第124話 名実33 (71~72)
◯調査対象試料
1)紙に染みこんだ血液 2点(共に同じ人物と推定)
2)布に染みこんだ血液
3)唾液
◯希望調査内容
1~3までの血液に含まれるミトコンドリアDNAが一致するかどうか
※※※※※※※
書き終えた西田が、末広に紙を手渡すと、末広はさっと眺めて、
「あれ? まさか血痕中のmtDNAを調べろって話なんですか?」
と素っ頓狂な顔をしてみせた。
「エムティーDNA?」
西田も負けずに、いやそういう意図は微塵もなかったが、同様に素っ頓狂な表情をした。
「言い換えるなら、ミトコンドリアのDNAのことですよ。それだけでいいんですか? 」
「それだけでいいってのは?」
発言の意図がわからず、西田はまた問い返した。
「てっきり、血液の人体DNAそのものが一致するかどうかが問題の話かと思ったら、血液中のミトコンドリアだけでいいんですか……。石田さんから聞いた話じゃ、血痕のDNAのってことだったんだけど……。それなら、現物見てないですが、経年数考えても、95パーぐらいの確率で一致は見いだせるでしょうよ……。なんだ、ミトコンドリアの鑑定だったのか……。もしmtDNAだけの話なら、それこそ科警研で出来るレベルだから、石田さんも勘違いしてたんだろうなあ」
末広は如何にも「失敗した」という表情をありありと浮かべて呟いていたが、西田は素早く反応した。
「いや、もし通常のDNAそのものが調べられるなら、むしろ是非調べて欲しいんですよ、我々としても!」
「そう? まあそれはそれで構わないですが」
末広は口を尖らせつつも、渋々納得した。
ただ、末広の話からは、西田は自分の意図が、加島と石田の伝言ゲームの中で、末広に間違って伝えられていたことに気付いていた。しかし、その勘違いは、血痕の持ち主そのもののDNAを調べられるかもしれないという末広に行き着いたわけだから、怪我の功名と言えるものだった。
「ところで、間違いなく人血でしょうね? その部分の鑑定はしなくていい? あ、まあ鑑定したところで大した労力も掛からんか……」
末広は、聞いておきながら自分で勝手に話を収めた。
「間違いなく人血ですよ。こっちの捜査でそれは確定してますから」
上司が末広のペースで話を進められているのを見かねたか、吉村が少し苛ついたように割って入った。
「なるほど。じゃあそれについてはわかりました……。それで現物の試料は……。うん、そうだな、何時送ってきてもらえますか?」
「少なくとも明後日には送付します。北見からなんで、おそらく3日は見てください」
西田がそう言うと、
「3日後? 北見ってのは……。地理が好きじゃないもんで」
と口ごもった。
「北海道の東側です」
詳しく言っても仕方ないと確信し、西田は単純な言い方をした。
「あ、そうですか。それなら3日掛かるかな……。ちょっと試料の状況がわからないけど、mtDNAについては、ほぼ間違いなく大丈夫だろうと思いますよ。血痕の人体DNAについても、安請け合いは出来ないが、大体イケるんじゃないかなあ。とにかく何か問題があれば電話しますから。昨日掛けた(携帯の電話)番号でいいんでしょ?」
「それでお願いします」
「大体10日ぐらいで結果は出ますんで。あ、あくまで鑑定できるならですがね。多少普通の鑑定より掛かるのは我慢してくださいよ」
「そんな早く出ますか?」
「出来る な ら ですよ。あくまで出来るなら。まあ期待はしておいてくれて構わないですが」
末広は目をむいて「なら」を西田に強調した。
「じゃあ、麻生君、お二人にここの宛先教えてあげて。それじゃ、実験に戻るんでこれで」
軽く会釈すると、パイプ椅子から立ち上がり、そそくさと奥へと消えていった。
それを見計らったかのように麻生が、
「ああいう感じの人ですけど、悪気はないんで。間違いなく技術は日本トップクラスですよ、ああ見えても。東大出てから30で助教授(当時・現在は准教授)、34で、東大からうちの大学に移って教授ですから。凄いペースです。まさに天才ですよ」
と2人に囁いた。確かに天才は天才なのだろう。そして麻生から宛先と研究室の電話番号を書いた紙をもらい、2人は研究室を後にした。
※※※※※※※
「かなり偏屈な野郎でしたね」
竹下はエレベーターで1階に降りると、早速西田に話しかけてきた。ただ、如何にも嫌悪するような様子でもなかった。
「まあ、そんなところだな」
「ただ、あの様子だと、ミトコンドリアの鑑定は何とかなりそうですね。これで3人が女系の血縁関係があるかどうかはっきりします。まあ、現時点でもそうなることは当然推察されますが……。出来れば、血液そのもののDNAもわかったら尚良しというところですね」
「わかったらわかったで、また面倒なことになるんだぞ」
西田は苦笑したが、謎は1つずつ解いていくしか無い。過程を面倒だからと言ってスキップしていては、真実に辿り着けるはずもないのだ。それは西田もよくわかってはいた。
「ところで、今からなら最終便間に合いますね。残念ながら」
吉村が腕時計を見ながら、西田にそう言うと、
「だな。東京で一晩遊んでいく夢は潰えた」
と、大袈裟に返した。
「無念!」
2人はふざけたやり取りを交わしたが、
「そうは言っても、遠賀係長の、文句言いたげな顔を見ないで済んだことを良しとしようや!」
と、西田が結論付けると、キャンパスを歩く2人の歩幅は自然と広くなった。
「そうだ、加島さんに礼言っとかないとな」
西田は、思い付いたように、携帯を胸ポケットから取り出そうとしたが、
「歩きながらなら、羽田に着いてからでもいいでしょう?」
と言われて、そのまま仕舞い込んだ。
※※※※※※※
西田は翌日の6月12日に、鑑識に保管してある、2つの証文の桑野の血判と、小柴老人から譲り受けた端布からそれぞれ、ごく少量の試料を切り取り送付した。そして道警・科捜研にあった、大島のDNA解析結果をそのまま末広の研究室に送るように依頼した。
当初はサンプル自体を送るつもりだったが、科捜研の職員に、「解析済みなのだからデータで送った方が手っ取り早い」とアドバイスされ、その通りにしていた。末広にそれを連絡すると、「だったら早く言ってくれ」という趣旨の発言をされたが、既に相手の出方は予測出来ていたので、馬耳東風とばかりに適当に相槌を打って謝った振りをしておいた。ただ、末広はそうであるならば解析結果は多少早く出せるかもしれないということも西田に伝えていた。
6月14日の午後、W杯1次リーグで日本はチュニジアを2-0で下し、初のベスト16に入った。西田達も勤務そっちのけでテレビ観戦し、他の一課の捜査員達と共に勝利を喜んだ。だが、良いことはそうは続かない。6月17日、須藤から捜査報告の連絡が入った。
※※※※※※※
◯佐竹 大輔
葵一家門下 2次団体
1960年 1月20日生まれ 岩手県 水沢市出身
◯
葵一家門下 2次団体 駿府組(静岡市) 既に組抜け(1996年1月頃 1995年当時 若衆) 1959年 6月10日生まれ 岩手県 大槌町出身
「95年 11月近辺のアリバイ不明 (組抜けの影響もあって周辺調査上手く行かず)
◯
葵一家門下 3次団体
◯大下 栄一
葵一家門下 3次団体
1955年 5月31日生まれ 岩手県 久慈市出身
※※※※※※※
のリストの内、大下の捜査を打ち切るという連絡だった。西田から直接の要請があったすぐ後、大下の立ち寄った飲食店で、所轄である目白署の捜査員が、食後のコップを直接入手し、DNA鑑定をさせたところ、逃走車両に残っていた毛髪(の毛根)から採取した例のDNAと全く一致しなかったというのだ。アリバイもはっきりせず、最も怪しいと考えていた大下が捜査線上から消えたということは、捜査陣にとってかなりショックなニュースだった。
この一報の後、西田は30分程椅子に座り込んだまま、立ち上がることはなかった。開きかけた道がまた閉ざされかねない事態だった。
悪いことは立て続けに続く。翌6月18日午前、水戸署が目白署同様、行きつけのバーで中谷のコップからDNAを首尾よく手に入れ、DNA鑑定したところこれまた合わなかったと須藤から連絡が来た。そして須藤は、
「この状況では、おそらくリストアップした中から出ることはないと思っていて欲しい」
と西田に伝えていた。つまり再びリストアップし直すか、最悪の場合「アベ」による岩手出身説そのものを、考え直すと言う事態に直面しているということだった。もしそうなれば、今度こそお宮入りの覚悟をしなくてはならなくなる。
佐竹と東館については、状況から見て、実行犯である確率が相当低いため、一応DNAのサンプル入手をさせるつもりではあるが、所轄を急がせても仕方ないと、須藤は既に諦めモードであった。
午後からは決勝トーナメントの日本とトルコ戦があったが、西田は放心状態で試合を見ていた。脳天気な吉村ですら、熱中出来ていないようだった。おまけに試合も1-0で負けるという最悪の展開に、北見方面本部捜査一課の室内の、西田達専従チームの一角そのものが、相当ドンよりとした空気に包まれていた。
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