38:希望を託されました
* * * *
ココリア様とのお茶会から数日。
いつものお勉強のあと部屋に戻ろうとしたところで、すれ違ったルシアンさんに呼び止められた。
「ああ、サクラさん。カーディナが帰ってきたそうですよ」
「よかった……」
私は心からほっとして、胸を撫で下ろす。
そう、実はカーディナさんはここ数日、プチ家出中だったのだ。
向かった先がエッシェさんの家だったから心配はないし、家出と呼べるのかもわからないけど、主原因としては気が気じゃなかった。
今日も先生と二人っきりでとても居心地が悪くて……いや、まあそれはいいんだけども。
「サクラさんが気に病むようなことではありませんからね」
「ありがとうございます。でも、どう考えても私のせいですから」
「黙っていたことに関しては、兄さんが言っていたとおりですよ。サクラさんの口から言えることではなかったでしょう?」
優しく励ましてくれるルシアンさんに、私はふるふると首を横に振る。
隊長さんはああやってかばってくれたけど、さすがに私もそれに甘えてばかりはいられない。
「違うんです。グレイスさんが黙っていたのは、私のためだったんです」
待っていてほしいという私のわがままを叶えるために、私に選択肢を残すために。
隊長さんは私のことを思って、何も言えなかった。
どちらにしても、悪いのは私のほう。
「事情はわかりませんが……それなら、僕もあなたに謝らなくては」
「え?」
ルシアンさんが、私に?
目を丸くする私に、彼は苦笑をこぼした。
「申し訳ない。始めは少し、疑っていました。城勤めの僕は、王太子殿下の寵姫の噂を聞いていましたから」
な、なるほどーーー!!
そっちの問題はまったくもって頭になかった。
でも、考えてみれば、たった一日で広まった噂を、ルシアンさんが耳にしていないほうがおかしい話だ。
「あっ……あれは色々事情があって……!」
「大丈夫、今は大体わかっています。王太子殿下は、少々捻くれた方だから」
少々……。
思わずツッコミを入れたくなったけど、ルシアンさんにとっては未来の義理の兄弟だ。下手なことは言えない。
「僕が生まれてから、兄はずっと一人でした」
ぽつり、とまるで独り言のようにルシアンさんは話し始めた。
いきなりの話題転換に驚きつつも、隊長さんのことならなんだって聞きたい。
静かに続きを待つ私に、ルシアンさんは小さく息をついて視線を落とした。
「測定しなくても、ある程度の差があればわかる人にはわかります。……わかって、しまうんです」
ぐっとルシアンさんの眉間に皺が寄る。
ルシアンさんは隊長さんよりも魔力が強いからこの家を継ぐ。王位継承権も持っている。
その差が、わかりやすいものであったなら。
隊長さんは、いったいいつから身の置き場のない気持ちを味わっていたんだろう。
「僕が生まれたとき、兄さんは五歳でした。僕が魔力測定の儀式を受けたときは、十歳。まだこれからいくらでも成長するはずの子どもが、お前は用なしだと宣告される恐怖を、絶望を、きっと僕は一生理解できません」
努めて平静を装おうとしているのか、その声は淡々としていて、でもかすかに震えていた。
そう言いながらも、きっとルシアンさんは理解しようとしたんだろう。
隊長さんと一緒にルシアンさんも苦しんだんだろう。
口さがない人たちに、カーディナさんが憤っていたように。
「兄さんは一人だった。家族の中にいても、明確な線が引かれていた。僕たちが近づこうとすればするほど、それはさらに顕著に、兄を苦しめた」
そこまで話して、ルシアンさんは細く長いため息を吐き出した。
今まで心の奥底に沈めていた思いを、全部外に出してしまうように。
そしてルシアンさんは、顔を上げて私に笑いかけた。
「だから、兄を一人にしないでくれる人を、僕たちはずっと待ち望んでいたんです」
心からの、晴れやかな笑みだった。
長い冬が終わって、ようやく芽を出した春の花を見て思わず顔をほころばせるような。
希望を、祈りを、託されたような気がした。
「サクラさん、あなたの話の中の兄さんは、僕が知っている兄さんよりもずっと感情豊かで、生き生きとしていました。あなたと一緒にいる兄さんを……あなたを見る兄さんの目を見ていたら、ああ、ようやく来てくれたのか、と思いました」
きれいな青空のような瞳がゆるやかに細められる。
まさか、私のとんでもなくどうでもいいような日常の話を、そんなふうに聞いてくれていたなんて。
隊長さんが愛されていることが、泣きたくなるほどうれしい。
その、愛する家族を託してくれることに、心が震える。
「兄さんを、よろしくお願いします」
「はい、はい……!」
私は何度も何度もうなずいた。
ルシアンさんから渡された願いを、一つもこぼさないように受け取りたいと思った。
「ほら、カーディナも。言うべきことがあるんじゃないのかい?」
「えっ」
カーディナさん?
気づけば、ルシアンさんは私の背後に視線を向けていた。
つられるようにして後ろを振り返ってみると、カーディナさんが柱の影からこちらを覗き見ていた。
……え? いつからそこに? どこから聞いてました?
「サクラ。一つ、言い忘れていたの」
「何をですか?」
「兄様に、どんな人がお似合いだと思うか」
カーディナさんは、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
怖いくらい真剣な表情をした彼女に、私はゴクリとつばを飲み込んだ。
いったい何を言われるんだろう。
あれだけ高かった理想に、さらにまだプラスされるとしたら、もう私なんて太刀打ちできないんじゃないだろうか。
ドクドクと音を立てる心臓を押さえながら、カーディナさんの言葉を待った。
「……兄様を笑わせてくれる人。兄様を、幸せにしてくれる人。それが一番大事なの」
彼女はくしゃりと泣きそうな顔をして、言った。
張り詰めていた緊張の糸が一気にゆるんで、私もカーディナさんに歩み寄る。
「それなら私、すごく自信があります」
自信満々に、ぐっと握りこぶしを作ってみせた。
むしろ、私にはそれくらいしか誇れることはないかもしれない。
無理だと思っていたダンスを踊れたように、他のことも及第点くらいは取れるように努力するから、それで手を打ってもらえないかなぁ。
「入れ物が、変わっただけなんでしょ? 精霊の客人から友人に、友人から義姉様に」
「はい。中身は変わってません」
確認するように問いかけられて、私は笑顔でうなずく。
前にカーディナさんの背中を押すために告げた言葉が、そのまま返ってきた。
兄の恋人でも婚約者でもなく、義理の姉っていうのは少し気が早いけど、いつかそうなれたらいいなと心から思う。
「なら私、あなたを歓迎できるわ、サクラ」
カーディナさんは笑顔でそう言って、私を抱きしめた。
出会い頭に抱きつかれたときとはまったく違う、やわらかな抱擁。
家族の一員として、無事に認めてもらえたようです。
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