴史の中で小競り合いは幾度となく行われてきた。でも、本格的な戦争は一度もなかった。理由は簡単。魔族を塞き止めているのが王国なのだから、戦争で勝っても困るのは帝国なのだ。だから帝国は王国には手を出さない。それが常識だったのだ。
「でも、どうして帝国が? 王国を攻めれば自分たちの首を絞めるような物だと思うのですが……」
「自分も分かりません。ですが、噂によるとダハード帝国皇帝の第三王妃に初の男児が生まれたと聞きました。もしかすればその辺りと関係があるのかもしれません」
「初の男の子が産まれたって良いことじゃありませんか?」
「確かにそうですが、問題は王妃の権力争いです。帝国では男児を産んだ王妃ほど力を持ちます。まぁ王国でも同じですが、帝国ではその差が顕著です。ですので初の男児を産んだ第三王妃の力が強まったと考えるべきなのです」
王妃の権力が強くなったから戦争に踏み切った? よく分からない。歴史的知識に乏しい僕では彼の言いたいことが見えてこないようだ。
「えっと、どうして王妃の力が強くなれば戦争になるのですか?」
「ええ、あくまで自分の推測ですが第三王妃はエドレス王国を欲しがっていると思います。何故なら第三王妃とは、現エドレス国王から嫁いだフローラ様だからです」
僕は首を傾げた。嫁いだとは言え自分の故郷を攻撃する理由が分からない。
「さすがにフローラ様を知らない大友さんでは分からないでしょうね。あの方はとても傲慢で強欲だ。きっと帝国に行ってエドレス王国が欲しくなったのでしょう」
「バートンさんはフローラ様を知っているのですか?」
「ええ、自分も大英雄の子孫の端くれですからね。あの方にお会いする機会があったのです。その時は床を舐めて服従しろなんて命令されましたが、幼いながらに人間を支配する快感を知っていたのでしょうね」
そう言いつつバートンさんから怒気が放たれ始めた。よほど悔しい思いをしたのだろう。でもバートンさんて何歳だろう? 見た目は三十歳前後に見えるけど。
「じゃあそのフローラ様が、皇帝をけしかけているから戦争が起きると?」
「あくまで推測です。ですが戦争が起きようとしていることは事実です。もうじき現英雄達も召集がかけられるはず。すでに多くのパーティーやクランも準備を始め、戦に備えています。日輪の翼も準備を急いだほうがいいでしょう」
知らなかった……。最近、街の中がざわざわしていると思ってたけど、そんなことになっていたなんて。もしかしてシヴァ様が言っていた嵐と言うのはこの事だろうか?
でも、戦争になれば冒険者はどんな扱いになるのだろう。やっぱり傭兵のように軍に組み込まれてしまうのだろうか?
「分かりました。教えていただきありがとうございます。すぐに準備を始めますね」
「ならば自分も協力いたします。クランメンバーですからね」
僕はバートンさんにお礼を言った。思った以上に心強い仲間が出来たのかもしれない。
◇
ツカツカと靴音を鳴らす女性が、とある部屋へノックもなく踏み入る。
「あなた、戦の準備は出来たのかしら?」
腰まである金髪に、整った容姿。身に纏うピンク色のドレスは豪華絢爛に飾り立てられている。わずかに吊り上がった碧い双眸は、部屋の中心にあるベッドで女性を抱き続ける男へと向けられていた。
「はぁ……はぁ……なんだノックもせずに。準備なら整ったと言ったであろう」
男は女性に言葉を投げた。
細身の体に色白な肌はきめ細かい。男性にしては少々長いブラウンの髪が汗で肌に張り付いている。高い身長にその容姿は男らしく、誰が見ても美男子だと言えた。
今も女を抱き続ける男こそ、ダハード帝国皇帝ミシェル・ダハードである。
「本当に愚図で腰を振るしか能のない男ね。あなたが全軍を鼓舞しなければ勝てるものも負けてしまうわよ」
「分かったよフローラ。俺が挨拶に行けばいいのだろう?」
渋々、皇帝はベッドから這い出ると服を着始める。ミシェルは元来気が弱い男である。他国から美しいと評判のフローラが嫁いできてからは、ずっと尻に敷かれてきた。今回、戦へと踏み切ったのもフローラの発言からだった。
「あなた、早くあの国を私に頂戴。私の子には帝国も王国も手にする権利があるわ。私の可愛いケイオスだけが、この世界を支配するのよ」
フローラはそう言ってにんまりとほほ笑んだ。ようやく服を着た皇帝ミシェルは苦笑いする。
「ああ……そうだな。ケイオスには大きな物を残してやらないといけないな」
ケイオスとは、フローラとミシェルの間に生まれた子供だ。五人居る王妃は長年男児に恵まれず、ミシェルも焦りを感じていた。そこへ生まれたのがケイオスだった。帝国ではこれを盛大に祝い、ケイオスを産んだフローラの地位はグンと上がった。
それに加え中年になってからの初の男児に、フローラはともかくケイオスも浮かれていた。子供になにか残してやりたいという親心が大きくなり、フローラが提案した王国を手に入れる案に賛成をしたのだ。なによりフローラはエドレス王国の王家の血筋。我が子が帝国も王国も支配することは、なんらおかしなことではない。ミシェルはそう判断した。
ミシェルは部屋を出ると、すぐに大臣が駆け寄ってきた。
「陛下! すでに全軍が城の前で陛下のお言葉を待っております!」
「分かっている。バルコニーに向かえばいいのだな」
ミシェルはフローラを着いて来ていることを確認しつつ、城内のバルコニーへ向かった。一歩外へ踏み出ると、爆発的な歓声があがる。帝都の大通りを埋め尽くすほどの兵士が整列し、皇帝が姿を現せたことを歓喜したのだ。
ミシェルは声を張り上げ兵士達に言葉を贈る。
「我が国の兵達よ! 時は来た! 永きに渡り、我が国はエドレス王国を見逃してきた! だが、それも終わりだ! あの領地は本来我々が手にすべきもの! 今こそ取り返す時だ! 立ち上がれ勇敢なる者達よ! ダハード帝国に栄光あれ!」
皇帝の言葉に兵たちは再び歓声を上げる。帝都パルメザンでは、兵士達だけではなく多くの国民が建物から顔を出し、皇帝と兵士達に歓喜の声を投げかけた。街はすでに勝利ムードが漂っていたのだ。
「ここから見れば壮観だな。これだけの軍勢をもってすれば、王国など一ヶ月も保つまい」
ミシェルがそう呟くと、後ろにいたフローラが鼻で笑う。
「三十万もの軍を投入するのだから、そうでなくては困るわ。向こうの頼みの綱である英雄も所詮は人間。圧倒的な数で攻めればどうとでもなるわ」
「それもそうだな。ところで王国から逃げてきた、元英雄と言うのは使えそうか?」
「ゲルドとか言う男ね。我が国での英雄の地位を約束すると、快く協力を申し出てくれたわ。中身は三流だけど、実力は本物だから役に立つと思うわよ」
フローラの言葉にミシェルは口角を上げた。
「さぁ戦乱の始まりだ」
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