第4話

 宙で遊ばせた爪先を、軸足のかかとの後ろへおろす。


 くるり、と赤髪は振り向いた。

 今来た道を、足早に戻る。


 夜に呑まれた黒い森が、視界の端を流れ去った。行く手には、かがやく月下の道。


 ぽつん、と白が、道の先に落ちていた。


 打ち捨てられたその様は、先と変わらず微動だにしない。その手前で足を止め、小首を傾げて、赤髪は見おろす。

「たく、しつこく喰らいついてきやがってよ」


 夜空が赤く染まっていた。

 遠くかすかな火炎の音。亡骸はひっそりと動かない。


 しばらく様子を見おろして、赤髪は舌打ちで踵を返した。ズボンの隠しに両手を突っこみ、憮然と猫背で歩き出す。


 夜空でうごめき、梢が騒ぐ。風が少し強まった。

 早く戻った方がいい。昼から曇りがちの空ではあったが、やはり嵐が来そうな気配だ。この分では、すぐに天候が荒れ始める。こんな樹海で暴風雨に遭えば、目も当てられない羽目になる。


 樫の大木を左に見、踏み出した足を、赤髪は浮かせた。

 行く手を見たまま爪先を揺らし、軸足のかかとの後ろへおろす。


 赤髪は足早に道を戻った。何度こうして同じことを繰り返したか分からない。帰途につき、立ち止まり、引き返しては亡骸をながめ──


 冴え冴えとした月明かりの下、しん、と巫女は事切れている。


 じっと赤髪は見おろした。

「まったく、めでたい連中だぜ。あんな小汚ねえ石ころ一つに、望みを叶える力なんざ、あるわけがねえじゃねーかよ。こちとら、お仕事だっつーから、ここまで出向いてきたけどよ」


 横たわった緋色の裾が、ばたばた夜風に鳴っていた。風が、また強まった。

 ふと、気づいたように小首をかしげる。


「そういや、こいつが、あの中で一番根性あったな。健闘に免じて、ひとつ面でも拝んでやるか」


 言い訳がましく一人ごち、しゃがんで覆布に手をかける。

「さぞや、ごつい面構えで──」


 ひときわ強い初冬の風が、手から覆布を奪いとった。


 夜闇にひるがえった覆布の白が、天空高く舞いあがり、夜空の果てへと飛んでいく。

 あらわになったその顔を、赤髪は凝視し、つぶやいた。


「……お前、そういうことは先に言えよ」


 しゃがんだ膝に手を置いて、溜息まじりに立ちあがる。戸惑いがちに目をそらし、煙草をくわえ、マッチを擦る。


 火は中々点かなかった。

 指の震えが止まらないのは、凍てつく風のせいばかりでもあるまい。


 細く柔らかな額の産毛が、夜風にふわふわ揺れていた。

 少女のような白い巫女に、月の蒼光が降りそそぐ。ぽっと暗がりに火がともった。


 夜闇に紫煙が薄くたゆたう。

 もてあまして視線をめぐらせ、赤髪は巫女に向き直る。

「──お前なー」

 たまりかねた口調で嘆息し、脱力したように、しゃがみこむ。


 黒服の腕を膝におき、ふっくら白いその頬を覗く。

「あんな布きれ、かぶっとくなよ。そんな面してるなら、見逃してたかも知んねえのに」


 子供のように広い額で、薄茶の産毛がゆらいでいた。

 十代の終わり、いや、二十代の始めという年頃だろうか。きめ細やかな白い肌、伏せられたままの長いまつげ、うすく開いた桜色の唇──。


 風が樹海を吹きわたり、黒い森が鳴っていた。

 ふっくら白い巫女の頬が、月の蒼光を浴びている。


「──どーにか、なんねーかな」


 途方に暮れたつぶやきが落ちた。

 手の平でつつんだ柔らかな頬には、まだいくらか体温があって、生きているような、ぬくもりがある。


「持って、帰れねーかな、これ──」


 半ば本気で算段し始めていたことに気がついて、赤髪はふと苦笑いした。

 ふっきるように立ちあがり、再び宿への帰途につく。亡骸を愛でるような、気味の悪い趣味はない。


 仕事はすでに完了した。

 宿に戻って一晩眠れば、どうせ、すぐにも忘れるはずだ。そう、すぐに忘れる。いつものように──


 足は、いつしか止まっていた。


 足を止めた肩越しに、月下の道を振りかえる。遠巻きにして巫女をながめ、やおら道を引き返す。


 なすすべもなく、うろついた。

 手持無沙汰に亡骸をながめた。

 溜息まじりに巫女へと近づく。


「──無理だって」


 視界を黒く染めていた、眼鏡を顔から取り去った。

 巫女の顔を、じっと見つめる。

「お前が俺に敵うわけがねえだろう。せめて、色仕掛けでくるとかさ」


 色が戻った世界の中で、愛らしい巫女が事切れていた。

 地面に落ちた小さな手が、軽く指を握っている。


 火焔の爆音が、遠く聞こえた。

 集落は炎上を続けている。村人総出で宝を守り、玉砕した集落が。

 風がうなり、吹き抜けて、巫女のなめらかな長い髪が、荒い風にあおられる。


 赤髪は上着の懐を探り、膝を折って、しゃがみこんだ。

「おい、お前、これが欲しいか?」

 取り出した翠玉を顔前にかざし、やおら白衣の胸に置く。


「だったら、今すぐ生き返ってみせろよ。あ?」


 人の世の望み、ことごとく叶える《 鳳凰の眼 》 

 白衣の胸の翠玉が、月の蒼光にきらめいた。

 静まり返った夜のしじまに、火炎の爆ぜる音がする。


 重く分厚い灰色の雲が、夜空に立ちこめ始めている。初冬の風が吹きぬけて、娘の髪が舞いあがる。


「──だよな~」

 溜息まじりで手を伸ばし、赤髪は石を回収した。「そんなうまい話があるわけねえか」


 死んだ者は生き返らない。

 二度と生きては戻らない、それが不変のことわりだ。

 雨雲の様子をうかがえば、黒梢に浮かぶ丸い月。


 満月だった。

 強風にあおられ、夜の木立が鳴っている。ぽつり、と頬の水滴に、赤髪はわずかに顔をしかめる。

「あらら。とうとう降ってきたか」


 ついてねーな、とつぶやく間にも、雨はまばらに落ち始めた。

 それはすぐにも数を増し、ぽつり、ぽつり、と道に染みを作っていく。


 空の高みを、分厚い雨雲が移動していた。おそらく、すぐにも嵐になる。濡れ鼠で落雷を駆るなど、むろん真っ平ごめんだった。

 雲の動きを目で追って、赤髪は足元に目を戻す。


 道に横たわる白衣の下、黒く血溜りができていた。その不気味な液体は、侵食範囲を今も広げ、細い指先に達しようとしている。

 なめらかで確実なその歩みが、それを如実に示していた。

 時は、決して巻き戻らない。一たび人を殺めてしまえば、


 ──その目はひらかない。


 わななきが、全身を貫いた。

 するりと解けた直観に、体が強張り、凍りつく。

「ア……デ……?」


 とん、と耳奥で、音を聞いた。


 手が、肩を滑り落ち、もたれかかった軽い体。呼び覚まされた感覚が、もろくも柔らかなぬくもりが、全神経を逆立たせる。


 刹那よぎった懐かしいぬくもり。狂おしくも切ない憎悪と苛立ち。手の中で暴れる小鳥を握り潰したあの時の。

 断末魔の強張った体。呼吸を止めるつかの間の、浅く乱れた息づかい──


 この女を知っていた。


 初対面のこの巫女が、どこの誰かは知らないが、を知っている。姿かたちの記憶はなくとも、確かに彼女を知っている。


 集落を焼く業火の音が、遠くかすかに聞こえていた。

 地鳴りのような遠雷が、夜空でうなり続けている。凍てつくほどの初冬の雷雨は、徐々に激しさを増している。


 横殴りの雨に打たれて、赤髪は無言で立っていた。

 物言わぬ娘の顔を、いつまでも、いつまでも、見つめながら。  〈了〉

 

 

 

 

 

        悪 党 の 事 情  ~ 邂 逅 ~







 最後までお付きあい頂きまして、誠にありがとうございました。

 この『悪党の事情 』はピカレスクで暗い話ですし、CROSS ROADシリーズの一部のため、オチが中途半端なんですが、よろしければ、ご感想など頂けると嬉しいです(*^o^*)



 

 

 

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CROSS ROAD 「悪党の事情~邂逅~」 カリン @karin

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