第201話 名実110 (260~261 竹下による本橋の心理推測2)

「勿論、その当時は、あくまで、いざという時の『保険』……、この場合、言うまでも無く、瀧川や大島側にとっての保険ですが、その程度の意味しかなかったと思います。何しろ、肝心の佐田実の遺体が、まだ発見されていなかった以上、佐田の失踪を、警察側が殺人と断定する具体的根拠は、存在していませんでしたからね、あくまでその時点では」

竹下は、最後の言葉を強調した上で、

「ところが、さっき自分が電話連絡していた、西田という上司の刑事が、ある部下の突飛な発想を元にして、佐田の遺体がある場所を推理しました。そして見事に、行方不明から8年ぶりに、佐田の遺体を発見することに成功したんです」

と、やや大袈裟に言った。とは言っても、佐田の遺体が「辺境の墓標」に移されているというのは、簡単に思い浮かぶことではなかったのも事実だ。実際、竹下も全く想像出来ない隠し場所だった。


「そしてそれにより、佐田が殺害されていたことが、95年9月の頭には、表沙汰となりました。こうなってくると、言うまでもなく、その87年の失踪の際に、捜査妨害をしたことのある大島自身にも、徐々に火の粉が被る様になって来る可能性が高くなります。それ以外にも、95年の一連の捜査で、奴は介入して邪魔している訳ですから、尚更ですよ。そこで、あくまで保険だったはずのことを、死刑が確定して、もう死ぬしかなくなった本橋さんに実行させようと、大島やおそらく瀧川が協力して、いよいよ本格的に動き出したんだと思います。つまり、本橋さんに、これまで関わった殺人事件について、関与がわかっているモノは当然、誰が殺害したかわからなかった佐田の件についても、本橋さんが関与したと、洗いざらい自供しろという命令です。但し、大島海路や瀧川が絡んだことは、あくまで伏せた上での、不完全な『洗いざらい』です。他の、佐田殺害に直接関わった連中は、もう死亡しているのですから、本橋さんが、事件について、大元の指示を伊坂に押し付けた形で自供すれば、死に行く本橋さん含め、死者に全部押し付けることが可能となり、そこで事件は、一応一件落着ということです。その後は、何も無ければ捜査されることもないですからね。まあ、その『何も無ければ』が、本橋さんの今回の作戦で、見事覆されることになる訳ですけど……」


 そう一気に続けた竹下の後、

「それが、あの唐突な自白だったってことやね?」

と、黒田が確認してきたので、竹下は強く頷いた。そして、

「とにかくこれにより、すべての事件について、形式上は『解決』、もしくは細かい部分で未解決な箇所はあるが、本橋さんが必要以上に全く語らないことと、死刑になること、つまり『死人に口なし』ということで、完結してしまうという方向に行く訳です。結局のところ、大島や瀧川は、本橋さんにこれまで事件について黙らせておきながら、死刑が決まってからは、その死を利用して、自分達の佐田殺害への関与を、本橋さんの不完全な自供により、確実に無かったことにしようとした、こういうことです。そしておそらく、そのやり方に対し、これまで、瀧川への借りや恩義で指示に従っていた本橋さんが、初めて、そして密かに本気で逆上した。何しろ、その指示には、『どうせ死ぬんだから、お前の関与については喋った上で、俺達の関与は無かった様に証言して死ね』という、実に自己中心的な意味が含まれているのですから……。それまでも、一切について黙っていた本橋さんにとっては、今更になって酷い仕打ちと言えるはずです。一方で、その場では、その指示を受け入れた様に見せかけ、実際に指示通りに白状したという訳です」

と説明した。


「そのことで、一方の、無実を信じとった黒田はんは、裏切られたと怒ったわけや」

久保山がそう言うと、

「ああ、あん時は酷くショックを受けたもんや……」

と、黒田も当時を振り返った。


「しかし、本橋さんは、おそらくこの時点で、既に復讐を考えていた。おそらく当初は、墓にあった手紙に書かれていた様に、久保山さんに、復讐としての暴露・告発を手伝ってもらうつもりだったのでしょう。そして、その計画が実際に動き出すのは、自分自身の、佐田実殺害の起訴から判決までの期間による時効延長が確定し、その分を考慮した2002年の10月頭辺りからと決めていた……。捜査や起訴にギリギリで間に合う形の、時効の数ヶ月手前で発覚させて、安心し切っていた連中を絶望の淵に叩き落とすと言う、年単位の時間差で発動する恐ろしい復讐劇を思い付いていたと思います。その為に、あの時点では、指示に従う素振りを見せたんでしょう」

竹下はそう言い切ると、2人は何とも言えない表情を浮かべた。


「ところが、新たな殺人事件の自供を受けて、我々が、北海道からわざわざ大阪に取り調べに乗り込んで来たことで、事情が多少変化したと見ています。そして、我々による本橋さんに対しての、大阪やその後の北海道での取り調べ過程で、大阪の捜査員とは着眼点が多少違っていたことや、不自然な自供のタイミングの理由に、大きな意味があると疑っていたことを認識したと思われます。それで、本橋さんはそれまでの方針……、つまりですが、暴露を久保山さんに任せるという方針を転換し、『こいつ等なら何とかなるか』と、我々に任せようとしたと考えています。そしてその結果が、今我々が見て、聞いていることではないでしょうか。因みに、本橋さんを北海道で取り調べていた当時、我々に、本橋さんが余計な自供を促されたことを暗示するような……、非常にわかりづらかったのですが、そんな発言をしていました。それは、今になってみれば、我々の捜査に対する関心を引き止める意味もあったのかなと思っています。或いは復讐の理由の端緒を見せたのかもしれませんが……」

言うまでもなく、「余計な自供を促されたことの暗示」とは、名探偵ホームズの「ノーウッドの建築業者」事件と絡めた発言のことだった。


 ここまで竹下に解説されると、久保山が、

「あんたの言いたいことは、つまり、瀧川達が余計なことをせんかったら、兄貴は黙って死んでいった、そういうことやな?」

と確認してきたので、竹下は、

「おそらくはそうじゃないかと……。本橋さんは、その復讐に、理由がどんなものかは、91年春当時は、全く想像すらしていなかったが、将来、事件を万が一の際に表沙汰にする為に必要と『も』考え、日向子さんの墓に入れて置いた、電話での会話録音や日記を、証拠として利用することを思い付いた……、否、改めて利用することにしたという方が正確ですか」

と付け加えた。ただ、竹下が「も」に力点を置いていた理由は、聞いていた2人にはまだ理解出来ていなかったが、それは仕方ない。


「やっぱり、最初からそんなもんを埋めとくっちゅうことは、利用することがあって欲しくないと思いつつ、後から利用する可能性を考慮しとったんやろうなあ……」

黒田はそう言うと、旧友の心中を慮ったかため息を吐いた。

対する竹下は、それを受けて、

「勿論、全く利用するつもりが無かったってことではないでしょう。ただ、あくまで……、あくまで、これも何かあった時の為の、本橋さんにとっての保険に過ぎなかったのも確かなはずです。そのことが、久保山さんに宛てられた、墓の中にあった手紙の冒頭の『万が一』という言葉に集約されていると思います。その万が一が、具体的に何なのかも、繰り返しになりますが、本橋さんはその時点では想像出来ていなかったのは、文面通りで確かでしょう」

と返した。


「なるほど。瀧川や兄貴にとっての、お互いの『保険』としての切り札を、時間差で切り合う展開になったんやな。瀧川が先に切って、そして今、兄貴の切り札が今こうして切られていると」

久保山は、我が意を得たりという表情で言った。


「ええ。ただ、本橋さんは、最後の切り札としての保険の意味ではなく、本来はもっと別の目的で、このテープやノートを埋めていて、保険としての役割は、元々は、あくまで付随的な意味しか持っていなかったと、『万が一』の言葉以外からも考えているんです。たまたま、その保険が発動してしまったが故、今、その部分だけがクローズアップされてしまっていますが」


 竹下の、この回りくどい言い回しに、黒田は、

「そこんとこ、そんな面倒な言い方やのうて、もっとわかりやすく説明して欲しいわ」

と、半ば愚痴りながらも平易な解説を要求してきたので、

「じゃあご希望に沿って」

竹下はそう言いながら、にこやかに応じ、ゆっくりと喋り始めた。


※※※※※※※


「日向子さんの墓を開けた時、そこにいきなり骨壷があったので、大変驚いたんです。日向子さんの分が在るのは、そりゃ当たり前としても、もう一方にも、正直、一瞬とは言え、遺骨か何か入ってるのではと……。しかし、入っていたのは、久保山さんへの手紙……、言うまでもなく、これは、万が一の事態にしか役立たない説明や依頼が記載されていましたが、それと録音テープとノートだけでした」

「ちょっと待ってや! 手紙だけやのうて、これらは『保険の事態にしか役立たない』もんやないのか?」

久保山は、前のめりになって、テープやノートを指しながら竹下に尋ねた。


「確かに、一見そう見えるかもしれません。しかし、自分は2つの点で気になりました。まずは、これらが入っていたのが、骨壷だということです。何故骨壷なのか……」

「それは、墓の中に入れるもんやから、バレにくいと思ったんやないか?」

黒田は、ありがちでもっともな説明をしてみせた。


「それは、確かにそのまま考えれば、そうおかしな話ではないでしょう。しかし、天涯孤独な人の墓に、骨壷が2つ入っているということ自体が、墓を開けた時点で既に『違和感』を覚えさせるとすれば、大した隠蔽にはならないような気がするんです。そもそも、何か隠されているとして、それを探すために、墓を開けられてしまった時点で、その偽装は、結局は余り意味がないですよね? その程度の隠蔽工作なら? しかも、明らかに大きさやデザインの違う骨壷ですからね。ある意味、逆に目を引くことすら考えられる。実際、本橋さんは、自分の方の骨壷に、何かわかりやすい細工はしていなかったはずです。そこに骨壷が2つあれば、小さい方が怪しいと、わかってくれると考えていたんでしょう」

竹下がそう説明すると、

「さすがにちょっと考え過ぎやないか?」

と、久保山は疑問を口にした。


「勿論、そういう感想を抱いたとしても、それはおかしいとは思いませんが、私はそう確信しています」

竹下はそう言うと、口の渇きを潤すため、少し冷めた肝吸いを、まだうな重が残っているのに飲み干した。


「でも、もう1つ気になることがありました。それは、黒田さんが、さっき墓前で語っていたことです。本橋さんが、既に連続殺人に手を染めていた頃、『日向子さんの墓に入っても良いか』と黒田さんに尋ね、その際に、黒田さんは、『堅気になった今ならいい』と伝えたという話です」

「それがどうかしたんか?」

黒田は、その発言を聞いて、如何にも「意味がわからん」という風に質問すると、

「その言葉は、本橋さんにとって、非常に重い言葉になったと思いませんか?」

と竹下は返した。


「……まあ、よく考えれば、せやろな……。あの時点で、既に人を殺めていたんやから……」

黒田は肘を膝に立て、さらに頬杖を付きながら目を瞑ると、そう言ったまま何とも言えない表情になった。と言っても、先程の望洋墓苑で、黒田が以前にしたという、「堅気であれば、遺骨を墓地へ埋葬することを許可する」という発言に対し、当時の本橋が、「思う所があった」かもしれないと、自身で振り返っていたのだから、かなり前から、自分の言葉が「重い言葉になった」という自覚は、少なからずあったはずだ。


 ただ、竹下は敢えてそれに言及すること無く、

「ええ、間違いなく重い言葉だったと思います。つまり、本橋さんがそれを聞いた時、日向子さんに対し、恋愛感情なのか……、それとも、男女の仲を超越した旧友としての意識なのか……、果たしてどういう感情を抱いていたかは、今日話を聞いたばかりの自分には、定かではありませんが、『共に墓に入る資格はない』と、改めて痛感させられた、そうだったんじゃないでしょうか」

と言って、竹下は、黒田をちらりと見やりながら、捉えようによっては、傷口に塩を塗り込むような形の言い方をした。逆に言えば、黒田のその時の本橋への言葉は、筋自体は通っていると、竹下が踏んでいたが故、否定的な要素も指摘した発言でもあった。その上で

「おそらくですが、本橋さんが、死刑後に献体を望んだのも、そういう影響があったんじゃないか、そういう気がします」

と添えた。これらの発言の際、竹下自身は、おそらく本橋の日向子に抱いていた感情は、恋愛感情そのものか、少なくとも恋愛感情に近いものだろうという確信があり、黒田もそう考えていたとは思っていたが、この時ばかりは、意図的にぼかしていた。


「俺の何気ない一言が、幸夫にそこまでさせたとすれば、何とも悪いことをしたんやろか……」

黒田は、本橋の連続殺人という犯罪自体については、旧友とは言え、決して許す態度はこれまで見せていなかったが、やはり、それとは別に、旧友であり親友の本橋を思う気持ちには、強いものを持っている様だ。


「否、それは違うと思いますよ。これまで見てきた通り、本橋さんは、それまではヤクザの論理で過ちを犯していたとは言え、さすがに、その過ちが人の道に反していることを、改めて悔いていたはずです。今のは、それを踏まえた上での話です。勿論、黒田さんの言ったことは、間違いでも何でもない、正しいことです。それを気に病む必要は微塵もありません! その上で、本橋さんが考えさせられたのならば、それは仕方ないことでしょう」

竹下は、黒田の方を真っ直ぐに向き、そうきっぱりと伝えたが、

「それを前提にして考えると、骨壷と併せ、これらの証拠物は、本橋さんにとって、ある意味、自分の遺骨の代わりだったんじゃないか、そんな気がしてならないんです。献体では、遺骨は戻されませんからね」

と続けて説明した。


 この竹下の推論に、

「つまり、これらを日向子の墓に埋葬した時点で、幸夫はもう献体を考えていた、そういうことやな?」

と、黒田は自分の考えの正否を尋ねた。

「多分そうじゃないかと……。本橋さんは、警察に捕まると同時に、瀧川への忠誠心のアピールの為、自白もせず、自分は無実だと訴えながら、結果的には裁判で有罪になり、罪の責任は取るという、かなり面倒な過程を踏むことを考えていた訳です。常識的に考えれば、責任の取り方は、判決や検察の求刑含め、結局は死刑以外あり得ません。勿論、自身もそう認識していたことは、日記からもわかります。ですから、逮捕直前に、日向子さんの墓へ、自分の骨は入っていないとは言え、テープやノートを骨壷を用いて、共に埋葬しておいた。その骨壷は、強い覚悟、つまり、現世でのあらゆるものを背負って死に逝く決意をしていたことの表れだったんじゃないでしょうか? そして、それこそが、自分がさっき言ったように、復讐劇を具体的に決意した時期は、新聞記者がコンタクトして来た、死刑確定前後という根拠にもなっています。捕まる直前に、そこまでの決意をしていたのに、単なる拘置所での時間経過程度で、それが揺らぐとは思えない。まして本橋さんの性格なら尚更です!」

竹下は、いつの間にか強い口調で断言していた。

「なるほど……。竹下はんの考えで、確かに筋は通るわ」

久保山もそう言って納得していた。


「そうなると結局、幸夫が日向子の墓に、テープやらノートを埋めたのは、本来は自分の遺骨の身代わりとして埋めることが、まず最初の目的やったってことになるんやね。そして、それがたまたま、万が一の際の保険代わりにもなると」

黒田はそう理解したが、それに対し竹下は、

「ほぼそれで良いとは思います。……ただ、実のところ、それでも、まだちょっと足りないと言うか、説明不足のような気がするんです」

と、更に異を唱えた。


「何や! それが最終的な答えやないんか!?」」

久保山は、驚きよりも、「面倒なやっちゃ」という空気を、露骨に出してしまっていたが、竹下はそんなことで黙るような人間ではない。

「ええ、あります」

と、飄々として返した。

「そこもちゃんと、俺らに説明してや」

一方の黒田は、今度は対照的に静かに、竹下に説明を請うた。


「自分の遺体は献体に処すから、遺骨の代わりとして骨壷に、自分が犯した犯罪の証拠となるテープやノートを入れた……。かなり奇妙だと思いませんか? 通常なら、最低でも、自身の直接的な形見や遺品の様なものは絶対に入れておく、そういう発想になると思いますよ。当然、事件の告発という役割も、僅かながら一応はありましたから、テープやノート以外にも、という方が正確でしょうが」

「ああ、言われてみれば……。せやね」

久保山も先程までの様子と違って、新たな疑問が生まれた様な表情を浮かべた。


 ただ、こういう発言をしていながらも、実は竹下自身が、直前までその意味、つまり証拠物件しか骨壷に入っていなかった意味を、よく理解出来ていなかったのだ。しかし、2人に説明している内に頭の中でしっかりと整理が進み、答えがはっきりとした輪郭を伴い、脳内に浮かび始めていた。だからこそ、このような面倒な説明過程になっていたとも言えた。


「他に入れると、骨壷が一杯になるとか、そんなとこやないの?」

黒田は、反射的に思い付いた考えを竹下相手に披露したが、

「そういう側面は、確かに絶対にあり得ないとは言えないでしょう。しかし、入れようと思えば入れられると思いますが……。そもそも、もし大きさが足りないなら、大きな骨壷か、骨壷の数を増やしても良い訳ですから」

と返された。これはもっともな話で、黒田自身も、

「うーん」

と言ったまま、返す言葉を失っていた。

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