第三十八話 王子様とお姫様
静けさが広がるはずの場に、風に乗って少女のすすり泣く声が響く。
エルに連れられ少し進んだ先に、座り込むリーファの姿があった。
傍には一人の女性が倒れており、すがるように泣きついている。
「これは……」
驚いたセルティアは女性の傍らに膝をつき容態を確かめた。脈をとり、呼吸を確かめる。瞳は閉じられているが、顔色は悪くない。
「……眠っているだけね」
「ああ。でも、大丈夫だと何度言っても聞かなくて」
エルもすぐに容態を確認したのだろう。しかし泣き続けるこの少女は一切聞かない、否、聞こえなかったのだろうと容易にわかる。
「うっ……フローラさまぁ~……!」
セルティアがいることにも気づかないほどに泣き崩れるリーファの様子に、エルの困惑も頷ける。
リーファは倒れている女性に覆い被さり離れようとしない。
流石にエルもこんな状態の二人を担いでくることは出来なかったのだろう。
「この人が……花の乙女?」
瞳が閉じられていても、エルに負けず劣らず、綺麗な容貌をしているとわかる。夕陽を切り取ったような輝きを持つ長い髪、長い睫毛、高い鼻筋、長い手足、ほっそりと伸びたバランスのよい肢体。
名前負けすることのない彼女はどこぞの眠り姫の様だ。
(いえ、確か……良家の娘のはず……)
セルティアは詳しくは知らないが、フローラの生家は王家に連なる貴族の血筋だっはずだと、曖昧な記憶を呼び起こす。
噂に聞く程度で、実際に会うのは初めてであり、思わずその美しさに見惚れてしまう。
「つーか、そいついつまで泣いてるんだよ?」
うんざりしたイグールの声音で、セルティアも我に返った。そして一向に泣き止む気配のないリーファに声をかける。
「リーファ、リーファ。……ちょっと、しっかりしなさい、リーファ!」
何度目かの呼び掛けでリーファはやっと顔を上げ、泣きはらした目でセルティアを見る。
「セ、セルティア、ちゃん……ど、どうし……」
「リーファ、大丈夫だから。フローラ様は無事よ」
「……ほんとう?」
「ええ。ほら」
リーファの手をとり、フローラの脈に触れさせる。そこには確かに安定した、一定リズムの音が刻まれている。
「よかった……よかった……」
安堵したリーファは再び涙を溢すが、先程みたいに泣き続けることはなかった。
「フローラ様をこのままにはしておけないわね……」
(どうしてこうなったのかしら……)
風の精霊に連れてきて欲しいとはお願いしたが、まさかこんな形で出会うとは予想していなかった。
詳しい話を聞こうにも、眠っていては聞くことも出来ないので、目覚めるまで待つしかない。
「……とりあえず、街に戻るしかないな」
「エル……?」
ふいに影が差し、同じ様に隣で膝をついたエルを見ると、躊躇なくフローラを抱き上げた。
それにセルティアは何度か目を瞬かせる。
(これは……)
王子様がお姫様を抱き上げている、見事な構図。お姫様抱っこ、というもの。
「本物の王子様とお姫様みたい……!」
リーファが潤ませた瞳のまま、声を震わせて二人を見つめる。
物語に登場するような容貌を持つ二人だ。リーファの表現は的を得ており、そして絵になる。
(……なにかしら?)
なぜか一瞬、変な気持ちになった気がしたセルティアは、胸に手をあて首をかしげる。
しかし本当に一瞬のことであった為、考える頃にはなにも思い当たることはなかった。
「セルティアちゃん……どうしたの?」
「え? ああ、なんでもないわ。そうね、街に戻りましょう……って、あら?」
さあ歩き始めよう、というところでフローラの瞼が微かに動いた気がした。数秒見守ると、ゆっくりと瞼が持ち上げられる。ぼんやりとした
「フ、フローラ様~!」
途端にリーファは叫びだし慌てて駆け寄る。そこで初めて確かにフローラの瞳はリーファを捉えた。髪と同色でありながら宝石のような輝きを持つ瞳にリーファの泣き顔が映る。
「……リーファ?」
「はい! リーファです! ご無事でよかったぁ~」
安堵の涙も共に溢れ、泣き止む様子を一切見せないリーファに周囲は苦笑せずにいられない。フローラは申し訳なさと驚きを混ぜたような表情をしていた。
「リーファ、そんなに泣かないで。悪かったわ……」
一つ息を吐くと、次にフローラは瞳を上に向ける。どういう状況か今一把握しきれてはいないが、自身を抱えている男を見て目を見開いたあと、うっとりと美しく微笑んだ。
「……あら、お久しぶりね。エル」
「……ご無沙汰しております。フローラ様」
そのまま世間話でも始めましょうか、というフローラの雰囲気に対し、エルは遠慮気味に笑みを返して留まる。なぜか二人の間に微妙な空気のズレが出来ていると察せられた。
「なんだ、知り合いだったのか?」
イグールがそう問えば、エルは複雑そうな表情を見せた。どう答えればいいのか迷っている様子で、口ごもる。
花の乙女と直接知り合いというのは珍しい。余程の繋がりを持っていなければ知り合うことなど出来ないはずなのだが。
「知り合いどころか、愛を誓いあった仲よね?」
「ええっ?!」
さらりと言うフローラに一瞬聞き逃してしまいそうになるが、言葉を理解すると誰もが驚きの声をだす。
「誓っていません」
しかしエルだけは冷静に否定の言葉を口にするが、フローラは微笑んだまま言い加える。
「あら、でも貴方は私の婚約者でしょう?」
「元、婚約者です」
静かな二人のやり取りに周囲は固唾を呑む。衝撃的な内容のはずなのだが、エルとフローラの間に温度差があるような気がして見ている側が緊張してしまうほどだ。
緊張の為か、セルティアは自分の胸が妙に苦しく鼓動が速まっている気がしていた。
「相変わらずつれないのね、エル」
ため息混じりに呟いたフローラは浮かべた微笑みを消すと、突然エルを睨み付ける。纏う雰囲気ががらりと変化した。
「ちょっと、いい加減におろしてくれないかしら?」
きつい物言いに驚いたのはセルティアとイグールだけで、リーファはもちろん、エルも気にする様子なく、そっと乙女を地に立たせる。
それに満足したフローラは仁王立ちし、それぞれの顔を見比べていく。
「貴方は……確か紅蓮の魔導士、イグールね?」
「そうだけど……なんで知ってるんだ?」
イグールには花の乙女との接点は何一つないはずだ。思い当たらず疑問符を浮かべるが、フローラはそれに答えるつもりがないらしく、セルティアの方へ瞳を向ける。
「貴女は……どちら様かしら?」
「お初にお目にかかります、フローラ様。わたしはセルティアです。その……魔女、です」
二つ名を名乗るか悩むが、結局当たり障りのないところで留める。
しかしそれにフローラの方は目を細め、セルティアを上から下まで眺めると不敵な笑みを浮かべた。
「ふうん。貴女が夢幻の魔女なのね。意外ね。想像していたのと全然違うわ」
「そう、ですか……?」
どんな想像をしていたのか知らないが、どうやら夢幻の魔女という存在は知っているらしく、それほど驚く素振りは見せない。
むしろセルティアの方が呆気にとられているぐらいだ。
(想像していたのと全然違うと言いたいのは、わたしの方だわ……)
決して口には出来ないが、美しい花の乙女のイメージが少しずつ、しかし確実に変わっていった瞬間であった。
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