第219話 名実128 (305~306 大島いよいよ東京へ)

 それに対し吉村は、

「じゃあ、そんな思いがあったにも拘らず、どうして伊坂の悪魔の提案に乗ったんですか?」

と、西田が口にする前に直球の疑問を挟んだ。

「そう思うことは無理もない。私も当初はそんなことをするとは思っていなかった。……ただな、その日の旭川の宿でよく寝付けずに色々考えている最中、車中で伊坂から、『北条正人は既に戦死しているし、免出の息子については、どう考えても探し出せる可能性は低い。北条の親族もそうだ。だったら彼らに渡せなくても罪になどならない。この戦争を生き残った自分達には、それをもらっても許される資格があるはずだ』という様な説得をされたことが、何度も頭に浮かんできたんだ。そんなことが続く内に、欣ちゃんには申し訳ないが、自分達が貰わなくても、どうせ誰にも使われないのならば、自分達で有効活用してしまった方が、余程故人の遺志に沿うんじゃないかと、自分に都合よく考え始めてしまった……。そして翌朝目が覚めた時に、2人で分けるという、吉村君が言った悪魔の結論に達し、宿を出る際に伊坂にそう伝えた。すると、伊坂は意外にもそれほど喜んではいなかったが、『そうかわかった』と頷いた。後は、生田原に夕方に着いて再び宿泊した。そして翌日の早朝から、伊坂が現場まで道案内して、その日の夕方には何とか砂金を掘り出すことに成功し、そのまま生田原でもう1泊して翌日北見まで出た。そして北見で最後の祝宴を2人で上げた後、それぞれの人生へと互いに別れを告げたんだ。その時は、まさかまた会うことになるとは思わなかったがね」


 この答えを聞いた時、西田は政光から聞いていたことを大島に伝えるべきかどうか迷っていた。伊坂が大島こと小野寺道利に、そのような悪行を提案してみせた理由に、大島が召集から逃れたことに対する嫉妬や、桑野が苦労していた障害を利用したことへの怒りがあったということをだ。そして伊坂が沖縄の地上戦で負った心的に大きな傷が、それに拍車を掛けていたことを。しかし、今の大島には真実を告げることが必要と考えて、思い切って伝えることにした。


「はっきりしたことは、あくまで政光からの伝聞ですから言えませんが、どうも伊坂があなたにそんな悪さを持ちかけた理由わけは、伊坂のあなたに対する嫉妬があったかららしいんです」

「嫉妬だと……。はて嫉妬とは?」

大島は訝しげに西田に尋ねたので、

「伊坂はその時あなたに、戦中の体験を話さなかった様ですから、わからなかったと思いますし、多分その後も聞いていないんじゃないかと推測しますが」

と前置き、

「伊坂は、多数の犠牲者を出した沖縄戦に従軍し、九死に一生を得るような経験をしていたそうです。戦友の大半も失い、まさにこの世の地獄から生還したという話でした。その上でです。あくまで、大吉から話を聞いた政光からの又聞きではありますが……。それであなたが、世話になった同僚でもあった桑野さんの障害と死を利用して、兵役から逃れることに成功したこと。これを旭川までの車中で伊坂相手に話したのではないかと思いますが、伊坂にとってはその回避自体が許せなかったという話で……。そのことで、怒りの余り、あなたを最初は殺してしまおうかとも考えていたそうですが、さすがに桑野さんの親族ですし、戦友をたくさん失う中で、余りに無益なこととしてそれは止めたとか……。とは言え、自暴自棄気味になっていた大吉は、現れる可能性の低い、北条の相続人と免出の息子の砂金を横取り、同時にあなたを悪の道に引きずり込むことで、自分の負い目を減らそうとしたそうです」

と答えた。


 しかしその瞬間、これまで比較的落ち着いていた大島が、鬼の形相で突如立ち上がり激昂した。

「何が嫉妬だ! 飛んでもない話だ! 冗談じゃない! 確かに戦地での生き死にという地獄からは逃れられたかもしれない。しかしだ! 戦争に直接巻き込まれなかった私もまた、地獄の思いを味わったんだ! 君らにもさっき話しただろ? 銃後の人間であっても地獄を見た人間は居る! 何が嫉妬だ! いい加減にしろ!」

これまでとは違い、余りの唐突な変貌ぶりに、目の前に居た刑事2人もさすがに驚いたが、大島が怒り狂ったのは、悪事に引きずり込まれたこと自体に対してではなく、伊坂の「見当違い」の怒りや嫉妬に対してだった様だ。


 確かに、戦地へ赴かなかった人間であっても、空襲や原爆で非業の死を迎えた人も居たのは事実であるし、飢えに苦しんだ人も居る。日本人としては、そう数は多くはないかもしれないが、大島の味わった様な地獄を見た人も確実に居ただろう。


 一方、病院で銃殺された松島幸太朗のように、戦時中に召集されたものの、ちょっとした戦闘すら経験しないまま終戦、否、敗戦を迎えた人間も存在していた。戦中に生きた人、それぞれにそれぞれのドラマがあったのだ。


 そう考えれば、召集逃れイコール地獄逃れという発想や図式に対し、大島が怒りの感情を爆発させたのも、その当時を全く経験していない西田と吉村にしても、これまでの捜査や今日の大島の話を聞く限り、ある程度想像するのは難しくはなかったのだった。


「確かに、戦争に行かなかったとは言え、あなたが相当の辛酸を舐めたのは間違いないと思います。しかし伊坂大吉もまた、沖縄戦で精神的に大きな傷を負ったのも事実でしょう。伊坂の見当違いが、とんでもない悲劇を後にもたらすことになっただろうことを考えれば、我々もやり切れない思いで一杯ですが、奴の苦悩は苦悩として、理解してやって欲しいような気もするんです。そもそもあの時、大吉が奪った分の砂金は、結局横取りしたことをそれからすぐに後悔し、あなたが使っただろう分は現金で、自分が奪った分はそのまま使わず、今でも政光がその遺志を受け継ぎ、ちゃんと保管しているんです」

西田が何故伊坂をかばうような発言をしたか、自分でもその理由ははっきりわからなかった。ただ言えることは、2人が戦中に経験したそれぞれの辛苦について、互いにいがみ合ったところで……、否、片方は既にこの世に存在していないにせよ……、怒りの矛先がそれでは、明らかに的を見誤っている様な気がしていたのは確かだった。


 それを聞いた大島は、何とも言えない表情のまま、力なくドカッと腰を下ろしたが、呼吸は荒いままだった。

「伊坂は、自分以外の砂金は処分していなかったのか……」

呟くように確認してきた大島に、西田は黙って頷いた。

「だったら、何であの時あんなことを言ったんだ!」

再び苛立ちを見せたが、先程までの猛りは鳴りを潜めていた。


「小野寺さんの気持ちは察しますが、伊坂は既に死んで10年近く経っている訳ですから……。それにあなたがやったことに対しても、わかっているとは思いますが、強い怒りを覚えている人間も当然居るんです! 今はあなた自身の感情より、事実関係の告白に集中していただきたいんですよ」

西田の倍とまでは行かないまでも、それに近く生きている人間に対し、本来説教をしたくはなかったが、西田としてもそう苦言を呈しておくことに今は躊躇がなかった。


「それもそうだな……」

そう言うと、大島は年甲斐もなく感情の制御を失ったことにやや気恥ずかしそうな表情を浮かべた。ただ軽く深呼吸すると、

「じゃあ続きを話すとしようか。……北見を離れた後、私はそのまま東京へと向かった。東京が空襲で仙台同様焼け野原になったことは、私の耳にも勿論届いていたが、だからこそ、東京でやり直すという気持ちが強かった。誰も私を知るはずもない場所こそ、再起を図る場所として最適という考えがあった。東京は空襲から既に1年以上経っていたが、さすがに復興の道半ばと言う感じはあった一方で、人々に日常の暮らしが戻りつつあり、かなり活気に満ちていた。私も焼け残った家を下宿にしている人のところに下宿先を見つけ、取り敢えず落ち着き先が決まった」

と再び語りだした。その直後、吉村が、

「それが多田桜さんの所だったんですか?」

と聞いたが、時系列から見れば、多田桜の元に下宿したのはもっと後だったと西田はわかっていたので、

「吉村、それはその後だ」

と冷静に遮った。


 大島はその様子を見ながら、

「そういうことだ。それはもうちょっと後になるから、このまま聞いておいてもらいたいところだな」

と、少し怒りも収まったか、表情を和らげ続きを口にする。


「当時の日本は、戦後のインフレが酷くてね。そういう意味で、現金ではなく砂金を持っていた私としては、当時の経済状況は実は大変有利だった訳だ。だから身元がはっきりしない中でも、下宿は案外簡単に決まったのだよ」


※※※※※※※


 敗戦後、日本は復興需要の急激な高まりや、戦中に大量に発行した戦時国債の償還の為、戦後に国債を日銀が直接引き受け(現在では、一応法律で国債の中央銀行、つまり日銀による直接引き受け、言い換えれば財政ファイナンスは禁止されているものの、安倍政権下における異次元緩和は、実質的に財政ファイナンスと同義と見る向きもある)したこともあり、1945年の10月から1949年の4月までにかけて、消費者物価指数が100倍になるという、いわゆるハイパーインフレ状態に陥っていた。


 闇市での、敗戦直後からの物価高騰を考えれば、実際にはそれほどのハイパーインフレではなかったと見られるが、いずれにせよ、かなりの物価高騰と通貨価値の低下は明らかだった。この時にきんを持っていることは、かなりの武器だったのである。


 昭和21(1946)年に1g17円程度だった金の価格は、翌年には150円、昭和23年には326円、昭和24年には385円、昭和25年には401円、昭和26年には585円という高値を付けた

(参考 http://shouwashi.com/transition-gold.html)


 純度の高い砂金ならば、750g(横取りした分含め2人分)もあれば、10kgの米の価格推移(参考 http://shouwashi.com/transition-rice.html)や世帯主の月収の推移(参考 http://shouwashi.com/transition-salary.html)を見ても、1人暮らしの下宿程度の生活を前提とする限り、何もしなくても、贅沢しなければ数年は十分生活していけるレベルであった。


※※※※※※※


 西田は、そこまで耳を傾けていたが、先手を打って、

「東京に出てから、さっきの話じゃありませんが、昭和23(1948)年の1月に戸籍を分籍して新戸籍を作ったことで、岩手から東京に本籍地が変わり、更に多田桜さんのところに移るまで……、というか、その間にあなたは、桑野欣也から桑野靖へと改名し、今でいう大検みたいなもので資格を取り、鳴鳳大学法学部に入学していますよね?」

と尋ねた。


「うむ。そこも抜かりなく調べているな……」

「まあ私が直接調べたのではなく、部下が95年当時東京まで聞き込みに行ったものですから、彼らのおかげですけどね」

西田は大島の褒め言葉に対し、正直に事実を伝えた。


「更に補足するとだね。私は下宿を見つけた後、砂金がある一方、特にやるべきことも思い浮かばなかったので、大学に行ってみようかと考え始めていた。今思えば、それを元手にして商売という方法もあったのだろうが、どうも仙台でヤミ商売に手を染めた時に、商才が無い訳でもないが、向いているようにも思えなかったのでね……。それで、当時の東京帝大の学生を家庭教師に雇い、昔は大して情熱もなかった勉学を徹底的にやり直すことにした。幸い欽ちゃんのお陰で、表向きは旧制中学を卒業したことになっていたので、そこを飛び越えられたのはある意味楽だった。勿論、その分の勉強が必要だったことも事実だが……。そして、志半ばで散った欣ちゃんの遺志おもいを継ぎたいという意図もあったことは確かだ。また、その間もう1つ徹底して学んだことがあった。最初の方でも言ったが、それが岩手訛を修正して流暢な標準語を話すことだ。訛がきっかけで伊坂に見つかったという、一種のトラウマのようなものを払拭したかったし、改名同様、新天地で新しく生き直す為にも必要だと考えた末だった。靖への改名は、欣ちゃんに安らかに眠って欲しいという思いから付けた」


 この大島の話を聞き、改めて、既に多田桜の元で下宿した際には、岩手出身ということを感じさせなかったという、小柴の証言に合致するものであると共に、今の大島の話言葉に全くその名残がないことにも納得させられた。

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