第234話 名実143 (340~341 西田と吉村、北見へ戻る)

「結果論的に悪い結果になったら、他人や特定の個人に全部責任をおっ被せて、自分は知らん振りを決め込む様なことをやってる限り、民衆は同じ過ちを何度も繰り返すだけだろうな。それは楽だから……」

西田はそう言うと、タバコを取り出そうとして止めた。タクシーが禁煙タクシーだったことを思い出したからだ。最近は愛煙家には厳しい世の中だと痛感しながら、吉村の方を見ると、普段の吉村ならそんな西田の姿を見てニヤニヤしているはずだが、一瞥すらせず前を見つめたままだった。そして、

「前の戦争の時も、負けてから『俺は反対だった』みたいな連中が、後から湧いてきたらしいですね。たちの悪いのになると、推進してたような奴まで掌返ししたとか……。この点に付いちゃ、折角だからさっき大島に聞いときゃ良かったですけど……。これから10年20年、一体日本がどういう社会になっていくのか、悔しいんですけど、急に不安になってきましたよ。大島に簡単に影響されちゃった様で、すごく情けないですけどねえ……」

悔しい、情けないという言葉を続けながら嘆いてみせた。


「今さっきあんなことを言っといてなんだが、残念ながら大きな流れの前じゃ、為す術がないのが所詮俺らの立場だから……。大島としては、それじゃ困るのかもしれないけどな。現実としては、流されるまま生きるしかないんじゃないか? 本来はそれじゃいかんのだけどなあ」

西田もそれで良いとは到底思ってはいなかったものの、ただの刑事じゃどうしようもないという現実が、そういう発言につながっていた。

「まあ、そうなんですけどね!」

吉村は言葉だけは同意していたが、語尾の感じからは、西田の言葉に明らかに苛立ちを感じていた様だ。とは言え、吉村自身もどうしようもないことを認識していたはずで、その苛立ちは当然自分へ向けたものも含んでいただろう。


 その後は、2人の間にまともな会話はなく、しばらく走る間にバスセンター前駅の地上入り口へと着いた。


 そこから地下鉄・東西線に乗り換えると、土曜だったので、サラリーマンや学生・生徒の帰宅ラッシュではなく、家族連れなどが目に付いた。そうは言っても、時間帯もあり思ったより混んでいたので、

「まいったなこりゃ」

と吉村は舌打ちした。毎回のパターンだが、札幌勤務でもしていれば、この程度は大した混雑でもないのだろうが、地方勤務にどっぷり慣れ切ると、札幌辺りの混雑でも十分キツイ感覚がある。


 一度、次の大通駅で乗客の大半の入れ替えがあったものの、再びそれと同じかそれ以上の乗客が乗り込んで来て、再び車内は窮屈になった。部活でもあったのだろうか、高校生らしき集団がどうにも下らない話を大声でしているのを聞いて、吉村は、

「こいつら、まともにモノ考えてるんですかね……」

と、西田に小声で苦情を言って来た。

「俺らが高校生の頃も、どうせこんなもんだったろ」

西田に冷たくあしらわれ、

「まあ、そうかもしれませんけど」

と不服そうにしたが、これ以上どうにもならないので収めたらしい。無論今日の聴取で、大きな成果がありながらも、ある意味テンションが下がっている2人からすると、西田にとっても全く気に障る部分がないとは言えなかった。


 ただ、そうだとしても、そんなたわいもない市井の人々の姿が、むしろ重い気分になっていた西田にとっては、その時ばかりは気持ちが安らぐ方向にすら作用していたことも、また否定出来ない事実だったかもしれない。


 そのまま、西田は円山公園駅で降りようとしたが、その直前に吉村が、

「また明日からしっかりやりましょう」

と声を掛けてきたので、

「そうだな……。まだ終わったわけじゃない。大島の先もある」

とだけ言うと、小さく手を上げて別れを告げ、静かにホームへと降り立った。


※※※※※※※


 翌10月13日の日曜日。世間は完全に休みだったが、札幌拘置支所では、道警の幹部も集まるなど、大島の取り調べ並びに供述調書作成でかなり慌ただしい状況になっていた。引き続き西田と吉村がその任に当たっていたが、大島は約束通り、昨日同様全てを明かしてくれていた。勿論、1日で全て終わる様なものではないが、道警側も徐々に落ち着きを取り戻していた。大島の健康状態もあるので、取り調べは3時間程度で切り上げたが、西田は思う所があり、拘置支所に来ていた五条刑事部長の元を訪れた。


※※※※※※※


「お世話になってます」

「いや、今回は本当に出来でかした。よくやってくれたとしか言い様がない。おそらく、警視総監賞辺りは十分行けそうだろうし、昇進も期待して良いぞ!」

そう五条は朗らかに語り掛けて来たが、

「そんなことは、正直どうでも良いというか……。それより本当の功労者への報奨を何とかしていただきたいんです」

と西田に言われ、

「竹下だったか? のことか」

と一瞬表情が曇った。


「そうです。彼の活躍抜きに大島を自供に追い込むことは無理でした。それに加えて、7年前、彼の正義感に応えてやれなかった私にも、そして道警にも、それなりの責任があると思います」

西田の発言は、竹下だけに対するものではなく、竹下の今の上司である、道報・熊田デスクとの約束も踏まえたものだった。

「今回のことは勿論、色々あったこともわかってるが……。うーん……」

どうも五条は、過去の経緯についても調べて把握しているらしい。

「まだ大島の完落ち情報は、表沙汰になってない様ですが」

西田の言う通り、この時点で道警側から、大島が完全に自供したという情報は一切漏れていなかった。

「道報にすっぱ抜かせるってか?」

五条は西田を一瞬見やった後、視線を外し、

「これだけの事案だ。さすがに道報1紙にだけってのはどうもな……」

と、明らかに躊躇ためらいがあるようだ。ただ西田の腹案は正直別にあった。


「それはともかく、今回竹下が自分で得た情報と、私が取り調べで得た報道出来る限りの詳細な情報を、少し時間を置いてから紙面で明らかにさせるというのはどうでしょうか? 速報性に欠けたとしても、この大島の事件だけではなく人生にまつわる話は、十分にニュースバリューがあると思います。それを竹下にやらせてやりたいんです」

「それはあっちからの要求なのか?」

五条は間髪入れずに西田の顔を覗き込むように確認したが、西田はキッパリと否定した。


「それで相手は納得するのか? お前の一方的な要求じゃあな……」

相変わらず否定的だったが、西田には確信があった。竹下なら、この事件をしっかりと受け止めて社会に伝えることを、自身の7年前の宿題として、喜んで果たすことを選択すると。

「あいつならやります」

西田が自信満々に返したので、

「まあそれなら良いが……。いずれにせよ、確かにそれぐらい価値のある捜査をしてくれたことも事実な訳だから……。よし、構わんぞ! ただ、公判維持の絡みもある。内容や時期については、しっかりと道警こっちとの兼ね合いも考えてもらわんとな。ただ、そこら辺は西田は勿論、相手もわかってるだろうから、余り心配しなくていいかな……。普通の経歴キャリアの記者じゃないから」

と、最後は自分自身で落ち着かせるような口ぶりになっていた。


「じゃあ、そういうことでよろしくお願いします。詳細についてはまた詰めさせていただきます。後、ついでと言っては失礼ですが、もう1つ……」

西田は、最後は相手の機嫌を逐一確認する様に、ゆっくりと喋った。

「もう1つとは何だ? 良いから早く言ってくれ」

この期に及んでは、五条は機嫌が悪いというよりは苦笑していた。


「では遠慮なく。遠軽署の件です。この事件が、既に本部や方面本郡直轄のレベルにあるということは当然ですが、しかし元々は、当時私も居た遠軽署の担当事件で、我ながらこの解決に至るまでの基礎捜査結果は、当時の遠軽署の捜査員の成果でもあると自負しています」

西田がそこまで言った時には、先程まで一瞬見せた卑屈な態度は一掃されていた。


「今の遠軽署には、さすがに当時のメンバーは居ませんが、例え小規模所轄であれ、本来担当すべき遠軽署の捜査員を、間接的で結構ですから、是非大島の取り調べや瀧川の取り調べに参加させてやって欲しいんです。私もまた、当時のこの一連の事件に参加することで、刑事人生にかけがえのない大きな経験を得ました。地方の小規模所轄ではなかなか得られ難い経験ですから、良い機会だと思います。是非ご一考願います」

この発言を聞いた五条は、西田が驚く程早くに、

「なるほど。至極最もな意見だな! 無論、いきなり取り調べに直接参加させることは無理だろうが、オブザーバー的な立場で加わってもらうのも手だろう。後、大阪での取り調べについては、西田、お前に帯同させるという形で許可することにする」

と受け入れてくれた。

「大変感謝致します」

西田ははっきりとした口調で礼を言うと、足早に立ち去った。


※※※※※※※


 10月16日水曜。西田と吉村は、取り敢えず大島に対する基本的な取り調べを終え、供述調書の概要が出来たこともあり、1度北見方面本部に戻っていた。そして、安村方面本部長に現時点での報告を入れるつもりだった。


 この間、10月14日には、大島完落ちの報道が道警主導で朝から一斉になされ、ワイドショーからニュース番組まで、大物国会議員の複数殺人関与と議員辞職が確定したことに、全国は大いに揺れていた。昼過ぎからの五条刑事部長の記者会見始め、札幌拘置支所や大島の東京や北見、網走の事務所、民友党の本部まで、報道陣が詰めかけていた。


 一方10月15日には、拉致被害者が北朝鮮から一時帰国するということで、今度はそちらで大騒ぎになり、すぐに世間の耳目はそちらへと移っていた。政治的には15日に大島完落ちをぶつけて、世間の関心の分散化を図りたかったのかもしれないが、どうも警察庁側が道警本部の意向にむしろ押される形で先に発表したらしい。


 高松訪朝の際、道警側が察庁に「良い様に使われた」ことで、今度はそうはさせまいという意志が、西田達だけではなく道警本部ほんしゃ側にも芽生えたということだろうか。そして道警側に、葵一家の首領ドンである瀧川を含めた大物退治の成果を以て、察庁に言い分を認めさせるだけの根拠があったということでもあろう。


 だが、これからしばらく経てば更なる騒ぎになりかねない。と言うのも、大島が元は小野寺道利という人物が桑野欣也に成り済ました末の存在だという事実については、まだ表沙汰になっていなかったからだ。


 この点については、西田が五条刑事部長に、竹下が公判前に記事を書くまでは、情報をシャットアウトしてくれと頼んでいた。スクープ性というより、きちんとした経緯を踏まえた記事を書けるのは竹下しか居ないので、じっくりと書かせたかったことがあった。この件はしっかりとした歴史的経緯を踏まえた上で、単なるスキャンダルという扱いにしてもらっては困ると、西田は考えていたのだ。それは大島海路の為でもあり、ここまで事件を追ってきた西田なりの答えでもあった。


 また中川秘書は、14日午後に担当弁護士によって、大島が全て白状したこと並びに、正直に供述する様に指示した大島の肉声録音を聞かされた後、あたかも子供の様に号泣し続け、取り調べが中止になる程の混乱状況だったらしい。しかしながら、それでスッキリしたのか、15日の午前中からあっさりと供述を開始した。今のところ、大島がした供述内容とほぼ完全に一致しているという。こちらも心配はなさそうだった。伊坂政光や坂本、板垣なども順調に供述しているようで、こちらの面でも明るい見通しが立っていた。


 さて、方面本部長室のソファに座って、安村がやって来るのを待っていた2人だったが、約束の時間から10分20分と過ぎても、一向にやってくる気配がなく、さすがに落ち着きがなくなってきた。

「どうしたんだろうな」

そう吉村と話し合っていると、

「北見市長との会合で遅れているから、しばらく待て」

と、ナンバー2の参事官である寺西が伝言を伝えに来た。さすがに参事官に文句を言う訳にもいかず、そのまま更に20分待つと、

安村はが息を切らせて部屋へ飛び込んできた。


「どうもどうも! 大変お待たせして申し訳ない」

如何にも腰の低い安村らしい言葉に、西田と吉村は思わず立ち上がり、

「それ程待ってませんのでお気兼ねなく!」

と、思ってもいないことを喋ってしまった。ただ、安村はそれにいちいち反応せず、持ってきた資料を机の上にドサっと置くと、早速2人の前に座った。


「とにかく、今回はお疲れ様でした。お二人の活躍で、瀧川逮捕から大島まで自白して、ほぼ真相解明まで一気に辿り着けました。私が招致したとは言え、正直ここまでやっていただけるとは、失礼ながら思ってもみませんでしたよ。時間が経っているだけに、相当難しい事件だと覚悟してましたからね……。本当にありがとうございました。感謝の言葉しかありません!」

一方的に喋った安村は、破顔一笑という言葉にふさわしい、信じられない程の笑顔だった。


「まだ瀧川と葵一家周辺、その他参考人の聴取が残ってますから、安心は出来ませんが」

西田も安村の態度に影響されて和やかな気分ではあったが、気を引き締めてそう返した。

「瀧川は現時点で、最初の本橋の殺人の件で、府警側も全く聞き出せていない様ですから、正直無理じゃないですかね……。外堀埋めて供述なしで起訴していくしかないでしょう、我々も含め」

安村の分析に、西田や吉村も相槌を打った。


「ところで、大島の取り調べ内容については、方面本部長も大方既に聴いていらっしゃる?」

一定の報告を受けている前提で、西田が確認すると、

「ええ。事件関与の辺りについては概ね報告を受けています。ただ、詳細については知りませんし、そこも含めてしっかりと、実際に取り調べに当たったお二人から直に聴きたいところですね」

と語った。

「だったら、時系列を追って詳しく説明させていただきます」

西田はそう言うと、今回以前に捜査で掴んでいたことも含め、大島海路こと小野寺道利の人生と共に振り返り始めた。


 大島の従兄弟である桑野欣也の数奇な運命と、今回の取り調べで明らかになった、小野寺自身がタコ部屋労働者として戦時中を生き抜いた話など、時折質問を交えながら、安村はじっくりと西田達の話を聴いていた。

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