第215話 名実124 (297~298 桑野欣也と小野寺道利の生い立ち4 機雷事故)

 言うまでもなく、その後の惨劇を考えれば、その時の状況は大いなる皮肉にしか捉えられないだろう。

「その日は、手伝いの地元の消防団(作者注・正確には警防団)や、遠軽警察署がわざわざ周知して呼び寄せた周辺地域の住民まで押し寄せて、まるで祭りのように大騒ぎだったそうですね」

大島の様子を窺いつつ、タイミングを見計らったかのように吉村が尋ねると、

「ああ……。全くバカげた話だが、今なら人払いするところを、むしろ人を積極的に集めたんだから、その分犠牲が大きくなってしまった……。我々含め、警察、消防団、全員素人であって、無謀のそしりは免れんだろうよ」

声を荒げるまでは行かないが、大島の怒気を含んだ声は、この先語られるであろう決して忘れることの出来ない惨状を、西田や吉村にも十分予感させるものだった。


「昼前に、もう1つの機雷を誘爆させないように、1つの機雷を離してから爆破する為に綱を引いて動かして、そこで突然爆発したと聞いています。丁度その時、小野寺さんはその場に居なかったということなんでしょうか?」

「西田さんの言ったことそのままだ。実は竹富さんの指示で、4人がまとめて荷物を置いておいた所から、何か……、ちょっとここははっきりした記憶がその後のショックで飛んでいるんだが……、おそらく工具を取ってくるように言われて、機雷の傍から離れたと思う。ほぼ間違いなく100m以上は離れていたんじゃないだろうか……。そして持ち場に戻ろうとした瞬間だったはずだ。突然轟音と共に火柱、砂煙が上がり、私は一瞬で軽く吹き飛ばされ、砂浜に横たわっていた記憶がある。しかし、何が起きたかはっきりわからないまま、どうしたんだとゆっくりと起き上がった次の瞬間、目の前に恐ろしい光景が……」

そう言ったきり、大島は力むように目を細くしたまま言葉を失った。正確には、失ったというより、自ら心中を整理するために黙ったのかもしれない。


 そのまま、20秒程黙ると、

「どうも機雷が爆発したらしく、砂浜に大きな穴が開いたのが見えると共に、周辺にはうめき声や、悲鳴、それにおそらく人間のものと思われる……身体の部位が……、否、その瞬間には何だかわからなかったが、何かが……散乱しているのが確認出来た。勿論、私は機雷の傍に居た、3人の姿を探しにオロオロと走り寄っていったが、近付くごとに砂浜が赤く血で染まっている様や、爆薬の匂い、そしてどんどんと人が人の形で無くなっていく様を見て、血の気が引いていった……。ただ、仲間というか、特に欣ちゃんがどうなったか、それだけを考えて周囲を見回していると……」

大島は再び言葉を失ったが、今回は意図的にと言うよりは、まさに思わず絶句したのだろう、唇が小さく震えているように見えた。


「……上腕の一部らしき……、その時点でははっきりそう見えた訳ではなかったが、肉塊があったのが視界に入ってきた。そして、その塊にへばりつくように、欣ちゃんが作業時によく着ていた半纏(作者注・半纏についてよくわからない方は、https://matome.naver.jp/odai/2139128687392810601 参照ください)の袖の部分が見えたんだ……。私はそれを見て、彼の生存が絶望であることを確信せざるを得なかった……。その半纏の、肩口から上腕にかけた箇所と共にちぎれた部分が、君らが先日私に見せた、小柴さんから預かった布切れだ……」

大島の話は、基本的に予期はしていたが、あれが桑野家の漁師用の半纏の端布だったことは初耳だった。

「どうしてすぐにわかったんですか?」

吉村がすかさず質すと、

「あの布切れの文様は、小さな三角形がたくさん白抜きされた形だっただろ? あれは、網元である桑野家の半纏らしく、魚の鱗を意味しているんだ。それが肩口から袖の肘あたりに掛けてずっとあしらわれていた。だから、正確に言うのならば、その半纏の一部を見て、それが誰のものか、そしてどこの部位かわかったという方が事実に近かったな……。その半纏は、さっきも言ったように、欣ちゃんが津波で流された実家の跡で発見した、唯一の桑野家の存在の証、形見だったという訳だ。彼はそれ以来、気合を入れる必要がある作業では、その半纏を着ていたらしい。そして、その半纏の一部が、今度は欣ちゃん自身の形見となってしまった……」

と語った。


 バラバラになった遺体の一部が、すぐに桑野欣也のモノであると確認出来たのは、皮肉にも桑野欣也自身にとっての桑野家の形見の半纏だったとは、何とも言えない結末と言えた。

「……そうでしたか。おそらく桑野さんの形見だとは思っていたんですが、桑野家の半纏だったんですね、元は」

西田もそう言ったまま、次の言葉を失っていたが、大島は気を取り直したように話を続ける。


「しかし、その肉塊を手にしたまま、絶望の淵に追いやられた私に、突然その肉塊が囁き始めたように聞こえた。『今を逃すな』と」

「……それは、その混乱に乗じて、桑野欣也として生きるということですね?」

何とかその発言に反応した西田に対し、

「うむ」

とだけ大島は返した。


「そして、桑野欣也に成り済ますメリットは、兵士として召集されることを、桑野さんの指の障害を理由に回避出来ることだった、そうですね?」

吉村が更に付け加えると、

「ほう! そこまで読まれてしまっては、こちらとしてもどうしようもないな」

と苦笑しつつ、

「ここに至って、非常に言い訳がましいかもしれないが、私自身がそう考えたというより、その欣ちゃんの『欠片』がそう伝えてきたように感じたのには、それなりの理由がちゃんとある」

と語り出した。


「それはどういうことでしょう?」

西田は、言うまでもなく会話の流れにそのまま乗ってみせた。


「私が欣ちゃんと共に、鴻之舞で働き始めたのは、さっきも言ったように、真珠湾攻撃が年末にあった昭和16(1941)年の翌年(昭和17年)の春からだった。そして2人共、鴻之舞の鉱夫の寮で生活していたのだが、ある日彼の部屋に居た時だったか、ふとしたことから、日本はこの先大東亜戦争や対米戦争に勝てるのかという話になった。これまでの話でもわかると思うが、私は当時としては特別愛国心の強い人間ではなかったものの、それでも日本の勝利を願って止まない、というより信じていたというのかな……。言わば当時の日本国民としては、ありきたりの立場だったのに対し、完全に左翼の欣ちゃんは、当然ながら元々日本の帝国主義的なあり方については批判的だった訳だから、軽く口論になったんだな。私は彼のその姿勢に対し、軽く非国民……、君らも聞いたことがあるだろうが、その言葉を使って珍しくなじってみせた」

「非国民ですか……。あくまで遠い昔の言葉のようだけど、実際に使ったことのある人がまだ居るんですよね……」

吉村は本人を目の前にしつつ、他人事のような感想を述べた。事実として、その言葉の使用には、西田や吉村との「時代的並行性(作者注・これは私の勝手な造語で、「リアルタイムで」と言うような意味合い)」こそないものの、歴史上の言葉というよりは、実際に使用したことがある人間と共存しているという「同時代性」はあるはずだった。だが、それを前提としても、なかなか実感の湧き辛い言葉であることもまた自明だった。


「君らから見れば大昔のことの様だが、私自身の感覚で言えば、さほど昔の話ではない。人生後半の数十年など、あっという間だからな……。それは君らもよく理解出来るはずだ。……まあそれはさておき、話の続きをすればだ、その発言に対し、温和で冷静な欣ちゃんが珍しく色をなして反論した。こっちとしては、おそらく、倫理的な反戦論を言ってくると思っていたが、そうではなかった」

「そうではなかった?」

西田の合いの手に、

「その通り。欣ちゃんは、もっと現実的且つ論理的に反論して来た」

と答えた。そして、

「あの人は、確かに情緒的、倫理的な部分で左翼の立場ではあったが、一方で知性を元にした現実主義者的な側面も持ち併せていた。だからこそ、当時の日本がどういう状況にあったか、しっかりと把握していたんだな……。つまり日本が、当時の言い方で言えば、支那事変や仏印(いわゆるフランス領インドシナ=ベトナム・ラオス・カンボジアに該当)進駐と真珠湾による日米開戦で、ドイツやイタリアを除く欧米(作者注・正確に言えば、ハンガリー、ルーマニア、スロバキア、ブルガリア、クロアチアなども、日独伊三国同盟に加盟しているので、この表現は正しいとは言えません)と敵対関係になって、一体どうやって国を維持していくのかと、大いに疑問を持っていたという訳だ。戦争するにも資金と物資がいるのだから、経済が疲弊すれば精神論だけで戦うことなど出来ないとな。それに対し、私は『生命線たる満州があるではないか』と言い返したが、満州が欧米との貿易をカバー出来る程の利益は上げられないと、頑として譲らなかった。更にこうも言った。『今の夜郎自大な国民感情と、軍部の暴走ぶりからして、必ず相当の痛手を負うまで、日本は戦いを止められないだろう。そうなれば、多くの若者が兵士として前線に送られ、相当数が命を落とす可能性が高い。自分は人生塞翁が馬とばかりに、この指の怪我が元で召集されることはないが、みっちゃんは召集される可能性が高い。その時、生きて戻ることが出来れば良いが、そうとは限らないだろう。それどころか、むしろ可能性は低いとすら言える。お前にはその覚悟があるのか?』と。この時、今まで見たこともない程の偉い剣幕で詰め寄られたんだな……」

大島はここでいちど目を閉じて会話を中断した。聞いているだけの西田達からはその意味を明確に推測することは出来なかったが、普段の桑野とは違い相当の剣幕だったのだろう。


 その後軽く肩を2、3度揺らすと話を再開する。

「無論、彼なりの政治的主張も本来はあったのだろうが、それを出す必要もない程、無謀な戦争と考えていたんだろう。海外に行ったことはなくても、海外事情については、書物で豊富な知識があったのは間違いないし、日本の実情も理解していたはずだ。とにかく、欣ちゃんが単なる事実関係の羅列で否定して来たので、『こいつは思ったより酷いことになるかもしれない』と、それ以来内心、かなり現実的に敗戦、そして自分自身の死を意識し、同時に覚悟するようになったということだ。……まあ、実際にはこのような、格好の良い激論ではなく、お互いに田舎臭い強い岩手訛だったがね……。」

と、最後は少し笑ってみせたが、すぐに真顔に戻っていた。


※※※※※※※


 既に一度軽く触れておいたが、1930年代の日本経済は、生糸の輸出が主力産業であった。生糸輸出の95%超をアメリカに依存し、得た外貨でアメリカから綿花の50%、石油(製品)の55%、鉄鋼の30%、機械類の30%(いずれも輸入全体額に対しての比率)を輸入していた。


 更にイギリスへは、輸入した綿花などを加工した衣類や綿糸などを輸出し、イギリスから鉄鋼の14%、機械類の28%。イギリス領だったインドから、綿花の40%、ゴムの20%を輸入するなど、輸出入ともに欧米依存が非常に高かった。


 傀儡・満州国建国により、日満経済ブロック体制(盧溝橋事件後は、日満支もしくは日満華経済ブロック)は確立されてはいたが、欧米抜きに成り立つ程の経済基盤には到底なり得なかったのである。


◯輸出入構造

日本(生糸) → 米国(綿花) → 日本(綿製品) → イギリス

米国、イギリス(戦略物資) → 日本



1935年の貿易額


輸出:24億9900万円


中国(満州を含む)

5億7510万3000円

米国

5億3551万5000円

イギリス領インド

2億7563万7000円

インドネシア

1億4304万1000円

イギリス

1億1945万8000円


輸入:24億7200万円


米国

8億964万5000円

イギリス領インド

3億564万5000円

中国

3億5033万8000円

オーストラリア

2億3512万8000円

ドイツ

1億2081万7000円


※※※※※※※


「その話が、あなたの中で非常に印象に残っていたから、桑野さんに成り済ます発想が、瞬間的且つ自然発生的に出たということですか?」

西田に尋ねられると、

「まさしくそういうことだよ、君! 日本は戦争に負け、兵士となった若者がたくさん死ぬという、彼の予言は、聞いたのはあくまでその時限りのものだったが、私にとっては酷く重い予言となって、深く心中に刻まれていた。あの頭脳明晰な欣ちゃんがあれだけ言うのだから、それなりに真実味や現実味があるとしか思えなかったからだ。そして彼は目の前で木っ端微塵となり、私は呆然としていた中で、何故か突然、その記憶が鮮烈に蘇ってきたという訳だ。まさに欣ちゃんが自分に語りかけ……、否、鼓舞するようにな……。『みっちゃん、何を躊躇しているのか! 今、この機会を利用しない手はない! 俺になり代わって逃げろ! そして生き延びろ!』と……」

そう、はるか昔のこととは思えない程、当時を思い起こさせるような迫力ある言い方で、大島は往時を再現して見せた。ここに至って、自らの逃走の責めを桑野欣也に押し付けるという意図は、少なくとも面前の西田と吉村には、微塵も感じられなかった。

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