第190話 名実99 (236~238 タダノこと黒田登場)
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現・横浜DeNAベイスターズは、その前々身を大洋ホエールズという、水産会社のマルハニチロが保有していた球団であったことは、一定より上の年代からは周知の事実である。
一方、球団が設立当初の1950年の1年、山口県下関市をホームグラウンドとしていたことや、1953から1954年に掛けて、当時の松竹ロビンスと合併して、1953年に大洋松竹ロビンス、翌年が洋松ロビンスとして、主催ゲームを大阪球場で行っていたことがあることを知る人は極端に少ない。
大洋ホエールズは、下関市、大阪市、川崎市と、めまぐるしくフランチャイズを移転していたのである。
そして1978年に、今の横浜スタジアムをフランチャイズとする形になり、正式名称を横浜大洋ホエールズと変え、横浜の市民球団としての性格を帯びていった。
1993年には、企業名を抜いて名称を横浜ベイスターズに改称。その後は2002年に親会社をTBSに移し、更に2011年末に親会社がDeNAになり、現在に至る。
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「そうだったんですか。確かに知らなかったですね、そういうことがあったってのは」
竹下は特別野球ファンというわけではなかったが、プロ野球の基礎的な知識は、世代的に当然持っていた。だが、そんな竹下でも、久保山の話は全く聞いたことのないものだった。
「そんで、
この時ばかりは、やや得意げに語った久保山に、竹下もまた
「なるほど」
と、事情を深く理解した。
その後、久保山の下で直接働いているという、新庄という若者の運転するベンツで、ミナミの千田金融から河内長野へと向かうことになった。車に乗る前に、竹下は西田に経過報告を入れようとしたが、出られない状態らしく、留守電にその旨のメッセージを入れるに留めた。
そして、河内長野への道中、久保山は、自身の身の上や本橋との関係について、色々と自分語りをしていた。
特に家庭に問題はなかったが、中学での長期入院以降落ちこぼれて不良化し、ヤクザに拾われたということだった。そして、殺人未遂で収監されてからの出所後には、本橋の尽力により、千田金融で仕事を得て、債権の取り立てとして頭角を発揮し、今に至るようだった。
結婚も考えたことはあったようだが、自分の前歴を考えると、子どもが可愛そうということで、躊躇したまま独身を貫いているらしい。もっとも女関係の方は、話を聞く分にはお盛んなようだったが、竹下は特に興味もなかったので、適当にやり過ごしていた。本橋は女嫌いというわけではなかったが、割と1人の女性と長く付き合うタイプで、それでありながら結婚はしなかったらしい。
また、自分への手紙の本文は勿論、暗号文含め、黒田という名前は一切出さず、極一部の間でしか通用しない「タダノ」というあだ名を用いていたため、本橋が相当隠したかった名前と久保山は考えていたとのこと。実際に竹下や西田が現れても、直接会わせるようなことは、当初しないつもりだったという。
しかし、久保山が一切知らないことを竹下から聞かれたので、これは黒田本人に会わせることを、本橋は必要だと考えていたと察し、「一応会わせる」ことを口にした。しかし、その時点では、直接会わせて良いのか、未だ半信半疑であったことを白状した。その上で、竹下達に宛てた手紙の、竹下による暗号解読の説明を以って初めて、間違いなく、本橋は竹下達に黒田に会わせることを希望していたのだと確信したという。
どの程度、竹下達が本橋と取り調べで関わったのか、久保山が知る由もなかったが、本橋からは、「取り調べを通じ、かなり信頼されていたのではないか」と、久保山は竹下に尋ねた。
だが、それに対して、竹下達が直接話した時間は、正味5時間も無いと聞き、驚くというよりは、むしろ信じられないという態度を隠さなかった。そして、やや不機嫌になったか、しばらく黙り込み、
「その程度の奴より信用がなかったんか……」
と、おそらく竹下に聞こえない独り言のつもりで、しかし実際には何とか聞き取れるレベルで、落胆したかのような言葉を吐いた。
その意味は、はっきりと即座に理解出来た訳ではなかった。しかし、久保山に伝える際にすら、徹底してあだ名として伏せていた黒田に、部外者である竹下達を、あっさり会わせることを本橋が望んでいたと感じて、ある種の嫉妬をしたからではないか? そんなことを竹下は車中で考えていた。何しろ、久保山にとって、本橋は男として惚れた相手だったわけだから。
そんなこんなで、40分程乗車していると、河内長野市に入った。人口は2000年で12万人超(作者注・2016年現在10万6千程)の市である。歴史も古い地域の為、数多くの寺社が存在し、一帯は楠木正成を始めとする、楠木氏の領地でもあった。国宝や重要文化財の類に恵まれた市としても知られている。
大阪府内ではあるが、自然も大変豊かである。一方で、大阪市や堺市のベッドタウンとしての側面も持っており、都市と自然の融合した自治体とも言えよう。
そして、時間帯が丁度正午直前だったので、昼食を摂ってから、黒田の店に向かうことにした。特に何が食べたいということは、3人とも無かったので、たまたま目に付いた蕎麦屋に入り、竹下は天ぷらそばを堪能した。
一息入れた後店を出て、南海電鉄・河内長野駅近くの商店街の辺りで、久保山は車を停めさせた。
「ここや! おそらくワシが行かん方が良いから、竹下はん1人で頼むわ」
その発言で、竹下が歩道沿いを見やると、目的の「黒田ベーカリー」があった。正直、こじんまりとした店を想像していたが、思ったより大きな店だった。外からだが、パン職人やコックがよく被っているような、白色の山高帽のような帽子を被った店員か職人が、3名ほど店内をうろちょろしているのがウインドウから垣間見えた。
定休日は平日で、日曜も営業しているはずだとは、久保山から聞いていたが、多少不安はあったものの、言う通りに営業していた。日曜はパンで簡単に朝食や昼食、或いはブランチを済ませるという家庭も多いのだろう。
2代目とは言え、日本でのパン文化の完全な普及時期と、本橋との同級生であると言う点からの年齢を考えれば、そこそこの老舗と見て良さそうだ。丁度昼過ぎだったこともあり、客もかなり入っているようだった。
「見えてるあの中に、黒田さん居ますか?」
そう久保山に問うと、
「いやあ、ここからは見る限りは居らんな……。多分奥の調理場ちゅうか工房? に居るんやないか?」
と答えた。それを聞くと竹下は、
「わかりました。じゃ、自分が店員に聞いてきます」
と言って車から出て、スッと自動ドアから店内へと入った。
「いらっしゃいませ」
挨拶してきた若い女性の店員に、
「すいません、オーナー? の黒田さんいらっしゃいますか?」
と尋ねる。
「はあ……。奥の工場の方に」
如何にも怪しげに竹下を見つめてきたので、自分の名刺を差し出し、
「ちょっと取材させていただきたいんですよ」
と相手を納得させようとした。受け取りしばらく眺めていたが、さすがに新聞記者名義の名刺まで出されたせいか、
「分かりました……。ちょっと聞いてきます」
と、女性店員は奥の方へと消えた。
その間、竹下は店内を見回していたが、軽い喫茶スペースまで用意されており、数人の女性客がそこでコーヒーだか紅茶だかを飲みながら、菓子パンを食べていた。時間的に昼食代わりの軽食でも摂っているのだろう。店自体も小奇麗で、パンの種類もかなり多いようだし、地元民らしき客もひっきりなしに入ってきていた。
そうこうしているうちに店員が戻ってきて、
「すみません……。北海道の新聞社は一切聞いたことが無いし、事前の連絡も受けていないので、会わないと……」
と、気不味そうに伝えてきた。
「え? そうですか……。困ったな……」
竹下は、さすがに名刺まで出して断られると想定していなかったので、どうしていいか一瞬迷ったが、何時までも店内でただ突っ立ってるわけにもいかず、一旦車に戻ることにした。
「どないした? 居らんかった?」
車内に戻ると、早速久保山から事情を聞かれたが、
「いや、居たことは居たみたいなんですが、『約束してない奴とは会わん』みたいなことを伝えるように言われたみたいで……」
と返すしかなかった。それを聞くや否や、久保山はゆっくりと上半身を
「しゃあないな……。俺がちょっと話付けてくるか」
と言うと、車から出ていった。
竹下としては、さっき聞いた黒田と久保山の経緯を聞く限り、反って状況を悪化させるのではないかと、内心ヒヤヒヤしていた。それぐらいだったら、今日は諦めて、連絡をしてから出直して来る方がマシだと思ったのだ。
そういうこともあり、竹下は店内に先に入った久保山の後を追った。すると、既に女性店員に何かを伝え、女性店員は再び奥へと消えようとしていた。
「久保山さん、何言ったんですか?」
「ああ、単に『久保山が来たと伝えてくれ』言うただけや」
心配する竹下に、そう悪びれもせずに答えた。
「『もう来るな』と言われたんでしょ、でも?」
「竹下はんも案外アホやな。どうせあんたでも、今日は会ってくれないことは確実なわけやろ? だったら、『会いに来るんやない!』と言われた男が会いに来た方が、文句言いに出てくる可能性の方があるやろ?」
この徹底したポジティブさを見習うべきか見習わないべきか、竹下は何とも言えない気持ちになったが、久保山のやり方が正解だったと気付くのに、それから30秒も掛からなかった。
「ちょっと店の外の裏に来いや」
奥から出てくるなり、2人相手に客や従業員の手前、怒りを押し殺したかのように低く告げた男は、着ているモノからは、完全にパン屋のそれであったが、顔面はかなり厳つい、ある意味久保山より強面の屈強な、50過ぎと思われる中年男性だった。着ているものが違えば、ラーメン屋の頑固店主と言ったところだろうか。2人は、そのまま黒田の後に付いて、店の横にある小さな駐車スペースを抜けて、通りから全く見えない店の裏側に回った。
するといきなり、
「あん時、ワレに『二度と来ないでくれ』と言ったはずやんけ!」
と、大声こそ上げなかったが、河内弁を前面に、強面を更に怖くして、最初に久保山、そして次に竹下に向けて交互に顔を近付けた。
「黒田はん! それは重々承知しとりますが、今日はどうしても、黒田はんに会わせておかないとならん人を連れてきたんですわ。せめて、今日だけは許してもらえんやろか?」
久保山が柄にもなく丁重に頭を下げると、
「ワレか? さっき新聞記者だとか言っとった奴は?」
と竹下を睨みつけた。やや引き気味だった竹下も、さすがに刑事時代を思い出したか、この程度で怯んではいられないと、
「そうです。先程は失礼しました。北海道新報というところの記者の竹下と申します」
と、改めて名刺を取り出して渡そうとした。
しかし、それを軽く払いのけるようにして、
「新聞記者と一緒に来たということは、(本橋)幸夫のことについてやんけ?」
と久保山に確認してきた。
「ええ。勿論そうですわ」
久保山が言ったのに併せ、
「是非、聞かせていただきたいことがあって、北海道からやって来ました」
と竹下も伝えた。が、最後まで聴き終えない内に、
「もう死んだ幸夫とは完全に縁は切れとる! あいつは俺や古くからの仲間を裏切った! あいつの無実をどんだけ願っていたか、
と、この時ばかりは、我慢しきれなかったか、怒鳴る様に声を張り上げた。
久保山から聞いていた通り、本橋が無実を訴えていたことを翻意して自供したことが、かなりの裏切り行為として感じられている様だ。さすがに、これ以上怒りを覚えさせても、ロクなことにはならないのは自明だ。竹下は一言、
「わかりました。ただ、確認させていただきたいことが2点程あり、それについての返答をいただければ、すぐに退散しますので、ご協力いただけませんか?」
と頼んだ。
「何や! その聴きたいことってのは!」
正直、それすら断られるかと思ったので、竹下は少し安堵していた。
「本橋さんから、本橋さんが犯した事件の真相を聞けと言われまして。キーワードがロッコウとヒナコだとも」
そう端的に伝えた。
「真相? ロッコウとヒナコやと?」
黒田の口調からすると、一瞬知らないのかと落胆させられた竹下だったが、
「そないなこと、
と、先程までとはトーンが違う尋ね方をされた。
「実は、つい先日、死刑になった本橋さんから手紙が届きまして」
言い終わる前に、
「先日やと!? どないなっとんのや!」
と、明らかに動揺している節が見えた。
「黒田はん。それについては、実はワシが、兄貴の死刑直後、兄貴から手紙を預かることになりまして、兄貴の言いつけ通り、今年の9月の末になってから、この人らに送ったんですわ。前回、5年前やったか、黒田はんに挨拶に来たんは、そのこともあったんやけど、物の見事に追い返されたさかい……」
久保山が事情を説明すると、
「……ああ、せやったな……」
そう言って、しばらく考え込む様に腕を組んで、2人に背を向けていた。だが、やおら振り返ると、
「真相も何も、俺はあいつの無実をずっと信じとって、それが裏切られたんやから、こっちが教えて欲しいぐらいや! ……ただ、ヒナコってのは、俺や幸夫と小中で一緒やった、幼馴染の女のことで、ロッコウというのは、そいつが眠っとる、神戸のロッコウボウヨウボエンのことやと思うわ……」
と語り出した。
「ロッコウは六甲山、ボエンということは、墓地の墓苑でしょうか!?」
竹下が驚き改めて尋ねると、
「せや……。
あたかも過ぎた年月を数えるかのように、ゆっくりと答えた。
ロッコウが、六甲山を意味する言葉の可能性は、竹下も十分考慮していたが、ヒナコが既に死亡していたというのは、全く想定していなかったので、竹下も非常に困惑した。
ただ、黒田の言葉を受けて、「真相はタダノ(黒田)に聞け キーワードは六甲とヒナコやから」という暗号文の本当の意味は、キーワードに対する黒田の答えから出てくる、ヒナコの墓に何か真相を伝えるモノがあり、それで真相がわかるという意味だと、ここに来て初めて理解した。黒田が真相そのものを知っているわけではなかったのだ。そして、辺境の墓標の時と同様、本橋は墓に何か隠している可能性が高くなったと、竹下は既に先のことを考え始めていた。
横の久保山も、思いもかけない展開に戸惑いを感じていたようだったが、
「兄貴からヒナコちゅう
とだけ喋ると、
「俺の知らんところでも、そないな感じやったんか……。俺も幸夫には、『俺がお前と今でも付き合っとるのは、ヤクザとして認めてる訳やのうて、昔からの幼馴染の幸夫として見とるからや。お前もそのことは絶対忘れたらあかん』と口酸っぱくして言いよったからな……。昔の俺達との良い思い出を、あんたには悪いが、ヤクザもんには、よう語れんかったのかもしれん。あんたと幸夫と俺が一緒の時は、俺に気を使って確実にそうやったとは思うが……」
一言一言噛みしめるように、黒田は述懐した。
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