湧別機雷事故取材

第99話 名実8 (19~21 機雷事故取材)


 4月30日火曜日。オホーツク海側にある漁業拠点都市の1つ、紋別市にある北海道新報・紋別支局の社屋3階で、竹下は、報道部の熊田デスクの席に、若手後輩の濱田記者と共に呼ばれていた。


「竹下、これ知ってる……よな?」

そう言われて手渡された数枚の紙から、最初に竹下の目に飛び込んで来たのは、「湧別機雷事故」の文字だった。

「詳しくはないですが、勿論知ってますよ。毎年かどうかはともかく、ウチでも5月26日は、慰霊式の記事は小さいながらも出してたように思いますが?」

そう言った竹下は、流れで、湧別機雷事故で亡くなったという、7年前の居酒屋「湧泉」での大将の父親の話を思い出していた。


「その通り。ただ、昨年は取材には行かせてないんだよなあ」

熊田はそう思い返すように喋ると、

「それはまあどうでもいいや。で、渡したその資料にあるように、今年、その事故が発生してから、丁度60周年に当たるらしいんだ。昭和17年だから1942年だな、今年が2002年。まさに5月26日でキッカリ60年だ。キリの良い年だから、5月末に掛けて、ウチからそれについて、特集の連載記事を1週間に渡って7回分連載して欲しいと、本社から指示が来てる。それを竹下と濱田にやってもらいたい」

と、あくまで他人事的な業務連絡に徹した言い方をした。


「60年ですが、10年前の92年に50周年だった時には、特集はやらなかったんでしょうか?」

それを聞いて、濱田記者がもっともな疑問を口にした。

「どうだろうな……。10年前はどうだったかわからんが、とにかく今回は大々的にやってくれという話だから、俺としてはそのまま指示するだけだ。どうも、事故の遺族会から記事にして欲しいという要望があったようだ」

熊田は困ったような表情を浮かべながら、そう答えた。それに対し、

「とにかく大体の話はわかりました。ただ、この事故の概要の資料だけでは、連載記事を書くとなるとさすがに如何ともし難いですね。これの書いてあることを羅列するだけじゃ意味無いですし」

と、助け舟を出すように竹下が話を本筋に戻した。事実、熊田から渡された資料だけでは、連載記事を数本書くのは実際無理だったこともあった。


「あ、スマン。それについては……、こっちの資料にある人物に取り敢えず取材してくれ」

そう熊田が新たに渡した資料には、「北見青洋大学文学部 教授 大内 喜好きよし」という名前と、「佐呂間漁協理事長(湧別機雷事故遺族会会長) 佐々木 達三」という文字が踊っていた。

「佐々木さんってのは、役職名からわかりますが、この北見青洋大学の教授は何ですかね? 歴史分野の専門家かな?」

「多分そうじゃないか? この事故について、色々詳細な資料を持っている人らしい」

「なるほど。取り敢えずはわかりました。この2人に会って、色々聞いた上で、何を書くか構想してみましょう」


 濱田と共に自分の席に戻った竹下は、最初にもらった資料を若手記者と共に眺めはじめた。死者112名(後日怪我が元で亡くなった人含む)という大惨事だったにもかかわらず、戦時下ということもあり、当時道内でもわずかに報じられただけだった。


※※※※※※※(以前「鳴動」章で記載したものと一緒です。一部リンク増えました(※が付いたもの)


 湧別機雷事故とは、1942年(昭和17年)、現湧別町、当時下湧別村において起きた、漂着していた機雷の爆発による事故である。106名が即死、怪我が原因の死者も含めると、延べ112名が死亡、負傷者も同数の112名という、今では道民にもほとんど知られていないが、かなり大きな被害を引き起こした爆発事故である。


 事故の経緯は、その年の5月に、村内の海岸に相次いで2個の機雷が漂着したことに始まる。機雷がどの国のものかについては諸説あり、未だに特定は出来ていない。


 当然村は大騒ぎになり、村内の駐在所から、管轄署である当時の遠軽警察署に連絡が入った。遠軽署ではこの連絡を受けて、署長により、安全な場所での処理と戦意高揚も兼ねて、浜での爆破処理をすることを決定。


 そして、運命の5月26日を迎える。2個の機雷は、前日までに浜に並べられていた。爆破処理が行われることは周辺市町村にも伝わっており、千人以上の地元民である見物客が押しかける騒ぎとなった。


 更に昼前に、誘爆の危険性を考慮し、1つの機雷をもう一方から離す作業をすることになった。だが皮肉なことに、その作業中に突然機雷が爆発。浜はバラバラになった遺体や鮮血で地獄絵図となった模様である。


 この事故により、一般の見学者は勿論、作業に関わっていた、或いは監視していた警防団(現在の消防団に該当)や遠軽警察署の警官も多数亡くなっている。陣頭指揮を取っていた当時の遠軽警察署長の千葉氏も殉職。当地方の行政面に置いても大きな被害となった。


◯参考資料リンク(直接リンク出来ないサイトの仕様ですので、アドレスコピペでお願い致します)

http://itokhotsk.iobb.net/ganbo/tyousi/tian/tian.htm

(第2節遠軽警察署 参照)

http://www.phoenix-c.or.jp/~ryousi/sub124.htm#2

(ページ下部 悲惨!機雷爆発事故 参照)

http://www.phoenix-c.or.jp/~ryousi/sub167.htm#6

(ページ下部 浮遊機雷爆発の大惨事 参照)


※汝はサロマ湖にて戦死せり(この事故をテーマにした昭和50年代の小説。今回初リンク)

http://www.h2.dion.ne.jp/~cha2/essay/kirai/top.htm


※※※※※※※


 竹下は、まず犠牲者名簿を見ながら、「大将」の父親を最初に探していた。大将こと、「相田泉」の父親は、この事故で亡くなっていたと大将の口から聞いていたからだ。しかし、最初から注意しながら最後まで見たが、「相田」という苗字の犠牲者は、名簿に全く載っていなかった。

「あれ、おかしいな……。間違いなくこれで死んだと言っていたはずだが……」

ブツブツ言う竹下に濱田が、

「何か問題がありました?」

と尋ねてきた。

「大したことじゃないんだが、知人の親族がこの事故で亡くなったと聞いていたんだ。でも見当たらないな……」

「なんて名前ですか?」

「姓は相田、名前は知らない」

そう言われて、濱田も調べてみたが見つけられず、

「見当たらないですね。何らかの理由で苗字が違うんじゃないですか?」

と言い始めた。

「いや、それはないと思うが……」

竹下は口ごもったが、今回は、別に大将の父親を探すことが仕事ではないので、頭を切り替えて、事件の経緯と犠牲者が書かれた書面を後輩と共に見始めた。


 そんな中、竹下には、ちょっと気になる犠牲者が3名ほど居た。職業が、「三友帝国金属鉱山 鴻之舞金山勤務」と書かれた3名だ。

「なんで海岸に山の中の鉱山の社員が……。当時の5月26日は火曜日で平日だったはず……、うん、そうだな。だから、わざわざ見学に来ていたとは思えないしなあ……」

腑に落ちないままではあったが、竹下は最後までリストに目を通し終えた。


「それにしてもこれ酷いですよね! 機雷の処理なんて、警察やら当時の消防団やらで何とかなるようなもんじゃないでしょ!」

読み終わるや否や、濱田は憤慨を隠さなかった。それは単純に、彼が新入社員として昨年の6月に赴任して来たという、若手記者故の正義感というより、常識的な人間なら抱くだろう普通の感想だった。


「そもそも、現時点ではあくまで推測だが、鴻之舞の金鉱山の連中は、機雷を爆破処理するために呼ばれたんじゃないか? もしそうだとすれば、一般の鉱山のダイナマイト技師にやらせるとか……。考えられんな、今の感覚なら」

竹下も、呆れてものも言えない感情に突き動かされて、大声を上げていた。


「なんだ? 何か問題があったか?」

その声で、パソコンに向かっていた熊田が「異変」に気付き、状況を尋ねてきたが、

「いや、あまりにも馬鹿らしい原因で100人死んだって知って、酷いなと……」

と竹下が答えると、

「ああ、それは確かに酷いな」

と言ったきり、再びパソコンへと集中し始めた。もうちょっと共感してくれるかと思ったが、あっさりとした態度に、竹下は少し拍子抜けしていた。


「特集記事だが、この辺りも色々と書いていく必要がありそうだ」

改めて後輩に「構想」を伝えると、

「ですね。軽薄な署長の行動を批判しましょう!」

と若手記者は賛意を示した。


※※※※※※※


 ゴールデンウイークが終わった5月8日水曜日。竹下と濱田は、佐呂間漁協の理事長室で、理事長の佐々木達三を待っていた。遺族会の代表から、詳しい当時の話を聞こうというわけだ。サロマ湖の漁協らしく、昆布茶にホタテのヒモの干物と言う、割と渋い「出し物」を堪能していた2人の前に、

「いやいや、遅れてもうしわけないね」

と平謝りしながら佐々木が入ってきた。


「こちらこそお忙しいところ、無理言ってスミマセン」

と竹下が返すと、

「なんもなんも! こっちが道報さんに記事書いてって頼んだんだ! そんなこと言える資格ないべさ」

と陽気に笑った。


 竹下は60周年とは言え、わざわざ大きな特集記事になる理由を、その言葉で改めて確認した。遺族会の要望が道報本社へと行ったと、デスクからも何となく聞いてはいたが、佐々木から直接聞けたわけだ。おそらく50周年の時には、それほど大きな記事にならなかったのではないか?

「私が竹下、隣が濱田と申します。よろしくお願いします」

取り敢えず、名刺を渡しながら自己紹介をすると、すぐに本題に入った。


「まず、遺族会代表とのことですが、佐々木さんの亡くなった親族は、この佐々木さんで間違いないですか? 何名かいらっしゃるようですが?」

竹下が指し示した犠牲者名簿の中には、佐々木名が数名居た(作者注・事実との記載ない場合、名前等は実際の犠牲者とは一切無関係の創作です)。

「えーっと、ウチのオヤジは……、あ、これだな。「佐々木 武三」だね。当時、下湧別の警防団の副団長だった」

老眼鏡を掛けてリストを見ながら、2人に説明した。


「警防団、今なら消防団の副団長をされていたわけですか」

「うんそう。全く運がないとしか言い様が無いわ。大人になってから振り返ってみれば、完全に無駄死にだべさ。記者さん達もそう思うべ?」

「そうですね、専門家も居ない中で機雷動かして爆発ですから。亡くなった方は気の毒です」

竹下の言葉に、佐々木は我が意を得たりと深く頷いた。


「当時、会長さんは現場にいらっしゃったんでしょうか? かなり地元の広範囲から人が集まってきたそうですし、なんでも地元の学校の生徒なんかも、あたかも行事見学として、現場に連れて来られたとか」

濱田の質問に、

「当時、俺は芭露ばろう尋常小学校に通ってたが、見学に行かされて……。幸い巻き込まれはしなかったが、一家の大黒柱たるオヤジが死んだらそりゃね……」

と、至って明るい初老の男の表情がにわかに曇った。

「大変聴き辛いことで申し訳ないんですが、ご遺体の方はお父上と?」

爆発事故だけに、遺体の損傷が激しいことは、竹下も資料は勿論、大将の話からも把握しており、なんとかボカして聞き出そうとした。

「いやあ、やっぱりね……。俺はガキだったから、直接見たわけじゃないが、服の一部でオヤジと判断されたらしい。まあみんなそんな調子だったからさ……。ウチだけが特別じゃないから仕方ないべ……」

「そうでしたか」

余り傷口に塩を塗りこむようなことは憚られた。否、記者としては、ある意味非常識ぐらいの方が仲間内では褒められる部分があるが、竹下自身は、それには徹しきれるタイプではなかった。刑事にも向いていないと言われた彼だが、ある意味ブンヤにも向いてはいなかったかもしれない。


 しばらく、当時の状況や遺族のこの60年間の動向などを聞いていると、突然ドアが開いた。

「理事長、頼まれてた漁獲割り当ての見積もり……あれ? お客さんかい?」

理事長より若干若そうな、60代前半から50代後半あたりで白髪交じりの、日焼けした男性が目の前に現れた。理事長はドアのところまで歩み寄ると、

「あ、やってくれたのかスマンな。それで、こちらの御二人さんは、ほら、あの記事書いてもらう道報の記者さん」

と紹介した。

「ああ、そういや理事長そんなこと言ってたな」

大げさに自分の頭を叩いた、これまた陽気なおっさんを前にして、記者2人はどうすることも出来ず黙っていたが、

「この人は、ああ、『浅井 久』って言うんだが、うちの漁協の理事やってもらってんだ。そして、こいつもまた、親族が機雷の爆発で亡くなってんのよ。叔父さんだったっけ?」

と言い出した。

「あ、じゃあ遺族会の方でもあるんですか?」

西田にそう問われると、浅井は、

「ああ、一応ね。ただ理事長の言う通り、ウチは俺から見て叔父さん、つまり俺のオヤジの弟が亡くなってるだけなんで、理事長みたいなのとは到底一緒には出来ないけどな」

とドアの前で突っ立ったまま言った。


「そんなところに居ないで、こっち来たらどうだ? 記者さん達も話聞きたいだろ?」

と、浅井に言った後竹下に確認してきたので、竹下は

「ええ、是非」

と答えた。それを受けて浅井は「それならお邪魔して」と言いながら、理事長の隣のソファに腰を下ろした。


「えっと、浅井さんと仰っていたから、これかな……?」

持参した犠牲者リストから、竹下は浅井を探し始めると、遠軽署・芭露派出所勤務の「浅井 稲造いなぞう」という警官の名前が、すぐに出て来た。

「うん、これだね。稲造叔父さん。ウチの兄弟姉妹は、いねおじさんって呼んでたな。しかし、元々漁師の家系なのに、稲とか付けるから漁師にならなかったんだろうな」

と、浅井は何とも言えない複雑な笑みを浮かべていた。運命論者ではないし、合理主義者と見られがちだが、実は竹下も極たまにそういう非合理的な話にやけに惹かれることがあった。自分でもその理由はわからなかったが……。


「叔父さんにはご家族は?」

「家族……。居たことは居たんだ。カミさんと息子が」

濱田に問われ、そう返した。

「つまり、浅井さんにとって従兄弟がいたと言うことですね?」

「あれ、この話も記事になるの?」

浅井は、突然素に返ったように竹下に尋ねた。

「それはまだわかりませんが、一応あらゆる情報を集めておかないと、後で記事にする際に情報不足になったりするんで。実名で記事にする時には、ちゃんと連絡させていただきますよ。公人以外はプライバシーの問題もありますから。」

「いや、俺に関しては自分で喋ってるから、それが別に記事になっても構わんが、従兄弟の話は当然許可得てないからな」

「なるほど。とにかく実名記載は勿論、匿名でもバレそうな場合、許可無く勝手に記事にはしないので」

竹下はそう釈明はしたが、記者によっては、この手の確認はかなり適当な場合が多い。その点は、「報道の自由」を都合よく解釈しすぎているだろうと、竹下は思っていた。


「まあ居たと言えば居た、居ないと言えば居ない。何とも言い難いなあ」

煮え切らない浅井の表現の源泉を、竹下はすぐに理解できなかった。それを察したか、浅井はすぐにその意味を語り始めた。


「実は、稲叔父いねおじさんとそのカミさんは、内縁関係で正式な夫婦じゃなかったって話だ」

「そういうことで、記事になるかどうか気にしたんですね」

2人は浅井の言い分を理解した。

「まあそんなところだ。そして、籍入れなかっただけでなく、実は息子と叔父さん自体も、血縁関係がないんだ。つまりカミさんの連れ子。色々複雑なんだわ」

「つまり内縁の妻の連れ子だったということですか?」

濱田は、浅井が言ったことを繰り返すように確認した。

「そうそう。だから従兄弟と言っても、俺とは戸籍上も血縁上も正式には従兄弟ではないんだ。ただ、仲は良くて、今でも付き合いはあるよ」

「しかし、今でも結構、結婚相手は面倒なのに、当時の警察官で内縁のままだと、問題あったんじゃないですか?」

竹下が自身の警察時代の経験から、疑問点を抉った。


「当時そういうことがあったかは俺は直接知らんが、叔父さんの内縁の相手は、アイヌのひとだったんだよ。それで叔父さんのオヤジ、つまり、俺から見ると爺さんが大反対してね。今はそういうことは大分無くなってきてはいるが、当時は色々あったから……。あんたにもわかるべ? まして言葉は悪いが『コブ付き』だろ? それで、色々揉めて籍入れられなかったらしい。爺さんが死んだら籍入れるつもりだったんだと。俺のオヤジから、後で聞いた話だけど」

「ほう、奥さんはアイヌの方だったんですか……。まあ色々障害があったんですね。しかし籍を入れないままとなると、その叔父さんが亡くなった後、どうなったんですか? いわゆる『恩給』(作者注・現在の公務員共済制度に移行する前の制度。但し、その頃には一般国民には年金は存在せず、まさに親方日の丸の典型的な、お上優遇措置でありました)の受給対象ではなかった(作者注・現在の公務員共済制度では、一般的な内縁関係にある相手は補償対象となります)と思いますが?」

竹下が更に自分の知識を元に質問すると、

「その辺は、俺も詳しくは聞いてはいないが、その後遠軽の母親の実家で暮らすも、かなり困窮していたようだから、そういうのはなかったんだべなあ……」

当時のことを思い出すように、そうしみじみと語った。


「遠軽?」

竹下が思わず尋ねると、

「そう遠軽。叔父さんは、元々遠軽署勤務の警官で、そこでカミさん……まあ、俺は直接は『おばさん』と呼んでたけれども……、つまり、内縁相手と知り合って結婚を約束したってよ。だけど、今の話の流れで、籍を入れないままで一緒に暮らすようになり、芭露の派出所勤務になって、最後事故で死んじまった……。あ、叔父さんとウチのオヤジの実家はここ、佐呂間町で代々漁師やってたが、さっきも言ったように、稲造なんて言う名前のせいか知らんが、何故か船酔いが酷くて、ウチの親父みたいに漁師継がずに警官になっちまったらしい……まあそれはどうでもいい話なんだが」

そこまで言うと、鼻の頭をせわしなく触る。


「それで、叔父さんの死後は、2人の生活が苦しいんで、見かねたウチのオヤジ、つまり義理の兄が援助を申し出た。オヤジは爺さんより、弟である叔父さんの方に味方してたから。でも、おばさんは魚介類なんかの差し入れは受け取ったが、金銭的なものは一切受け取らなかったそうだ。俺も夏や冬休みに、たまに遠軽に遊びに行ったが、まあガキから見ても、生活は楽ではなさそうだったな。ウチも裕福じゃなかったけどよ。今は漁師は儲かる商売になったが、当時は多くが貧しかったからな……」

そう言った浅井の口ぶりに、竹下はちょっとした重みを感じた。

「因みに、遠軽では、おばさんの父親、つまり従兄弟からすると爺さんと、爺さんが死ぬまでしばらく一緒に暮らしてたが、小さい畑耕して、なんとか糊口をしのぐ生活だったみたいだな。その爺さんは爺さんで、アイヌのプライドが高い人だったってな。その人自体も、ウチの爺さん同様、娘の和人との結婚にはあまり良い顔してなかったみたいだけど。日本語もあんまり喋らない人だったみたいだ。両家の親から反対されてたら、結婚自体、中々上手くいかんべや? 仮に叔父さんが死ななかったとしてもだ……。とは言え、勿論、叔父さんとおばさん、あ、その人はミチって言ったんだが、叔父さんとミチさんと連れ子のイッチャンの仲はかなり良かったんだけどな」

と話した。浅井の話は、当時のアイヌと一般的な日本人との軋轢、家制度の問題故の悲劇に聞こえた。当人同士が良くても、周りがそれを邪魔するということは、今より遥かにあり得た時代だったのは間違いない。

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