32話 「エクスペル家」
「奴隷とはどういう事だ?」
金髪の男性がアーノルドさんに詰問している。男性は緑の帽子に短パンとタイツとマントでいかにも貴族らしい格好だ。やり取りを見る限りではアーノルドさんの兄弟らしく、やはり体格が非常に良かった。
「アーノルド、なぜお前が奴隷かと聞いているのだ!? お前は貴族であろう!? エクスぺル家の次男でありながら奴隷落ちとは事実なのか!?」
「あ、あ、いや……シルベスター兄さん、これには事情が……」
普段の明るいイメージとはかけ離れた、アーノルドさんの反応はまるで怒られた子供のようだ。大きな体を縮まらせ怯えた表情だった。
「貴族が合わないと言って家を出てみればこのざまだ! 五年も姿を見かけなかったので、私は随分と心配をしたのだぞ!?」
「ごめんよ、兄さん……」
「お前が無事なら安心したが、奴隷落ちは話が別だ! 侯爵家であるエクスペル家の人間が奴隷など断じて許されない! お前の主人はどっちだ!?」
そう言って男性は僕とリリスを睨み付ける。
「あ、えっと、僕が主人になります……」
「よかろう、では私の屋敷へご足労願う」
彼はアーノルドさんの腕を握ったまま、すたすたと歩き始める。僕とリリスも顔を見合わせると、追いかけるようにして歩き始めた。
確かに身内が奴隷になっていれば怒り狂うだろう。しかも貴族ともなれば、面子にかかわるはずだ。シルベスターという方の怒る気持ちも分からないでもない。実際、安否を心配していた感じだし、悪い人ではないのだろう。
ということは、恐らくこれから話をすることはアーノルドさんの買い取りだろう。アーノルドさんをお金で引きとって、奴隷から開放するはずだ。仲間が離れるのは少し悲しいが、これも貴族として生まれたアーノルドさんの宿命なのだと思う。
「ねぇ、あの男はどうして怒っているの?」
リリスが不思議そうに聞いてきたため、簡単に説明した。
「アーノルドさんの兄弟みたいなんだ。だから奴隷だったことが許せなかったみたいだね」
「ああ、そういうことね。ヒューマンらしいわ。魔族は身内が奴隷になろうが、それは力のなかった者の運命だもの」
リリスは目を細めると冷たく言い放つ。実力主義が根強い魔族では身内すらどうなろうと気にしないみたいだ。僕は少しだけ可哀想な種族なのだと思った。
街の中心部に近づくと、大きな屋敷がある場所へとたどり着いた。敷地は高い塀に囲まれ、入り口は金と黒で彩られた門が威圧感を放っている。さらに二人の兵士が門番として立っていた。
「門を開けよ! 当主シルベスターが戻ったぞ!」
アーノルドさんを引っ張る男性は、門番に言い放つと重い門が静かに開いた。
「そこの二人は客人だ。中に入れよ」
男性がそう言うと、門番は敬礼をする。僕たちは足早に門を通り抜け、中へと入った。
屋敷の敷地はとても広く、やはりここでも庭園を見ることができた。咲いている花はバラにも似た美しい花弁で、色彩豊かに庭園を彩っている。その中をシルベスターさんは、アーノルドさんを掴んだまま歩き続ける。
五分ほどで屋敷にたどり着き、執事らしき人物が僕たちを中へと案内した。外から見た屋敷は大きく、正面から見ただけでも地球に住んでいた頃のおじさんの一軒家を五つ並べたほどの大きさだ。見た目も豪華で、いかにも貴族の住んでいる屋敷に見えた。
執事は僕たちをとある部屋に案内すると、ソファーに座るように促し、あとから入ってきたメイドがコーヒーを出してくれる。
「私、このコーヒーっていうの苦手なのよね。紅茶はないのかしら?」
「リリス、紅茶はきっと置いてないよ。ここはコーヒーで我慢して」
リリスは舌打ちして、渋々コーヒーに口をつけた。
「待たせて悪い。では交渉をしようか」
シルベスターさんが部屋に入ってくると、すぐに対面のソファーに座りテーブルには革袋を置いた。チャリリと鳴っていたので、きっと金貨が入っているのだろうか?
「あの、シルベスターさんはアーノルドさんを買い取りたいと言うことでよろしいですか?」
「ふむ、見た目と違って頭は悪くないようだな。その通りだ。先に言っておくが、アーノルドは部屋に謹慎させている。妙なことをして値を吊り上げることは無礼と思え」
「いえ、それなら僕としてはお金は必要ありません。もともと安値で買いましたし、アーノルドさんには随分とお世話になりました。奴隷からの解放ということなら喜んで協力させてもらいます」
僕の申し出に、シルベスターさんは眉を
「安値と申したか? 値段は?」
「五千ディルです」
「それはまことなのか? 五十万ディルの間違いではないのだな?」
「いえ、五千ディルです」
アーノルドさんには申し訳ないけど、ここは正直に言うつもりだ。実際に大安売りされていた訳だし、本来の奴隷の値段なんて僕が知るはずもない。
僕の予想通りシルベスターさんは、わなわなと震えだし握りこぶしをテーブルに叩き付けた。
「エクスペル家の人間が、たかだか五千ディルだと!? 我が侯爵家は二千年にも及ぶ長い歴史に、王国建立の大英雄と謳われる八人の傭兵の一人を先祖に持つ家柄だ! そんな尊き血族の者が五千ディルだと!? どこの奴隷商人だ! 許せん!」
口から唾を飛ばしながら憤慨するシルベスターさんは、怒りのあまり僕の胸倉につかみかかった。値段を上げるなとか値段が安いとか、気難しい人なんだと内心で激しく思う。
「あ、あの落ち着いてください。ほら、アーノルドさんはああいった性格ですし、奴隷には不向きだったんでしょう」
僕の言葉にシルベスターさんは冷静になったようで、掴んでいた胸倉を放してくれた。
「悪い、私は家のことになると頭に血が上る質でな。大英雄の血を侮辱されたのだと思ってしまった。おそらく奴隷商人も大英雄の血族だとは知らなかったのだろうな」
「ええ、でなければ五千ディルで売りませんよ」
シルベスターさんは大きく頷く。
しかし、アーノルドさんが大英雄の子孫なんて意外だったな。強い人だとは思っていたけど、こんな大きな秘密を持っていたなんて、人は見た目では判断できないということだ。
「それで、話の続きなのですが僕は安値で購入しましたし、アーノルドさんにはお世話になりましたから奴隷解放の件はこちらからお願いしたします」
「お金は要らないと?」
「ええ、僕はもともとアーノルドさんを奴隷から解放したかったのですが、何分知識も乏しいので今まで後回しにしてきました。お兄さんの方で開放して頂けるのなら僕はお金は求めません」
シルベスターさんは少しの間考えるように黙り込むと、革袋から五千ディルを取り出して僕の前に置いた。
「その気持ちは兄として嬉しいが、やはり好意を受け取るわけにはゆかぬ。我が家は侯爵家だ。弟の恩を感じる気持ちを利用される訳にはゆかぬ。もちろん貴殿がそのような人物ないことは私は理解しているが、これは貴族としてのけじめだ」
「……分かりました」
僕は五千ディルを受け取った。人をお金で売り買いする風習は好きにはなれないが、これがこの世界の常識だ。それに弟を思うシルベスターさんの気持ちを蹴ることなんてできなかった。兄弟のいない僕には羨ましく映る。
「主人よ! 受け取ってはダメだ! 俺はまだ奴隷をやめん!」
そう言って部屋に飛び込んできたアーノルドさんは、体中にメイドや兵士が掴み掛っていた。そんな状態でも軽々と歩き、僕たちの前へ現れる。
「アーノルド! お前まだそんなことを言っているのか!?」
「兄上、俺は主人に男として惚れたのだ。我らが先祖ハリソン・エクスペルも初代国王に惚れて傭兵になったと言うではないか。ならば大英雄となる我が主人に尽くすのは当然の成り行きだ」
「だが、お前が奴隷である必要はないであろう!? たまには兄らしい事をさせろ!」
シルベスターさんの言葉にアーノルドさんは「む……」と押し黙った。
お兄さんは僕に顔を向けると、頭を下げる。
「我が不肖な弟だがこれからも仲間としてお願いできるか? 弟が此処まで言うからには貴殿は随分と素晴らしい人物のようだ。ならば貴殿が大英雄になるまで我が弟を傍に仕えさせてほしい」
「え!? ちょ、僕は大英雄なんて――」
「良いわよ。筋肉馬鹿が居なくなると、それはそれで物足りないし。達也は随分と頼りにしているみたいだから、別にいいと思うわよ」
リリスは高飛車な態度で髪を左手で流すと、コーヒーを一口飲んだ。
僕の代わりに言葉にしたのだと思うけど、リリスは本当に怖い物知らずだと思う。相手は権力を持った貴族だと言うのに。
「フハハハ! 先ほどから気になっていたが、随分と高貴なお嬢さんのようだな。だが、その言葉は兄として嬉しい限りだ。これからも我が弟をお願いする」
僕は奴隷契約書をシルベスターさんに渡すと、今度はシルベスターさんから部屋に居た執事が契約書を受け取る。
「我が執事は奴隷商人の出自でな、この家の奴隷は全て執事が取り扱っている。契約破棄もこの場で済ませることが出来ると言う訳だ」
「なるほど。じゃあアーノルドさんとはすぐに解放されるわけですね」
執事が「破棄しました」と言葉すると、アーノルドさんは腰の部分にあった奴隷紋を確認する。そこにはあったハズの紋がなくなっていた。
「うむ、解放されたが特に変わりはないものだな。主人よ、明日は賢者の元へ行くのだから早くこの屋敷からはおさらばだ」
「え? でもここはアーノルドさんの家ですよね? せっかく帰ってきたのにそんなに急がなくても……」
「違うのだ! この家には悪魔のような弟が――」
その時、部屋のドアが開けられ美しい男の子が入ってきた。金髪に色白で儚そうな少年はアーノルドさんを見ると、笑顔になる。
「アーノルド兄さん! 帰ってきていたんだね!」
「ああ、げ、元気にしていたかブルース……」
アーノルドさんは戸惑いながら返事をする。僕にはとても悪魔のような弟には見えない。
すると、ブルースと呼ばれる男の子は「はぁはぁ」と言いながらアーノルドさんの全身を撫でまわし始めた。
「やめろブルース! 俺はそんな趣味はない!」
「そう言って兄さんは僕の元へ帰って来たじゃないか。ああ、なんて素晴らしい筋肉なんだ……」
「ハハハハ、ブルースよ久々のアーノルドの筋肉は嬉しいだろ?」
「シルベスター兄さんの筋肉もいいけど、やっぱりアーノルド兄さんの筋肉が一番だよ」
僕は急に目まいを感じた。この家は筋肉に憑りつかれた家だったのだ。そして皮肉にも、まともなのがアーノルドさんとは悲劇だ。むしろBLの気配まで感じる辺り、すぐにでもこの屋敷から出なければならない。
「では僕たちはこれで帰らせてもらいます……アーノルドさんはせっかく帰って来たのですからゆっくりされるといいと思いますよ?」
「主人よ、置いて行かないでくれ! この家は俺には悪魔の住処なのだ!」
叫び続けるアーノルドさんを置いて僕とリリスは屋敷を後にした。
途中、寄り道をしながら屋台で腹を埋めると、宿に帰ってきた僕たちは、口直しの為に紅茶を入れて一息つく。
「うん、やっぱり紅茶ね。でもどうしてさっさと屋敷を出てきたの? もっと話をすればよかったじゃない。もしかすれば夕食を食べられたかもしれないのに」
「あの雰囲気は僕には耐えられないよ。BLなんておぞましい……」
リリスは「BL?」と呟いているが、世の中には知らなくて良い事も存在する。きっと今頃アーノルドさんは、必死で屋敷から逃げ出している事だろう。無事に弟さんから逃げられると良いが、実は僕はもう一つ気にかかることがあった。
エクスペル家の兄弟の中で、一番強い気配を放っていたのがブルースと呼ばれる弟だったのだ。下手をすればアーノルドさんより強い気がする。
そんなブルースからは僕に向けて敵意らしき感情が放たれていた。理由は分からないが、僕はブルースを警戒してあの場から去ったのだ。
僕は紅茶を少し飲むと、印象深かった一言を漏らす。
「大英雄の子孫か……」
もしかすればブルースは、大英雄の血を色濃く受け継いだのかもしれない。それだけの気配を感じた。とは言えまだまだ僕には及ばない感じはしたが、あの敵意が今後向けられないことを祈るばかりだ。
その晩、涙目で宿へ帰ってきたアーノルドさんは、震えながら部屋に戻って行った。何があったのかは聞かない方が良さそうだ。
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