第205話 名実114 (271~272 竹下による本橋の心理推測6)

「さて、話を今回の証拠物件自体の件に変えさせてもらいます。御二人は勿論、我々に託した本橋さんにとっても、大変重要なことだと思いますので」

竹下は、それまでの和やかな雰囲気から一転し、2人に真剣な面持ちで喋り掛けた。


「これらの、今日得られた証拠物件は、一連の事件において、相当な物証となるはずですから、瀧川や大島達の取り調べ上は当然のこと、裁判でも証拠として採用されることでしょう。つまり、これらの証拠が、今現在になってどうやって表に出てきたかという点は、本来ならしっかりと説明出来ないとなりません。言うまでも無く、それらの点について、警察や検察、裁判所で、しっかりと裏取りする必要があります。例え声紋分析で、テープの声が瀧川や、おそらく警察の方に取り調べなどでデータとして残っているだろう、本橋さんのものだと立証されてもです」

竹下はそこまで一気に言うと、ゴクリと固唾を飲みこんだ。


 そして、声のトーンを落としつつも、意識的に表情を柔らかくし続ける。

「そうなると、本来であれば、御二人についても、警察の事情聴取に応じる必要があったり、場合によっては裁判上でも、証人として出廷しなくてはならないことも考えられます。しかし、それでは、本橋さんの遺志に明らかに反することになる。つまり、御二人の情報が相手に漏れてしまう可能性が高まります。それでは、これだけの重要証拠を残してくれた本橋さんに、我々、……否、私としても申し訳が立ちません。ですから、私自身は、決して好きなやり方ではありませんが……」

そう口にした頃には、無意識ではあったが、厳しい顔付きに戻っていた。


「この証拠が表に出てきた理由については、私がある情報筋から仕入れたもの、つまり、新聞記者としての特権を用い、『取材源の秘匿』を最大限利用して、黙ったままで、警察に提供するという形にしようかと思っています。正直、繰り返しますが、偽装は好きなやり方ではないんですが……。日本では、証人に危険が及ぶ可能性がある場合の、いわゆる『証人保護プログラム』が整備されていないので、やむを得ないでしょう。仮に私が刑事のままだったとしても、何らかの方法で、お二人が表に出ないで済む様な方策を取ったかとは思いますが、幸運なことに、裏技を正々堂々と主張出来る立場に、今はありますから……。後、これは当たり前過ぎて言う必要はないかと思いますが、念の為。今回の件については、一切口外無しということでお願いします」

伝え終えた時、黒田と久保山には、竹下の覚悟が理解出来たようで、2人の顔付きも真剣そのものだった。


「それは、気を使わせて申し訳ないわ……。幸夫の代わりに礼を言わせてくれや。こっちが黙っていることについては、言うまでもない」

黒田はそう言って頭を下げ、久保山も続いた。


「いいんですよ、御二人が気にする必要はないです。私も、西田の頼みでこっちに派遣よこされましたが、7年という歳月の間、ずっとモヤモヤしていたものが、かなり晴れたんで、大変感謝しているんです、御二人は勿論、ある意味本橋さんにも」

竹下は恐縮した。

「それはこっちの台詞やで、竹下さん! 今でもアイツの非行あやまちは到底許せん。せやけど、あいつが一体何を思っていたのか、考えていたのか、そして、どう後悔していたのか、それが、今日のあんたの説明でわかったような気がするんや。許せずとも、どうしてああなったか、そこが理解出来ただけでもかなり違うのは事実。久保山もそうやろ?」

黒田がそう言うと、

「全くその通りですわ! 兄貴のワシへの心遣いまでわかって、おまけに黒田はんとも、あの拒絶からこうやって会話出来とるんやから、ホンマ良かったと思うとります」

と、久保山も応じた。


「たった1日……、いや丸1日どころか、半日も御一緒した訳じゃないんで、こういうのもなんですが……。本橋さんという、悪い言葉にすれば、稀代の悪人を介して、見ず知らずの御二人と、こういう時間を共有したことは、不思議な感覚で一杯です。『袖すり合うも多生の縁』とは、まさにこういうことかもしれませんね……。こちらこそありがとうございました」

竹下もそう言って、2人にそれぞれ礼をした。


「さて……、この後はどうするんや?」

久保山が改めて尋ねてきたので、

「今日は、もう動き様がないでしょうから、ホテルに戻って、西田に残りの証拠分について報告し、おそらく明日には、これらの証拠物件を、大阪府警に提出するという形になるかと思います。残念ながら、これらの証拠は、あのばしょに戻されることはないかと思いますので、本橋さんには気の毒ですが……。その点はご理解ください」

と答えた。


「それは、復讐を決めた時点で、幸夫も覚悟の上やろ……」

黒田はそう言うと、2、3度首を縦に振った。それを確認すると、久保山はソファから立ち上がって窓の方に行き、外を確認した。

「まだ強い雨が降っとるわ! 竹下はんは、(午前中は)降ってなかったから、傘持って来んかったやろ? ホテルまで送ったるわ! 黒田はんも、そのまま家まで送らせてもらいますよって。で、ホテルの名前は?」

「それはありがたいですね。じゃあご厚意に甘えて……。ジ・エンペラーオブミナミって言うビジネスホテルです」

竹下の言葉を聞いた久保山は、

「マジでそこかいな! ウチの千田せんだ社長が、バブル崩壊で叩き売りされとったのを、数年前に買い取ったとこやないか! ビジネスホテルのくせに、『帝王』みたいな大層な名前で、聞いた瞬間吹き出したもんや!」

と、大袈裟に手を叩いた。


「正直、確かにちょっと大袈裟なネーミングだとは思いましたが、ビジネスホテルにしちゃ、内装がちゃんとしてるんで、バブル期に建てられたというのは納得ですね」

竹下は、久保山の発言を面白がるというよりは、むしろ合点が行ったという感想を持っていた。


「とにかく、新庄に今から玄関まで車用意させるたるわ!」

そう言うと、久保山は新庄に車を出すように連絡を入れた。


 黒田の所に行く際には、近くの駐車場から下の玄関先まで用意されるのに、10分ぐらい掛かったので、今回も同じぐらい掛かると竹下は考えていた。そして、そのぐらい時間が取れるなら、思い切ってあることを久保山に確認してみたくなっていた。急いでメモ帳から切り取った紙片に、何やら書き込んで、久保山に渡し、

「久保山さん、ある意味どうでも良いことでスイマセンが……」

と切り出した。久保山は怪訝な顔をしながらも、受け取った紙片にまず視線をやった。


「本橋さんが、酒席で、久保山さんに、それまで大切に温めていただろう『管鮑組』というネーミングについて文句を言われて、最初は嫌そうにしながらも、名前を変えて提示して見せたって奴は、ひょっとしてこういう名前じゃなかったですか?」

そう言われて、紙に書かれた文字を、おそらくそれまでは、かなり適当に見ていたのだろうが、より凝視した久保山は、一瞬間を置いてから目を見開いた。


「おお! これやこれや! まさにこれや! いやいや! 何であんたが……、あの場に居なかったあんたが! しかも15年以上も前のことやのに!」

と、元ヤクザらしくもなく、中高生のように大騒ぎし出した。それを確認すると、竹下は小さくガッツポーズをした。


「そんなに騒いで何や! 何があったんや?」

黒田が、その様子に渋い顔をしながら、横から紙を覗き込むが、話の経緯も知らず、しかもヤクザ関係のことについては、本橋とは一切話していなかったらしい黒田にとっては、その紙に書かれた言葉の意味が、さっぱり取れなかったのは不思議無かった。久保山もそれをわかっていた。


 そのため、大まかではあったが、本橋が破門になる前に、自分の立ち上げる予定の組に、「管鮑組」と名付けるつもりだったことを教えた。そして、その元となった「管鮑の交わり」の語源、加えて、久保山に酔った勢いで文句を言われ、本橋がその場で、違う組名を作り出してみせたことを、手短だが案外上手くまとめて久保山は説明してみせた。


「ほう……。大体のことはわかったわ。それにしても、何故、当時全く無関係の竹下さんが、久保山ですら記憶に残っとらんもんを知っとったんや? あんたをイタコみたいやと、さっき久保田が言ったもんの、俺から見てもホンマに妙な話やで!」

そう不思議がられた竹下は、

「じゃあ、少ない時間で、しっかりと説明させてもらいますよ」

と告げた。そして、テーブルの前で立ったまま3人は、一度自分の席に座り直した。


※※※※※※※


「まず、管鮑の交わりとは、今、久保山さんも軽く説明していましたが、中国の故事を元にした言葉です。古代中国の政治家であった「管仲」と「鮑叔牙」との、幼いころからの深い友情を元にした言葉です」

そう言いながら、久保山から、自分が走り書きしたメモを再び受け取り、「管仲」「鮑叔牙」とそれぞれ名前を、その裏に漢字で書き込んで、2人にも見えやすいようにテーブルに置いた。


 その上で、

「管仲と鮑叔牙、それぞれの名前の『頭』の漢字を取って並べ、『管鮑の交わり』として、2人の幼い頃からの、友情で深く結び付いた関係性を表したんですね。おそらくは、本橋さんが、幼馴染である黒田さん達との絆への思いを元にして、熟考の末、敢えて選択した名前だったんでしょう。到底、暴力団事務所とは無縁の名前に思われますが、そういう知識のあった、そして旧友との関係を重んじた本橋さんならではの、譲れないネーミングだったんじゃないでしょうか」

と言いつつ、管仲の「管」、鮑叔牙の「鮑」を、それぞれマルで囲って解説してみせた。


「そこまではワシもようわかっとるが、問題は、どうしてこの名前に変えたのかやろ? そこを教えてもらわなアカン」

久保山は、まるで刑事であるかの様に、竹下に詰問してきた。竹下はその急かしにも乗らず、自分のペースで、

「この名前だと推測する様になった前提として、まずは何故、そんな仰々しい『管鮑』という名前に、最初にこだわっていたかについては、今述べました。しかし、逆に言えば、久保山さんに酒席で、ちょっと文句を言われた程度で……、勿論、おそらく本気でこれに変えるつもりはなかったんでしょうが、冗談半分にせよ、簡単に名前を変えてみせたというのは、かなり違和感があるんですよ。繰り返しますが、そんな適当な思いで、こんな、それこそ、アワビみたいな漢字を使った組名を、わざわざ付けるとは思えないですから……」

と、久保山が当時抱いた感想に乗った形で疑問を呈した。


「それだけじゃあ、この名前が出て来た理由がようわからんわい!」

一方の黒田も、紙と竹下の方を交互に見ながら、そう言って痺れを切らしたような言い方をした。久保山も同調して頷いた。


「まあ落ち着いてくださいよ」

竹下はニヤつきを何とか抑えつつ、若干焦らそうかと思ったが、そう長々と説明する程の時間もないと思い直し、

「午前中、久保山さんから、そういう組の名前についての経緯や、本橋さんとのエピソードを聞きました。更に午後からは、黒田さんも加わり、御二人と一緒にいて、本橋さんの生い立ちや子供時代、性格、考え方をより深く知る……、というより表面上をなぞった程度ですから、それでわかった様なことを言うのは、大変失礼かもしれませんが、ある程度は理解出来て、改めてわかったんです」

と語った。

「せやから、何故わかったんや!」

久保山は、早く理由を知りたいのか、かなり苛立ち気味だった。せっかち、否、関西では「イラチ」という典型例のような性格を隠さなかった。


 竹下は、まあまあと言うジェスチャーをしながら、

「黒田さんが、実家の売れ残りの菓子パンを本橋さんに提供する流れで、本橋さんは黒田さんを『タダノ』と呼び、黒田さんは本橋さんを『フク』と呼んでいたそうですね? パンを『ただの売れ残りや』と言いながら、遠慮するなとばかりに黒田さんが差し出し、それを本橋さんが『残り物には福がある』と言いながら、喜んで受け取っていたという話から来たネーミングだそうで……。ヤクザになった後でも、久保山さんの前では、『残り物には福がある』という言葉を好んで使っていたとも、久保山さんから聞きました。苦境にあった当時の本橋さんにとって、非常に大きな助けになったことは言うまでも無く、管鮑の交わりの語源であるエピソードを考慮しても、『管鮑組』という名前は、特に黒田さんへの恩義のこもったネーミングだったと思います」

と返した。


「それはそれでエエとして、そこまで聞いても、まだこの名前になった理由がさっぱり見えてこんな……」

黒田は首を捻るばかりだった。一方の久保山も相変わらずで、答えがまだ見えてこないことに苛ついて、無意識だろうが舌打ちしていた。悪意はないのだろうが、人にモノを聞くという態度ではなかった。多少、元ヤクザの地が出てしまったのだろう。

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