51話 「ヘルグリズリー」
九階層に潜伏して一週間が過ぎた。
強すぎる魔獣を避けつつ、勝てそうな敵だけを狩り続けて上手く過ごせている。食料に関しては沢山あるので、危ない橋を渡る必要はない。僕は石橋を叩いて渡る人種である。
しかしながら、そんなことばかり言っていられないのは大迷宮に入った時点で確定しているので、冒険しなければならない時は迫っていた。
じゅうううっとフライパンで肉が焼かれ、香ばしい匂いが辺りに充満する。適度に塩・胡椒をふりかけ皿に盛りつけた。最後にスープを器に入れると完成だ。
ほかほかのご飯を肉と共に口の中に運ぶ。生きている実感が口の中から体中へと広がった。
ダンジョンで獲れる肉は文句なしに美味だ。しかし、僕は最近不満を感じていた。
「そろそろ魚を食べたいなぁ」
僕は日本人だ。日本人には魚は切っても切り離せない食材。それが今の僕にはかけていた。魚が食べたい。そんな気持ちが日増しに沸き出てくる。
もともとこんなに食べる方じゃなかったのだが、チートのせいなのか体の燃費が良くなったおかげで食欲が増えてしまった。それにいくら食べても太るどころか筋肉が増進されているような感じさえある。もっとエネルギーを提供しろと身体が言っているみたいだ。
それに久々に食べる事が出来た米が嬉しかったせいだろう。異世界に来て夢にまで見た米を食べているのが嬉しくて仕方がない。
とまぁ僕は食に飢えていた。しかし、魚を食べたいと言いだしたのにはそれなりの理由があるのだ。実は十階層には大量の水が存在する。そこでは魚だろう存在も確認できているので、迷宮内で魚を食べる事も可能なのだが一つ問題があった。
食事を終えた僕は、地図を見て様子を確認する。
今日もヘルグリズリーが侵入者を警戒して一定の範囲内だけ動いている。
Bエリアを支配しているヘルグリズリーは四頭いて、確認しただけでも恐ろしく凶暴で強い。その中でもCエリアに行く為の通路を、塞ぐようにして縄張りを持っている一頭は比較的小さい。
そこで僕はそいつなら殺せるだろうと思って、数日前に罠を仕掛けた。仕掛けはいつもの紫外線で創りだした蜘蛛の巣だ。勝てるだろうと心のどこかにあった。
だが、計画は失敗した。ヘルグリズリーの一頭は体に絡みついた紫外線を魔法で上手く除去したのだ。もちろんそれだけでは終わらない。怒り狂い、敵がこの辺りに潜んでいると気が付いたヘルグリズリーは、移動範囲を狭めCエリアに行く通路だけに居座ることが多くなってしまった。僕の計画ミスだ。
おかげで罠を張るにもすぐに戻って来て困るし、通り抜けようにも難しい状況だ。残されているのは一対一の直接対決だろう。まさにこれが問題なのだ。
十階層に魚を取りに行く為には、自殺行為ともとれるヘルグリズリーとの対決が待っているのだ。僕は恐怖心から決断できずにいた。だって、一般人が野生の熊と戦うなんてそう簡単には決断できない。それも巨大な熊とだ。土下座で許してもらえるならそうしたいところだが、本当にやってしまえば餌になるのは間違いない。
僕は槍を持って立ち上がった。今日こそ一対一で戦い、勝利して見せる。
念の為に荷物をまとめて隠し部屋を出るが、もしかすれば戻って来られないかもしれない。状況次第ではこのままCエリアに行く可能性も十分にある。
地図を頼りにダンジョン内を歩いていると、見覚えのあるやつと出会った。
全長約七十mに、緑に黄色のまだら模様の体色が特徴的な大蛇が現れる。奴は四つの顔を全て僕に向けていた。サナルジアスネークと名付けた目の前の蛇は、このエリアではそれほど強くない部類だ。
「肉のストックも切れていたし、狩らせてもらおうかな」
そう言うと、魔法を行使した。
「
すると大蛇の身体を、光の鎖が何百と床へと拘束して行く。身動きが取れなくなった蛇は必死にもがくが、首を切り落としたことで死亡した。
すぐに解体を行い、皮や肉などをバッグに放り込む。簡単に倒しているが、サナルジアスネークは間違いなく強い魔獣だ。言うなれば体の構造を把握している僕の方に利があっただけだ。
そもそも蛇は手足がないのだから、首下から押さえてしまえば完全に動けなくなる。初動さえ見誤らなければ負ける相手ではないのだ。つまり僕にとって美味しい敵だと言う事だ。
さらに奥に進むと、ヘルグリズリーがすでに臨戦態勢になっていた。臭いで僕が近づいている事に気が付いていたのだろう。
「
全身を日本式の鎧が覆い隠す。背中からはもう一対の見えない腕が闘気をみなぎらせた。すぐにアストロゲイムを両手で構え、ヘルグリズリーに戦う意思を伝える。
「ぐるぁぁぁぁぁぁぁ!」
グリズリーは立ち上がると、底冷えする咆哮を放った。小さな存在である僕を敵だと認めているようだ。基本的に高ランクの魔獣は頭が良い。動物のように単純な思考だけで生きている訳ではない。そのことは見ていれば一目瞭然だ。なんせドラゴンと言う喋るトカゲが居る世界。他の魔獣が確立された思考能力を持っていないとは言いきれないからだ。
「こちらから先制させてもらうよ!
魔法で創りだした数百の光の矢を一気に射出する。
長さ一m程の光の矢がヘルグリズリーの身体へ突き刺さるが、筋肉に邪魔されて深くまでは貫けない。それどころか奴は怯むことなく巨大な体躯で突進し始めた。
「引っかかったね」
そう呟いた僕の視界ではグリズリーが、紫外線の糸で絡められジタバタともがいている。光の矢を放っている間に罠を仕掛けていたのだ。狙い通り突進させることで見事に奴は罠にはまった。
槍を構えグリズリーの頭部に狙いを付ける。これで勝負は僕の勝ちだ。
そう思って跳躍した瞬間、グリズリーの右腕が凄まじい速度で僕に直撃した。
「ぐるぁぁぁぁ!」
奴の咆哮が木霊し、僕は勢いのまま壁へと激突する。衝撃は壁へと伝わり、蜘蛛の巣のように亀裂が入った。
「くっ、さすがに全てのダメージは防ぎきれないみたいだ……」
瓦礫から何とか身体を脱するも、その間にグリズリーは体に絡みついた糸を魔法で弾き飛ばしていた。基本的に魔法はより強い魔法によって弾くことが出来る。そのことを本能で知っているグリズリーは、前回の罠もその方法で無効化した。
「ぐるるるる……」
全身を炎で包むグリズリーは、四本腕を床に下ろしつつ姿勢を低くし警戒心を強めている。紫外線が思ったよりも奴を蝕んだようで、似たような罠がないか確認している様子だ。
立ち上がった僕は再び槍を構える。ここからは本気だ。
「
脳に闘気を流し込み活性化させる。すると視界がスローになってゆく。
じゃりりと床にある砂を踏みつけた音が聞こえ、視界にはグリズリーの右腕が僕に振り下ろされようとしている。その攻撃を闘気の腕で受け止めると、身体を伝わって衝撃が床へと流れた。ぴきりと床にひび割れが起きるが、僕は痛みに耐えつつ闘術を放つ。
「闘槍術トルネードチャージ!」
極限まで捻った体を解放し、全身を螺旋状に起動させる。繰り出された槍はそのエネルギーを刀身の先へ集中させ、目の前にあるグリズリーの肉球へゆっくりと沈み込んだ。
ばぁんと、奴の肘がはじけ飛び右腕の一本が床に落ちた。衝撃を熊の身体が抑えきれなかったのだ。
「きゃいん!?」
犬のような悲鳴を上げたグリズリーは、血がしたたり落ちる右腕を見て何度も叫ぶ。恐らくだが、これほどの痛みを味わうのは久しいのかもしれない。見ていてそんな感じがした。
僕はすぐに攻撃態勢に入る。このままなら勝てる気がする。
――が、僕の予想を裏切りヘルグリズリーは逃げ出した。
「……は?」
あの巨大な熊が悲鳴を上げながら退散していったのだ。僕はしばし呆然とした。
どちらかが死ぬまで戦うなんて勝手に思っていた。それは僕の勘違いだ。
魔獣は生きるために獲物を狩っているに過ぎない。だから勝てないと踏めば逃げる事は普通だ。その判断がヘルグリズリーは早かったと言えた。
四本ある前足の一本を失った時点で撤退したのだ。伊達にBエリアを支配している訳ではないと言う事か。
グリズリーの右腕を回収すると、ここで選択を迫られた。隠し部屋に戻るか、このまま先を進むかだ。すでにCエリアへの道は開かれている。このまま行くべきか、今一度隠し部屋に戻り準備を整えるか。僕はこのまま進む事にした。
このまま戻ってもグリズリーが此処へ戻って来る可能性は捨てきれない。もしかすれば仲間を引き連れてくるかもしれないのだ。だったら進む方がいいだろう。
地図を確認するが、やはりと言うかあのグリズリーは仲間の元へ向かっているようだ。僕はすぐにこの場から走り出した。
◇
エルフの村では深刻な状況が進んでいた。
契約によって縛られているリリスが衰弱していたのだ。三人のメンバーはベッドで寝込んでいるリリスを心配して、片時も離れず介抱していた。
「リリス、大丈夫か?」
「ええ、セリスの神聖魔法のおかげで何とか生きていられるわ」
そう返事するリリスは、身体を起こす事もできずフィルティーに笑顔を見せる。
「今は大友の事は気にするな。いずれ手を打って脱出してくるはずだ」
「……達也は強いわ。だけど、だけど……心配で堪らないの……」
リリスは布団に顔を埋める。フィルティーはその姿を見てリリスを抱きしめた。
「大丈夫だ。今は耐えて帰って来る時を待とう。きっとすぐに、またあの笑顔を見せてくれるさ」
「うん……」
リリスが寝始めると、フィルティーはそっと部屋から出た。外にはアーノルドとセリスが待ち構えていた。
「様子はどうだ?」
「……良くないな。心身共に衰弱している。このまま行けば近い内に死ぬかもしれない」
「そんな!? どうにか出来ないのですか!?」
セリスに言葉にフィルティーは首を横に振る。
「大友の契約魔法は強力だ。一応魔法陣を見せてもらったが、アレは私の知っている魔法ではない。解くことは不可能だ」
実は契約魔法を無効化する魔法が存在する。それは契約内容を無効とする上書きをすることにより、魔法陣を対消滅させる秘儀である。しかし、それを実行するには高度な魔法技術と契約内容を把握している必要があった。
リリスに刻まれている契約魔法は、達也が創りだしたオリジナルであり見ただけでは解読不能だ。さらに未解明な属性による契約の為、上書きはおろかその魔法を理解することすら難しい事態へとなっていたのだ。
「流石は主人か……しかし、こうなるとリリスが厳しいぞ」
「それは分かっている。けど、今のままではどうしようもない。大友さえ戻ってきてくれれば解決するのだがな」
「今日で三ヶ月か。恐らくだが俺たちより下の階層に飛ばされたのだろうな。リリスが死んでいない以上は主人が生きている事は分かるが、かなり苦しい状況に置かれているのかもしれん」
「だろうな……」
三人はため息を吐く。どうすることもできず、日に日に弱って行くリリスの容態だけを見る毎日に疲れを感じていた。そこにシェリスがおどおどしながら近づいてくる。
「さ、三人とも元気を出せ。きっとリリスは今に良くなる」
そう言いつつ、肉の塊をアーノルドに渡した。
「これで元気を出せ。村にはいつまでも居ていいから、欲しい物があれば遠慮なく言え」
その様子にフィルティーが鋭い視線を投げかける。
「罪滅ぼしのつもりか? 私たちはその程度で許しはしないぞ?」
「うっ……」
そこへアーノルドが仲裁に入る。
「まぁ落ち着くのだ。俺達もこの村で世話になっている。あのような事があったとしても今は感謝をするべきではないか?」
「その通りですフィルティーさん落ち着いて下さい」
二人の説得により、フィルティーは再びため息を吐く。
「……すまない。リリスの事で気が立っていたんだ。あんなに弱ったリリスを見て胸が張り裂けそうになってしまった」
三人はフィルティーの言葉に深く頷く。
リリスを含めた四人が、この村へ戻ってきたときにそれは発覚した。
四人は怒り狂い村で暴れようとしたが、シェリスの説得により四人はその怒りをひとまず収める事となった。
それ以来エルフ達は四人に極度に気を遣うようになり、特にシェリスは四人の専属メイドとも言えるくらい甲斐甲斐しく世話をするようになった。何故ならシェリスが責任者だったからだ。
大友は旅立つ前に何度も確認した。暗にちゃんと管理と保護をしてほしいと言っていた。しかし、その約束は守られなかった。
シェリスが預かった五羽のパルケ鳥は、エルフによって食べられてしまっていたのだ。
この事実を達也はまだ知らなかった。
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