第89話 明暗68 (264~265)

「うーん、そういう見方も出来なくはないか……」

西田も大場の考えに一定の理解を示した。沢井も、

「そこまでは俺も考えつかなかったな」

と感心したが、吉村は疑問を突きつけた。

「ちょっと待って! 証人となった佐田徹が、わざわざ証文作成の経緯について説明した手紙の中で、桑野欣也だけ人差し指だったと明記してるわけで。その場で、それぞれの捺印の様子を、ちゃんと見ていたと考えるべきじゃないですかね?」

西田と共に、証文や手紙の発見から考察まで、もっとも関わってきた吉村らしい考えだ。

「そういう考え方もあるのはわかる。実際のところ、別人が押したとは言っても、佐田徹が遺産の件を告げてから、証文に記載されてる連中が生田原を離れるまでの状況、時間的制約を見る限り、全くの部外者が押したと考えるのは無理があるわけだから。そうなると、別人だとしても、伊坂、北条、佐田徹の誰かだという可能性が高まるかもしれない。そこで、別の指で敢えて捺印したと……。あり得るのかな、柴田さん、松沢?」

西田は2人の方へ向き直ると確認してみた。


「指ごとに指紋の種類が違うことは割と普通ですからね。それで、他の証文の3人分の親指?の血判はいずれも渦状紋でした。ただ、それだけでは何とも……。少なくとも伊坂のすべての指の分は、8年前の捜査の関係で警察が保有しているサンプルとは、全く一致してないことは確かです」

と松沢が答えた。

「結論は出せないか、それだけでは?」

「そうなりますね、残念ながら」

松沢の回答は想定内ではあった。ただ根本的に、わざわざ「グループ」内の他者が押す意味も、佐田徹の手紙の内容からは思い浮かばないし、手紙でわざわざ指を明記した点も気になる。総合的に考えると、別人が押したという説はそれほど考えなくて良さそうではあった。


「ということは、これ以上は詰められないということで、あくまで可能性はあるが……、というレベルにしておこう。じゃあ次だ。偶然の同姓同名による別人説だな……」


 西田はそう言い始めたが、自分でも口にし始めると同時に、思わず苦笑いしてしまっていた。それもそのはず。「桑野欣也」なる同姓同名の別人が、伊坂大吉(太助)とそれぞれ別に絡み、大島海路になる「桑野欣也」が後から出てくると、「証文」の桑野が都合良く「表舞台」から消えたというのも厳しいからだ。仮に前者が何らかの形で「始末」……つまり殺されたという考えを前提にしても、桑野欣也と言う、ありふれてはいない同姓同名の人間が伊坂と偶然絡むというのは無理がある。


 勿論、同姓同名になった理由が、後に考慮する成り済まし等の「作為」であるとすれば、その時点で、「たまたま同姓同名」だったという前提条件に反するので意味が無い。

「これは……、やっぱり無いな……」

西田の一言に、異論を唱える者は誰も居なかった。


 そして、いよいよ最後の説だ。「血判の桑野欣也に、別人である大島海路の実人物が成り済ました」という可能性についてだ。

「これについてはどうだろうか?」

西田に問われた一同の中から、

「単に可能性だけ見れば、あり得なくはないよな……。丁度、時期的に戦争を挟んでる混乱期だから」

と、沢井は、発言内容と比較すると、如何にも「あり」というような口ぶりで言った。事実、証文作成の昭和16(1941)年と、桑野欣也が東京に分籍からの新戸籍設立で戸籍上流入した1948年の7年弱の間は、日本の激動と混乱の時代と重なっていた。


 例えば、松本清張の名著『砂の器』では、主人公は大阪空襲での戸籍記録消失に乗じて、架空の夫婦の息子として戸籍を作り直すというトリックを使っていた。勿論、それはフィクションの世界だが、当時を生きた著者であればこそ、そういう発想をするほどに社会が混乱していたとも言えた。


 ただ、桑野の場合には、戦災と似たような天変地異である、大津波での戸籍消失という事情こそあれ、その後に桑野自身が家族を探しに来た所を地元民に目撃されていたという話もあり、戸籍再製の時点で誰かと入れ替わったということはほぼないだろうし、架空の戸籍でもない。よって「砂の器」のそれとは明らかに事情が違う。大体、戸籍再製は証文作成よりかなり前なので、そもそも今回の問題とは関係してこないはずだ。


「前から少し気になっていたのは、佐田徹、北条正人の『桑野評』と、桑野のその後の行動に、必ずしも整合性が取れない側面があったことかな……。伊坂と共に遺産の取り分を横取りしてしまったりと……。伊坂と桑野が一緒に、長兄の佐田譲、次兄の徹、実の小樽の実家に現れたのは終戦から割とすぐだということ。そして戦死した北条正人の弟である正治が佐田家を最初に訪れたのが昭和22年、つまり1947年だったと、長兄の譲が、昭和26年に再訪してきた正治と自分の父母から聞いて証言していること。当然、それより2人の訪問が先だったことは、砂金が全部盗られていただろうことから見ても、ほぼ明らかだろうから、そこは疑う余地はそうないはず。元の評はかなりの人格者であったようだが、その後の行動と少々矛盾してる。むしろ今の大島との整合性の方が少し高いように思える」

「ああ、自分もそれは気になってました」

西田の言うことに吉村も同意した。過去の言動を考えれば、むしろ吉村の方が桑野の裏切りについて、西田以上に批判していた。


 今度はそれに比留間が突っ込んだ。

「刑事やってりゃ、その手の人格の変貌に直面するのは日常茶飯事じゃないか?」

確かに犯罪に手を染める人間が、それまでも同じようにクズだったとは言えないケースも多々あるのは事実だ。それは否定出来ない。

「まあ、それはそうですが……」

西田は言い淀んだ。しかし、その人格面の違和感は、別人説の根本的な証拠にはならないのだから、どっちにせよ必要以上にこだわっていても仕方ない。話を次に移した。


「それはそれでいいとして……。その後、東京に大島海路の方の桑野欣也が流入したわけですよ。戸籍上の1948年1月の流入は、あくまで書面上だから、実態がどうだったかはわからないとしても、実物が確認されている1950年の3月、多田桜の下宿入りから現在までは、小柴がその目で見ていた以上、そこからの大島海路と戸籍の改名済みの桑野『靖』の同一性は問題ないはず」

西田はそこまで言うと、書き込まれたボードをしばらく眺めた。そして、

「話をちょっと前に戻すと、伊坂と桑野が、終戦後一緒に小樽に現れた。容姿や特徴も、徹が書いた手紙に記載されていた表現からかけ離れてはいなかっただろうから、少なくともそこまでは、伊坂と一緒に働いていた、つまり証文の桑野と同一人物だったと考えることもありじゃないかな? 別人と現れたとは思えない」

と、推測して見せた。だが、それを聞いた上で、

「しかし、松島の証言上での伊坂の話では、砂金を一緒に横取りしたのは、今の大島海路の方であったと考えるのが妥当でしょう? そうなると、小樽の佐田家を訪問した際、証文を持って来ていた上、佐田徹が遺した手紙の記述と大きな違いはないだろう容姿の、おそらく本物の桑野欣也がそこに居たが、その後の生田原で砂金を取ったのは、桑野とは別人の大島海路だったとなっちゃいますが、そうすると突然入れ替わってますね」

というように、黒須は問題点を指摘した。


「黒須よ! 指紋が不一致する前まで、竹下が考えていたのは、大島の最初の選挙運動中に伊坂と遭遇してしまい、そこで過去の砂金の横取りについて脅されたんじゃないかという話だったか?」

「確かに主任はそう言ってました。一蓮托生になるような、『一緒にした悪事』ってのも、伊坂が松島にしていたという話の流れを考えれば、砂金を横取りしたことなのは、ほぼ自明ですからね。また、本当は田所靖じゃなくて、桑野欣也で、どうも偽装してたって秘密も、弱みとして握られていたようですから、それも十分に材料になったでしょうし、横取りより大きな材料だった可能性は十分にある……。ただ主任の考えは、まだ大島海路が本来の……、証文の桑野欣也とは別人だった可能性があることは、全く考慮してない時のモノだったわけです。そうなると、大まかな流れはそれで良くても、今言ったように、砂金を横取りする前、どこで証文の桑野と入れ替わったかという問題が出て来ますよね……」

黒須はそう言うと、さすがに考え込んでしまった。


 それをしばらく見ているだけの西田だったが、

「いや待てよ……それを一気に解決出来るかもしれないな」

と呟くと、ホワイトボードに何やら書き連ね始めた。


※※※※※※※


◯砂金の在処を、佐田の父母から、伊坂と証文の桑野が伝えられた。その際に、容貌と証文の保持で本人確認している。但し、桑野については、余り特徴がなかったようで、意外と背が高いのと、教養があるという頭の中身の話がメインになっていた。いずれにせよ、おそらくその時は、証文の桑野本人である可能性が高い。


◯1950年以降の桑野欣也は、後に田所靖となって北見・網走地区で選挙活動をし、そこで伊坂と遭遇したと見られる。その際に伊坂に何か脅迫された可能性が高い。


◯証文の桑野欣也の存在はその後消えている(その後確認されていない)。


◯大島海路の実人物を、選挙以前から伊坂は知っていた可能性が高い。


◯大島海路は、余り北海道に良い思い出がなかった可能性が高い。


※※※※※※※


 ここまで書き終えると、西田は大胆な仮説を主張し始めた。

「本当の、つまり証文の桑野欣也は、砂金を掘り出す前に誰か、それはおそらく大島か伊坂、或いは両者かもしれんが、それらにより殺害され、大島海路の実人物が桑野になりすましたんじゃないだろうか? 桑野は身内は勿論、おそらくは知り合いの多数が津波で死んでいるので、成り済ますにはうってつけだった。ひょっとすると、伊坂大吉が言っていた一緒にした悪事ってのは、砂金の横取りだけでなく、この『殺害』も含んでいたのかもしれないぞ……。本物の桑野が殺害されたのは、佐田家から砂金の在処を聞き出した後で砂金を掘り出す前。人格的に評価の高い桑野が、何故か北条と免出息子の分の砂金まで横取りしたことも、これで粗方説明が付く。そして大島海路……。正体はまだ不明だが、これがその後逃げるように北海道から離れ東京までやってきた。戻った北海道で偶然再会した伊坂は、それらの犯行をネタに大島を脅した。これなら今回の指紋の不一致含め、話が繋がるぞ!」


「うーん、なかなか面白い説ではあるな」

それを聞いていた比留間は、珍しく素直に西田を褒めた。

「そうなると、大島海路は、本物の桑野欣也の本籍が何処にあるかは知っていたんですね。本籍を田老から分籍したわけですから」

「大場! それについては、伊坂が桑野と一緒に働いてた時に、桑野本人から聞いていれば問題ないし、もしかしたら、大島の実人物と本物の桑野も、以前に面識があったかもしれない。そこはどうとでもなる。そう仮定すると、問題はだ、殺害後におそらく北海道から遠ざかろうとしたにもかかわらず、わざわざ選挙に出馬するため戻って来たことだな。ただ、これは今回の不一致の前から、竹下なんかがある程度考えていたのと同じ考えで、何とか説明が付くだろう。北海道に戻る際も(大島は)色々考えた末、何とかなると思った可能性はある。当時は今ほど、末端の国会議員がテレビに出る時代ではなかっただろうからな。出身が道南の伊坂になら、面が割れる可能性があるのは、選挙期間中の新聞の小さな写真程度だったろうし、それ程恐れる必要はなかっただろう。目の前のチャンスを考えると、そういうリスクを冒す価値はあったはずだ。しかし、実際には選挙区の北見に伊坂は居たと」

部下の質問も無難に交わし、西田も徐々に自説に自信が芽生えてきたという感じだ。


「いいですね……。ただ、自分からも1つ疑問が。大島自身も一応鳴鳳大学に入学・卒業出来るだけのレベルの知性、学力はあったはずですが、そうなると、大島はどういう形で伊坂と知り合いだったかということですね。同じような境遇での知り合いだったとすれば、本物の桑野といい、ずいぶんインテリが『流れ』の作業員みたいな立場にあったことになりますが?」

黒須は賛同しつつも異を唱えた。

「そこは正直わからん……。確かに人格面はともかく、知性という意味では、大島海路は『桑野像』をきちんと承継している側面もある。その点はイマイチ詰めが甘いかもしれんなあ。但し、世界恐慌あたりから、かなりのインテリ階級でも職にあぶれていたことがあったのも事実だ。絶対無いとも言えないだろう」

そう答えた西田だったが、他の問題と比較すればそれほど深刻な問題ではないだけに、余り気にしてはいなかった。


「じゃあ俺からもいいかな?」

「なんですか課長?」

確かに、今現在よりは杜撰だったかもしれないが、戸籍をいじる以上、本人確認というのは当時からやっていたはずだ。大島が桑野に成り済ますために、殺害後戸籍を分籍した際、一体どうやって確認したんだろうな? 詳しいことはわからんが、よくわからない人間から依頼されただけで、勝手に分籍して東京に戸籍移すという程、当時の行政もいい加減ではなかったと思うんだよな。そこが問題じゃないか?」

「うーん、それはちょっとわからんですが、戦後の混乱期で、死者も多かった時代ですから、一々細かくチェックしなかったとすれば、それほど深く考えなくてもいいように思いますよ」

西田はこの点についても、ある種の楽観的な態度で応じた。


「そこら辺は、昔はいい加減だったことは十分考えられますから。自分もその点は気にしなくていいように思います。ただ、伊坂が佐田実との87年9月の会食後、同席していた松島に対して、『証文に、田所靖になる前の、俺と一緒に遺産を横取りした時の、奴の古い名前が書かれている』と言った部分は、田所、つまり大島海路と証文の桑野がおそらく別人と判明した今となっては、それとは別にちょっと引っかかりますけどね」

黒須は、この点も西田の意見に同意しながらも、最後に新たな問題を提起した。

「何が問題なんだ?」

沢井が西田の代わりに尋ねると、

「よく考えてみてください。砂金を横取りした当時は、まだ大島は桑野欣也に『成り済ましていた』とは言えないんじゃないかと? 桑野の戸籍上は、時系列で見れば、昭和22(1947)年10月まで、明らかに何の動きも、当時はまだなかったはずですから。砂金掘り出したのは、ほぼ確実にそれより前のはずです。北条正治が小樽の佐田家を最初に訪ねたのが昭和22年だったそうですからね。そして、それ以前に伊坂と大島は佐田家を訪問していた。一体何を以って成り済ましていたと言えるのか? それに、誰かに『俺は桑野だ』と宣言して砂金を掘り出したわけでもないだろうし、砂金を横取りした時には、桑野に成り済ます必要もなかったはずですよね? しかし伊坂大吉は、『俺と一緒に砂金を横取りした時の奴の古い名前』と会食後に発言したと、松島は北村さんに証言してます。どうしてもそこに拭い切れない違和感あるんです。『遺産を横取りした時の』古い名前は、今の大島の実人物がやったとすれば、その時点で『桑野欣也』名義ではあり得なかったはずですよね? この点については、係長の考えでも、結局説明が付きませんよ」

と答えた。


「言われてみれば確かにそうだが……。そもそも松島が、当時の伊坂の発言をそのまま一言一句間違えずに、北村に証言していたかはわからないからさ。そこまで細部の表現にこだわる意味あるかな?」

西田は手にしたマーカーをクルクルと回しながら、黒須に語りかけた。

「確かに松島の証言は、その時点であくまで8年前の記憶ですから、それはそうなんですが……。でも『古い名前』と言うところを、普通ならば出てくるはずの『本名』と言う表現にしなかったのは、桑野欣也と大島こと田所靖が、結局は別人の可能性が出て来た今現在から見ると、妙に意味があるような気がするんですよねえ……。もし、『大島こと田所の本名が桑野だ』というような言い回しで、伊坂が当時発言していたと松島が証言していたなら、松島のこの部分の証言は、大島と桑野が別人かもしれないということになった今、ある意味的外れなモノになるんですが、そうではなかった点において、筋は未だ通ってるんです。そう考えると、この妙な表現は、実際のところ伊坂が当時そのまま口にしていて、更に表現自体にも、しっかりとした意味があると考えることも、あり得ない話じゃないような……」

西田の意見にも、相変わらず黒須は釈然としていないようだった。同時に、松島が後で勝手に伊坂の発言を意訳したにしても、妙に言い回しを小難しくしているような気は、確かに西田からみても感じていた。


 ただ、黒須が何となく気にした、松島が証言した伊坂の言い回しに、実は明確に大きな意味があることに、後で西田は気付くことになる。しかし、この時の西田達にそれに着目しろというのは、現実のところかなり無理があった。気にしていた黒須ですら、何となく程度の無意識に近い着目だったのだから、かなり酷な要求だったと言えよう。

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