第三十三話 風のダンス

 農業都市プランタは広大な面積の六割が農地である。

 麦畑、野菜畑、果樹園、街の入り口から徐々に高台となっており、プランタ自体が一つの平たい山のような形になっている。

 周囲には高い山が連なり、山間を抜ける風が穏やかな気候もたらす。


「何度来てもいいところだわ」


 なだらかな坂道を一人歩きながらセルティアは頬を緩める。

 坂道の周囲には夕陽を浴びて茜色に染まった畑が続いており、時折そよぐ風が若葉を揺らしている。道の途中には所々白い蕾と花が咲いている。


「今年は開花が遅いのね」


 毎年、春と夏の間の時期に咲く白い花。可愛らしい見た目とは裏腹に、花はハーブティーに使え、葉の方は様々な薬の材料として使用できる。活用方法が多彩で、セルティアも庭で栽培している。


(庭の方は咲いていたと思うのだけど……)


 こちらの方はまだ六割ほどしか咲いておらず、蕾が目立つ。それに少しだけ違和感を覚えるが、前方から風が吹いたのでそれに合わせて振り返った。

 下方では、都市の入り口付近を中心に民家と商家が広がっているのが確認できる。プランタは街道と隣接している辺りは行商人や商店で賑わっているが、そこ以外には建物が密集することはない。

 殆どが農家で、都市全体にぽつりぽつりと点在しているのだ。

 だからセルティアが今いる周囲にも喧騒さはない。


「もう少し上に行こうかしら」


 陽が落ちる前に下に戻らなければならないので、あまり先には進めない。

 プランタに着いてすぐ、他の二人とは別れた。エルは建前上、ここの騎士隊に挨拶と報告が必要で、イグールは魔術連盟の支部に顔を出すと言っていた。

 どちらにもセルティアが着いていくわけにも行かず、空いた時間は一人散策することにした。

 丁度プランタに着いたら密かに確認したいこともあった。出来るだけ人目を避けていると、入り口から大分離れてしまったようだ。戻る時間を考慮するとこの辺りにしておくべきだろう。

 周囲を見回し、木陰にそっと身を潜める。元々、人気ひとけがない場所だが、夕刻時になると農作業をする人もおらず、更に人の姿はない。


(この辺りでいいかしら)


 茜色の空、穏やかな風、木葉が揺れて、陰りを作る。

 セルティアは瞳を閉じて空気を感じ、消え入るような小さな声で違う言葉を唱える。それはこの国の言葉ではない。一部の魔術師だけが知る言葉。一瞬、空気の流れが変わると、今度ははっきりとした声でその名を呼んだ。


「我、セルティアの名において命じる」


 風が吹いた。そして周囲に他者には見えない輝きが現れる。この姿を確認できる者はほとんどいない。しかしセルティアの瞳には確かに風の精霊の姿が映っていた。

 それは手のひらサイズの人形のような愛らしい姿をしている。


「少し聞きたいことがあるの。教えてくれる?」


 優しく問いかければ風の精霊はくるくる回り、頷く。まるでダンスのようだ。その姿にセルティアの目元は優しく緩む。


「最近何かあった? 花の大地で困ったことは起きてない?」


 その問いかけに風の精霊は肯定するかのごとく、セルティアにすりよってくる。花の精霊が嘆いていると小さく風が教えてくれた。


「そう……」

(詳しくはこの目で確認するしかないわね……)


 何か問題が起きたとは教えてくれるが、何かまでは分からない。ただ精霊は異変に嘆き、伝えるだけ。


「花の大地に連れていってくれる?」


 しかし次に返ってきたのは否定の風だった。セルティアの周囲にいる精霊は皆、悲しそうにしている。風の精霊だけではどうにも出来ないお願いなのだと分かっていたので仕方がない。


(花の精霊の許可がいるのね……)


 花の大地には花の精霊の許しがなければ立ち入ることが出来ない。今のセルティアにはその許しがない。


「ありがとう。何かわかったら教えてね。もしよかったら花の精霊にわたしが会いたがっていると伝えて」


 了承したというように一陣の風が吹けば、精霊は姿を隠してしまった。


(やっぱり花の精霊よね……)


 風の精霊の様子を見る限り何らかの異変が起こっていることに違いはないが、それがどの程度のもので、何が起こっているのか皆目検討もつかない。

 花の精霊に話を聞ければいいが、セルティアは風の精霊を呼び出すことは出来ても花の精霊を呼び出すことは出来ないのだ。


「会ってくれるかしら……」


 風と花のどちらの精霊も陽気な性格で他の精霊と比べると友好的である。しかし一つ大きな違いがあった。

 風の精霊は気紛れで、花の精霊は臆病なのだ。

 だからセルティアの言葉を風は花に伝えるか定かではないし、仮に伝わっても花の精霊はセルティアに会いに来てくれるか分からない。


「これが乙女だったらもうちょっと楽なんでしょうけど」


 乙女は花の精霊と打ち解けやすい。聖の力を好み、特に男性よりも女性を好む。逆に魔の力を持つものにはほとんど近寄らない傾向にある。単純に相性の問題なのだろうが、それが今は難題だ。


(困ったわね……何か手を考えないと)


 一つため息をつき、思考にふける。

 どれぐらい過ぎたのか、気がつくと辺りはすっかり暗くなってしまっていた。


「あら、いけない」


 セルティアは思考を中断し、急いで坂道を下った。


◇◆◇


 陽が落ちれば店は閉まる。それはどこの都市も大差ない。ただ人口の割合や地域柄で開店している店があるかどうかだ。

 農業都市の入り口付近は行商人や旅人で栄えている為、昼間は比較的賑やかである。

 暗くなってしまっても、賑やかさはなくなるが、飲食店は数件営業しているので、人通りは少しある。とはいえ、王都に比べるとその明かりは極端に少ない。


(えっと……この辺りだったかしら?)


 急いで坂道を下り待ち合わせ場所まで走ってきたので、セルティアは息を切らしながら目的の人物を探す。二人とも目立つ容姿をしているので、見落とすことはないはずだ。だがなかなか見つからず、嘆息しかけた時、ふいに背後から腕を引かれた。


「……?!」


 驚いて振り返れば、困り顔のエルがいた。眉尻を下げていても整った顔立ちは健在で、なぜか安堵のため息をついている。


「エル……」

「よかった、無事だった」


 一瞬言われた意味が分からず、首を傾げると、今度は呆れた様に息を吐く。


「いつまで経っても、待ち合わせの場所に現れなかったら心配するよ」


 少し遅くなっただけだ。暗くなってしまったとはいえ、心配されるほどのことではない。なぜならセルティアは夢幻の名を持つ魔女だから。


「わたしは……」


 魔女だから大丈夫、そう言おうと思った。だがエルはそれを察したのか、先回りして言い含める。


「ティアは女の子だよ。やっぱり俺は心配する」


 どんな二つ名を持っていたとしても、例えどれ程の魔力があったとしても、エルからするとセルティアは女の子であることに違いはない。

 だから時間が過ぎて、暗くなっても姿を現さなければ何かあったのではないかと心配するのだ。


「ごめんなさい……ありがとう」


 とても小さな声で呟けば、確かにエルの耳に届いたようで、柔らかく微笑まれる。

 それにセルティアの心臓は大きく脈打つ。


(慣れたと、思っていたのに……慣れないわね……)


 出会った当初ほど、胸を高鳴らせることは減った。それでも不意打ちに優しくされたり、微笑まれるとどうしようもなくなる。

 正体を知られているのに、心配されたり女の子扱いされることに慣れていないセルティアは急に恥ずかしくなり、その顔を隠すように俯いた。


(本当に、どうしたらいいのかわからないわ……)


 エルの対応にも、本来の目的の解決案にも、どうしたらいいのか今のセルティアには答えを出せずにいた。



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