39話 「オリアス」
魔族の出現で戦場は混乱した。
兵士達は我先にと逃げ惑い、残されたのは数人のみ。
「なんだ、わざわざ姿を見せてやったのに、逃げるとはなっていないぞヒューマン」
魔族は黒いローブを脱ぐと地面に放り投げる。
そして、残った人間達を見回した。
「なかなか良さそうな面構えが揃っているな……ん?」
オリアスはリリスを見て表情を変えた。
先ほどの余裕のある表情から、鼻の下を伸ばした緩んだ表情だ。
「リリス! 見かけないと思えば、こんなところに居たのか! 俺様を追いかけて此処まで来たのだな! 嬉しいぞ!」
反対にリリスは普段見ないような嫌悪感を示す表情だ。
「やっぱりオリアスだったのね……というかあんたと私では格が違うんだから言葉遣いを改めなさい」
「ハハハッ! 俺様はいずれ魔族の頂点に立つ男だ! ならばリリスとはいずれ夫婦になのるのだ、そのような些細な事気にするな!」
オリアスとリリスの会話が、微妙にかみ合っていない事に気が付いた。敵は随分と思い込みの激しい魔族のようだ。
僕に顔を向けたリリスは、少し考えるとニヤリと笑いオリアスに言い放つ。
「残念ね。此処に居る達也の奴隷になったから、貴方とは一緒に居られないわ」
彼女は妖艶に僕の肩を触ると、流し目でオリアスを挑発した。
「な、な、なにー!? なんとうらやま……違う! なんと不届きな! この俺様がすぐにそのヒューマンを殺して解放してやるぞ!」
今、羨ましいって言いそうになったよね? それに僕を殺すとリリスも死ぬのだけど、オリアスと言う魔族は随分と契約魔法に無知なのだと気が付く。
周りを見ると、この場に残っているのは天狼傭兵団の一人と、フィルティーさんとアーノルドさんにリリスと僕だけだ。たった五人であの魔族に勝てるだろうか?
そんな事を考えていると、天狼傭兵団の人が話し始める。
「あー、取り込み中悪いんだが、俺も暇じゃねぇのよ。さっさっと殺されてくれねぇかな?」
そう言って大剣を構える。黒い短髪に使いこまれた革鎧。体中に切り傷のような物が見られ、見た目だけで強そうだと分かる。が、それ以上にその気配は歴戦の戦士を彷彿とさせた。オリアスも視線を僕から傭兵に移すと、口角を上げる。
「ほぉ、ヒューマンにしては腕の立つ者のようだな。名は何と言う?」
「俺はガルダス。天狼傭兵団のリーダーだ」
次の瞬間、魔族とガルダスはぶつかった。
ガルダスの剣がオリアスの腕に食い込み、互いに力比べをしている。
「いいぞ、悪くない力だ。この俺様の腕に傷を付けるとはな」
「何を言っている。こっちは両手なのに、てめぇは片手じゃねぇか。化け物め」
ガルダスは舌打ちをすると、魔族の腹部に蹴りを放ち距離を取った。
だが、何故かガルダスは剣を鞘に納める。
「やめた。俺じゃあギリギリ勝てねぇし、金にならねぇ。後は任せた」
ひらひらと片手を振ると、僕に向けて言葉を残し去り始める。
な、なんて現実主義者なんだ……。物語で傭兵はそう言う物だとは知っていたけど、この段階で撤退するとは思ってなかった。
ショックを受けていた僕にフィルティーさんが、話しかける。
「傭兵とはああ言う物さ。金にならないと踏むとすぐに撤退する。だが恐るべきは、一度のやり取りで実力を見抜いたことだろう。ガルダスと言う男、唯者じゃないぞ」
「ですね。僕も驚きました。あの状況下で自分が負けると判断を下せるのは普通じゃないです」
肝心の魔族は、呆然としていた。そして、しばらくすると笑い始める。
「クハハハハハ! 俺様との実力を見抜き逃げ出すとは臆病者め! やはりヒューマンか!」
「では、そのヒューマンに倒されるが良い!」
今度はフィルティーさんが、進み出る。
「ほぉ、こんどは随分と美しい娘だな。だが、一人ずつかかってくる必要はないのだぞ?」
奴はそう言って僕とアーノルドさんに視線を移す。
確かにそうだ。別に一人ずつと決まっている訳ではないのだから、全員で戦ってもいい筈。
「アーノルドさん!」
「うむ!」
先に走り出していたフィルティーさんが、オリアスに切りつけると、後方を走ってきたアーノルドさんの斧が薙ぐ。しかし、オリアスは二人の攻撃を難なく避けると、二人の腹部へ殴りつけた。
宙を飛ぶ二人を尻目に、僕は闘気を込める。
「つまらんぞ、先ほどの男の方が強かったのではないのか?」
そう呟く奴に狙いを定め跳躍すると、槍を一気に振り下ろす。
「バーストブレイク!」
オリアスが避けた地面を激しい爆発が覆い隠す。土煙が漂い、僕はオリアスを探した。直前で避けられたことは確認している。
すると殺気を感じ、とっさに槍の柄で防御した。
重い拳が柄に当たり、僕の足をわずかばかり地面に沈める。
奴は頭部から赤い血を流していた。
「驚いたぞヒューマン。まさかあんなに威力がある攻撃だったとは思ってもみなかった」
「僕を軽んじた貴方が悪い。ガルダスさんは実力を見抜いていましたよ?」
「逃げ出したヒューマンのことなどどうでもいい。お前はリリスの主人だったな。ならば、ここでリリスの為に惨たらしく殺してやろう」
オリアスはニヤリと笑うと、僕の足元を何かが掴む。
視線を向けると、そこには黒い水の手ががっちりと僕の足を握っているのだ。
「では反論してやろう。俺様を軽んじたお前が悪い」
身動きが取れないまま、奴の拳が腹部に沈み込む。
「あぐっ!?」
今度は顔面に拳が当たり。次々と連打を繰り返す。完全に僕はサンドバックと化していた。
「クハハハ! どうした! 反撃して見せろ! 俺様にヒューマンの強さを見せてみろ!」
視界が何度も揺さぶられ、左右に強制的に振られる。すでに五十発以上はもらっただろうか? 周りの土煙も晴れ、フィルティーさんとアーノルドさんが驚愕の表情で見ている。
が、リリスだけは何故か笑っていた。
僕がボコボコにされて、奴隷にされた憂さを晴らしているのだろう。いままで仲間として大切に扱ってきたつもりだったが、リリスにとってはどうでもいいことだったのだろうか?
その時、リリスの言葉が聞こえた。
「達也。言っておくけど、そいつは魔族でも下級よ?」
え? これで下級なの?
あまりにも軽い拳で驚いているのに。
「何を笑っている! とうとう壊れたかヒューマン!」
「いや、魔族にしてはあまりにも軽い攻撃だったから、我慢できなくなったんだ」
僕はそう言うと、右手で奴の腹部を殴りつけた。めりめりと肉の延びる音が聞こえ、深く沈み込む。奴の身体はくの字に曲がり両足は宙を浮いた。
「はぐっ!?」
そのまま振り抜くと、二十mを飛び越えバウンドしながら地面に転がる。
魔法が解除され、自由になった僕は首を回す。強烈だったのは最初の一撃だけだった。連撃になればなるほど軽くなり。最後は赤ん坊にパンチされているような感じだったのだ。気を遣った僕はやられたふりをしていたが、いい加減我慢できなくなったと言う訳だ。
しかし、これはチートを保有している僕だからこそ、この程度で済んでいると言うことだろう。ただの人間なら間違いなく殺されていたはずだ。
「ぐっ……」
起き上がったオリアスは、苦虫を潰したような表情で僕を睨み付ける。
「こんなヒューマンが居るとは初耳だぞ……いや、あのリリスが奴隷にされたのだ。早く気が付くべきだった」
独り言を呟くと、奴は口から垂れる血をぬぐい取り構える。
「本気を見せてやろう! ”
奴の言葉と共に全身が黒水で覆い隠れ、鎧のように形作る。背中には蜘蛛のような足が八本生え、いで立ちは禍々しく感じた。
何が起きたのか分からず、リリスに視線を送る。
「アレは魔力を鎧化させて戦う、魔族の奥の手よ。個人によっては特性が違うから気を付けた方が良いわよ」
なるほど、魔族はあんなこともできるのか。じゃあ僕も出し惜しみは出来ない。
全身に闘気を充足させ、槍にも闘気を流し込む。先ほどの戦いは限界を超えていたが、今は暴走しない程度に抑えている。
「お前を殺した後は、王都の奴らを皆殺しにしてやるぞ。俺様を怒らせた事を死んでも後悔させてやる」
奴は猛スピードで走り出すと、僕に近接し蹴りを放つ。槍の柄で受け止めるが、その威力は先ほどとは変わり段違いで強力だ。
すぐさま槍で反撃するが、奴は体を逸らすと右手の人差し指を僕の足に向けた。
「捕まえた! 死ね!」
上空へ飛ばされた僕は何が起きたのか理解できなかった。
足を見ると、奴の人差し指から細い糸が延び、僕の足に巻き付いている。
見た目通り蜘蛛のような能力を持っていたようだ。
そのまま頭から地面に叩き付けられダメージを負う。けど、まだ戦えない程じゃない。小さなクレーターから僕は立ち上がると、足に巻き付いた糸を槍で切り払う。
「あれでまだ死なないとは、お前本当にヒューマンか? さすがに驚いたぞ」
「あいにく僕は頑丈なんだよ。一つ聞くけど、引き返してくれないかな?」
「クハハハ! お前は頭は悪いようだな。俺様が逃げる訳がないだろう」
奴は両手から鎌のような水の刃を出すと、地面に這う姿勢になった。
「俺様の本当の実力はここからだ」
奴がそう言った瞬間。
僕は左肩を切られた。
「ぐぁあ!?」
鮮血が飛び散り、何故か前方に居た筈の奴は僕の後方で構えている。
切られた!? 今の一瞬で奴に切られたんだ!
「どうした? あまりの速さに驚いたか?」
切られた左肩を押さえると、傷口はそれほど深くはないようだ。だが切られたという精神的ダメージは大きかった。
「次は脚だ」
再び僕は切られ、右太ももから血がにじみ出る。奴の動きは速すぎて姿すら捉えられなかった。そこからは弄られるように全身を切り刻まれ、僕は地面に屈した。
すでに全身が血で濡れ、体に力が入らない。
「どうした? 先ほどの威勢を見てみろ。俺様を虚仮にしていた表情はどうした?」
「ぐっ……うう……」
何とか立ち上がると、槍を構える。
「もういい、大友。私が何とかしよう」
フィルティーさんが僕の前に立ち塞がった。彼女は先ほどとは打って変わり、全身から漂う気配は研ぎ澄まされていた。それどころか闘気が放たれ、より練度を高めているようだ。
この時気が付いた。フィルティーさんは闘気の使い手だと。
「今度は女が相手か。俺様の相手が務まるのか、見ものだな」
奴はそう言いつつ、フィルティーさんを切り刻み始めた。
対する彼女は微動だにしない。ただ剣を構え、動きを止めている。
次第に彼女の白い肌に切り傷が増え、服は地面に落ちて行く。数秒後には下着だけで立つフィルティーさんが出来上がっていた。ピンクの下着に思わず僕は顔を逸らす。
「クフフフ、やはり殺すには惜しい女だ。今なら奴隷として俺様の玩具にしてやるぞ」
そんな問いかけに答えず、彼女は闘気を研ぎ澄ましてゆく。そして、その時が訪れた。
「そこだ!」
フィルティーさんが切り下した場所に、オリアスは居た。
深々と右肩に刀身が入り込み、奴は叫び声を上げる。込められた闘気の余波で地面は陥没し、風が巻き起こる。
そこにアーノルドさんが斧をフルスイングで叩き付けた。
実はこの二人、作戦を考えていたようだ。フィルティーさんにオリアスが意識を取られている間に、アーノルドさんが近づきトドメをする。けど、その時間稼ぎは僕が居なければできなかったことだ。
アーノルドさんの斧は、奴の横腹に深々と刺さり鮮血が噴き出す。骨すらも切断する彼の渾身の一振りは、オリアスに強烈な一撃を与えていた。
「おぉぉまぁぁえぇぇらぁぁぁあ!!」
怒りが頂点に達したオリアスは、爆発的魔力の奔流でフィルティーさんとアーノルドさんを弾き飛ばす。地面は抉れ、荒れ狂う風が辺りを激しく舐めた。黒き水が傷口に集まり、止血して行く。
「もうどうでもいい。全員殺す。遊びのつもりで来たが飽きた」
奥歯を擦り合わせ、ぎりぎりと鳴らす。眉間には浮き出た血管がその怒りの大きさを物語っている。
「終わりなのはオリアス。お前だ」
僕はすでに猛スピードで駆けていた。アストロゲイムに込められた闘気は、超高回転を続けている。景色は液体のように後方へ流れ、槍の切っ先は奴の胸へと狙いを定めていた。
二人は僕に時間をくれた。
奴が必ず立ち止まり攻撃の手を止める瞬間を。
この時間を無駄にしない為にも、僕はこの攻撃に全てを賭ける。
必ず霞と会う為に。
「いけぇぇぇぇ!! スパイラルストライク!!」
槍は奴の胸を穿つ。
さらにその威力はそれだけにとどまらず、胴体さえも消失させた。
宙に舞う血液や肉片を潜り抜け、地面に着地すると振り返る。
「あ……ああ……」
声ともつかない声を出し、奴は死んだ。
そして、僕も倒れる。
「達也!」
「主人!」
「大友!」
三人の声が聞こえ、薄れゆく意識の中で僕は嬉しさを感じる。誰かを守れたのだと実感が訪れた気がしたのだ。
ぼくの……たいせつ……な……なか……ま……。
意識は途絶えた。
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