ずる賢い狼と可憐な小うさぎの、顛末 1

  * * * *



 サクラさんと隊長さんが王都に旅立って、早二週間。

 お土産話を楽しみに帰りを待っていたわたしに、思いもよらない仕事が舞い込んできた。


「マラカイルさんのお世話係……!?」


 夕食も終え、相部屋に戻って思い思いの時間を過ごしていたわたしとエルミアだったけれど、彼女はたった今思い出したかのように爆弾を落とした。

 明日の仕事の前に使用人頭さんの部屋に来るように、と言伝を預かっていたらしい。そしてその理由というのが……お世話係の任命、ということのようで。


「そう。まあお世話係っていうか、お目付け役みたいなもんなんだけど」

「な、なんでわたしが!?」

「ハニーナも知ってるでしょ、今のマラカイル小隊長の忙しさ。この二週間休みなしだし、それどころか休憩時間も満足に取れてないらしいよ」

「そ、それは……」


 隊長さんのいない今、隊長代理を務めているのが隊長直属部隊の小隊長であるマラカイルさんだ。

 別にそれはめずらしいことではなくて、今までも隊長さんが長期休暇に入ったときは同じようにマラカイルさんが務めていた。

 ただ、今回はなんというか……運が悪かった。

 隊長さんが旅立った数日後、まるで隊長さんの留守を狙ったかのように魔物が現れた。

 幸いランクはそれほど高くなかったようで、わたしたちは避難する必要もなくその日のうちに討伐された。

 けれど、これまた隊長さんがいないことで気がゆるんでいたのか、命令違反の上に軽くはない怪我をした隊員が出てしまった。

 さらにはその隊員に対して喧嘩を売った隊員がいて、危うく乱闘騒ぎ。


 それでなくても、他に割り振っているものもあるとはいえ普段の二人分の仕事をこなしている状況。

 そこで追加の報告書やら始末書やらが出てしまえば、その分も仕事は倍になってのしかかる。

 常日頃、隊長さんの補佐を完璧にこなす優秀なマラカイルさんであっても、寝食も満足に取れない状態になってしまっているようだ。


「食事とか休憩時間とかさ、ちゃんとフォローしてあげてほしいわけ。男だと目の届かない部分もあるから、よく気がつくハニーナにお願いしたいんだってさ」


 うっ、とわたしは声をつまらせた。

 期待には応えたくなってしまう。わたしにならできる、と思ってもらえるのはとてもうれしいことだ。

 男性が苦手なわたしは、男性の多いこの職場では動きが制限される部分がある。

 その分、わたしにもできる仕事は真面目に、積極的に、そして丁寧にするように心がけている。

 おかげで、シミ落としのプロだとか早業ベッドメイキング職人だとか面白半分に呼ばれて、一部ではあるけれど仕事ぶりを評価してもらっている。


「で、でも……わたしである必要はないんじゃ……」


 たとえ仕事でもマラカイルさんには近づきたくない、というのが正直なところだ。

 いったいわたしの何が琴線に触れたのか、マラカイルさんはことあるごとにわたしをからかってくる。

 甘い言葉を吐いたかと思えば突き放したり、隙を突かれて触れてきたと思えばすぐに離れたり。

 ひらりひらりと蝶のように掴みどころのない彼に、わたしはただ翻弄されるだけ。

 わたしはマラカイルさんが何を考えているのかまったくわからない。わからないから、とても苦手だ。

 それはエルミアも、使用人頭さんも充分なほど知っているはずなのに。


「んー、まあぶっちゃけ、惚れた弱み的な?」

「……は?」


 ぱちり、と目をまたたかせる。

 きょとんとするわたしに、エルミアはわざとらしい笑みを浮かべてみせた。


「ほら、マラカイル小隊長って基本自分のやり方通す人間じゃない。いつもはそれでいい感じにいったりするけど、今回ばっかりはキツそうでしょ? だから、ハニーナの言うことなら聞くんじゃないかって」

「つまり、生贄ですか……?」

「まあ、生贄というか餌というか……」


 どちらにしろ、ひどい扱いだということは変わらない。

 むしろ、人間扱いでなくなった分、餌のほうがひどい気すらする。

 この砦の平穏のために、エルミアは友人を悪魔に売り渡すつもりだろうか。


「無理です! わたしにはできません! そんな危ない仕事!」

「大丈夫大丈夫、あの効率重視のマラカイル小隊長が、こんな忙しい時期に問題なんざ起こさないわよ」

「確証なんてないじゃない!」

「でも、実際問題このタイミングでマラカイル小隊長に倒れられたりしたら困るでしょ?」

「そ、それはそうだけど……!」


 もちろん、わたしにもこのままではよくないことはわかっている。

 今はまだ保っていても、同じような生活を続けていれば遠からずマラカイルさんは身体を壊すだろう。

 そうならないためのストッパーが必要なことは理解している。しているけれど、何もそれがわたしでなくても、とどうしても思ってしまうのだ。


「ねえ、ハニーナ」


 エルミアは急に笑みを消して、真剣な顔でわたしを見つめてきた。

 オリーブのような明るい黄緑色の瞳は、何かを見透かそうとしているように思えた。


「あたしは別に、あんたの味方のつもりだし、ほんとのほんとに嫌だってんなら一緒に使用人頭に断りにいってあげるよ」

「……ありがとう、エルミア」

「でも、」


 エルミアはそこで言葉を区切って、ひとつため息をついた。

 そして、まるで素直になれない子どもを見るように、微笑んで。


「あたしさ、覚えてるんだよね。目ぇキラッキラさせてマラカイル小隊長の話するハニーナのこと」


 エルミアのその言葉は、捨て去ったはずの記憶を一瞬にして呼び覚ました。

 あのときのことは、わたしがただ子どもだっただけのこと。何も知らなかっただけのこと。そうわかっていても、裏切られたと思った。だから、きれいさっぱり忘れることにした。馬鹿な自分と一緒に。

 けれど、大事に大事に蓋をして、自分の目からも隠していただけのことだった。



 そう、わたしは最初、彼を『優しい人』だと思ったのだ。

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