閑話
懺悔は馬車に運ばれる
* * * *
サクラのお披露目が主目的だったはずのパーティーは、フロスティンの発言によって婚約発表の場に様変わりしてしまった。
やられた、と思った。
大丈夫とサクラは言うが、何も大丈夫ではないことは考えなくてもわかることだ。
サクラの選択の余地が、完全に奪われてしまった瞬間だった。
正直、口々に祝福の言葉をかけてくる貴族たちにどう返したか覚えていない。
不測の事態に俺もサクラも疲れ果て、途中で抜けて馬車に戻ったところで今度はカーディナが目に見えて機嫌を損ねており。
エッシェの機転によりその場はどうにか収まったものの、家に帰ればまた一悶着が待っているのは火を見るより明らかで。
馬車に乗り込み、ようやく一息つけるかとも思ったが、当然ながらサクラと二人きりだ。
むしろ、俺にとってはこれからが本番だろう。
「あの、グレイスさん」
おどおどと俺の名を呼ぶサクラに、甘いのか苦いのかわからない気持ちがわき上がる。
最近、そう呼ぶようになったことに、深い意味はないのだとわかっている。 砦を離れてまで『隊長』と呼ぶのはおかしいからだと。
……そう、わかっているのに。
「サクラ……」
「はい?」
名を呼ぶと、サクラは返事をして俺を覗き込んできた。
夜の闇の色をした瞳は、ほんの僅かにも俺を責めてはいなかった。
それが余計に、罪悪感を煽る。
「もし……もしも、この婚約に不満があれば、重荷に感じることがあれば、秘密裏にお前が国を出られるよう俺が手はずを整える」
「へ……?」
サクラは間抜けな声を上げ、大きく口を開けたまま固まった。
彼女はまだ自分の立ち位置を理解できていないのかもしれない。
その表情が悲しみに歪むのは見たくないが、選択肢を奪われた事実を隠しておくことはできない。
「他の国でも精霊の客人は丁重に扱われる。国の保護を受ければこの国も手は出せない」
「ほ、他の国って……何言ってるんですか!? 私はどこにも行きません!」
「……そうだな。また新たな地で一から関係を育むのは、覚悟と気力のいることだ」
あまり現実的ではないことは提案する前からわかっていた。
ジェイロの砦で、サクラは持ち前の明るさでこの世界に馴染む努力をしていた。
それをまた、国を越えて行えというのは酷な話だろう。
「そうじゃなくて! そもそもどうして私が他の国に行く必要があるんですか! さっきからなんの話をしてるのか全然わかりません!」
サクラは声を荒らげ、俺の腕を少し乱暴に引っ張った。
俺も彼女も冷静ではない。そうわかっていても、勝手に動く口を止められない。
「あれだけ大勢の前で公表された婚約を、今さら覆すことはできない。お前は……俺と、結婚するしかない」
低くうなるような声で、俺は吐き捨てるように言う。
おそらく、フロスティンなりに気を回したつもりなんだろう。
引き離すことによって俺とサクラの気持ちを試した。そして、それほど想い合っているのならと、面倒な手順を踏まなくてもすむよう公で婚約を発表した。
たしかに、後見人の件も婚約に関しても、頭の固い議員らの決定を待つよりも最短で場が整うだろう。
しかしそれは、サクラに結婚の意志があってこそのものだ。
サクラが抱えている複雑な葛藤を、フロスティンは知らない。
俺に向けられた想いに嘘はない。日々、その気持ちは大きくなっていると言ってくれた。
それと同時に、元の世界への未練もあると、正直に話してくれた。
だから、待つと、そう約束したのに。
腰を丸め、くしゃりと前髪を握り込む。
「……お前に逃げ道がなくなって、安堵している自分が一番許せない」
深いため息と共に、懺悔を吐き出した。
国王の前で、あれだけ多くの証人に認められた婚約を解消するためには、サクラは国を出るしかないだろう。
つまりは、常識的に考えて不可能だということだ。
もう待たなくていいのだと、彼女が俺の前から消えてしまうことはないのだと。
サクラを気遣うより先に安堵を抱いた俺は、本当に救いようがない。
「そこは、素直に喜んでくださいよ。大好きな人と結婚できるー、やったーって」
「……お前の気持ちが伴っていなければ意味がない」
サクラとの未来が確約され、今はよくても、その先は?
不安があとからあとから顔を出し、耳元でささやく。
『彼女が後悔したらどうする?』と。
「伴ってます。伴ってるんです」
切々とした声が鼓膜を揺さぶる。
つられるようにして顔を上げると、サクラの瞳はまっすぐ俺に向けられていた。
「もしかして、こんな状況になっちゃったから私が渋々あきらめた、とか思ってますか?」
その的確な指摘に、俺は眉間にしわを寄せる。
大丈夫と何度も口にしたサクラは、状況を理解していないか、彼女らしい大らかさですべて受け入れてしまったように見えた。
どちらにしても俺にとって、そしてサクラにとって望ましくはないことだ。
「手放すつもりはないって、言ってたじゃないですか」
「それは……」
数ヶ月も前の言葉を持ち出され、なんとも言えない気持ちになる。
今思えば、ずいぶんと浅はかな願いを口にしたものだ。
「愛してるって、手放す気はないって、見返りを求めてるって。いっぱいグレイスさんの気持ちも望みも聞きました。でも、グレイスさんはいつもいつも私の気持ちを優先しようとします。グレイスさんは私に優しすぎます」
「……優しいんじゃない。臆病なんだ」
サクラを思いやるふりをして、実際には自分が傷つきたくないだけだ。
フロスティンに騙され、俺の目の前でサクラが姿を消したとき、喪失感で頭が真っ白になった。
再会し、胸に飛び込んできた彼女を抱いたとき、もう俺はこのぬくもりを失えないと、思い知らされた。
俺が何よりも恐れているのは、サクラに拒絶されることだ。
「知ってます! どれだけ一緒にいたと思ってるんですか! どれだけ、私がグレイスさんのこと好きだと思ってるんですか!」
どれだけも何も、まだ半年だと言い返そうとして、すぐに気づく。
そういうことではないのだろう。
俺のサクラへの想いだって、年月で計れるものではない。
「私がいつか後悔するかもしれないのが怖いですか? 気持ちが離れていってしまったらどうしようって思ってますか?」
図星を指され、項垂れるようにして頷いた。
いつのまにかサクラは、ずいぶんと俺の心を読むことに長けてしまっていたらしい。
小さく柔らかな手が頬に添えられ、顔を上げさせられた。
闇よりもなお深い黒水晶が、まっすぐ俺を射抜く。
「私に嫌われるのが怖くて、自分の望みを殺してまで私を優先しようとする優しくて臆病なグレイスさんが、私は好きなんです。こんなに私のことを想ってくれる人なんて、きっと全世界探したっていません」
……本当に、そうだろうか。
サクラの生来の明るさは、どこへ行こうと愛されるように思える。
この世界に来なければ、元の世界で家族にも祝福される恋をしていたかもしれない。
「今まで散々グレイスさんの優しさに甘えてきた私が言えることじゃないけど……私は、グレイスさんのわがままが聞きたいです」
甘く、やわらかく、サクラの声が俺の耳をくすぐる。
「私にしか叶えられないわがままを、言ってくれませんか?」
言えば、叶うのだろうか。
願っても、許されるのだろうか。
酒に飲まれた夜、夢の中の彼女に受け入れてもらえたように。
「俺は……」
思わず開いた口は、言葉を発する前に閉じてしまった。数度、そんなことを繰り返す。
サクラが愛しい。放したくない。この先もずっと一緒にいてほしい。
告げるべき言葉はすべて口の中で泡のように消えていく。
どこにも行かないと、気持ちは伴っているのだと。
その言葉を信じたいのに、けれど、もし、と頑なな心が別の可能性を探ってしまう。
「……よーし、わかりました!」
サクラはそう言ってパチンと手を合わせた。
「グレイスさん、私ちょっとやりたいことがあるんです。忙しいとは思うんですけど、グレイスさんの一日をください。見晴らしのいい場所に連れて行ってほしいんです」
「やりたいこと……?」
「そのときまで内緒です! 首を洗って待っててくださいね!」
まるで果たし状でも叩きつけるように、ビシッと人差し指を突きたてられた。
呆気に取られた俺を、サクラは真剣そのものの表情で見つめてくる。承諾するまでまばたきすらしないつもりかもしれない。
勢いに押されるように一つうなずくと、サクラは花開くように、パッと笑った。
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