恋愛における主導権について

 何事においても、一番優先すべきは効率だ。

 とは、オレの二十五年というまだ長くはない人生の中で、学んだことの一つ。

 そして、効率化を図るために重要なのは、主導権を握ること。

 オレはそれを、今まで誰にも明け渡したことはなかった。




「わーお、すごいねぇ。なかなかに男前だよミルト」

「それはどうも」


 隊長の部屋の隣にある、自分の執務室。

 オレの目の前で、くりっとした瞳をまんまるにして、楽しげに声を弾ませているのは、第十一師団――別名隠密部隊隊員、レット・スピナー。

 彼が何を見て『男前』と言ったかというと、あんまり詳細を語りたくはないけど、オレの頬の腫れをはじめとする負傷のこと。

 今日の昼、精霊の客人であり上司の恋人でもある少女、サクラにちょっかいを出した結果のシロモノだ。

 まったく、容赦ないんだから、隊長は。せっかくの色男が台無しじゃないか。

 レットも下手な皮肉を言うもんだ。


「こっち戻ってくるのがあと半日早かったらなぁ。ミルトもそんな楽しそうなことするなら、ぼくのこと待っててくれたらよかったのに」


 あーあー、とレットは頭の後ろで手を組んで、残念そうにぶつくさこぼす。

 言うと思った、とオレは苦笑する。レットは若干というかけっこう、享楽主義なところがある。

 おもしろいことが好きという考えは大いに共感できるけど、面倒事を嫌うオレには理解できない刹那的な面も持ち合わせてるから、たまに厄介だ。


「絶好の機会を逃したくなかったんだよ。それに、レットの仕事はこれから、でしょ?」

「はーいはい、わかってるよん。噂流しとけってんでしょ」

「察しがよくて助かるよ」


 ニッコリと笑ってみせれば、レットも心得たとばかりにニンマリ笑う。

 きっとこの光景を隊長が見ていたら、似た者同士だと心底嫌そうな顔をして言うことだろう。

 頭の回転が速い人間相手だと話が早くて楽だ。こちらが一つ言えば三つ四つは理解し、五つ六つを返してくる。

 今回のオレの行動の目的。隊長にとってのサクラの立ち位置の最終確認と、周囲への牽制。それからついでに、サクラに覚悟を促すこと。

 レットはそれを、あの場にいなかったにも関わらず、正確に把握してくれているようだ。


「にしてもさぁ、ミルトが身体張るなんて、めっずらしいよねぇ~。そんだけ第五の隊長さんが大事?」

「何それ、気持ち悪い。単なる効率の問題だよ」


 たしかに、めずらしいと言われるくらい俺らしくない行動だとは思う。面倒が嫌いなように、痛いことだって当然嫌いだ。

 それでも、目的のためなら多少の痛みは我慢するし、泥だって被る。

 そのおかげでさらに大きな面倒を避けられるなら、一時の痛みくらいは必要経費だ。


「ふ~ん? ま、そーゆーことにしとこっか」


 レットはまるで、『わかっているよ』とでも言うようにオレを見る。わかってない。全然わかってない。

 男の友情だなんだと、暑苦しいものは好きじゃない。上司と部下なんて、円滑に仕事ができる関係さえ保っていれば、個人的な好悪はどうでもいい。

 そりゃあ隊長のことは嫌いではないけど、たとえ嫌いだったとしてもオレは同じことをしたはずだ。

 理由は単純明快。“必要なことだから”。

 そこには友情も主従愛も存在しない。断じてない。


「まーいいや。それよりミルトの小ウサギちゃんのほうはどうなの?」


 レットは唐突に話を変えた。

 あまり人の名前を呼ぼうとしないレットは、こうやって人を何かにたとえることが多い。

 それに、彼女を小うさぎと呼ぶのはレットに限ったことではない。

 筋肉で思考するような連中にとって、恋やら愛やらおきれいな言葉で飾ったところで狩りと同じ。

 惚れた女は獲物であり、報酬だ。


「どうって?」

「進展ー」

「あると思う?」

「ないと思うなー」

「なら聞かなきゃいいのに」

「あっはは、攻めあぐねてるミルト笑えるー」


 明るく笑うレットに、少しばかり神経を逆撫でされる。

 いくら気の置けない友人でも、甲斐性なしとばかりに言われるのは癪だ。


「別に、今すぐどうこうしようとは思ってないからね。攻めあぐねてるわけじゃないよ。時機を見てると言ってほしいな」


 そもそもオレはまだ、本気でハニーナを口説き落としにかかってはいない。

 ハニーナの反応からしてまだ時期尚早だろうし、もうしばらくは、あいまいな関係を楽しんでいたい気持ちのほうが強い。

 今の状況は、いつでも捕まえられる敵を泳がせているようなもの。

 つまりは万事予定どおりというわけだ。


「あーおっかしー」

「何が」


 思わず声に険が混じる。

 レットはそれはそれは楽しげに、いっそ無邪気にも見える全開の笑みを浮かべてみせた。


「ミルトはなんだって自分が主導権握ってないと気がすまないんだ。隊長でも、小ウサギちゃんでも」

「そんなの当たり前じゃない?」


 主導権を相手に取られたいヤツなんてどこにもいないだろう。

 不測の事態に対処するのは気力も根気も必要だ。自分の想定内に収めたほうが楽だし、効率がいい。

 隊長もハニーナも、わかりやすさで言えばどっこいどっこい。それに比べればまだサクラのほうが掴みどころがない部分がある。

 わかりやすい人間は嫌いじゃない。思うとおり動いてくれるから。

 主導権は自分で持っているのが、一番面倒が少なくていい。


「バッカだなーミルトは。恋愛沙汰で握らなきゃいけないのは主導権じゃなくて心でしょ」


 トン、とレットはオレの左胸をノックするように叩いた。

 軽い衝撃は痛くもなんともなかったけど、その奥のどこかに響いたような気がした。


「気づいたときには主導権なんてそっくり明け渡してるもんだよ、恋ってのは。ミルト、今ほんとに主導権持ってる?」


 意味深な笑みに、そのときなぜかオレは何も言い返せなかった。



  * * * *



 噂は数日もしないうちに、砦中に広まったようだった。

 湿布を貼りつけた痛ましい顔で砦内を歩いているだけで、隊員たちの立ち位置が手に取るようにわかる。

 オレの顔を見て笑い出すヤツ。気の毒そうにするヤツ。顔を青くするヤツ。

 笑い出すヤツは少し腹は立つけど問題なし。気の毒そうにするヤツは全然問題ない上に、人の好さは利用価値がある。

 顔を青くするヤツは、もしかしたらサクラにちょっかいを出そうとしていたのかもしれないから、頭の隅にメモしておく必要がありそうだ。

 オレが隊長の女に手を出して殴られたという事実と、その事実を証明する目立つ負傷は、ちょうどいい物差しになる。

 これで、隊長にとってサクラがどれだけ大切な存在なのか、サクラに手を出せばどうなるか、いちいち説明しなくても周知できる。男女関係のいざこざは面倒事に発展することが多いから、全治十日の怪我でいい見せしめになったなら安いもんだろう。

 わざと外に出る機会を増やして人と接していれば、まあ当然、彼女とだって出くわすわけだ。


「やあ、ハニーナ」


 廊下の向こうから歩いてくる彼女に、声をかけた。

 小ウサギちゃん――ハニーナは、オレを見ていつも以上にあからさまに顔をしかめた。

 長い薄金の髪を垂らしているから、休憩に入ったところだろう。ハニーナはいつも、仕事中はきちんと髪をまとめている。

 会釈だけしてすれ違おうとした彼女の手を、素早く捕獲した。

 愛しの人オモチャで遊べる機会を、オレが逃すと思う?


「ねえ、妬いてくれたの?」


 表情から察するに、もう噂は聞き及んでいるようだ。

 砦の誰もが耳に挟むように広めてもらったんだから、当然と言えば当然。

 考えてみれば、あのときレットがハニーナを話に出したのも、それを見越してのことだろう。

 さて、この手を握られただけで震えるオレのかわいい小ウサギちゃんは、いったいその噂に何を思ったのだか。

 嫉妬やそのたぐいではないことは、百も承知だ。


「そんなんじゃありません! サクラさんは、隊長さんのことが好きなのに……」


 怯えも忘れるほどの怒りを藍色の瞳に浮かべて、睨みつけてくる。

 お、と思ったものの、その言葉には失笑をこぼす。


「もしかして、本気でオレがサクラに横恋慕してると思ってる?」

「あなたが本気になることがあるとは思えませんけど」


 わかったふうな口を利きつつ、隊長の恋人にちょっかいかけたことに関しては疑いもしないらしい。

 うん、そうだった、ハニーナはこういう子だ。

 真っ当で、曲がったところのない、いっそ危ういほど健全な精神。

 だからオレなんかに目をつけられるんだよ、と教えたところで意味はないだろう。


「ハニーナはもう少し噂の効力ってものを知ったほうがいいね。サクラちゃんはもちろん、君がここで安全に働いていられるのだって、噂のおかげだ」


 出来の悪い生徒を教え導くように、仕方なくヒントを出す。

 勘違いさせるために流した噂ではあるけど、自分の獲物にまで誤解されてたんじゃたまったもんじゃない。

 二人の間に沈黙が落ちて、真意を探るような視線を向けられる。

 それに意味深な笑みを返せば、ハニーナはビクッとしてうつむいてしまう。

 普段あまり交わることのない深い宵闇の色の瞳を、まだ見ていたかったなと少し残念に思った。


「……わざと、なんですか?」

「意味もなくこんな損で面倒な役回りはしないよ」

「でも……でも……」


 下を向いたまま、小さな声でなおも抗議しようとする。


「真面目で真っ当なハニーナには理解できないだろうね、オレのやり方は」


 わざとらしくため息をつけば、大げさなほど華奢な肩が跳ねた。

 掴んでいる手からは小刻みな震えが伝わってくる。

 正確には、ハニーナは男が苦手なわけじゃない。ただ、男の身体に慣れていない。

 父親が忙しくて、めったに家に帰ってこなかったせいもあるだろう。整った容姿から、子どもの頃は同年代の異性からからかいを受けていただろうと容易に想像がつく。

 こうして近づいてしまえば、自分よりも強大な存在への恐れで、自然とその身体は震える。

 なのにハニーナは屈しない。流されない。涙目になりながら、どんなにか細い声でも、オレを拒絶する。

 小ウサギの小さな爪で引っ掻かれることを、オレは日々楽しみにしていた。


「人を騙すことは……よくないことです」


 ささやくような声で、それでも折れることなく。

 まっすぐだなぁ、と思う。

 男性優位のこの砦で、よくこんなきれいな心のままいられるものだと。

 男というものを知っているサクラや、負けん気の強いガネットと比べると、あまりにもろく儚く映る。

 “マラカイル小隊長の獲物”という噂で守られているせいもあるのはわかっているけれど。

 きれいなものは汚したくなる。泣かせて喘がせてただの女に堕としたくなる。

 それと同じくらい、少しの垢も傷もつかないよう、薄布にくるんで箱に仕舞っておきたいような気もする。


「正論ばかりで仕事がはかどるなら、それでもいいけどね」


 わざと呆れたような口ぶりで言えば、小さな身体はわかりやすく強張る。

 どれだけ力を入れて抱きしめたら、このか弱い肢体は折れるんだろう。

 どこもかしこも頼りない姿形は、小ウサギというよりも風に揺られる花のようだ。

 匂い立つ香は、確実に男を誘うそれなのに、当の花はそんなことにも気づいていない。

 たわむれに顎を持ち上げて、大きく見開かれた瞳に、誘惑するように微笑みかけた。


「オレとしては、身体張ってがんばったご褒美を、君からもらいたいくらいなんだけど?」

「なっ……! そんなものありません!」


 途端に茹で上がったように真っ赤になったハニーナは、やっぱりかわいくて、いじりがいがある。

 男慣れしていない彼女に一から教えていくのもきっと楽しいだろう。

 何事においても、一番優先すべきは効率。

 ただひとつの例外が、恋とか愛とか呼ばれるもの。

 嫌われているとわかっていて、長期戦覚悟でわざわざ面倒な相手を選ぶのは、そのほうがおもしろいからだ。


「残念。もらえないなら自分で奪おうかな」

「マラカ……っ!」


 抗議の声は途中でかき消える。

 一瞬で、息がかかるほどの距離まで顔を近づけたから。

 彼女の瞳にオレが映り込んでいる。宵闇に閉じ込められたかのようだ。

 苦手だろうが、嫌いだろうが、無視はさせない。意識せざるをえない距離に居座ってしまえばいい。

 手折ることは簡単だ。でも、小さな爪の感触は、なかなかに心くすぐられるものだから。

 今は、これだけ。そう、かわいらしい鼻先にキスを落とした。


「嫌ならもっと本気で逃げないと、食べられちゃうよ」

「~~っ」


 オレのからかい混じりの言葉に、ハニーナは赤くないところがないくらいに全身を染め上げた。

 ほら、やっぱり主導権はオレが握ってる。

 本気になれば、いつでも食べてしまえるから。

 だから、今はしない。

 それだけのこと。


 ……それだけ、のはずだ。

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