14:血みどろの隊長さんにビックリ仰天しました

 異世界トリップしちゃって五日目。

 お昼が過ぎたくらいの時間に、いきなり大きな音があたりに響いた。

 ホイッスルを思いっきり吹いたのよりも鋭くて耳障りな音。

 それは十秒くらいで収まったけど、私の不安をあおるには充分なものだった。


 なんだったんだろう、警報っぽかったけど。

 でも、なんのための?

 もしかして、避難とかしないとダメだったりする?

 隊長さんからこの部屋を出るなって言われているのに?

 この部屋から出たら絶対に誰かに見つかっちゃうよ?

 だけど緊急事態だとしたら、ここにいたほうが危険なんじゃない?


 どうしよう、どうしようとそればかりが頭を回る。

 パニックになりかけながら、ここから動く勇気も出なくて、結局私はその場にとどまることにした。

 室内をうろうろと落ち着きなく歩いたり、窓の外を確認してみたり。

 外が少し騒がしくて、やっぱり何かあったらしいということはわかった。

 逆に言えばわかったのはそれだけ。不安はどんどん大きく育っていく。


 どのくらいの時間が過ぎたんだろう。

 ずっとまんじりともしないで、自分のうるさい心臓の音ばかりを聞いていた。

 時計を見ると、笛のような音がしてから一時間も経っていない。

 正直、半日はじっとしていたんじゃないかって思うくらい、時間が長く感じた。

 神経を尖らせていたからか、応接室のほうの扉が開く音に過剰に反応してしまって、立ち上がった勢いで前につんのめりそうになった。

 寝室の扉を開けて中に入ってきたのは、当然ながら隊長さん。

 だけど……その姿に、私は心臓が止まりそうになった。


「たっ、隊長さん! 大丈夫ですか!?」


 あわてて駆け寄って、ぺたぺたと自分の手が汚れるのも気にせずに隊長さんの身体に触れる。

 隊長さんは右半身を真っ赤に染めていた。

 それはどう見ても、血だった。

 どこに怪我をしているのか。動いていて平気なのか。

 不安で、怖くて。痛いのは私じゃないのに、泣きそうになってしまう。


「怪我はしていない。返り血だ」


 隊長さんは私の勢いに押されているようだったけれど、そう説明してくれた。

 じゃあ、隊長さんは怪我、していないんだ。

 ほっとして、全身から力が抜けていく。


「そうなんですか、よかった……。でも、すごい血ですね」

「魔物の血だ。避けきれなかった」


 魔物。そうだ、ここは魔物に備えるための砦なんだから、警戒する相手は魔物に決まっている。

 そんな簡単なことにも気づけないくらい、パニクってたんだなぁ、私。


「あの警報って、魔物が来たからだったんですね」

「ああ、数は少なかったからすぐ終わった。不安がらせたか?」

「何が起きてるのかわからなかったので、ちょっとは」


 全然ちょっとじゃなかったけどね。

 これくらい強がらせてください。

 大変だったのは隊長さんのほうなのに、私のことで気をわずらわせたくない。


「砦の中には魔物は入ってこれない。心配するな」


 隊長さんはそう言い残して、お風呂場に消えていった。

 へぇ、そうなんだ。そういう魔法でもかけられているのかな?

 それなら安心だね。またあの警報が聞こえても、今回みたいにはならずにすみそうだ。

 今回だって隊長さんに怪我はなかったんだし、隊長ってだけあってきっと強いんだろう。

 だから大丈夫。そう信じよう。


 私が手についた血を落としてから、ベッドに座って少しぼんやりしていると、すぐに隊長さんがお風呂から出てきた。

 カラスの行水、って感じだ。

 その手には真っ赤に染まったシャツを持っている。


「それ、どうするんですか?」


 答えに予想がつきつつも、私は尋ねてみた。


「捨てる。血を洗い落とすのは手間がかかる。今は人手が足りない」


 やっぱりね。

 血は落ちにくいし、現在使用人は避難中。

 自分で洗うにしても、隊長さんは忙しいだろうし。

 そうなるだろうなと思ったんだ。


「私でよければ、洗いましょうか?」


 だから私は用意していた提案を口にした。


「血の汚れって、手洗いしたほうがいいですよね。洗剤とか貸してもらえれば洗いますよ」


 女の子にはね、そういう経験が必要になるときってのがあるんだよ。

 グロ的な意味じゃなくてね。月のもの的なね。

 特に私は周期が少し不安定で、数日ずれるの当たり前だから、始まる日が予想しにくい。

 だから知ってる。時間を置いた血は落ちないし、水で洗わなくちゃいけないし、手洗いが一番。

 普通の男の人よりは血の汚れを落とすのに慣れてると思う。


「いや、だが」

「遠慮しないでください。やることなくて暇だったし、ちょうどいいです!」


 断ろうとする空気を感じ取って、私はぐいぐいと押す。

 何か私にできることがあれば、とずっと思っていたんだから。

 この機会を逃してなるものか!


「……なら、頼もうか」


 少し迷っていたみたいだけど、最終的に隊長さんは私にシャツをあずけてくれた。

 やったね、お仕事ゲット!


 隊長さんは必要なものを用意してくれて、そのあとすぐに、事後処理があるとかでほとんど休憩を取ることなく仕事に戻っていった。

 シャツは念入りに念入りに洗った。

 まずは水で軽く洗い流して、それから洗剤と一緒につけ置きして、あとはもうごしごしごしごしと。

 右半身だけじゃなくて、左の袖とか裾とかにも血が飛んでいたから、そういうのも見落とさないようにして。

 何度取り換えても水は赤く染まった。

 カラーインクを垂らしたみたいだ、なんて発想が平和的すぎて、苦笑してしまう。

 魔物の血を洗い落としているという状況は、ひどく現実味がない。

 でもこれは、まぎれもない現実。

 ここは異世界で、私はトリップしてきてしまったんだから。


 やっと水が染まらなくなったので、きつくしぼってから室内に干す。

 ハンガーも隊長さんが用意しておいてくれたので、乾きやすいように窓際に。

 一仕事やり終えた感にしばしひたる。ただの洗濯なんだけどね。

 ふやけた手で本を読む気にもなれずに、私はベッドにごろんと横になった。

 まぶたの裏に、鮮烈な赤が浮かんできて、私はパチパチと何度もまばたきをした。



  * * * *



「今日は、悪かったな」


 そう謝られたのは、夜に隊長さんが部屋に帰ってきてすぐのこと。

 今日の午後はほとんどぼんやりしていて、隊長さんが持ってきてくれた勇者のお話は全然進まなかった。

 運動もちゃんとできなかったし、ダメダメな一日だったな。

 そんなふうに考えていたものだから、反応が少し遅れた。


「何がですか?」

「血など見たいものではないだろう」


 私が問いかけると、隊長さんは仏頂面でそう言った。


「あー……それはまあ、たしかに」


 血が見たいって人は少数派だと思います。

 隊長さんの言葉に、真っ赤に染まった服を着た隊長さんだとか、赤く染まっていく水だとかがフラッシュバックしてくる。

 数ヶ月くらい、生理止まってくれないかな。

 当分は血を見たくない。もうお腹いっぱいです。


「執務室には着替えを置いていなかったから仕方がないとはいえ。女に見せるものではなかった」


 言いながら、隊長さんは眉間のしわを深くする。怖い顔だけど、きっとこれは悔やんでいるんだろう。

 ジェントルマンだな、隊長さん。


「気にしないでください。私は大丈夫ですから」

「嘘をつけ」


 笑顔で告げた私に、隊長さんは即座に切り返してきた。

 ……バレたか。

 隊長さんの言うとおり、大丈夫かと言われると大丈夫ではないんだと思う。

 だって、血なんて現代日本ではそんなに見るものじゃなかった。

 今まで事故とかで大怪我をしたこともなかったしね。

 せいぜい月のものと、包丁で指を切っちゃったときくらいなもので。

 それをいきなりあんな、血がビシャーってのを見せられたんじゃ、動揺するなってほうが無理だ。


 でも、たしかにそうなんだけど。

 それでも私は。


「大丈夫、ってことにしといてください。隊長さんが気にするようなことじゃないのは、本当なんですから」


 私は笑みを崩さないようにして、仏頂面の隊長さんに言った。

 たとえば私がここにいなかったら、隊長さんは何一つ気にすることなく自室に戻ってこられた。

 私がいるから、隊長さんはいちいち面倒を抱え込まなきゃいけなくなる。

 そういうの、嫌なんだよね。

 迷惑をかけないっていうのは、どうしたってできないんだろうけど。

 少しでも、隊長さんにかかる負担を減らしたいんだ。


「無理はするな」


 その声はいたわりに満ちていた。

 灰色の瞳には、包み込むような優しさが映っている。

 心配しないでって言っても、優しい隊長さんは心配してくれちゃうんだろうな。



 多少の無理は、見逃してくれるとうれしいです。

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