第66話 明暗45 (213~214)

「でも、『損して得取れ』じゃないが、大島はその『寄贈』で大きな見返りを得ることになったからね」

「見返り?」

「そう見返りだよ、見返り!」

黒須に向かって強調すると、

「そのことが、海東さんが自分の後継に「田所靖」を指名する大きなきっかけになったんだ」

と言った。

「そうだったんですか!?」

竹下はこれについては想定しておらず、率直に驚いた。

「そうだ。海東さんは、かなりの相続財産を公共のために供した彼の行動が、自分の地盤を継がせる決断をさせたと言っていた。言わば海東イズムの継承者にふさわしいということだったんだろう。実際、役人経験もなく、地方議員すら経験していなかった田所を、いきなり国会議員候補にするということは、当時の政治の常識でも、まずありえなかったことなんだ」

「大島は地方議員経験もなかったんですか?」

竹下の予備知識でも、それはインプットされていなかった。

「だって君、彼が初当選するのは、それから数年後、えーっとだね、確か昭和38(1963)年だったかだよ。そんなことをやっている物理的時間なんてないだろ?」

全く以ってこれ以上説得力のある理由が思いつかないほどの回答だった。

「しかし明らかに準備不足というか、話が急展開し過ぎに思えます。海東さんに何かあったんですか?」

「うん、良いところに気が付いた。実は海東さんは心臓が元々丈夫ではなかったが、医者からもう無理はしないほうが良いと、確か昭和35(1960)年だったか……。その選挙が終わってから言われたそうだ。子供も娘3人で、当然議員になるつもりなんてなかっただろうし……。ああ、ちなみに海東さんの3番目の娘さんは、海東さんが40越えた時に出来た娘さんでね。大変可愛がっていたな……。名前は理科の理で理子みちこと言ったっけ。道理の理から取ったと言っていたのを思い出すよ。如何にも海東さんらしいネーミングだが、『名前の通り真っ直ぐな子で、俺に似た』とか、海東さんらしからぬ親馬鹿ぶりな発言があったりしたのを、今の事のように思い出す……。まあ、さすがに猫かわいがりのような甘やかしはしていなかったが、より愛情を掛けていたのは間違いない……」

思い出したようにニヤつく小柴だったが、すぐ真顔に戻り、

「おっと話が逸れてしまった。スマンね……。それで、それ以前に海東さんはそういう世襲みたいのが好きじゃなかったから、他の適切な人物に地盤を譲るつもりだった。当初は地元の道議会議員に譲ろうとしたんだが、女性問題が発覚したそうだ。そうなると、自分の秘書の中からと言う話になったが、一番のベテラン秘書が辞退して、あ、この人も仕える海東さん同様、かなり真面目な人だったから、恐れ多いという心境だったのかもしれない。それでどうしようかという話になった。そこにその『寄贈』話が出て来た。確かに年齢はともかく、田所の秘書としてのキャリアも全く足りていなかったが、人に好かれる才能は間違いなくあったし、さっきも言ったように『善行』をする度量もあると、思い切って跡を継がせることにしたらしい。僕もさすがにおかしいと思って、東京に居た海東さんに直接聞いたから間違いない話だ。そして厳しい選挙になったが、『海』東匠の『路』線を継ぎ、海東さんの所属していた派閥の長である大島憲一首相から『大島』の姓を選挙用の通名として戴き、『大島海路』として、当時の選挙区で最下位ながら当選したんだな。地盤を継いだとは言え、経歴的に疑問視されたのは仕方ない。そこから、今の彼の立場まで上り詰めた、そういうことだ」

と説明してくれた。


 小柴により、桑野欣也が桑野靖になり、それが多田靖となって、更に田所靖から大島海路と変貌していった経緯が明らかになった。

「いやあ、わらしべ長者じゃないが、凄い出世劇ですね」

黒須はある意味感嘆していた。

「わらしべ長者か……。言い得て妙だな」

それを聞いていた小柴も感心した様子だったが、

「でもねえ、本人は初当選した直後、初の登院後に我が家に挨拶に来た時には、あんまり喜んでいなかったなあ」

と思い出したように語り出した。

「いやいや、それはおかしいですよね? どう考えても前途洋々じゃないですか?」

竹下が聞くと、

「うむ、普通ならそう思うだろう」

とパイプを燻らせてしばらく黙った。2人は口を開くまでひたすら待った。その間1分程度だったと思うが、やけに長く感じられた。そして、小柴はパイプを置くと重い口を開いた。

「実を言うと、僕もはっきりしたことは聞いてないんだ。記憶がないというより、明確に聞いていないと言える。彼ははっきり言いたくなかったんだと思う」

「じゃあ理由は全くわからないということですか?」

竹下は残念そうに言った。可能性が高いわけではないが、そういう部分に何か糸口があるかもしれないからだ。

「それもまたちょっと違う……。口を濁したような言い方だったから」

「何と言っていたんですか」

竹下はなおも食い下がった。

「君もなかなかしつこいねえ。警察にお世話になったことは人生で一度たりともないが、本当に良かったよ。さっきの桜さんへの下衆な推測しかり……。容疑者でもないのにこれじゃあな、ははははは」

小柴は高らかに笑った。しかし目の前の2人が恐縮しているのを見て、少し笑い過ぎたと反省したか、再び真顔で話し始めた。

「それはともかくだ。彼はこう言っていた。『今だから打ち明けるが、実は自分は以前北海道に一時期居たことがあって、必ずしも良いことばかりではなかった。しかし、小柴さんから紹介された海東先生が、北海道選出の議員という縁もあって、そして結婚もしたことで、再び居を構えることになった。そこで後継に指名されるという幸運も得たが、同時に以前の嫌な思い出が、選挙期間中に再び蘇った。当選したが気分が晴れない』と言ったようなことを語っていた。その『嫌な思い出』とは何なのか、彼は聞いても答えなかった。とにかく、1年近くは、余り選挙区に戻ることもなかったようだな。新人議員としては失格な態度だ。その後は精力的に戻るようになった」

「その悩みというか、そういう状況は、議員を重ねる内に解消したんでしょうか?」

竹下は更に追及した。

「少なくとも2期目以降にはそういう態度はなかったと思うよ。解決したかどうかはともかく、気にするほどではなくなったのか、図太くなったのかは不明だがね」


 この小柴の弁を聞いて、竹下はその「嫌な思い出」とは、伊坂大吉との遭遇ではないかと直感した。「選挙期間中」という表現から、道東の選挙区を回っていた間に、伊坂に「大島海路」が「桑野欣也」だと見ぬかれたのではないか、そして接触してきたのではないかという推理をしたのだ。勿論接触とは、ある種の脅迫であった可能性が高いと睨んだ。


「ところで、ちょっと話が変わりますが、海東匠議員は、清廉潔白という評価の方ですが、当然地盤には、そういう点を評価した支援者が多かったと見て良いでしょうか?」

竹下の突然の話題の転換に一瞬ためらったが、

「はい? ……うーん、まあそう言っても良いのではないかな。僕も直接支援者に知己がいたわけではないから、あくまで推測だが」

と自信なさげに言った。

「そこは別に確定事項としておっしゃらなくても構わないですが、そういう可能性があるということですね。わかりました。一方、大島海路は、今では所属派閥同様、金権体質の権化と批判されることが多いようですが、そういう傾向には何時頃から? 少なくとも議員になる前には、そういう兆候はなかったと見てよろしいですね?」

竹下は更に畳み掛けた。


「まあそうだな、議員になる前までは、寄贈の経緯を語るまでもなく、そういう人間ではなかったと思う。一方で、その変質というか変貌を感じ始めたのは、割と早い段階だったように記憶している。1期目の後半には、なにやらきな臭い噂を聞くようになった。行政に口先介入しているとか何とか。実は2期目の選挙はかなり危なかったのだよ。1期目は知名度の無さからの最下位だが、2期目は、噂では海東匠の地盤が揺らいだことによる危うさだったらしい。つまり純粋に海東さんの人柄で投票してきた支援者の一部が、そういう大島の行動で離れたんだな」

小柴はしみじみと語った。

「しかし、その後は盤石の選挙での強さを発揮しているわけですから、支援者の層を入れ替えてきたとも言えるわけですか? いわゆる利権導入型として」


 この質問は、正直捜査には直接関係して来ないものだったかも知れない。だが、大島海路という人物の地域権力掌握の流れと、竹下の推理である「伊坂との接触による変貌」を、時系列的に結びつけて考えられるかどうかを確定しておきたいという竹下の考えから出たものだった。


「うむ。なかなか良い分析だね。多分そうだろう。海東イズムを捨て去り新たな『手法』を手に取ったわけだ、彼は……。勿論、議員になるということは、どうしても支援者や地域への利益導入とは無縁でいられないことは、僕も経験上はよくわかっているが、彼のやってきたことはそれ以上だからね……。度が過ぎたものは政治を……そして道理を曲げる」

小柴はそう言うと、静かに目を閉じた。


「それにしてもあっという間ですね、人が変わってしまうのは……」

黒須が残念そうに言ったが、「伊坂との出会い」により、少なくとも初期はそうせざるを得なかったのではないかと言う考えを持っていた竹下と違い、そこまで考えが至っていないようだった。


「大島とは、その後はどういうお付き合いを?」

沈黙が続いたので、竹下は余り意味はないが、場を繋ぐ質問をしてみた。

「僕自身は、彼に特に何か苦言のようなものを言ってきたつもりはないし、そもそもほとんど会うこともなかったが……、どうも彼の方が僕を避けているようだったな。彼が議員になってからは、初期にはそれなりの頻度で会っていたものの、当選回数を重ねるにつれ、どんどん会わなくなってね。忙しくなったという以上に、やはり避けられていたんだと思う。最近は全く会ってない。これは僕の勝手な憶測だが、海東イズムをよく知るだけに、海東さんの跡を継いだ彼自身の『不甲斐なさ』を、彼なりに内心強く恥じているのではないか? そう思ってるよ。さっきも言ったが、一番近いところでは、15年ぐらい前の、自分の都議引退パーティーに、『義理上』仕方なかったんだろうがやってきて、挨拶を受けたが、まあ心のこもっていない形式的なものだったな……。これについては、『会わせる顔がない』というだけでなく、あちらも国政での『お偉いさん』として扱われる立場になったわけだから、残念ながらちょっと見下されたのかも知れない……。ただ、自分にもその手の態度が政治人生において一度たりともなかったとは、振り返ってみて到底言えない。やはり因果は巡るということかな……」

そう言うと、小柴は庭の方にチラッと視線をやり唇を噛んだ。

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