第二章 聖女
21話 「奴隷契約」
「僕が主人なら命令には従ってもらう。今すぐ魔物を退かせてほしい」
「い、嫌よ」
そう言った彼女は未だに涙を両目に溜めているが、出会った時とは違い迫力がまるでなかった。
「もう一度言う。”魔物を退かせろ”」
そう命令すると彼女は、森に向かって左手をクイッと招くように動かした。表情は悔しそうだが、これは仕方のない事だ。人間を襲う事を許せるはずがない。
「これでいいかしら? 魔物はすべて退かせたわよ」
不機嫌そうな彼女に礼を言うと、気になっていた事を質問する。
「ところで君の名前はなんて言うの?」
「くっ、屈辱だわ。人間に名前を教えるなんて……リリス・ジェノバ・ソルティークよ」
「じゃあリリスだね、僕は大友達也。これからよろしくね」
そう言って手を差し出すと、リリスは首を傾げる。
「その手は何?」
「これは互いに手を取り合って握り合う、挨拶みたいなものだよ」
リリスは恐る恐る僕の手を握り、握手を交わした。だけど、その表情は悔しそうで綺麗な顔がゆがんでいる。よほど契約をされたのが悔しいのだろうか?
「たかがヒューマンに奴隷にされるなんて魔族の恥だわ……」
リリスが僕に向ける目はまるで、下等生物に同じ席に座られたような印象を受けた。いや、実際そうなのだろう。戦って分かったけど、魔族は身体能力も魔力もヒューマンより格段に上だ。
僕も契約の魔法がなければ、確実に負けていたように思う。そう考えるなら魔族がどれほど危険な種族なのか理解できる。ましてや悪意を持っているならなおさらだ。だからこそ、彼女を近くに置くことにした。殺せる覚悟もない状態で逃がすわけにはいかない。だったら近くで動向を見張るほかないのだ。
僕はリリスから離れると、森へと足を向ける。
「何処に行くの? もしかしてヒューマンが集まっている場所へ行くつもりじゃないでしょね?」
「そのつもりだけど? ダメかな?」
僕の言葉にリリスは怒りだす。
「貴方馬鹿でしょ! 魔族である私が行けば無抵抗で殺されるだけだわ! ……もしかしてそれが狙いだったの!?」
「違うよ。生き残った人たちの安否が知りたいんだ。でも、リリスは魔法で姿を隠していたんだから、誰も君の正体を知らないだろ?」
リリスは黙り込む。何やら考えている表情だけど、綺麗で可愛いから立っているだけでも様になるなぁ。なんてことを考えていると、彼女がニヤリと笑って歩き出した。
「いいわ。奴隷になったのなら、ヒューマンを観察しておかないといけないわよね? じゃあ着いて行ってあげる」
先ほどまで泣きじゃくっていた人物とは、思えないほど切り替えが早かったので少し警戒心が芽生えた。もしかして、契約を解除する方法を思いついたのだろうか?
「それはいいけど、その背中の翼をどうにか出来ないかな? 目立って魔族だと勘ぐられそうだ」
そう言うと、リリスは背中にあった漆黒の大きな翼を小さく折りたたみ、背中へと収納した。そう、跡形もなく綺麗に翼が消えたのだ。
「せ、背中ってどうなっているの?」
「教えないわ」
言いきると、スタスタと森へと歩いて行く。僕も慌てて追いかけて森へと入って行くと、テリアさんが居た場所へと急いで戻る。アーノルドさんが居たから大丈夫だとは思うけど、テリアさんの容態が気にかかる。
「主人! ここだ!」
森を走っていた僕とリリスは、アーノルドさんの声がしたため立ち止まり周囲を確認すると、木々に隠れていたアーノルドさんとテリアさんを発見する。すぐに駆け寄り二人の状態を見るが、テリアさんの腹部の傷以外はどこも怪我はないようだ。
「アーノルドさん、魔物は退きましたか?」
「うむ。急に退いてしまったので、主人が魔族を倒したのだろうと思ったのだが……その後ろにいる麗しき女性は何者だ?」
さすがアーノルドさんだ。リリスから漏れる気配を察知したんだな。
僕はアーノルドさんに近づき、耳元でリリスの正体を教える。
「なんと!? 俺の主人は大馬鹿者だな! まさか、奴隷にするとは!」
「すいません……まだ、人殺しが出来る覚悟がなかったんです」
「違うぞ主人よ! 俺は褒めたたえているのだ! 歴史上魔族を奴隷にした者など存在しない! 史上初なのだぞ!」
え? 史上初なの? 僕はてっきり前例があるくらいには思っていたけど、そうなるとますます面倒なことになるな。僕はテリアさんの容態を見たが、あまり良い状態ではなさそうだった。顔には球の様な汗が吹き出し、会話を出来るような余裕はなさそうだ。早く町へと運ばないと危険だろう。
「アーノルドさん、僕はテリアさんを町へと運びますから着いて来てください」
「うむ。だが、魔族を町へ連れて行って大丈夫なのか?」
アーノルドさんがリリスをちらりと見ると、彼女はどうでもいいといった表情で木の枝へと腰掛けていた。
「心配ありません。契約で僕の指示がないと攻撃を出来なくしてあります」
「なるほど、それならば大丈夫だろう。しかし、主人は力が強かったり魔法が自在に使えたりと唯者ではないな。奴隷としては誇らしいぞ」
高笑いするアーノルドさんをそのままに、僕はテリアさんを背負い森を駆けだした。すぐ後には高笑いを続けるアーノルドさんとリリスが着いて来る。リリスは僕のすぐ横に来ると不思議そうな顔をして質問してきた。
「あー、達也と言ったわね? 貴方はどうして弱ったヒューマンを
助けるの? 放っておけばいいじゃない」
「友達なんだから当然じゃないか。魔族は友達を助けないの?」
「助けないわ。死んでしまえばそれがその者の限界よ、それに助けたところで恩を返してくれるわけでもないでしょ?」
僕はリリスの言葉にすぐに気が付いた。魔族は同族を助ける習慣がないということに。仮に助けたとしても恩を恩と思わない相手ならば、助けた側としては気持ちは晴れないだろう。そして魔族はそういった習慣を下に見捨てる事が普通なのだということだ。
「人間は助け合わないと生きて行けないんだ。誰かが倒れていれば誰かが助けるのは普通のことなんだよ?」
僕の言葉にリリスは押し黙ると、しばらくしてつぶやく。
「ヒューマンって変な生き物ね……」
次第に森の木々は減り始め町へと続く道を見つける。僕たちは道なりに進み始めると、討伐直前まで居た町が見えてきた。
「テリアさん、もう少しで町に着きますよ! 死なないでください!」
「……その声は……大友か?……すまない……ありがとう……」
「テリアさん、しゃべらなくていいです! もうすぐ着きますからね!」
町に入ると、教会へとすぐに向かう。古びたドアを勢いのまま開け放ち、本を朗読していた神父に駆け寄る。
「怪我人が居ます! 神父さん助けてください!」
「おお、そ、そうか。討伐隊が帰って来るにはまだ早いと思っていたが、すぐに治療を始めよう」
テリアさんを長椅子に寝かせ、神父が腹部に手をかざすと桃色の光が集まりだし、傷口へと吸い込まれるように浸透して行く。次第にテリアさんの顔色も良くなり、肩で息をしていた呼吸が治まり始め容態が急速に回復へと転じた。
僕はそんな光景を見ていて素直にすごいと思ってしまう。
「それほど深手ではなかったようなので、もう大丈夫だ」
「ありがとうございます」
そうお礼を言って顔を上げると、神父は手を出していた。
金ですか……。
懐からお金を出すと神父に銀貨五枚を渡した。こういうのは気持ちも含めて払うのが昔からの習慣らしいので、少し色を付けてみた。ちなみに本来の治療費は銀貨一枚からだとか。
「うんうん。君は神の祝福があるだろう。もう友人は大丈夫だ。教会の裏に病院があるからそこで休ませるといい」
再び神父に礼を言うと、テリアさんを背負い病院へと足を運ぶ。
病院を見つけ中に入ると、看護師さんがベッドに案内してくれる。案内された部屋でテリアさんをベッドに寝かせ、僕は部屋の中にある椅子に座った。これで一安心だろうけど、これから多くの負傷者が戻ってくるはずだ。そうなれば、気配に敏感な者がリリスの正体に気が付くかもしれない。
僕は病院に一週間分の費用を払い、テリアさんを置いて去ることにした。一応、已む得なく旅立つことを記した手紙を部屋に置いてきているが、テリアさんには悪いことをした気分だ。
病院を出た僕らはすぐに町を出て再び森へと駆け出す。
できれば討伐隊と顔を合わせたくないので、道から外れるように移動した。これでリリスの正体に気が付くものは辺りにいなくなっただろう。森の中心部まで来ると、足を止めて休憩を挟む。するとリリスが文句を言ってきた。
「ねぇ、どうして町から離れたのよ? もう少しヒューマンの暮らしを見たかったのに」
「しょうがないよ。リリスの気配に気が付く人がいたかもしれないから、旅立ったほうが安全だったんだ」
「気配? なにそれ? よくわからないけど、たまにヒューマンには変に敏感な奴が居るから、そういう奴らのことを言っているのよね?」
そうか、気配や闘気はそんなにメジャーな知識じゃなかったな。シンバルさんが言っていたけど、闘気は扱いが難しくて一部の人間にしか使われていない戦い方らしい。気配は誰にでもあるが、察知するには才能が必要だとかどうとか言っていた覚えがある。ということは、こんなにも急いで逃げなくても、誰もリリスのことを気が付かなかった可能性が高い。
「急いで逃げなくてもよかったみたいだね」
「いや、主人よ。気配を察知する者は主人が思うより多いぞ。念のため逃げておいたほうが正解だっただろう。討伐隊の中には魔族らしき気配を覚えている者もいるはずだからな」
「でも、このままだとどこにも行けないよね?」
「それは心配無用だ。リリスの気配を魔族のものだと認識されない限りは疑われる心配はないだろう」
それを聞いて安心した。
僕は安心・安全・快適な旅を目指しているから、町に入れなくなると困ることになるところだった。小腹が減ったので、リュックから小鍋と肉と野菜を取り出しスープを作る。パンをちぎるとリリスとアーノルドさんへと渡した。
器に入れたスープを二人に渡すと、リリスは恐る恐る口に入れる。
「……おいしい……」
「フハハハハ! 相変わらず主人の料理は美味いな!」
「ありがとう。師匠の師匠から教えてもらった料理が好評で僕もうれしいよ」
ブライアンさんから教わったスープの作り方や色々な調理法は、修行の合間に覚えたものだ。ブライアンさんが言うには料理と戦いは似ていると言うのだ。どこを効率よく切るかなどや、その素材の短所と長所を理解しなければ料理はできないと叩き込まれた。おかげで、料理を人並み以上には作れるようになったのはありがたい。
「こ、これくらいの美味しい料理が毎日食べられるなら、着いて行ってあげてもいいわよ」
悔しそうにつぶやくリリスは、そう言いつつもスープを食べる手が止まらないようだ。もしかして魔族には美味しいものを作れる料理人が居ないのかな? いや、さすがにそんなことはないか。僕の腕は人並みより上程度だし。
小腹を埋めた僕らは再び立ち上がると、森を走り出した。できれば今日中には高地を下りておきたい。
僕たちが現在いる場所はクリモンド高地の麓近くだ。山頂にはライド平原があり、正式名称はライド高原というらしい。まぁ、どっちでもいいことなんだけどね。
次第に密集していた木々は数を減らし、ついに森は途切れてしまう。
開けた視界には地平線にまで続く森や草原が目に映った。とうとう僕たちはクリモンド高地を完全に下ったのだ。ここからは次の町を目指して移動しなければならない。
「アーノルドさん、ここから一番近くの町はどれくらいで着きますか?」
「そうだな。俺も地図を見た程度だからはっきりとは言えないが、走り続ければ夕方には着くはずだと思うぞ」
「じゃあその町を目指して走りましょう」
僕の言葉に、リリスが文句を言ってきた。
「嫌よ。私はもう走らないわ。どうしてここまで急ぐ必要があるの? 私は強者である魔族よ。走りたいなら勝手にどうぞ」
地面に座り込んだリリスは
僕はアーノルドさんに指示を伝えると、枯れ枝を集めてもらうことにした。その間に僕は夕食のための下ごしらえを開始する。もちろんリリスは何もせず、僕のリュックに入っていた枕を勝手に取り出して眠っていた。彼女は今までどうやって生活していたのか気になる。
「ねぇ、リリスはなんでクリモンド高地に居たの?」
僕の問いかけにリリスはちらりと見ると、面倒な事を聞かれたという顔で答える。
「……魔法よ。究極の魔法を探してここまで来たのよ」
「究極の魔法?」
「私は命令されただけだから詳しくは知らないわよ? ただ、発動させれば地上にいるすべての敵を消し去る力があるとかないとか」
なんて危険な魔法だ。そんな魔法を魔族が使えば、人間はすべて消滅してしまうことになるじゃないか。そんな魔法を魔族が求めているのは恐怖を感じる。
「魔族はどうして人間を憎むの?」
「さぁ? 弱いからかしら? 私はよく知らないわ」
リリスは再び背中を向けると、眠りに入る。
魔族であるリリスは人間を憎む理由を知らないようだ。それが僕には奇妙に見えた。地球でもお互いを知らずに争った歴史は数多くある。白人が黒人や黄色人種を迫害したことだって僕は知っている。
もしかして魔族と手を取り合えるんじゃないのか?
そんな考えが浮かび、薄暗くなりつつある空を見上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます