22話 「リリスの布団」
太陽が昇り始めた頃、僕は目を覚ました。
周りには霜が降り、吐く息は白くなるとすぐに霧散する。リリスを見ると彼女は寒さを感じないのか静かに寝息を立てている。
昨夜はこんなところで眠れないと我儘を言っていたが、僕の毛布を渡すと大人しく眠ってくれた。女の子をこんな場所で眠らせるのは抵抗があったけど、旅を続ければこんなことは何度も経験するだろう。リリスには今のうちに慣れてもらいたかったのだ。
アーノルドさんを見ると彼はすでに起床し、筋肉と会話を始めていた。
「うむ、今日も上腕二頭筋が元気だな。む? 腹筋はまだ目覚めていないのか?」
僕は視線を逸らし、朝食の準備を始める。朝のアーノルドさんは関わらない事に決めているのだ。
小鍋でスープを作り塩漬け肉を軽く火で炙る。ついでに少しだけシーモンから持ってきていたチーズを切り分け、肉とパンに挟んだ。
完成するころにはリリスも目を覚ましたようで、ぼんやりとした表情で鼻をスンスンと鳴らす。焼いた肉の香ばしい匂いが、リリスを刺激したみたいだ。
「二人とも朝食だよ。少ないけど、昼前には何か獲物を獲って食べよう」
二人は受け取った料理を口に入れ、味わうように咀嚼して行く。僕も自分のパンを口に入れ、悪くない味に満足した。
「うむ。やはり美味いな。もはや俺の胃袋は主人に握られている」
「……これも美味しい……」
アーノルドさんは言い過ぎだけど、リリスはご満悦の様子で黙々とパンとスープを食べていた。案外僕もブライアンさんと一緒で、料理の才能があるのかもしれないな。でも、材料がない状態ではこれくらいが限界なので、次の町ではもう少しレパートリーを増やせるような物を購入したい。
食事を終えた僕たちは、身支度を整え再び歩き始めた。
すでに太陽は昇り明るい光が、地平線に続く草原と森を照らしている。左を見れば何処までも続く森。右を見れば地平線まで草原が続いていた。どちらに行けばいいのか分からなくなり、僕はコンパスを出して確認する。
「王都は北だから……草原と森の境目を行けばいいのか」
「その通りだ主人よ。東に広がる草原は【フリジア草原地帯】西に広がる森は【サナルジア大森林】と呼ばれている。どちらも着き進めば、エドレス王国とは敵対している国に行くことが出来る」
「敵対しているんですか?」
僕の質問にアーノルドさんとリリスは笑い始めた。
「主人よ、エドレス王国は三方を敵国に囲まれた国だ。西には魔族の国、北には聖教国、東には帝国と非常に苦しい立場を強いられているのが我が国なのだ。そして最も魔族の脅威にさらされているのも、エドレス王国と言う訳だ」
なるほど、地理を把握している二人には、僕の質問はおかしなものに感じたのかもしれない。でも異世界人である僕は知らなくて当然だし、これからも誰かに笑われながら教えてもらうしかないのだろう。
「うん、じゃあ北に進もう。昼までには近くの町に着くよね」
進みだした僕たちはすぐに魔獣の群れに遭遇する。
草原をスリーピングシープが、二十頭もの数でうろついているのだ。
スリーピングシープとは水属性で、普段から眠っている奇妙な生き物だ。眠りながら移動し、眠りながら餌を食べる。目覚めるのは一年に一度だけで交尾の時期を迎えると、一ヶ月は眠らずに相手を探して彷徨うらしい。こう見ると只の羊だと思いがちだけど、実は肉食だ。
スリーピングシープは全身にある体毛を振るわせて、敵対する獲物に強力な睡眠導入を放ってくる。ひとたびその音を聞けば、たちまち眠りに落ちてしまうと言う事らしい。ちなみにランクはCだ。
「めぇぇぇぇえええ」
羊らしい鳴き声を一鳴きすると、全身を振るわせて僕たちに眠りの音を聞かせる。その音は安らぎに満ちていて、意識を底なしの泥沼に引き込むような感覚を引き起こす。瞼が次第に重くなり、立っている事が面倒にすら感じ始めていた。
「寝ちゃダメだ! 起きろ!」
すぐに持ち直し、自分の頬を叩く。アーノルドさんを見ると、すでに横になりいびきを立てはじめていた。彼はこういった攻撃には弱いと見るべきだろう。
リリスは何の影響も受けていないのか、冷静な目でスリーピングシープを眺めている。さすが魔族と言った所なのかな?
「ねぇ、あの魔獣の毛を集めれば、寝る時温かいんじゃないの?」
「そうだろうね。僕が知っている限りでは寝具に使われている事もあるし、かなり温かいと思うよ」
「じゃあ切り落として集めれば寝具を作ってくれる?」
その言葉に僕は凍り付く。
僕に布団を作れと言っているのか? 無茶だ。それにこれから長い旅になるのに、布団を抱えて移動する訳にはいかない。もちろんリリスが責任もって布団を管理するなら構わないが、我儘なリリスにそんな事が通用する訳がない。
「自分で管理するなら作ってもいいけど、僕やアーノルドさんは荷物として持たないからね?」
「……いいわ。私が自分で管理する。その代り温かくてフカフカの布団がいいわ」
リリスは輝くような銀髪を左手で後ろに払うと、満足そうに微笑みを見せた。
まさか、異世界に来て布団を作らされるとは思ってなかったなぁ。
すぐにリリスは動き出すと、スリーピングシープの群れへ飛び込んで行った。辺りには「めぇぇぇええ」と羊たちが戸惑う鳴き声だけが木霊し、空中にはリリスによって刈られた白い毛が次々に舞い上がって行く。
スリーピングシープが逃げ出した時には全てが刈り終え、満足げに山となった羊の毛を眺めている。
僕もその毛を握ってみると、軽く非常に弾力のある感触だ。これは確かに布団には良さそうだ。そう確信した僕は、羊の毛をかき集めて大きな袋へ詰め込む。
「ねぇ、それはすぐにできるの?」
「無理だよ。まずは洗って汚れを取らないと。それに羊が居ると言う事はこの辺りは羊毛の生産地かもしれない。だから町に着けば布団店があると思うんだ」
僕の言葉にリリスはどうでも良さそうに返事をすると。背負っていた羊毛が入った袋を奪い取る。
「これは私の布団の材料よ。貴方ごときが背負っていい物じゃないわ」
言い分がよく分からないけど、要するに彼女は自分の布団になる物は自分で管理したいと言うことだろうか?
そういえば、霞も睡眠には五月蠅かったな。良い睡眠は人生には必要とか言って寝具のカタログを小学校に持ってきて眺めていたっけ。今さらながら変わった小学生だったなと思うけど。当時の僕は、女の子はみんな睡眠に五月蠅い物だと理解していた。
「何よ、そんな目で見ても分けてあげないからね?」
霞の事を思いだしてリリスを見ていたのだが、彼女は羊毛が奪われると勘違いしたのか袋を後ろに隠す。
「いらないよ。とりあえずアーノルドさんを起こして出発しないと」
未だに地面で熟睡しているアーノルドさんに声をかけて起こすと、僕たちは再び北に向けて歩き始めた。
◇
歩き続けて四時間ほどで地平線に町が見え始めた。
木造の柵に囲まれ、入り口には兵士が二人ほど警備をしているようだ。町というよりは村に近い様相だが、見る限りでは多くの人が生活をしているように見える。
町に近づくと兵士が僕たちを見つけ、至近距離にまで近づくと声をかけてきた。
「そこの三人止まれ。この町には何用だ?」
「えっと、補給と休息を取りに来ました。つかぬことを伺いますが、この町には布団屋はありますか?」
僕の思わぬ質問に二人の兵士は顔を見合わせた。
「なんだ、布団を作りに来たのか。それなら町の中心に仕事のできる布団屋があるから行くといい」
「ありがとうございます」
礼を言うと僕たちはすたすたと町の中へ入ってゆく。リリスは兵士を眺めていたが、どうでもよくなったのか布団屋がある方向へ歩き始める。
リリスはなんだか人間の生活が珍しいみたいだ。テリアさんを町へ届けた時も、物珍しそうに人間を観察したり、家の中をのぞき込んだりしていたから興味はあるんだろうと思う。
するとリリスが急に振り返り、僕を見下ろすように質問してくる。
「ねぇ、どうしてヒューマンは、入り口にわざわざ立っているの?」
「あれは外敵から町の人を守るためだよ。入口に立っていれば不審者や魔獣をすぐに撃退できるだろ?」
「ふーん。自分たちで戦わないんだ……」
リリスは再び前を向くと歩き出した。なんだか意味深な言葉だったけど、もしかして魔族は兵士という考えがないのかな?
「フハハハ! おかしな事を聞く奴だ! 主人よ、リリスはどうやら頭が悪いようだぞ?」
今のやり取りを見ていたアーノルドさんが、余計なことをしゃべり始めた。当然リリスは気分が悪くなったのか、アーノルドさんに向かって怒り始める。
「私が頭が悪いですって!? この筋肉バカ! 私はあんたとは違って、見た目通り頭が良くて美しいのよ!」
「フハハハハハ! それは勘違いというものだろう! どうせ見た目にすべてを費やして頭の中は空っぽだろうからな! その点、俺は頭の中も鍛え上げているからな、魔族などに知能で負けるはずがない!」
突然始まった二人の口論は町の人たちの足を止め、目立ち始めていた。これはまずいと判断した僕は二人の間に入り、落ち着くように注意する。
「ふん、筋肉バカ命拾いしたわね。私があんたの主人に契約魔法を刻まれていなかったら殺しているところだわ」
「それはこちらのセリフだ。魔族などに俺が負けるはずがなかろう」
「二人ともいい加減にしてください。こんな町中で騒げば目立ってしまいますよ。ほら、布団屋もうすぐですし仲良くしてください」
僕を間に置いたまま二人は歩き始めたが、雰囲気は険悪なものだった。僕が考えているより、人間と魔族の溝は深いのかもしれない。もしかすれば手を取り合うこともできるかもと思っていたけど、もう少し歴史を学んでおかないとそんな話は夢の又夢に終わることだろう。
ほどなくして布団屋らしき店に着いた僕たちは、中に入ると店員らしき女性に話しかけた。
「あの、ここで布団を作ってもらえると聞いたのですが、羊毛を持ち込みでもかまいませんか?」
「はい、いらっしゃいませ! 布団作成ですね! では持ち込みの羊毛をお見せください!」
店員の指示に従ったリリスが、カウンターに羊毛の入った袋を乗せる。店員はすぐに中を確認するが、笑顔のまま固まって何もしゃべらない。
「あ、あの、どうしましたか? その羊毛だと作れないとか?」
再起動した店員があたふたと右往左往した後、店の奥へ走っていった。しばらくすると店主らしき中年の男性が走ってくると、僕たちが持ってきた羊毛を確認し始める。
「お客さん、スリーピングシープはこのあたりでは珍しい羊なのをご存知ですか? しかもランクはCとこれだけ集めるだけで、ギルドへの依頼料は相当な額が飛んでゆきます。だから採算が合わないため、スリーピングシープの布団は高級布団として有名なんですよ。しかし、よくもこれだけ集めましたね。私も布団を三十年以上作っていますが、これだけの量の希少羊毛は初めて見ますよ」
店主は興奮したようにしゃべると、羊毛の質と状態を確認し始める。リリスはそんな店主を見て僕に耳元で囁いてきた。
「あの男はどうしてあんなに興奮しているの?」
「あの人は布団を愛しているんだ。だからリリスが持ってきた羊毛に、感動したんだよ」
「ふふ、あの男はヒューマンのくせに見る目があるわね」
僕の説明に納得したのか、リリスは見惚れるほどの柔和な笑顔で布団屋の店主をほめる。悔しいけどリリスは間違いなく美人でかわいい。霞一筋の僕でも思わず見とれてしまった。
そんなことは余所に店主はすぐに布団作成に動き出すと、僕に製作時間と費用を教えてくれる。
「二日ほど時間をいただきたいのですがよろしいでしょうか? それと費用は銀貨二十枚いただきます」
「はい、それでお願いします。僕らはこの町の宿でいますから何かあれば言ってください」
店主に作成をお願いすると、銀貨を十枚渡す。残りは受け取り時に渡す予定だ。布団屋を出た僕たちは、宿に向かい二泊ほど宿泊をとる。もちろんリリスとは別室なので、彼女は今度こそぐっすりと眠れることだろう。
僕とアーノルドさんが部屋に入ろうとすると、リリスがなぜか着いてくる。
「リリスの部屋は隣だよ。こっちは男部屋だからさ」
「そ、そうなの? 貴方ヒューマンのくせに気が利くじゃない」
そういってリリスは隣の部屋へ入っていった。もしかして話を聞いてなかったのかな?
「フハハハ! さすがは見た目だけの魔族っ子だな! 俺は奴がただの能無し魔族だとすぐに気が付いたぞ!」
ベッドに胡坐をかいたまま高笑いするアーノルドさんに注意をする。
「アーノルドさん、いい加減にしてください。彼女は確かに魔族ですが、今は僕たちの仲間です。これから先も過ごすのに空気を乱されると困りますよ」
「む、主人は魔族の肩を持つのか? だが、これから先も一緒というのには俺も頭になかったな。あの女が一生主人の奴隷であるのならば、俺も第一奴隷として自覚を持たないといけないということか」
別に順番なんかつけていないけど、アーノルドさんが納得するならそれでもいいと僕は思った。小説なんかには奴隷の序列を大切にする話も見かけたこともあるし、もしかすればこの世界でもそういったことが普通なのかもしれない。
「しかし、話は変わるが主人の使う技は奇妙だな。まるで魔法を使ったような威力に俺は感心したぞ」
「ああ、闘槍術ですか?」
僕はアーノルドさんに三年で身に着けた闘槍術を説明することにした。
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