第213話 名実122 (293~294 桑野欣也と小野寺道利の生い立ち2)
「確かに、あなたや桑野さんについても色々調べ上げたのは事実ですが、『答え合わせ』が必要ですし、やはりわからないこともまだ多々あるのが実情です。是非とも、しっかりと話を伺いたいことに変わりはありません」
西田はそう言い切った。
「君らがそこまで言うのなら、詳細を話すことについて、こちらとしては一切の異存はないがね」
大物政治家は、この時ばかりは「らしい」余裕を見せた。そしてすぐに、
「じゃあ話の続きからだな。……それまで、いくら驕りとは無縁であったとしても、ほぼ完全無欠に近い人生を歩んできた欣ちゃんにとって、大変な衝撃であったことは平凡な私から見ても想像に難くない。翌年の2月になるまで実家に残り、ほとんど家族とも会話せずという状態だった様だ。私も田老の桑野家へと、学校が休みの時には頻繁に遊びに行っていたが、それを取りやめたぐらいだったからな……。まあ、いつまでも実家にいても、学業が疎かになるだけだから、やっとの思いで本人も仙台へと戻っていった様だが……」
と喋りを再開した。
大島の話を聞きながら、2人は神妙な面持ちだった。今以上に障害者にとって厳しい時代だった当時を思えば、桑野欣也の心中は、会ったこともない西田と吉村にも、十分察することが出来る話だったからだ。
「しかしだ。神というものが存在するかしないかはともかく、不条理というものは、残念ながら確実に存在するとしか思えない。おそらく捜査の過程で知っているだろうが、その年(昭和8年=1933年)の3月3日のことだ。まさに大津波が三陸沿岸を襲い、言うまでもなく私と彼の実家をも襲った……。私も大船渡中学に通う為に、大船渡の街中に下宿していたんだが、割と高台にあったので津波の呑まれずに九死に一生を得た。なにしろ夜中だったから、逃げ遅れた人も多くてな……。しかし知っての通り、綾里の実家は壊滅状態で、小野寺の親族一同で生き残ったのは私だけだった。そして仙台に居た欣ちゃんも、自身は無事だったが、田老の実家と家族も含めた一族を失ってしまったという訳だ……」
そこまで言い終わると、大島は当時の心境に思いを馳せたか、しばらく何も言えなくなった。西田達も何か促すということもなかったが、1分経つか経たないかというところで、1つ咳払いをすると、重い口を開いた。
「欣ちゃんが綾里まで様子を見に訪ねて来たのは、確か津波から1週間ぐらいしてからだったか……。私を見つけるなり、家族の安否を聞いてきたが、私が泣きながら状況を伝えると、抱きしめたまま一緒に泣いてくれたことが未だに忘れられんよ……。私も所詮は子どもで、大船渡から何とか綾里へと戻り、あの惨状を目の当たりにして、これから先どうしようかと途方に暮れていたところだったから」
大島はそう言うと、再び言葉に詰まったまましばらく口を閉ざした。
言うまでも無く、対峙する刑事2人も、やはり大島を急かすことは出来ず、ただ黙って話を再開するのを待っていた。しばらく当時を思い起こすように……、というよりは思い出したく無いことが無理やり思い出されていたのか、目を閉じていたが、ゆっくりと目を開き、
「……私も欣ちゃんから話を聞いて、彼もまた、田老と周辺の親族一同と実家を失い、実家の跡に残ったのは、近くの木に引っかかっていた桑野家の網元の人間やヤン衆達が着る
と語った。
この点については、釜石二中で桑野の後輩であった、宮古の天井老人も似たような推測をしていたが、大島は、彼よりは障害が決意に影響した可能性を考えているようだった。いずれにせよ、それぞれの影響度合いについては、やはりはっきりしないが、障害を負ったことと桑野の思想面の両方から、肉体労働者階級に身を
「失礼ですが、小野寺さんの方はどうしたんですか?」
吉村が、いよいよ待ち切れないとばかりに質問すると、
「欣ちゃんが仙台の乾物屋に下宿していた話はさっきしたが、彼がそこを出て行く代わりに、私がそこへ奉公人として入れるように、わざわざ頼み込んでくれたんだな。勿論、ウチの実家とも、わずかだが取引があったこともあったが……。因みに欣ちゃんは、仙台へと進学する際、自分の所持品をかなり持ち込んでいたので、彼にとって重要なモノの大半は、実家と共に流されずに済んだ。釜石二中の卒業証書やらも残ったらしい。彼が出ていくに辺り、必要のないモノは置いていってくれたので、服などは取り敢えずは困らなかった」
と答えた。
「なるほど。しかしあなた自身もまた、働きながらでも学業の方へ復帰という選択肢は当時はなかった?」
西田が念の為尋ねると、
「基本的に私は身体の方は問題ないので、陸軍幼年学校や海軍兵学校など、今の防衛大学校のように、給料まで出るような所に進学し直すという手もなくはなかったが……。私は欣ちゃんのような左翼ではなかったものの、残念ながらそれほど愛国心の塊ということでもなく、むしろ戦争で死ぬのはまっぴらというタイプの人間だったもんだから……。それぐらいなら、別に奉公人でも構わんという思いもあったし、当時はそれ程勉学というモノに魅力を感じていた訳でもないということもあった。だから、乾物屋で働いているのが性に合っていると、ある意味満足していた側面もあった。元々旧制中学に通ったのも、成績的にも経済的にも何とか行けたから行った程度のことだった」
と、当時を思い返して苦笑いを浮かべた。
「その後の桑野さんは、どうしたんですか?」
吉村が興味津々に聞くと、
「色々流浪した末に、海を渡って北海道へと行ったそうだ。そこで炭鉱やら工事の
と、当時を思い返しながらなのだろうか、ゆっくりと答えた。
「しかし、炭鉱や飯場じゃ、両親指のかなりの部分が欠損してたとなると、道具なんかも使いこなすのは、大変苦労したんじゃないですか?」
続けての西田の問いに、
「そりゃツルハシだのスコップだのは、相当握りにくいという話はしていたが、北海道で過酷な職場環境だと、人の出入りも激しく、障害者のような場合でも、ある程度働けるならそれで構わないという状況もあったようだな。まあ、聞く分には、タコ部屋労働に近いような環境の飯場が多く……」
と、そこまで言ったものの、
「君らは、タコ部屋労働というのがどういうものか知っているよな?」
と、不意に思い立ったように確認してきた。
「ええ。勿論知っています」
西田が間髪入れずに返すと、
「そうか。相当厳しい環境ではあったようだが、当時の私には、彼の痩せた容姿以外では、その厳しさは、言葉程はしっかりと伝わっていなかったんだな、残念ながら。私は『そんな不健康な状態なら、こっちに戻ってきたら』と提案してみたが、『労働者階級と共に歩む』と言った様な、相変わらずの主義主張の話になって、こっちとしては、やはりそれ以上何も言い様がない訳だ。ある種の修行僧のような感じだよ、わかりやすく言えば。取り付く島もない」
と答えた。そしてこの時、「当時の私には」と言う発言が、すぐ後に意味を持ってくることは、まだ西田も吉村も気が付いていなかった。
「そうなると、後に砂金掘りの仙崎という人の下で働くまでは、ずっとそんな感じだった訳ですか?」
吉村が話を先に進めようと尋ねた。
「そうそう。そう言えば、君達は証文についても知ってるんだったな、前回の取り調べられた時にも触れていたし……。確か、昭和12(1937)年……頃辺りに、北海道の北の方の飯場で、半ば行き倒れのような状態になっていたところを、その仙崎という人に助けられて、それからある程度健康を取り戻すまで、その人の下で働くようになったはずだ。その後一時期、仙崎さんの所を離れたが、再び昭和……、確か14年頃に、偶然再会して、生田原で砂金を掘っていた仙崎さんの下でまた働き始めたんだったかな……。私も欣ちゃんから聞いただけだから、記憶力には自信があるとは言え、年代の断言は難しいがね」
そこまで聞くと、やはり仙崎という人物に対し、桑野がどう思っていたのか、西田は聞きたくなっていた。
「伊坂政光からも、父である大吉からの伝聞として伝え聞いていますが、仙崎は大変面倒見の良く、人当たりの良い人物だったようですね。桑野さんもそんな話をしていましたか?」
「ああ、その通りだ! 『あの人は命の恩人だ』とも常々言っていた。学も家族もないが、苦労してきただけあって、人への思いやりに優れていたそうだ。『多少口が悪いところはあったが、それが本音ではないこともよくわかっていた』とね。それこそ、私にとっては敵でもあった伊坂も含め、仕事仲間とも楽しくやっていたらしい。私が鴻之舞で一緒に働くようになる前から、手紙でもそんなことが書かれていたよ」
この発言を含め、桑野だけでなく、仙崎もかなりの人望はある人物だったらしい。だからこそ、使用人でしかない桑野や伊坂や北条に、遺した砂金を分けようとしたのだろう。
「それで、佐田実の兄である佐田徹が、証文と共に残した手紙によれば、仙崎は病死し、徹が遺産の分配を取り仕切ったことになっています。この間に免出が高村に殺害され、今度はその敵討ちとばかりに、伊坂と北条が高村を殺害するという、嫌なことも続けて起きてますが、それについては桑野さんから聞いていますか」
吉村が聞くと、
「そう。そこら辺もさすがにしっかりわかってるな……。この点については、欣ちゃんが鴻之舞金山に落ち着いた辺りで、私に寄越した手紙でも、何となくは触れられていたように記憶しているが、一連の経緯や砂金をどうやって探すかなど、詳しいことについては、鴻之舞で一緒に働くようになってから教えてもらった。正直、免出は弟分としてみんなから可愛がられていたので、高村を制裁で2人が殺害したことについて、到底許されないことではあったが、欣ちゃんも『致し方なし』という思いは心の片隅にあったらしい。その後、警察に届け出るのも面倒なことになりそうだということもあって、そのままにした上で、証文だけ作って各自が一度散ることにしたらしい」
と語った。この点については、伊坂政光が大吉から聞いていたのとほぼ同一の状況で、徹の手紙に記されていたこととも一致していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます