第4話 願いは訊かない 


「セレリアーナ、俺の頼みをいてくれるか」

 クロイツ帝国の第二皇子クロレンスは寝台のカーテンを開き、主を起こさんとするセレリアーナを目にするや否や、開口一番にそんなことを言ってきた。

 額からこぼれた金髪の間から覗く緑色の瞳に見つめられて、メイドのセレリアーナは返す。

「私と結婚したいというお願いでしたら、断固、お断りいたします」

 キッパリとした彼女の口調を前に、クロレンスは暫し沈黙した。

 寝室に降りた静寂の狭間。蔦模様を散らした淡い緑色の壁に掛かったからくり時計から鳩が飛びだし、「ポーポーポー」と、八ついて起床時間を告げる。

 クロレンスは瞬きを一つして、軽く首を振り、再びセレリアーナを瞳でとらえるや謝って来た。

「……済まぬ、セレリアーナ。鳩の鳴き声で、君の麗しい声が掻き消されてしまった」

 ――聞かなかったふりをするわけね。

 セレリアーナは微かに引きつったクロレンスの頬を半眼で見つめた。

 金髪に涼やかな緑色の瞳。端正な顔立ちが良いだけに、ピンと跳ね上がった寝癖頭が残念で仕方がない第二皇子は、コホンとわざとらしい咳払いで誤魔化す。

 今日はいつもとちょっとだけ勝手が違うようだ。それは先手を打って、クロレンスの口説き文句を封じたセレリアーナの勝利であるのだろうか。

 ――それとも、何か別の考えが?

 どうせ、ろくな考えではないのでしょうけれど。

 本来は掃除担当のハウスメイドであるセレリアーナを自らの近侍役に任命し、ことあるごとに口説きまくるクロレンスを、この辺境の地アルシュにあるエーファ城に勤める面々は――セレリアーナも含めて、「馬鹿皇子」と心の内側で呼んでいた。

 一部では、クロレンスは皇帝位争いを避けるために敢えて、馬鹿皇子のふりをしているのだという噂もなきにしもあらず。

 実際、皇帝位は指名制なので、第二皇子あるクロレンスにも帝位に就く可能性はあった。だが、聡明な第一皇子と争うことになれば、帝国は内部分裂必至であるだろう。

 クロレンスがそれを見越して中央から身を引き、辺境で馬鹿皇子を演じることで帝国の安寧に一躍買っているのだとすれば、評判とは裏腹のとんだ食わせ者である。

 しかし、その辺りの事実が証明されない限り、馬鹿は哀しいかな、馬鹿なままである。

 そしてクロレンスの真意がどこにあるのか、いまだに証明されてはいない。セレリアーナとて、秘かに恋心を抱いている相手を馬鹿とはみなしたくはないのだが、真意が明かされないことには、馬鹿皇子と見るしかない。

 何故なら、セレリアーナは誰にも言えない秘密を抱えていて、それはクロレンス相手にも打ち明けられないのであるなら、彼の真意も問うことはできないのだ。

 クロレンスの冗談にもとれかねる求愛を本気かと問うた瞬間に、セレリアーナの秘密の感情は溢れてしまう。

 万が一、彼が本気だとしたならば……メイドという身分差だけの問題では片付かない障害が露呈する。

 唯一神アインスの教義によって異端とみなされ滅ぼされた古の王国ファーブニルの王女であり――異教の魔女とされたセレリアーナを抱えるには、いかな帝国の皇子とて、荷が重すぎる。だからセレリアーナは、クロレンスが冗談でメイドを口説いているのだと、そういう前提で動かなければならない。

 時折、クロレンスの言動を見ていると、本気で馬鹿なのではないかと思うこともあるのだけれど……。

 でも、その言動は故郷を失くし傷心していたセレリアーナを癒してくれたのも、もう一つの真実だ。彼がこちらを泣かせないようにわざと馬鹿馬鹿しい行動をとっていたのだとしたら、その優しさにセレリアーナは感謝している。

 だからこそ、秘密は秘密のまま、閉じ込めていなければならない。傍に居たいという最後の我がままを通すためにも。

 皇子の熱烈な口説きにも動じない、冷静沈着なメイド。それがセレリアーナの表の顔だ。

「それで、俺の頼みを訊いてくれるか」

「私を閨に誘うのでしたら、一昨日きやがれですわ」

 セレリアーナはにべもなく切り捨てた。

 艶のある苺色の髪をメイド帽子の下に押し込んで、目立たないよう施した冴えない化粧に本来の美貌を隠し、黒のワンピースに胸あての付いた白いエプロンを身に付けたセレリアーナは、かつては一国の王女であっても今は一介のメイドである。

 本来、メイドであるセレリアーナが皇子であるクロレンスにこのような口を利いていいものではない。

 だが、先程述べたような事情がある以上、クロレンスに付け入る隙を与えてはならない。

 冷静なセレリアーナを前に、クロレンスは再度沈黙した。

「…………少し待ってくれ、セレリアーナ。俺はまだ、頼みごとを口にしていないと思うのだが、それは俺の勘違いだろうか?」

「私に聞いている時点で問題があるかと思われますわ、殿下」

「ああ、その通りだ。俺はまだ、何も言っていないはずだ」

 ――はず、は余計でしょ。

 セレリアーナは心の中で、突っ込みを入れた。当然だと確認する必要などないだろう、言っていないのだから。

 クロレンスとのやりとりは苛々させられるし呆れることもしばしばだが、退屈だけはしない。それが少し癖になりそうな予感を抱えながら、セレリアーナは言った。

「では、私と結婚したいわけではないのですね?」

「いや、そんなことはないぞ。俺はいつでも大歓迎だ。何ならここで結婚誓約書を交わそうか、セレリアーナ」

 白い歯をこぼし、爽やかな笑顔を見せるクロレンスにセレリアーナは冷たい視線を返して、告げた。

「お断りします」

「…………」

 バッサリと叩き斬ったセレリアーナに、クロレンスは沈黙した。少し考えるような間をおいて、彼は問う。

「ええっと、何かが間違っている気がするのだが?」

「そうでしょうか?」

「ああ」

 冗談なのかもしれない、それでもクロレンスが自分を結婚相手にと求めてくれることが嬉しい。だが、永遠に叶わない夢であることが辛い。

 心の内側に甘い喜びと苦い痛みを感じながら、セレリアーナは素知らぬ顔をして首を傾げる。

「では、私を一生、閨に誘うわけではないということでよろしいでしょうか?」

 セレリアーナが確認するように問えば、クロレンスは目を剥いて慌てた。

「さり気なく、一生と言ってくれるな、セレリアーナ。それでは違うと断言できなくなる」

「断言してくれましたら、喜んで従いましたのに」

 心底惜しそうに、セレリアーナは心にもないことを口にした。

「……そんなに……いや、これ以上は今日のところは聞くまい。それより頼みがあるのだが訊いてくれるか」

 話を折らないで訊いて欲しいと、懇願の色を濃くしてクロレンスは言って来る。

 いつもなら振り回しているはずのクロレンスだが、主導権を取られたせいか、誘いが弱い。だが、セレリアーナの拒絶をなかったことにしてしまうのは、毎度のことだろう。

 明日になれば、また口説き文句を口から垂れ流すのだろうか。

 ――例え口先だけの言葉だとしても……。

 秘かに自分がそれを求めていることをセレリアーナは知っていた。少なくとも彼が自分の名を口にしてくれる間は、傍にいることが許される証だろう。

「何でしょうか」

「実は町に出て、調達してきて欲しいものがある」

「買い物ですか? 出入りの商人では事足りませんか?」

 皇子であるクロレンスが護衛もつけずに外に気軽に出掛けるのはままならない。そしてクロレンスは自分がセレリアーナに付きまとっているにも関わらず、彼女以外の人間に付きまとわれるのを嫌がっていた。故に、何か欲しいものがある場合は商人を呼び寄せるのが普通だ。

「ああ、まあ、人にはあまり耳に入れたくないのでな」

「……私が買いに行っても大丈夫なものでしょうか」

 心なし声をひそめたクロレンスに、セレリアーナもまた表情を引き締める。人に知られたくない買い物とは何事だろう?

「それは問題ない。頼みというのは、巷で評判になっている菓子店の薔薇のゼリーなるものを買ってきて欲しいのだ」

「……それが欲しいのですか?」

 セレリアーナは片眉を吊り上げた。そんなものは厨房の料理人に頼めば幾らでも作ってくれるだろうに、何故、わざわざ町まで出て買いに行かなければならないというのだろう。

 何か、またくだらないことを考えているのではないかと、クロレンスを疑いの目で見る。過去にセレリアーナの本音を引き出そうとして、死んだふりをしたりと、クロレンスは馬鹿皇子の異名に劣らない突飛な行動を取ってくれるのだ。

「ああ、出来れば明日、開店一番にそれを買ってきて欲しい」

 ――何を企んでいるの?

 日や時間を指定してくるところが怪しい。人に頼みづらいというより、自分を城外に追い出したいのではないか。何か、こちらの耳に入れたくないことがあるのかもしれない。

 エーファ城に訪ねて来る者は少ない。貴族社会に置いて、身分の高い者の元へ訪れるにはそれなりの手順としきたりがあり、皇子であるクロレンスは大概の者を拒むことが出来る立場にある。

 だからこそ周りに干渉されず、エーファ城で馬鹿皇子のふりをできているわけだが……。

 静かに視線を返すセレリアーナに、クロレンスは熱のこもった瞳を向けて「行ってくれるか?」と確認して来る。

 その熱は――何?

 この時ばかりはクロレンスの真意を問いたいと思った。だけど、その熱の内側に踏み込んではならないと、セレリアーナの理性は止める。

 もしかしたらクロレンスは、その真意をセレリアーナに問うて貰いたいのかもしれない。これこそが罠で、彼の誘いかもしれない。

 ――でも……。

 セレリアーナはそっと身を引く。秘密を持つ彼女に出来ることは、それだけだった。

「わかりました。明朝、出掛けてまいります。そのかわり、殿下のお世話は出来かねますが、よろしいですね?」

 エーファ城から町へは距離がある。開店一番にというのなら、彼の起床時間には城外にいなければならないだろう。

 彼女の言葉に皇子はこくこくと首を頷かせる。

「ああ、それは心配ない。ありがとう、セレリアーナ。物を手に入れた暁には二人で食そうな」

 寝癖頭が堪らなく残念に思える晴れやかな笑顔のクロレンスに、セレリアーナは低く声を吐きだした。

「礼には及びません。私は使用人ですから、ご命令とあらば従います」

 そっとクロレンスとの間に身分という名の線を引いて、セレリアーナは胸の痛みを呑みこんだ。話を逸らすように、疑問を口にする。

「それにしても、殿下が薔薇のゼリーをお好きだとは知りませんでした」

 ゼリーはクロイツ帝国が北に国境を隣接するステイロ公国から最近入って来たもので、物珍しさもあるだろう。だが、わざわざ買いに走らせる理由にするには、弱い気がする。一緒に食べようと言うことは、セレリアーナが好きそうと踏んでのことか。

「いや、それほど好きではないが……噂では、その菓子には恋の媚薬が混ぜられており、ゼリーを共に食した男女は結ばれるという話ではないか。セレリアーナは聞き及んでいないのか」

 訝しげるクロレンスに、セレリアーナは眉をひそめた。

「…………初耳ですが」

 メイド仲間の口からそのような噂は聞いたことがない。それをクロレンスが知っているということは上流階級にだけ流布する噂か? 辺境とは言え、地方貴族の交流はあるだろう。クロレンス自身というより、彼の秘書官あたりが仕入れてきた話だろうか。

 どちらにしても、クロレンスが菓子を欲しがった理由はそこなの?

 辿りついた答えを前に、気を揉みに揉んだ自分は何だったのかと、セレリアーナは喚きたくなった。

 ――馬鹿馬鹿しい! なんて、くだらない理由なのっ! 馬鹿はどこまでも馬鹿だったということっ?

「というわけで、セレリアーナ。共にゼリーを食そうではないか。そして、燃え上がった二人は愛の園へ――」

 いつもの如く、クロレンスは口説き文句を口にし始めた。

 先手を取って勝った気でいたセレリアーナとしては何とも歯痒い展開に、冷静沈着の表の顔をかなぐり捨てて声を荒げた。

「お断りですっ!」

 彼の願い事など、二度と訊くものかと、こめかみに青筋を立てて心に誓った。



                         「願いは訊かない 完」

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