第122話 名実31 (67~68 DNA解析依頼を検討)

 下村が立ち去ると、須藤はヤレヤレという顔をしながら、

「全く、どうでも良いことにこだわるから、準キャリはバカにされるんだよ」

と呟いた。西田も「中央」の事情に詳しいわけではないが、準キャリアとは、国家公務員一種合格組のキャリアと違って、国家公務員二種(作者注・現行採用システムでは、この区分は2011年を最後に廃止)合格組のことだとわかっていた。須藤も年齢とポストから考えると、キャリアではなさそうなだけに、おそらく同じ「立場」として「仕事が出来ない」というレッテルを貼られるのが嫌なのだろう。


「とにかく、所轄には上手くやるように言っときますよ。DNAなら一発で決まるから。所轄の連中もこっちで尻叩いてやらないと動かないのなんの」

上司が居なくなり饒舌になったか、いつものやや尊大な態度が息を吹き返したようだ。西田達は方面本部とは言え、察庁から見れば下部組織なだけに、裏じゃ同じようなことを言われているのだろうと思うと、余り気分は良くなかった。


 用事を終え、警察庁が入っている中央合同庁舎を2人が出る頃には、6月ということで日はまだ高かったものの、既に4時を過ぎていた。


 明日の予定が完全に無くなった以上、場合よっては女満別への最終便に間に合う時間帯でもあったが、こんなギリギリのラインで日帰り前提の計画は、到底無謀だ。まして、ビジネスホテルを予約してあるので、キャンセルするのも面倒であった。仕方ないので、早めにチェックインしてゆっくりしてから、夕食でも摂ることにしようと話し合った。


 今回の出張では、仕事以外一切の予定は当初なかったので、霞が関から近い新橋のビジネスホテルを取っていた。ホテルを早目に出てから、周囲をプラプラしていた2人だったが、割と慣れてきていた新宿とはまた違う雰囲気に、やや酔い気味だった。


 新宿は都会であると同時に雑多な感じがしたが、ビジネス街の新橋付近は、なんとも言えない、居心地の悪い街並みに感じたからだ。居辛い感覚にさいなまれるような、妙な被害者意識を持ちつつ、余り高過ぎない(決して安くはない)メニューが外のショーケースに並んでいたレストランに入ると、西田はハンバーグステーキ、吉村がオムレツと、まるで小学生のような注文をした。かろうじて2人ともビールを頼んでいたことが、「大人」であることをギリギリ証明していた。


※※※※※※※


「高い割に大したことないです」

食べながら、ヒソヒソと吉村が西田に話し掛けた。

「そりゃ場所代みたいな分が掛かってるから仕方ない」

諌めるように喋った西田だったが、ハンバーグステーキ1500円は、北見では違和感のある値段だった。正確に言えば、北見というより北海道全体とするべきか。札幌でもこれほど高くはない。本心は部下と同じだった。


「ところで、銃撃事件の鏡の共犯の件ですけど、例の4名の中に居るのか心配じゃないですか? 正直、大丈夫ですかね? これで失敗すると、この先不透明感が増します」

吉村はビールの泡を口元につけたままで、仕事の話を始めた。


「組対が、鏡が所属していた紫雲会、もしくは紫雲会に近い組織じゃないと、ああいう事件を協力して起こすのはリスクがあるだろうと踏んで、4名をリストアップしたんだから、それなりに信用していいんじゃないか? 出なかったら出なかっただ、としか言いようが無いな」

「達観してますね。7年前にやったリストアップは、アベ発言を勘違いしていたからどうしようもなかったのは確かですけど、今回失敗すると、また岩手県近辺の出身者を、広げてリストアップしないといけませんよ?」

「まあな。ただ、岩手出身のヤクザは、そんなに多いとは思えないから何とかなるんじゃないか」

そう誤魔化したが、西田も何としても4名で決まって欲しいと願っていた。折角アベの謎を解読したと言う確信が、捜査範囲が拡大していくと、弱まってしまうような恐怖感を抱いていたからだ。


 2人はしばらく捜査の話をしていたが、吉村が今度はケチャップを口元に付けているのを見て西田は吹き出した。

「おい、子供じゃないんだから拭け」

そう言いながら、テーブルの紙ナプキンを渡すと、吉村は拭ってテーブルの上に置いた。西田は一部赤く染まったそれを軽く見た上でビールを口にしたが、ふと気になることがあった。


「DNA鑑定ってのは、相当進化してるんだよな?」

「は……? まあそれはそうでしょう……。今やDNA鑑定は有力な捜査手段ですから」

吉村は脈絡の無い問いに一瞬呆気にとられたが、すぐに西田の質問に答えた。

「7年前の検査では、ミトコンドリアレベルで、端布の血痕の鑑定結果までしか出せなかったが、何とかならんもんかな……」

「あの時は、竹下さんがホテルで採取した大島のDNAサンプル使って、布の血痕のDNAと比較しようと思ったら、ミトコンドリア分しか鑑定出来なかったって結果でしたね」

「ああ。そして証文の血判の分は、それすら出来ないレベルだって言われてな……」

そこまで言うと、西田は記憶を引き出すように、やや区切りながら喋り出した。

「実は昨年……、道警本部の科捜研の研究員と……捜査で知り合う機会があったんだ」

「厚別署時代ですか?」

「そう。強姦(つっこみ)の件でだ。科学捜査の専門家だから、気になっていたことをついでに色々聞いてみたんだが、やはり『50年ぐらい経った、しかも紙に不着したような、証文上の血判レベルの血液では、量が少ない上に酸化が激しく、現在でも、ミトコンドリアレベルでの鑑定さえも厳しいのではないか』と言われた。骨髄などに残っている場合には、かなりの年数が経った、普通の人間のDNAのレベルで鑑定可能なケースがあるらしいんだが」

「中に閉じ込められている分にはイケるってことですね。でも小野寺道利が端布の本体、まあ要は服を身にまとっていたと、ほぼ考えられている今となっては、どうでも良くないですか?」

「別に判明したわけじゃない。現状では、端布の形状、血痕から見てそうである確率が高いと見ているだけだ。小野寺が爆死して、バラバラになった身体に不着していた端布だと見るのが妥当だという話」

「ああ、そうでした」

吉村は自分の両頬を両手で軽く叩いた。


「ただ、そうだとすれば、今度は別の問題が出てくる。桑野と大島は別人だと、指紋や親指の欠損からは断言出来る。しかも、当時、両人は事故現場に居て、小野寺の形見を持ったまま消えた桑野はどこかに消えたままで、その形見を戦後には大島が持っていたことになる。しかも大島は、その端布に残っていた血痕の持ち主と、ミトコンドリアのDNAの解析からは、本人と一致しているか或いは女系の親族であると出ている。一致していることは、小野寺が死んでいるからあり得ないとして、女系の親族だとすれば、戸籍上確実に従兄弟だった小野寺と桑野の情報含め、大島も桑野も小野寺も女系での血縁があることになる」

「それはあり得ないことなんですかね? 戸籍上は津波流出の関係で見えてないだけかもしれない。大島も鳴鳳大学に入れる、それなりの学があったわけですし、桑野や小野寺の当時の学歴から考えても、血筋からは、ある意味一致してるとも言えるんじゃ?」


 吉村の発言は、実際頭ごなしに否定出来るようなものでもなかった。ただ、竹下と先日この件で話した時には、竹下は少なくともこれを正面から認めるようなこともなく、わからないと言っていた。西田もこれを考え出すとわけがわからなくなりそうだという、一種の忌避感があった。弱気の虫に負けているのが歯痒かったが……。


 そんな状況に更に追い打ちを掛けるように、

「でも、消えた桑野について、7年前にホテルで考えた、大島の実人物が桑野を直接殺害したか、或いは加担したという説だと、今度は親族同士での殺人ということになっちゃいますから、やっぱりアレはないんですかねえ」

と言い出した。 

「うーん」

西田は唸った後少しの間沈黙した。桑野と小野寺が共に鴻之舞金山に勤務し、湧別機雷事故に被災したことを前提に、何故桑野が現場から逃走したかについては、竹下と共に討議していたが、これまでの色々な説との整合性についての考察には、ほとんど立ち入っていなかったからだ。


 しかし、大島から直接採取した指紋が一致しなかった、ホテル松竹梅の部屋で、西田が提示した「大島海路により桑野は殺害され、そのまま成り済ました」という考えは、端布が死んだ小野寺のモノであると言う前提に立てば、必然的に大島海路の実人物とも親族ということになり、色々とハードルが高くなることは間違いない。、


 この場でこれ以上考えても仕方ないので、

「まあ色々と怪しくなってきたのは確かだろう……。だが、今は良いアイデアも思い浮かばん。それはそうと、わざわざ東京まで来たんだ。明日まるっきり時間が空いたわけだし、科警研(科学捜査研究所)でDNA鑑定についての経年数への技術対応力がどう進化しているか、直接聞いてみるのもいいかと思い始めてる」

と、話を切り替えた。

「ああ、そういう手もありますか……」

吉村は、話題が逸らされたことを、部下なりの思いやりか、それ以上突っ込まずに頷いた。


「推理が正しければ、端布の血痕と桑野の血判については、小野寺が養子でもなく、桑野と直接血縁関係のある従兄弟である以上は、それこそミトコンドリアのDNAが一致しているはずだし、桑野と大島でも、ミトコンドリアDNAは一致するはず。もし鑑定レベルが大きく進化していれば、推測が当たっているかどうか、科学的にも調べられるようになっているかもしれない」

「それがはっきりするなら万々歳ですが、それ以前の問題として、いきなり行っても相手にされない可能性があるんじゃないですか? そこがクリアー出来れば」

吉村は聞き終わると、最後に提案の問題点を指摘した。


「前述の科捜研の研究員は、元々科警研からの出向してる人間だから、口利きしてもらえばいい」

「大丈夫なんですか、それで? 課長補佐にしては、随分な行き当たりばったりですね……」

「その批判は甘んじて受け入れてやるが、予定が急に変わったんだから仕方ないだろ」

今度は棘のある吉村の言葉にそれだけ言うと、グイッと中ジョッキを傾け、おまけにゲップをした。


「じゃあ早速、可能か聞いてみるわ」

一息付くと、西田は携帯を取り出し、知り合いになったという道警・科捜研の加島という職員に連絡を取り始めた。吉村は会話も終わったので、オムライスに再び集中し始めていた。


「もしもし、加島さんですか? 厚別署で以前お世話になった西田ですが?」

レストランの中ということもあり、遠慮がちな声で喋る。

「あ、ああ西田課長? どうもお久しぶりです」

加島は西田の厚別署時代の役職で呼んだが、一々訂正するのも面倒なので、そのまま会話を続ける。

「今時間あります?」

「はい、そろそろ職場後にしようと思ってたところで、構いませんよ。ただあんまり長く無い程度でお願いします」

軽く愛想笑いしたような言い方だった。

「じゃあ遠慮無く。唐突で申し訳ないんですが、加島さんは東京の科警研からの出向という話だったはずですよね?」

「そうです。科警研から道警科捜研に派遣という形ですが」

加島は訝しげなトーンで答えた。

「それでですね、ちょっと今抱えてる案件で、50年近く前の血液中のミトコンドリアをDNA鑑定出来ないかと考えてまして……。以前加島さんは『無理だ』と言ってましたよね?」

「うーん、そう言いましたっけ? ただ、勿論私は生体試料全般のDNA鑑定を専門としていますが、残念ながら現状としては、最先端分野は把握してるわけじゃないんですよ。だからそれを以って断定的な発言とされると、若干問題があるかな」

「実は、加島さんに科警研の知り合いを紹介してもらおうと思って今電話したんですが、そうなると、やはり科警研には最先端の研究者が居るということでいいんですか?」

「あ、そうなんですか……。それなら、まさにそっちに聞いてもらったほうがいい。勿論居ますよ」

加島は素直に西田の選択を肯定したが、よく考えれば、加島が最先端分野把握云々を言わなかった場合には、端から加島を信用せず、科警研を紹介しろと言っていたようなもので、かなり失礼な電話だったと西田も自覚してはいた。


「そういうことなら、私の先輩が科警研に居ますから、紹介しましょうか? 相手に西田さんに電話するように伝えればいいのかな?」

「いや、実は今東京に居るんですよ、捜査で。ですから直接会って話させてもらえるとありがたいんですが? 勿論打ち合わせは電話でしますが」

「はいはい、東京に居るんだ……。わかりました。じゃあ石田と言う研究員の先輩紹介しますんで。その人に簡単に事情を説明した上で、西田さんの携帯に掛けるように伝えておきますよ。細かいことはお二人で」

「いやあ、ホントすいません。助かります。よろしくお願いします」

「まあ、捜査のお助けになれば。それでいつまで東京に?」

「明日……」

言い終わる前に加島は、

「明日まで!?」

と驚いたように尋ねてきた。


「ええ、一応。マズイですかね?」

「うーん……。相手のスケジュール把握してないんでなんとも言えませんが……。わかりました。今すぐ電話してみますんで。相手と連絡つかなかったら、僕から折り返し電話しますが、付いたら、石田先輩に電話させますんで。それじゃ」

そう言うと電話は切られた。


「どうでした?」

オムライスを食べ終えた吉村が早速聞いてきた。

「明日までしか東京に居れないと言ったら、焦ってたな。いずれにせよ、紹介はしてくれるみたいだ」

「そうですか。そりゃおめでとうございます」

ビールを口にしながらすっかり他人事だ。


 そうこうしている内に、10分程するとバイブにしていた携帯がポケットの中で蠢いた。

「もしもし?」

「えーっと、西田さんですか? 石田と言うものですが」

掛けてきたのは石田だった。連絡が付いたらしい。

「あ、どうも。加島さんから連絡が行ったんですね」

「ええ。加島君から紹介されまして。何でも、経年劣化した血液試料中のDNAの鑑定について聞きたいということですね?」

「はいそうです。50年ぐらい前の布や紙に不着した、血痕の鑑定が出来るかどうかについてお聞きしたいと思いまして」

「なるほど……。で、明日までしか東京に居れないとか?」

「残念ながら……」

「どうしようかなあ」

石田は黙りこんで、かなり逡巡しているようだったが、しばらくすると口を開いた。

「じゃあ取り敢えず、科警研の方に明日来ていただけますか。そうですね……、明日の午前11時ぐらいに。受付にこちらから言っておきますんで。科警研の場所はおわかりですか?」

「えっと東京ですよね?」

「あははは、申し訳ない……。いや千葉県なんですよ」

笑いながらの思わぬ回答に、西田は目を丸くしたが、さっき加島もわかっていたなら言ってくれれば良かったのにと少し不満に思った。西田が黙ったのを察したか、

「いや、千葉と言っても柏市にあるんで、東京からそんな距離はないですから。そうですね、常磐線を柏駅で降りて、そこからはタクシーでも乗ってもらえればまあ迷うこともないでしょう。数年後にはつくばエクスプレス(作者注・2005年8月開業)ってのが出来る予定で、そちらだと駅から多少近いんですけどね」

と説明した。


 なるほど、千葉県と言っても柏なら東京からそう遠くはない。指摘しておく程のことでもないと加島は踏んだのだろう」

西田がそんなことを考えていると、

「いやまてよ……」

と石田は呟いた。


「いや、やっぱりわざわざ柏まで来てもらうのも申し訳ないな……。直接私が今紹介した方が良さそうだ……。西田さん、申し訳ないが、今古い生体試料のDNA鑑定については、日本では、両国大学のバイオサイエンス学部に所属している末広教授が、本当の意味での最先端に居る研究者だと思うんです。勿論ウチも最先端ではありますが、ウチは組織の性質上、正確さを保証できないことには、正面切っては関われないんですよ。その点末広さんは民間なんで、そこら辺についても、かなり攻めることが出来る。法廷での証拠能力が既に認められるレベルの話を要求しているなら、『無理』で終わってしまう可能性が高い話なんですが、そうじゃないなら、そっちで確認する価値はあるんじゃないかな。ともかく、基本的にその話のレベルだと、我々の研究ではまだ確証度合いが低いんで、余り『結果』としては出したくないんです。だから、末広さんに任せようと思ったんだけど、わざわざ柏に来てもらってから紹介するのも、そちらに手間取らせるだけなんでね」

「なるほど。こちらとしてもその方が、時間的に節約出来ますから歓迎ですよ。法廷に出す証拠レベルの話も現状は要求してませんし、そっちも問題無いです」

西田は率直に石田の提案を受け入れた。


「やっぱりそうですよね。わかりました。明日までということで微妙ですが、ちょっと今から確認してみます。おそらくあの人なら研究室にいるでしょう。折り返し電話しますんで」


 再び西田が会話を終えたので、吉村が話掛けてきた。

「決まりました?」

「いやまだ。今度は末広って言う大学教授を紹介してもらう」

「は? いわゆるたらい回しですか……」

吉村はそう言うと、テーブルの上のボタンを押してウェイトレスを呼び、デザートのシャーベットを注文し始めた。

「なんだまだ食うのか?」

西田が軽く咎めると、

「課長補佐もどうです? どうせしばらく掛かって来ないんでしょ?」

と言い出す始末だった。


「仕方ない奴だな相変わらず……。じゃあフルーツパフェでも頼むか……」

苦々しい口ぶりだったが、甘いものは嫌いじゃないだけに、きっかけを与えてくれたことを内心感謝する西田だった。

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