第20話

【特別機】……その単語はさきほど七星から聞いてきたものだ。

 それをミリーは口にした。

 電志はゆっくりと振り返った。

 無視すべきでないと判断した。

「……先輩も、声を掛けられたんですか?」

「作るのだろう?」

 わずかに口の端を歪めるミリー。それは肯定。言わなくても分かるだろう、とでも言いたげだ。

「はい……」

 答えながら、電志は記憶を漁った。ミリーはミリー班の班長。さてミリー班の成績はどうだったか。確かエリシアのいるサントス班に次いで二位とか三位が通常だった気がする。最近は成績の出し方が変わったので分からないが。

 わざわざ接触してきたのは何故か。協力して良い機体を作ろうということかもしれない。どうせなら声を掛けられた者全員で協力して知恵を出し合えばきっと最高の機体が……

「勝負だ」

 棒菓子を胸ポケットから取り出し鋭く突き付けてくるミリー。

 電志の好意的な解釈はもろくも崩れ去った。また勝負かよ。エリシアといいミリー先輩といい、遡れば倉朋も班に入ってきて初めに言った言葉が『勝負だ』だった気がする。どういうことだ。俺は静かに設計したいだけなのにどうして道場破りみたいなのに絡まれる。そんなに電志班は道場破りしたくなる何かがあるのか。もううんざり気味なんだが。

「勝負はちょっと、間に合ってますというか……」

 ただでさえディベートで誰かさんが勝負勝負とうるさいのに。

 すると、ミリーはふっと緩い笑みを見せ、電志に近付き、手をとった。

 そしてすっとミリーのたわわな胸に電志の手を触らせた。

「お前が勝てば、好きにして良い。受けるな?」

「は? え、ちょっ……好きにして良いって何を」「ちょっと待ったああっ」

 突然のことに言葉がうまく出せない電志に代わり、愛佳がすかさず割って入る。

 愛佳はふんぬと電志の手を掴み上げ、ミリーの手を払った。

 それからキッとミリーを睨みつける。

 ミリーの方は余裕の笑みだ。

「成立だな」

「成立なわけがないだ、ないでしょう?! そんなの電志がたとえ悶々とした男子高校生だからつい受けちゃったとしても、ボクが認めない、です!」

 何だか愛佳は年上の先輩に勢いで普段の話し方にしようかそれとも敬語にしようか迷い迷いで言葉を紡いでいる。

 だが電志はそれよりもまず訂正すべきところを突っ込んだ。

「誰が悶々とした男子高校生だ」

「キミだよ」「お前だ」

 そこは愛佳とミリーが一致する。言われてみれば、確かにそうかもしれない。

「でも、俺は色仕掛けには応じないぞ」

「それはそれで問題があるよ」「だな」

 またも女子二人が一致。

「どういう展開だよこれ。何で俺には味方がいないんだよ。とにかく断るんだってば」

 それでようやく愛佳も我にかえったらしく、電志の援護に回った。

「そうだよ、電志が例えミリーさんのけしからんおっぱいにハァハァしていても、ぎりぎりのところで堪えてくれるんだよ。だから駄目だ」

 何で悪意のこもったフォローになるのか。

 だが電志が口を挟む間もなくミリーが言葉を発した。

「シャノ」

 それはミリーの隣の女の子に向けられた言葉だった。

 彼女の名前らしい。

 するとシャノは片手を上げて能天気な声ではーいと返事。

 それからビデオカメラをしまい、画面を出して何やら操作をし始めた。

 何をしているのか。

 電志も愛佳も目を眇める。

 シャノは小さな手でちょこちょこ画面の操作を続け、やがてミリーへ向き直った。

 ミリーは頷いた。

 そして画面には映像が映し出された。

 棒菓子を胸ポケットから取り出し鋭く突き付けてくるミリーが最初に映る。

『勝負だ』

 すると次のシーンは唐突に変わり、ミリーの胸に電志の手が触れている姿が映し出された。

『お前が勝てば、好きにして良い。受けるな?』

 この後断る流れになっていくはずだが、何故か次に電志の声が入る。

『はい……』

『成立だな』

 ミリーの声が応じて終了。

「ちょちょちょっと待って下さい、おかしいでしょこれ!」

 電志が抗議の声を上げるがミリーは涼しい顔だ。

「素直だな」

「会話が噛み合ってねえ! 俺が性欲に素直みたいに仕立てあげないで下さいよ。俺が『はい』って言ってるところ、俺の口が動いてないでしょう。こんな編集された映像作ったって、無効ですからね」

 即席で作り上げたにしてはよくできているが、所詮は編集したものだ。気付く人は気付く。

 しかしミリーはくつくつと笑った。

「分かってないな」

 その続きをシャノが引き継ぐ。

「確かに電志さんとそのオマケの方は気付くかもしれませんー。でも何も知らない人達がこれを見たら……どうなりますかねー」

 能天気な声だが、電志はゾッとした。

 確かにシャノの言う通りだ。

 それから能天気な声なのに毒が混じっているようで、そこに愛佳が反応した。

「オマケ、ボクがオマケだとっ! ぐぬぬぅ貴様そこになおれ、ここで剥いてくれる! 部屋中のオスどもに全裸を晒すが良いっ」

 掴みかかろうとした愛佳を電志がまあまあと抑える。

 するとシャノはビデオカメラで自身を撮影しながら尻もちをついて怯えた表情を作った。

「ご、ごめんなさ、い……ひっ……き、昨日もさんざん痛めつけたじゃないですかぁ……!」

 撮影終了。

 怯えた表情は跡かたもなくにんまりと笑っていた。

 唖然としている電志と愛佳をよそにまたもシャノは画面を出して操作、少しすると映像が映し出される。

『貴様そこになおれ、ここで剥いてくれる! 部屋中のオスどもに全裸を晒すが良いっ』

『ご、ごめんなさ、い……ひっ……き、昨日もさんざん痛めつけたじゃないですかぁ……!』

 あたかも愛佳がいつもシャノをいじめているように見える。とんでもない動画だ。

 電志は思った。この娘は非常にアブナイ娘だ。会話が通じず、しかも気に入らない相手は社会的に抹殺することをいとわないタイプ。一番関わりたくない。

 愛佳もそれは分かったようでぐるるると唸りながらも手を出すのはやめた。

 シャノはいたずらっぽく笑う。

「ふふ、もう異論は無いようですねー?」

 いたずらっぽいというか、いたずらが過ぎる。

 いつか痛い目に遭うんじゃないかと電志は心配になった。限度をわきまえない奴はいつか大きな地雷を踏んでしまう。

 ミリーも満足そうだ。

「分かったようだな」

 電志も愛佳も言葉を発しない。

 だがそれは反論できないという証。

 呑むしかなかった。

「下手なことはしないで下さいねー? ミリー先輩はおっぱいしか能の無い人ですけど電志さんのあの映像が流れたら……ミリー先輩の親衛隊に襲われちゃいますよ。オマケの人はまあ、映像が流れるとちょーっとイメージが悪くなるくらいで済んだら良いですね?」

 やっぱり能天気な声だけど毒が含まれている。

 隣でミリーがぼそっと言った。

「シャノ、赤点にするぞ」

「……ミリー先輩はおっぱいだけじゃなく、聡明で美人で、とっても素敵ですー!」

 ミリーもかなりのやり手だった。

 電志は呟いた。こんな人間関係は嫌だ。

 どうやらミリーもシャノも気は済んだようで、背中を向ける。

 変だ、と電志は思った。

「勝負って、こっちが負けたらどうするんですか?」

 何故かその条件をまだ言ってきていない。何が望みなのか。

 すると、ミリーはちらと振り返り、言った。

「……わたしがお前を好きにする」

「は?」

 電志があっけにとられるのをよそに、ミリーはシャノを連れて去って行った。

 一体何が目的なのか、分からないまま。


「電志、いったいどういうことだい? これじゃあ勝っても負けても電志はミリーさんと人に言えないことをしてしまうじゃあないか。ミリーさんの目的は電志っぽいよね。いつの間にミリーさんに色目を使ったのかな? まあ電志が無類の巨乳好きだろうとボクには一切関係無いけどさあ、硬派そうに見せておいてナンパでもしたのかい?」

 口を尖らせる愛佳はご機嫌ナナメだ。シャノにしてやられてよほど腹が立ったのだろうな。

「俺はミリー先輩をよく知らない。多分目的はお前が想像するようなバラ色のものじゃない。俺を好きにするっつってたけどどうせ大したことじゃないよ。倉朋が俺を一日言いなりにした時だってそうだっただろ? それにこっちが勝ったら俺は報酬を辞退すれば良い。だって俺の好きにできるんだから、辞退するのも自由だ」

 電志は何とか愛佳を宥めにかかる。

 愛佳の方はそれはそれで複雑なようだ。

「それだとボクが嫉妬しているみたいじゃあないか。電志なんてミリー先輩とくっついちゃえば良いんだよ」

「何でも色恋沙汰に持っていこうとするな。ほんとメンドクサイ奴だな」

「……電志のバカ」

 小さな声で呟いて愛佳はぷいっと顔をそむけてしまった。何だよ、と電志も頭を掻く。

 電志はその後、画面を見て作業しながら考えた。何だか最近、二人の距離感というか、立ち位置というか、そういうのが微妙に変化してきた気がする。倉朋の俺への接し方は『女』を感じさせるようになったというか。気のせいだろうか。俺は俺で、倉朋が機嫌を損ねると気になってしまうようになった。最初の頃は気にもかけなかったというのに。

 もやもやとしながら電志は【スクーラル・スター☆】の機体達のチェックを行っていった。


 ミリーは鼻歌をゆっくり奏でながら自席へ戻っていった。

 ミリーは口数が多くない。

 それは、暗いからとかそういうものではない。

 雰囲気を重視しているからだ。

 短い言葉で、かつ相手に想像させるような言葉を投げ掛ける。そうすれば相手がこちらの言いたいことを補完してくれるし、相手が間違った解釈をしてもその新たな展開を楽しめば良い。想像させる雰囲気さえ楽しめればそれで良いのだ。

 それがミリーの性格。

また、口数が少ない分想像や妄想は大の得意。

 人と話していても常に頭の中では自分と周囲がアニメ調に変換された妄想が展開されている。

 ミリーは漫画やアニメが大好きだった。

 小学生の時、廊下で『〈DDCF〉』を叫んで戦隊もののポーズをしている下級生を見て、堪らなくその輪に入りたかった。

 でも入れず、〈DDCF〉への憧れだけが募った。

 ある時〈DDCF〉見学会があった。

 当時はまだ七星が部長をしていて、ミリーは恐る恐る下級生のやっていたポーズを教えて欲しいと言った。

 七星はその場で披露してくれた。

 引率の先生は哀しい表情をしていたが、ミリーは堪らなく格好良いと思った。

 それから頻繁にミリーは〈DDCF〉へ通った。

 七星は戦闘機の設計図を沢山見せてくれた。

 漫画やアニメの中にしか無かった戦闘機。

 それが、自分で作れる……浪漫に溢れていた。

 大好きなロボットアニメの中で一番好きなシーンがあった。

 敵軍が新兵器を開発し、主人公達の艦隊が敗北。

 主人公もその仲間達の機体も大破……敵の新兵器に対抗し得る新型機を作る必要性に迫られていた。

 しかし設計士がどうやっても良い機体が作れず、試作機を作っては壊す日々。

 次第に設計士は病んでしまい、主人公の大破した機体の前で泣き崩れる。

 墓前で感極まったかのように機体に抱き付き、頬を寄せてひたすら自分の無力を謝罪していた。

 それは本当に墓前で亡き家族にそうしているようでビリビリとミリーの心を揺さぶった。

 主人公が現れて設計士の肩に手を置く。

『君は無力じゃない』

『いや無力だ! この機体を超えるには新しい技術が必要だ、だが僕にはこの機体を作っていた頃の気持ちが分からないんだ。この機体が僕の限界だったんだ!』

 涙ながらに訴える設計士。

 その目を真っ直ぐ見詰め、主人公は静かに諭す。

『俺達は機体に浪漫を追い求めているんだ、君が浪漫を求めないでどうする?!』

 すると設計士の頭の中で電撃が走り、そうか浪漫だったのか、と昔の気持ちに気付く。

 走り去り、研究室に篭る設計士。

 そして翌日には新技術が完成し、その後新型機が完成して敵新兵器を撃破した。

 ミリーは深く深く浪漫という言葉を刻み付けた。浪漫をパイロットが求め、設計士も浪漫を原動力に動くのだ。

 彼女は画面の前で拳を作り打ち震え、滂沱たる涙を流した。

 まさに設計は、浪漫なのだ。

 これを七星に伝えると、とびきりの笑顔を返してくれた。

『おお凄いな! やる気があるのは良い事だ、その意気で頑張れ!』

 ミリーはこれを、賛同してくれたと解釈した。

 それが中学生の時。

〈DDCF〉では一年遅れて面白い人物が入ってきた。

 ミリーはすぐに気付いた、電志が七星の弟子だと。

 自分も七星の弟子だと思っているから、電志の事を弟分みたいに感じた。

 だが七星から衝撃の事実を聞いてしまった。

 電志は七星の一番弟子だという。

 自分が一番ではなかったのか。絶対に勝負で勝って、自分が一番だと証明してやる。パイロットは浪漫を求めているのだ、それに応えないで何が設計士か。浪漫こそが設計だと証明するのだ!

 そして、電志を『わたしの好きにする』。従わせる。そうすれば七星も自分のことを認めてくれるはずだ。

 ミリーは自席に辿り着くと、棒菓子を食べ始めた。


 翌日、ディベートで電志が愛佳をいつものように轟沈させると〈DRS〉へ向かった。

「電志、今日のところは引き分けというところだね。次こそはボクが勝つよ」

「はいはい」

 気の無い返事の電志。やっぱりそろそろディベートじゃなくディスカッションにしたい。同じディベートでも勝負にこだわらない奴としたい。

「『はい』は一回でしょ?」

「お前は俺の母親か」

「電志が一人前の設計士になれるように育てるという意味では、そうかもしれないね」

「そんな意味があったとは驚きだ」

「ボクも驚いている。ボクと電志が血の繋がらない母と息子とは」

「いやらしい設定だな」

「血の繋がらない姉と弟よりはあるんじゃないかい?」

「倉朋のようなしっかりしてない姉はないだろ。あるとしても妹だ」

「いいや電志が兄の方がありえないね。絶対弟だ」

「妹だ」

「弟だ」

 くだらない話をしている内に〈DRS〉に到着。

 窓口役のカイゼルに会い、会議ブースの一つに入った。

 電志が早速本題に入る。

「カイゼル、新素材を作ってほしいんだ」

 ディベートで電志が出したアイデアだ。

 多少値が張っても良いから今よりも数段上の素材が欲しい。

 するとカイゼルは真顔で言った。

「それは聞けない相談だ」

「何で?」

「まだ僕を会話で喜ばせていないからさ!」

「うわーメンドっちいなぁ。ゴルドーの方が一〇〇倍マシだ」

「電志、僕は人生に飽きているんだよ。研究室にカンヅメでちまちま実験しちゃあ記録するのなんて青春を全力で棒に振っているのと変わらないだろう? そんな僕の唯一の楽しみが喋ることなのさ。そんなささやかな楽しみさえ電志は奪うというのかい? いやそんな傲慢なこと許されるハズがないではないかっ! そうだろう愛佳?」

「そうだよ、全部電志が悪い!」「あーもう〈DRS〉に来ると疲れる!」

 愛佳も完全にカイゼルの味方のため、電志は溜息をついた。というか、カイゼルの言葉は一部、研究者としてあるまじき発言だったような気がするが触れない方が良いか。

「さあ愛佳の御許しも出た、電志、僕を楽しませるのだっ」

「つっても何をすれば良いんだ」

「そうだね、じゃあ愛佳に告白してみようか」

「またそれかよ!」

 もうさっさと済ませよう、と電志は愛佳の方を向いた。

 愛佳と目が合う。事務的に言うだけだ。ポーズ。言葉だけ。カイゼルに話を聞いてもらうためだ、仕方ない。後で謝れば良い。

 しかし、愛佳の瞳を見つめると口が開かなかった。


 口が震えて動かない。好きだ、そう言うだけ。事務的に。それなのに。

 好きだと言ってしまったら、何かが壊れてしまいそうな気がした。前は『好きだ』の文字を無感情で言うことができた。でも何だか今は感情を消し去ることができない。何で。


 愛佳に膝枕してもらった時のことを思い出す。いつもおちゃらけているのにああいう時だけは包み込んでくれる。

 公園の木の下で過ごした、二人だけの穏やかな時間。

 全ての仮面を取り去った愛佳の優しい微笑。

 彼女の顔があっという間に脳内を埋め尽くしていく。


 顔が熱くなる。やっぱり軽々しく言えない。『好きだ』はこんなに重い言葉だったのか。

 電志の様子がおかしいのを察知したのか、愛佳が驚いた表情を見せ、次に顔を赤くして俯いてしまう。

 そしてちらちらと上目遣いで見てくるではないか。


 電志は愛佳の顔を直視できなくなり、顔をそむけた。何やってんだ俺は……!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る