50話 「9階層」


「うわぁぁぁぁぁぁぁ! 助けてー!」


 僕は死に物狂いで走っていた。後ろには巨大な蜘蛛がわしゃわしゃと、子蜘蛛を引き連れて追いかけてきている。


 立ち止まれば間違いなく奴らに食い殺されてしまうだろう。それが嫌な僕は当然逃げるしかない。


 そもそも何故このような状況になったかと言うと、遡ること数時間前。




 八階層にあった隠れ家と別れを告げて、地図を頼りに歩きだした僕はほどなくして九階層へ行く為の通路を発見する。


 大迷宮では階段は存在しない。上下行き来するためには、長いスロープを通らなければ移動できないのだ。と言う訳で、目の前には九階層に行く為の入り口が見えているのだが、長い坂が一直線に延びているその途中には多くの蜘蛛の巣が見えていた。


「まさか大きな蜘蛛とか出ないよね……蜘蛛苦手なんだけど……」


 そう呟きながら、通路にある蜘蛛の巣を槍で剥いでゆく。恐らくだが巨大な魔獣でも捕まれば逃げ出すことは難しいだろう。そんな巨大な巣は幾重にも重なり一面が白く映る。


 巣が張り巡らされた場所を抜けると、未だに続くスロープが見える。蜘蛛の姿を見なかった僕は安心してため息をついた。


「だめだ。まだ安心できない。これだけの巣をつくるんだ、きっと大きな魔獣がこの辺りに居るに違いない」


 気を引き締め、再び歩きだした僕はある事に気が付く。


 通路の天井や壁の隅には、大きな蜘蛛の巣が数多く張られている。その数は数え切れないほどだ。嫌な予感が背中を伝わって這い上がって来る。


「ぎちぎちぎち」


 その音に顔を向けると、小さな巣から一m程の青い蜘蛛が顔を出していた。それをきっかけに至る所から蜘蛛たちが顔を出してくる。


 僕が咄嗟に走り出すと、蜘蛛たちも何故か追いかけてくるのだ。


「ひぃぃぃぃぃ!」


「ぎちぎちぎち」


 蜘蛛は次第に数を増やし、数分後には数百を超える膨大な蜘蛛が僕をぞろぞろと追いかけていた。未だに長いスロープに終わりは見えず、ただ直進を走ることしか逃げる方法はない。

 逃げつつ魔法を放つが、その攻撃は膨大な数の前では意味をなさない。むしろ蜘蛛達の怒りを増大させているような気がする。


 ひたすら走り続け、とうとうスロープの終わりを見つけた僕は激しく喜んだ。複雑な通路で蜘蛛たちを上手くまいてしまえばいいのだ。

 はっきり言うのなら、トレイン状態で他の魔獣に蜘蛛たちを押し付けてしまおうと思っていた。だが現実はそんなに甘くはない。


 九階層へ到達した僕は、蜘蛛を引き連れたまま迷宮の通路を駆け抜ける。至る所で骨や蜘蛛の巣が見られたが、魔獣の一匹くらい居るだろうと探し続けた。


 そして、一キロほど走った先にある曲がり角で、と出会った。


 全長約五十mあろう巨大な大蜘蛛が姿を現したのだ。


 全身は青色と黄色と黒色の警戒色で、見るだけで嫌悪感を掻き立てる。八個の赤い眼が僕を視界に捉え、牙をがちがちと鳴らした。


「ぎゃあああああああ!」


 僕は思わず悲鳴を上げて全力疾走する。逃げる方向は大蜘蛛の近くしかないので、とにかく壁を走りながら大蜘蛛を避けつつ、後ろから追ってくる子蜘蛛たちから逃げる。


 ――が、大蜘蛛を上手く避けられたのはいいが、後ろから追って来ているのだ。


 子蜘蛛に加えとうとう親蜘蛛らしき物まで僕を追いかけ始めた。後ろを振り返れば、通路いっぱいに膨大な蜘蛛がわしゃわしゃと走ってきている。その中心には巨大な蜘蛛が子蜘蛛を避けつつも僕に狙いを定めていた。


「うわぁぁぁぁ、助けてぇぇぇ!」


 恐怖のあまり助けを呼んでしまう。状況はあまりにも過酷だ。


 しかし、こんな大迷宮の中で一体誰が助けてくれると言うのだろうか。恐怖でぐるぐると回る頭を、無理やり冷静に切り替えこの状況から助かる方法を思案する。


 地図を確認すると、それほど離れていない場所に敵らしき印が表示されていた。まさにチャンスだ。


 一時間ほど走ったところでそれらしい魔獣が歩いている。後ろ姿は犬のようだが、黒くて全貌が良く見えない。だが、このチャンスを逃すわけにはいかなかった。


「ぐるるるる」


 振り返った魔獣は八階層でも居たアビスタイタンだったのだ。僕は加速する恐怖を押し殺して足に闘気を込めた。このまま擦り付けてやる。


 僕に気が付いたアビスタイタンは、その遥か後方から近づいて来ている蜘蛛たちを持てぎょっとした様子だった。それどころか僕と同様に逃げ始めるのだ。八階層のボスだった、アビスタイタンがだ。


「ぎゃううう!」


 僕と並走するタイタンは、悲痛な叫びを上げながら犬のように逃げる。あの蜘蛛たちがよほど怖いのだろう。けど、ここは僕の代わりに犠牲になってもらわないと困る。


 左手に魔法陣をイメージすると、光の鎖をタイタンの足めがけて射出した。どうやら奴には光属性魔法を弾く特性があるようだが、持続性のある形態になると少しの間は効果を発揮するようだ。


 光の鎖はタイタンの前足を絡めとり、みごと床へ転ばせた。


 僕は心の中でガッツポーズをとると、大量の蜘蛛たちはタイタンへ覆いかぶさった。まるで砂糖に群がる蟻のようだ。

 タイタンの悲痛な鳴き声が聞こえ、ジタバタと暴れていたが数秒程で息絶えてしまった。恐るべし蜘蛛。


 僕はまんまと逃げおおせたが、あの蜘蛛は二度と出会いたくないので、地図上に表示されている蜘蛛たちに黄色いマーカーを付けておいた。


 ちなみにあの蜘蛛達は”サナルジアスパイダー”と名付けた。特にあの巨大な蜘蛛は九階層のボスだと思う。勝てる気がしない。


 とりあえず僕は十階層へ行く為のスロープを探すことにした。


 しかし、地図はあってもそれは容易な事ではない。なんせこの大迷宮はとにかく広く複雑だ。時々部屋のような場所も見つけるが、そこには大体魔獣が住み着いていたりする。

 水辺だって安易に近づいてはならない。この迷宮では水源が豊富とは言え、多くの魔獣が水を飲みに来るのだ。そういう魔獣を狙った魔獣すら居るのだから、弱肉強食が絶対のルールと言えた。


 僕はこそこそと通路を隠れながら歩く。ここに来てからいつのまにか習慣になった移動方法だ。


 三時間ほどで水辺に着くと、地図を確認しつつ視界でも索敵する。


「ここは敵が居ない感じだ」


 光るキノコが大量に生えた場所では、静かに水が湧き出していた。それに逃げるのに夢中で気が付いていなかったけど、この階層は水晶のような結晶が至る所に見受けられる。その為、水源の近くにも結晶が生え、実に幻想的な光景だった。


 ロボットから貰ったストレージバッグから、米と野菜を取り出すと早速調理を始める。なんせ蜘蛛と出会ってから何も食べていないのだ。


 リゾットを作ると、口の中へ掻き込む。生きている実感が体中に広がった。


 空腹が収まると、今度は強烈な眠気に襲われる。思っていたよりも精神が疲れていたのだろう。部屋の入り口に魔法で創り出した蜘蛛の巣を張ると、ひとまず眠る事にする。



 ◇



「ぎちぎちぎち」


 その不快な音に僕は目が覚めた。すぐに槍を掴むと臨戦態勢になり、辺りを窺う。


 部屋の入り口に作っていた蜘蛛の巣に、子蜘蛛が引っかかっていたのだ。すぐに地図を確認するが、黄色いマーカーを付けた蜘蛛たちはこの辺りには来ていないようだ。

 それに、目の前の蜘蛛はマーカーを付けられていない事から、僕を狙った一団とは別の蜘蛛だと分かる。もしかすればこの階層には多くの蜘蛛が生息しているのだろうか。


 ほどなくして蜘蛛は魔法の糸によって死亡する。紫外線で創った糸なので、絡まった時点で生き延びる事は難しい。


「他の蜘蛛も来るかもしれないな。そろそろ移動しよう」


 水筒に水を汲むと、荷物をまとめて再び歩きだす。もちろん水晶のような結晶もお土産にいただいた。


 通路を歩きながら僕はこの階層を考察する。


 蜘蛛がボスとはいえ、これだけ広い階層を完全支配は出来ないだろう。何故なら八階層ですら四つのエリアでその強さや魔獣の種類が分けられていたからだ。

四つと言うのは僕が勝手に区切ったエリアなのだが、だいたいその範囲で種類が違ってくる。


 と言う訳で、ここ九階層でも四つのエリアに分ける事が可能だと判断した。現在居る場所は、スロープがある”Aエリア”だ。ここは蜘蛛が完全支配している場所だと認識する。

 ”Bエリア”、”Cエリア”は未だに謎だが、”Dエリア”は下へと続くスロープがあることが分かっている。だが、すぐにDエリアに行くことは出来ない。BエリアとCエリアを通り抜けないとたどり着けない仕組みになっているようなのだ。


 とりあえず僕はBエリアを目指している。蜘蛛が居ない事を願うばかりだ。


 時間の感覚がない僕は、ひたすら魔獣を避けながら通路を歩いた。


 見かける魔獣は八階層よりも体が大きく、今の僕ではギリギリ勝てるか分からない相手ばかりだ。特に”ヘルグリズリー”と名付けた巨大な熊は、あのアビスタイタンを餌にするほど凶暴だ。


 通路の壁際からその様子を覗いていたのだが、赤黒い体毛を持つ四本腕の熊がアビスタイタンを一薙ぎで首をちぎり落とした時は、それはもう失禁するかと思った。ここは地獄かと震えあがったのだ。


 しかしながらこの階層に居るアビスタイタンは、八階層に居た奴とは二回りほど大きさが小さい。これは恐らく運よく蜘蛛を潜り抜けて八階層へ来たタイタンが、豊富な餌を獲得できたためにあれだけ大きかったのだ。


 僕はそう言い聞かせ自分を納得させる。そうでもしないとここでは生きて行けない気がする。実際に戦ったタイタンは大きかったので、僕の推論はあながちハズレってわけでもないと思う。


 そして、Bエリアはこのヘルグリズリーが支配する場所なのだ。


 別のエリアに入った時から何とも言えない気配を感じていたのだが、熊がタイタンを狩る光景を見た事で確信した。しかも、ヘルグリズリーは一体だけではない。見ただけでも、四体はいるようでBエリアをある一定範囲で徘徊しているようなのだ。まさしく絶望的だ。


 僕はひとまず、Bエリアの手ごろな水源近くの壁に隠し部屋を作成すると、しばらくBエリアで様子を探りながら修行することにした。タイミングを見計らえれば、ヘルグリズリーを素通り出来るかもしれない。


 そんなこんなで、僕はとりあえず作ったハンモックでひと眠りする事にした。





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