11 -逃げたところで-

 一晩考えて、少し距離を置いたほうがいい、という結論が出た。

 サクラへの想いを自覚したばかりで、今は冷静な判断ができずにいる。

 今までと同じ距離感で接していたら、触れられる距離にサクラがいたら、取り返しのつかない間違いを犯してしまいそうな自分がいた。


 その日から、仕事に打ち込むことでサクラから徹底的に逃げた。

 休憩時間も執務室で過ごし、夜は寝る直前に部屋に戻る。

 すれ違うこともないようにと、サクラの気配を探りながら砦内を歩いた。

 サクラに会わないようにすることは簡単だった。サクラの中にいる精霊の気配が目印になる。

 それでもまったく会わないようにするというのは無理で、何度か姿を見かけたことはある。

 あからさまに避けてしまって、気を悪くしただろうか。傷つけてしまっただろうか。

 気にかかりながらも、彼女の様子をこの目で確認するわけにもいかない。

 今はまだ、彼女に近づくわけにはいかない。


「今度は追いかけっこですか、隊長?」


 彼女を避けだして数日が経ったころ、執務室で休憩を取っているとミルトがやってきた。

 にやにやとした笑みを浮かべながらの言葉に、俺は顔をしかめる。

 どうしてそんなにおもしろそうにしているんだ、お前は。

 そもそも“今度は”とはなんだ。今まで何かやらかした記憶はない。


「そんなつもりはない」

「まあ別にいいんですけどね、仕事に影響さえなければ」


 冗談めかして告げられた、本気が混じっているだろう言葉に俺はギクリとした。

 ミルトは徹底的な効率主義だ。

 面倒くさがりだからこそ無駄を省くし、とどこおりなく仕事が終わるようにと周囲にも気を配る。

 彼との仕事は驚くほどにやりやすく、そういった面では誰よりも信頼している。

 だからこそ、今回のことで仕事に支障をきたすようなら、何かしら手を回してくるだろう。

 たとえば俺が逃げているものを眼前につきつける、だとか。

 そうはならないよう、仕事に私情ははさまないようにしなければ。


「どっちみち、あの子相手に逃げ続けられるとも思えませんし」


 ミルトは縁起の悪い予言をしてみせた。

 そうかもしれない、と思ってしまうのは、彼女の行動力を知っているから。

 俺だって、ただ逃げ続けることに意味がないことはわかっていた。

 それでも今は、距離を置いて冷静にならなければいけないと思った。


 サクラに手を出してはならない。サクラを傷つけてはいけない。

 何度も何度も、心の中でくり返し唱える。

 外れてしまった箍を元に戻さなければ、サクラと顔を合わせることはできない。

 守らなければいけない存在を、他でもない自分が害してしまうことのないように。




 避け始めて一週間ほど。少しは落ち着いてきただろうか、というころ。

 ミルトにつきつけられるまでもなく、それは自分から俺の目の前にやってきた。


「こんばんは」


 自室に向かう階段を上りきったところに、サクラはいた。

 いきなり袖をつかまれ、それを無意識に振り払った俺に、彼女は挑むような表情で挨拶をしてきた。

 遅い時間だからと油断して、気配を探ることを忘れていたのが仇になったようだ。

 久々に近距離で見た少女の姿に、胸のうちにわいてくる想い。

 それは、名前をつけるなら、愛しさだとか恋情だとか、そういったもの。

 やっぱり冷静になんてなれそうにない。

 俺は彼女から顔を背けて、そのまま部屋へと歩み出した。


「なんで避けるんですかっ!」


 サクラは当然のようにあとをついてくる。

 俺に避けられていることにはさすがの彼女も気づいているだろうから、抗議しに来たのだろう。

 一人で部屋に入ろうとした俺を引き止める、彼女の小さな手。

 ……これ以上は、逃げられないか。

 俺はあきらめて彼女を部屋に迎え入れた。

 部屋の外で話していては、会話が筒抜けになってしまう。

 寝室に行かなければ、一定の距離を保っていれば、今の俺なら我慢できるはず。

 彼女の望まないことはしないと決めたのだから。


 不満が爆発したようにまくし立てて、寂しいと言うサクラに、俺は謝るしかなかった。

 けれど、他にどうすればよかったというんだ。

 いつもどおり接すればよかったのか? 俺はそんなに器用にはできていない。

 あの夜のことを忘れろとでも? それこそできるわけがない。

 サクラへの想いを自覚してしまった以上、彼女の前で冷静になれというほうが無理な話なのかもしれない。

 勘弁してくれ、と俺はこぼした。

 さっきからサクラの顔を見ることができずにいる。

 強く握られたまま放されない袖に、まるで彼女が俺を求めているのだと錯覚しそうになる。


「私のこと、嫌いになりましたか?」


 親に見捨てられた子どものように、不安そうな声でサクラは問いかけてきた。

 そうだったなら、どんなにかよかっただろう。と俺は思った。

 嫌いになることができれば、事務的に接することができた。

 最初から、サクラはいとも簡単に俺の心の中に入り込んできていた。

 彼女の話を聞いているのは楽しかった。一緒にいて退屈することがなかった。

 気づけば傍にいるのが当たり前となって、いつしか……傍にいてほしいと願うようになるほどに。

 俺は、彼女を愛おしく思うようになっていた。


「違う。俺が……俺が、今までどおりではいられないから」


 答えた声は、苦々しいものになってしまった。

 不思議そうに首をかしげるサクラに、俺は目を向ける。

 正確には、彼女の首元に。

 今は服によって隠されている肌に、俺はこの前の夜、赤い印をつけた。

 俺のものだ、とでも言うように。

 そんなこと、あるはずがないのに。

 サクラは誰のものでもない、彼女自身のものだ。

 自由な彼女を、この手につなぎ止めておくことができるはずがない。

 俺の勝手な感情で、彼女を縛りつけてはいけない。


「一緒にいると、触れたくなる」


 どうか俺から逃げてくれ。

 そんな思いで、俺は本心を口にした。

 俺が彼女に対してどんな想いを抱いているのか知れば、彼女も警戒してくれるだろうと思った。

 少なくとも、前のように夜に俺の部屋を訪ねたりはしなくなるはずだ。

 二十歳だと、大人だと、そう言うのなら。

 大人らしく異性とは適切な距離を保ってくれ。


 だというのに、触れればいい、とサクラは簡単に言う。

 そっちがそのつもりなら、お望みどおりめちゃくちゃにしてやろうか、と危ない思考が頭に上る。

 幸いというべきか、女を喜ばせる技なら人並み以上には知っていた。

 身体を先に手に入れてしまえばいい。

 心は身体に引きずられるものだ。あとからどうにでもなる。

 そんな悪魔のささやきを、俺は必死で無視する。

 それでは意味がないんだ。

 すべての始まりの夜、俺がしてしまったことを思えば。

 次はない。彼女の信用を失いたくはない。

 俺は、彼女にとって安全な存在でなければならない。


「お前はどうせ、俺のことが好きなわけではないんだろう?」


 あふれ出る思いのままに、俺はそう告げてしまった。

 感情が制御できない。サクラの前にいると、俺はただの情けない男になってしまう。

 こんな、愛を乞うような言葉、聞かせるつもりはなかったのに。


「好きですよ。すっごく好きです!」


 つかんでいた袖を離して、かと思えば俺の手を両手で握って。

 まっすぐ俺を見上げながら、ヤケになったようなサクラの言葉に、俺はため息をつきたくなる。

 それで信じろというのはどう考えても無茶だろう。

 けれど、好きだと言われて反応してしまう自分がいるのも事実で。

 後先も考えずに俺をあおろうとするサクラに、俺はだんだんと焦れてくる。


「……大切に、したいんだ」


 ぎゅっと、握られていた手を握り返した。

 このぬくもりを、壊したくはない。

 欲望を向けたら、きっとサクラのことだから受け入れてしまう。

 それは俺のことが好きだから、ではなく。

 そういう行為に大して抵抗感を持っていないから。そして……寂しいから。


 俺はサクラを性欲のはけ口にしたいわけではない。

 サクラを、心も身体も、大切に守り慈しんで。

 できることなら、俺と同じだけの恋情を抱いてほしくて。

 そのためには、今ここで彼女に手を伸ばしてしまってはならない。


「今でも充分、大切にしてもらってますよ」

「だから、そのままでありたい」


 前のような、保護者と非保護者のような関係のままでありたい。

 この胸に宿った想いは、もう消えることはないだろうけれど。

 それでも、距離を取ってさえいれば、変わらず彼女を守っていくことはできるはずだ。

 そう、俺は信じたかった。


「隊長さんが好きです」


 言わずにはいられない、といった様子で、サクラは言葉を紡ぐ。

 そうか、と俺は小さくうなずいて返した。

 彼女は悲しそうな顔をした。ひそめられた眉は、どこか俺を責めているようにも見えた。

 どうして信じてくれないのか、とでも言いたいんだろうか。

 なら逆に言いたい。どうして信じることができるのかと。

 いきなり、しかもこのタイミングで告げられたところで、取ってつけたようにしか捉えようがない。

 彼女のノリのよさや、彼女がこの世界にやってきた最初の夜のことを思えば、余計に。


 好かれてはいるんだろう、ということは俺だってわかっている。

 けれどそれは、俺が抱いているような恋情とは違う。

 その違いを無視したまま、彼女に触れることはできない。

 それでは一生、俺の欲しいものは手に入らないだろうから。


 手に入れるつもりがないとは、もはや言えない。

 彼女は精霊の客人だ。俺のものにしていい存在なのか、いまだに答えは出ない。

 それでも、望むことが許されるなら。



 俺を、好きになってほしいんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る