新たな殺人の発覚

第25話 明暗4 (31~34)

 8月31日木曜日昼過ぎ、周辺よりすこし小高い「辺境の墓標」の前には、強行犯係といつものように鑑識の松沢と三浦、そして「31日ならなんとか」と都合をつけてくれた、遠軽・弘恩寺の岡田住職に生田原・弘安寺の松野住職という「外部」の参加者が集っていた。まず墓から骨壷を取り出す前に2人の住職による読経の供養がなされた。そして西田が部下に幾つか注意を促した。


「まだ開けてみないとわからないが、おそらく篠田は、最初に佐田が埋められていた場所からここまで、壺に白骨化した佐田の遺体を詰めて持ってきた後、ここに納骨されていた遺骨とさらに混ぜたと思ってる。タコ部屋労働者と無縁仏の遺骨はいずれも火葬された上で入ってるが、佐田のは生のままの骨だ。少なくとも、タコ部屋の犠牲者の遺骨の方は荼毘に付されていたことは篠田は知っていたはずだ。だから、そのまま完全に別にしておくことはしないと思う。万が一誰かに開けられるようなことがあれば、あくまであればだが、区別が付いて異変を察知される恐れもなくはないからな。結果的に篠田は、タコ部屋労働者の骨と佐田の骨をごっちゃにしておいた方が良いと考えるはず。問題は無縁仏3体とも混ぜたかどうかだが、そっちが荼毘に付されていたことは、おそらく篠田は知らなかったと思われるにせよ、全部の骨壷を開けてみれば、明らかにわかるだろうから、開けて確認していれば、結局は同じことをするだろうと思う。だから、きちんと丁寧に火葬されたものとそうでないものを分けていく作業が必要になるだろう。多分佐田の遺骨もスコップやツルハシなどである程度割られていると思うから注意してくれ。重要なのは頭部、特に顎の部分だ。歯の治療痕なんかがあれば身元確認に繋がる。最近はDNA鑑定みたいなもんも使われるようだが、やはりまずは歯が重要になる。それから鑑識は、骨壷や篠田が買ってきただろう壺の写真を全部撮って、それぞれの指紋を採ってくれ。篠田の指紋は以前採ってるから比較できるはずだ。あ、それから、岡田住職! 警察から受け取った無縁仏の骨壷わかりますか?」

西田が一気にまくし立てた後、住職に確認すると、岡田住職は松野住職が弘安寺から持ってきた帳面を見て、

「当時納骨されたのは、警察から預かった3口の骨壷に国鉄の方たちが集めた遺骨が骨壷9口の合計12口ですね。3体分の骨壷には、戒名が書いてあったはずです」

と中身を見ながら説明した。

「わかりました。こちらに壺を出した後も色々教えてください。それじゃあ供養も済んだし作業開始するぞ!」


 西田の号令と共に、大きな石棺の上にある石蓋が吉村、澤田、黒須、大場の4人によって動かされ、捜査員の指紋が付着しないように白い手袋をはめてから、石棺から骨壷が順次運びだされた。


「結構な数があるな」

沢井課長は順次進む作業を見ながら、1、2と数えていた。ブルーシートが敷かれた上に置かれた骨壷、いや一部に普通の壺と思われるものが全部で16口も出て来た。帳面の納骨された数・12口と篠田が買ってきた壺の数・4口の合計が、出て来た口数と一致した。そして篠田が買ったと思われる4つの骨壷は、すぐに西田にも特定出来た。いくら形状が似てるとは言え、やはり骨壷より底から口までの「縦」の形状に丸みがあり、普通の壺という形状を残していたからだ。ただ色は確かに白磁なので、全体としては無理すれば骨壷と言えなくもなかった。


「松沢、骨を中から出す前に、まず全部の写真と指紋採って」

西田の再度の要求通りに松沢と三浦が作業した。それを見ながら、

「岡田住職、3つ形状が同じで9口分の他とは違う骨壷がありますが、あれが無縁仏の分ですか?」

と聞く西田に、

「記憶がはっきりとまではないので断定は出来ませんが、多分そうだと思います。さっきも言いましたが、叔父が簡単な戒名をそれぞれの骨壷に記入していたのと、骨壷が警察から渡された時点でも、無縁仏の区別として甲乙丙の記入があったと思います。松野住職にも帳面で確認してもらっているので、それと合わせてみれば良いと思います」

と岡田は言った。



 西田は2人の住職とその3つの壺に近づくと、確かに甲・乙・丙と、それぞれ小さく墨らしきもので区別されていることに気が付いた。ただ、「さすがにそれではお気の毒」と、当時の弘安寺住職の岡田総信がそれぞれに戒名を付けたらしいものも、それぞれに墨で記入されていた。甲には「山穏恵豊信士」、乙には「山盛静健信士」、丙には「山来安和信士」とあった。名前もわからない、出自もわからない者に付けたのだから、さすがに、いわゆる院号はなかったが、それなりに考えて付けていたはずだと岡田は語った。松野が持って来ている弘安寺にあった帳面とそれぞれに付けられた戒名が一致していたので、その3つは間違いなく無縁仏のものだったことが最終的にも確認できた。


 そして、鑑識による外観の事前調査が、16口分全てで終わったので、いよいよ骨壷の中身を確認する作業に入ることになった。まず4口分の偽骨壷の蓋が開けられた。西田の推理通り、そこには明らかに火葬された骨片が詰められていた。やはりそれ以前に墓標に納められていた遺骨と混ぜられてしまったらしい。

「案の定だな……。仕方ないから、シートの上に中身全部出してみて、そこから生の骨がないか、調べていくしか無い」

課長の号令で、若手が骨壷を逆さにて、中身を取り出そうとしたが、岡田住職がそれを止めた。

「申し訳ないが、ふるって落とす形にすると仏に申し訳がないので、丁寧に取り出してもらえますかな」

「住職の言う通り、手で中から丁寧に取り出す方法でやってくれ」

課長も改めて指示を出した。時間がかかりそうなので西田も手袋をはめて手伝うことにした。皆で手分けして作業し始めると、それほど時間が経たないうちに、

「あ! ありましたね。明らかに火葬されてない骨が幾つか」

と、シートに取り出された骨を調べていた三浦が声を上げた。全員が覗きこむと、おそらく背骨らしき部分が出て来た。

「時間もそんなになかったはずだから、それほど細かくは砕いてないと思うんだよなあ。とにかく顎の部分を早く見つけたい」

西田はそう言うと皆は作業に戻った。


 4口分の壺からは結局、生の遺骨は見つかったものの、佐田と睨んでいる骨の「重要」な部分は見つからなかった。残りは最初からあった、「本来の」骨壷に紛れ込ませたとしか思えなかった。当然、最終的には全部調べざるを得ないとは、西田も解かってはいたが……。

「じゃあ残りの分も全部調べるしかないな」

課長も加わって、残り12口分をシートに取り出し分類し始めた。

「これ、頭頂部かな?」

小村が頭蓋骨の一部を手にとって眺めていた。

「焼かれてはいないようだな。とすると多分そうだろ」

竹下が大場から受け取るとじっくり見ながらそう言った。間もなく次々と発見の声が四方から上がった。そして、

「あ、これ下顎じゃないですか!?」

と澤田が立ち上がった。西田も駆け寄って確かめると、それは火葬されていない下顎の一部だった。まともな治療痕もあったので、身元特定に役立つだけでなく、おそらく遺骨の主が戦前に亡くなったものではないという意味合いも証明出来るものだった。つまりタコ部屋労働者のものでもなければ、その後見つかった3体の無縁仏でもないということだ。


 結局2時間程、火葬したものと「生」のままなものを丁寧に分類した結果、バラバラになっていたとは言え、骨格のほぼ全ての部分を再現出来るまでになった。山中とは言え、篠田も当初考えてもいなかっただろう米田を殺害するというイレギュラーな事態に遭遇し、焦っていたと思われ、佐田とみられる遺骨の「バラし方」がかなり大雑把だったことも、分類を結果的には楽にしてくれたようだ。


「これで、佐田の遺体だとすれば問題なくそれを証明できそうだ」

松沢はブルーシートの上に再現されたほぼ一体の骨格に満足そうに笑みを浮かべた。

「今回はよくやってくれた!」

課長は西田の肩を叩いた。だが、西田にとって見れば、ここまでは冴島骨董で証言を得た時点で確信出来た部分だった。問題はここから先だ。それを思うと余り喜んでもいられなかったせいか、篠田がとった行動を「読みきった」先日の気分と比べれば、浮ついたところはなかったと言って良かった。


「死因は特定できるかな?」

「いや竹下、多分だが無理だと思う。遺骨に傷がついてるが、それは骨壷に入れるために割った時に付いたものだろうから。状況証拠として、何らかの殺害行為があったという形になると思う」

松沢はすぐに否定的見解を述べた。

「後は持ち帰って北見方面本部の鑑識に引き渡そう。それほど判明するまでに時間は掛からないはずだ」

課長はそう断言したが

「あっちはあっちでまだ連続殺しが解決してないですから、しばらく掛かるかもしれませんね」

と小村が疑問を呈した。

「今からそこまで気にしてもしゃあないでしょう。今やれることはやりました。後片付けをちゃんとした上で、戻るだけです」

西田の発言にその場に居た刑事は全員同意すると、遺骨を元々の骨壷と、この捜査のために住職達に持って来てもらった新しい骨壷に戻し、篠田が冴島骨董店で購入したと思われる壺4つ分と佐田と見られる遺骨を回収して、住職2人と共に現場を去った。


※※※※※※※


 住職をそれぞれの寺に送り届け署に戻ると、遺骨の調査と共に早速鑑識が取ってきた指紋と篠田のものを照合させた。どうせ遺骨については北見方面本部の鑑識がきちんと調査するので、余り熱心にしても意味が無いこともあった。また、元々の篠田のサンプルの指紋と今回採取した指紋が、それぞれどの指のモノかはっきりしていないこともあり、鑑識での作業の結果は、多少時間を要する可能性があった。その合間を利用して、西田は、まずは壺が篠田の買ったものかどうか確認するため、署に暫定的に持ち帰った壺を1口を持って、一人で冴島骨董店へ向かった。


※※※※※※※


「ご主人、先日はどうも!」

暖簾をくぐってドアを開け挨拶をした西田に、カウンターでテレビを見ていた冴島が手を上げた。

「今日は何の用だい?」

「一昨日話した、あなたが売った壺、これじゃないですかね?」

こちらに持ってくる前に、指紋を採集したのである程度拭いたとは言え、ちょっと汚れが目立つ壺を呈示された冴島は、メガネを額の上にずらすと目を細めながらじっと見つめた。そしてしばらく眺めると、

「買った人の記憶ほど確信はないが、おそらく売ったのはこれだと思うよ。壺の口の周りにちょっとした絵付けがあるだろ? それに記憶があるから」

とやっと口を開いた。西田も絵付けを確認すると同時に、そういう記憶と一致しているならまず問題ないと確信出来た。


「それにしても汚れてるけど、どんな状態で保管されてたのこの壺? 犯罪に絡んでるんだろ? どっかに捨てられたのかい?」

と問われた。さすがに骨壷として墓に納められていたとは口が裂けても言えなかったので、

「まあ、あんまり良い状態で扱われてはいなかったようだね……」

と口を濁した。西田の表情で余り根掘り葉掘り聞くべきではないと察したか、冴島店主は、

「まあ言いたくないなら、それでいいんでないか?」

と西田に言った上で、

「この壺、警察が使わなくなったらどうなるの?」

と聞いてきた。

「さあ……」

本来の所有者が既に死亡しているので、結果的には篠田の未亡人のモノということになるのかもしれないが、既にあの辺境の墓標に納めたということは、ある意味所有権を放棄しているとも言え、西田自身、どうなるのかわけがわからなくなった。そんな西田を見かねたか、

「要らなくなったら、ウチが単価5000で引きとるよ。悪くないと思うよ。こっちも一度大儲けさせてもらったぐらいだし。そっちもなんも問題ないっしょ?」

と冗談で上手く話をまとめた。西田は、

「まあ、考えてみるよ」

と愛想笑いしながら返すと、店主に別れを告げ署にとんぼ返りした。


 署に戻ってから1時間もすると、柴田主任率いる北見方面本部の鑑識連中が遺体を取りにやってきた。生の骨が出て来た時点で現場から警察無線で連絡していたので、思ったより早く駆けつけてきた。刑事課にやって来た柴田主任は、

「おい! おまえらまた余計な仕事を持ってきてくれたな!」

と悪態と思われても仕方ない「祝福」の言葉を掛けてきた。西田も慣れたものだ。


「忙しいみたいなんで遠軽署からの陣中見舞いです。心して受け取ってください」

と不謹慎な冗談で返した。柴田をそれを聞いて大声で笑うと西田に近づき、

「それにしても、例の佐田の遺体の可能性が高いんだろ? よくもまあ見つけたな。今回の遠軽の一連の捜査能力には北見方面本部うちも驚いてるぞ」

と小声で褒めながらも肘で小突いてきた。その後すぐ柴田達と共に鑑識の部屋に向かうと、松沢がそれぞれに応対し、

「指紋はもうちょっと掛かりそうかな。柴田さん、遺骨はこっちです」

と伝えた。刑事課に戻ってもどうせ捜査報告書書きに参加させられるので、西田は柴田達について遺骨を見に安置室に入った。柴田は、

「おまえは現場で見たんだろ? 邪魔だ」

と嫌味を言ったが、西田は構わず居座った。そして遺骨を確認すると、

「おお! 本当にかなりの量の骨だな。それに話に聞いて想像していたよりは砕かれてないな。復元となると多少手数は掛かるかもしれないが、完璧を目指さなければ、それほど大変な作業でもないと思うぞ。これが佐田なら間違いなく身元はわかるよ」

と上機嫌になった。


「死因はやっぱりわかりませんかね?」

松沢から事前に言われていたとは言え、西田は一応聞いてみた。

「壺に入れるために割られたって、来る前に聞いてたが、それほど損傷してない一方で、やはり割ったその時の傷か殺害の時の傷か区別が付きづらいんだわ。勿論、死因が骨にまで影響を与える物理的衝撃である場合だけどな。だけど死体遺棄してんだから、当然殺人容疑で帳場立つだろ?」

と松沢とこれまた同様のことを言った。まあ2人とも持ち場は違うが、鑑識のプロなのだから当然と言えば当然である。

「帳場ねえ。立つのは当然ですが、遠軽署単独なら捜査本部の意味がないですよねえ」

少々諦め気味の発言をした西田に、

「よく考えたら本社から北見方面外されたぐらいだから、連続殺人になったとは言え、やっぱり無理かね?」

と尋ねてくる。

「いやね柴田さん。それもあるけど、やっぱり喜多川が意識不明、篠田と伊坂が死んでるとなると、立件まで行くのが難しいと思うんじゃないかな、本社が。そうなると人手が足りてない他の捜査のこともあるし……」

柴田は西田の不安を聞くとそれに理解を示した上で、

「だけど、ここまでおまえらがやってきたんだから、もし応援来なくてもなんとかなるんじゃないか? なんか遠軽署単独でやっていたほうが上手く行くような気がするんだよな。今のオンナ殺しの方も『ウチ』が関わっても上手く行ってないぐらいだから」

と自虐も交えつつ励ましてくれた。


「でも、今回の北見方面本部の倉野さんやら大友さんやら、こっちの意見も通してくれるし、応援してもらえるならそれに越したことはないですよ」

「まあな。あいつらは珍しく、上役にしてはそれなりに人は出来てるなあ、確かに。ただ、いつまでも遠慮してないで、このヤマ、お前らだけで解決してしまえ! 仮に立件まで行かなかったとしても、8年前に北見総出でも発見できなかった佐田の行方を調べ上げられたとすれば、それでも十分評価してもらえるぞ、本社にはな」

柴田は、西田へのアドバイスとも叱咤激励とも区別が付かない「演説」を終えると、西田の存在など既になかったように早速手袋をはめて、遺骨を手にとって軽く調べ始めた。口は悪いが専門職としての腕前は確かな柴田らしい振る舞いに、西田はある意味安心してその様子を見つめていた。

「通常なら2日もありゃ身元の結論は出るんだが、今のウチの状況だと1週間弱掛かるかもしれない。緊急性がないからその点は許してくれよ……。おっと話に夢中で肝心なことを忘れてた」

柴田はハッと気が付いたかのように遺骨に手を合わせた。


※※※※※※※


 その後柴田達が遺体を北見方面本部に持ち帰り、西田達が書類作成を終えたのが午後8時過ぎだった。篠田の指紋も結果確認出来、間違いなく篠田は、佐田の遺骨を墓標にあった遺骨に混ぜることで隠蔽を企てていたことが証明出来た。篠田は慰霊式で骨壷を触る機会は全くなかったはずだからだ。本日の「成果」に満足したこともあり、緊張感から完全に解放され腹が空いた一同は、「祝勝会」も兼ねて、課長も交えて「湧泉」に繰り出した。本来ならあり得ない流れだが、捜査も遠軽署単独でやりきっていることで、良く言えば余裕が、悪く言えば緩みがあったかもしれない。


※※※※※※※


「課長さんはウチは初めてだね?」

大将が話しかけると、

「こいつらが噂してたのは聞いてたから、いつか行ってみたいとは思ってたけど」

と答えた。

「ここはいいですよ。美味いし安い」

吉村が太鼓判を押したが、確かにそれに嘘偽りはなかった。

「ちょっとね、繁華街とは方向が違うから、遠軽住みでも知らん人は知らんだろうな」

大将はビールの栓を抜くと課長のコップに注いだ。

「それでは課長、準備が整ったみたいなんで乾杯の音頭を!」

西田に促されると沢井は、

「じゃあ、今日はお疲れさん。西田始め皆よくやってくれた。まあこの先どうなるかわからないが、身元が判明したらまた忙しくなると思う。今はその前の一瞬の気休めってことで特別だ。忙しくなった時も頑張ってもらいたい! では乾杯!」

と言うと、大将も加えてグラスの当たる音が響いた。


「遺体か何か見つかったのかい?」

通路側にいた西田に大将は小声で聞いてきた。

「まあ詳しくは言えないんだけど、殺人の捜査に進展があって」

店内の喧騒の元でもよく聞こえるように耳元で囁いた。

「そうかい。もう2ヶ月以上もずっとやってるんだよな。大変だな」

「まあこれが仕事だからね。仕方ないよ……」

「仕方ないか。うん、確かに仕方ないのかもしれない。そんぐらいの心持ちじゃないとやってられんべ……。とにかくストレス解消兼ねてドンドン注文してくれよ。そういうことならちょっとサービスしてやるからさ」

「そいつはありがたいね。と言っても今日は課長の奢りだから、俺には関係ないけど。しかしいつもスマンね。この値段じゃ大して儲けもないでしょ?」

「なんも気にすること無いべさ。こっちは客が来てもらわんと成り立たないんだから、サービスして当然だよ。客が喜んでる姿が嬉しくて続けてるわけだから」

大将はそう言うと、カウンターの中に戻った。


「大将、今日のお薦めは何?」

いつもより気分が良さそうな竹下が尋ねると、

「これだな。佐呂間で漁師やってる従兄弟が送ってきてくれた活ホタテ。新鮮だぞ!刺し身とバター焼きでどうだ!」」

と言って、「佐呂間漁協」と印字された発泡スチロールのトロ箱を持ち上げて掲げた。

「そいつはいいねえ!」

他のメンバーも口々に叫んだ。

「それとこいつを1杯ずつサービスしよう!」

大将はそう言うと、「錦江湾」とラベルに印字された一升瓶をカウンターに出した。

「おお! 今日は幻の薩摩焼酎か!」

小村のテンションが高くなった。課長も焼酎には一家言あるタイプなので、手を叩いて喜んだ。


「じゃあ、あれだ。前回同様、魯山人の猪口で飲ませてよ」

吉村が頼むと、

「それなら、また新しくコレクションしたのがあるから、そっちで飲ませてやろう」

と棚から小箱を取り出し、それを西田達のテーブルの上に置いて、中から猪口を取り出した。

「これだ。どうだ? いいだろ?」

初めて来た課長も興味をそそられたか覗きこんでいた。

「課長さんは魯山人とか興味あるのかい?」

「魯山人自体には詳しくはないが、こういう猪口とか集めてみたいと思ったことはあるね」

「他にも幾つかあるから見てくれよ」

大将はそう言うと、課長をコレクションが詰まっている棚の前に連れ出し、箱を幾つか取り出して見せていた。

「大将、そんなもんどうでもいいから早く飲ませてくれよ!」

吉村は言いたい放題だったが、

「今課長さんに見せてるからさ……」

と酔っぱらいをなだめるように言った。西田も追い打ちを掛けるように、

「課長がまだ見てるんだから、ちったあ我慢しろ」

と軽くたしなめた。


「係長もこんな時まで説教っすか? こんなめでたい日に。係長のお手柄なんですよ、そもそも!」

「だからこそ俺のいうことを聞くもんだ」

西田はそう言いつつ、吉村の空になったグラスにビールを注いで、間をつないでやった。その後はいつものように大将の料理と銘酒に舌鼓を打ちつつ、宴の夜は更けていった。


※※※※※※※


 9月3日、西田は妻の由香、娘の美香と共に札幌は大通にある「丸大デパート」の子供服売り場に居た。日曜の午後ということもあり、かなり混み合っていて、久しぶりに家族サービスしているとは言え、せっかちな中年に片足を入れかけた男としては我慢の限界になり始めていた。


 8月31日に遺体を回収した後、鑑定結果が出るまでに最悪1週間近くは掛かるという話だったため、課長の計らいで西田に急遽休暇が与えられた。本来であればもっと早くわかるのだが、柴田の言っていた通り、北見方面本部も道警本部も、他の殺人捜査で手が回らなくなっていたからだ。身元がわからなくても、殺人だと断定された時点で捜査開始が常だが、今回は死因の特定が困難な状況が予測されたので、遺体が佐田ということがわかるまで、ひとまず様子を見ることになったためでもあった。


 米田の殺人事件も未解決のままだったが、捜査を中断したのは、被疑者である篠田の死により、実質的に立件不可能という状況だからこそ出来た判断だったと言えた。その結果として勤務した9月1日の夜、そのまま夜行のオホーツク10号に乗車し、翌2日土曜日から5日まで家族と共に過ごせるようになっていた。


※※※※※※※


「おい美香、まだ掛かるのか?」

「あなた、まだ選んでるんだから。たまに帰ってきてそんなに威張らないでよ」

西田の苛ついた態度に、不満気な妻を見て、「これはいかん」と思い直したか、

「わかったよ……。じゃあちょっと時間潰してくるから、終わったら携帯に電話してくれ」

と告げると、西田はエレベーターに向かった。


 デパートに入る時に、入り口に「北大路魯山人展 和と食の美学を追求した男 9F催事場」という看板があるのを見て、大将の一件もあり、かなり興味をそそられていたのだ。どうせ苛つくぐらいなら、それを見て時間を潰す方が、自分にとっても妻子にとっても精神衛生上良いことは明白だった。


 9Fでエレベーターを降り、入り口で1000円払うと、西田は色々見て回った。魯山人の作った陶器は勿論、書や篆刻てんこく、漆器果ては絵画までゆっくりと堪能した。美術や文化に特に興味のある人間ではないが、彼の作った陶器で酒をたしなんだというこのところの経験が、妙な陶酔感と共に芸術の秋を感じさせた、いや、単に錯覚させたのかもしれない。


「変な名前で、どうせペンネームだとは思ったが、苗字の『北大路』はそのまま本名なんだ……」

西田は魯山人の生涯年表を見ながら思った。


※※※※※※※


 魯山人は1883年(明治16年)に京都において「北大路 房次郎」として生を受けた。しかしながら、母親の不義の結果として誕生し、父がそれを悲観して自殺したという、かなり複雑な家庭事情を生まれながらに背負っていたという事実があった。その後貧しさから養子に出されるなど、家庭に恵まれない幼少期を過ごした。成長後、奉公人を経て、書家を志し上京。書家の弟子になり書や篆刻てんこくで才能を発揮し始めた。しばらくすると中国や朝鮮半島に遊学し、帰国してからは、パトロンとなった「河路家」に逗留しながら芸術に打ち込む日々が始まった。この頃は「福田 大観」の号で様々な作品を輩出した。尚「福田」とは、たらい回しにされた後、6歳時に引き取られた養子先の姓であり、結果的に魯山人は家督を長男に譲った後、姓を元の「北大路」に戻すことになる。それからは多くのパトロンに支えられつつ、魯山人は芸術から食、そしてそれに使用する器まで手を広げていくことになった。ただ、終始家庭には恵まれず、度重なる結婚と離婚の繰り返しなど、幼少期に負った家庭環境のトラウマは克服できなかったようだ。そして人格的にもやや破綻した面が見られ、それが故に愛された側面もあるが、離れていった人も多いという。戦後、人間国宝の指定すら辞退するという、まさに孤高の文化人であったと言えるだろう。


※※※※※※※


 西田が満足して会場を出ると、タイミング良く携帯が鳴った。勿論妻からだった。

「あなた、今買ったわ。それで何処に居るの?」

「やっと終わったか……。居るのは9Fだ。そこで待っててくれ、俺がそっちに行くから。あ、ところで由香は服とか欲しくないのか?」

「え、そりゃ欲しいけど……」

「いいじゃないか買えば。ボーナスの残りあるんだろ?」

「あなたがいいって言うなら、ちょっと気になってる秋物があるのよ」

「ああ、なら買えばいい。そして夕飯はたまには和食でもどうだ?」

「え? 美香は普通のレストランを楽しみにしてるけど」

「いいじゃないか、日本人なんだからたまには高級な和食でも食べよう」

魯山人に感化されたか、西田は気分的には食通気取りになっていたことを、特に気恥ずかしいとも思わなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る