第17話
重い空気は時間の感覚を狂わす。
長いようで本当は短い間だったのかもしれない。
耐え切れなくなり、愛佳が口を開いた。
「ボクは電志が冷たい人間だと思っていた。まだこの班に来る前は……」
仲の良い男子や女子でグループを作り、よく帰りにファーストフード店でお喋りしていた。
その中では電志の陰口も頻繁に出てきていた。
要は自分たちより出来が良い者を自分たちと同じレベルまで落として安心するのだ。
たまに起こしたミスを執拗にあげつらったり普通と違う言動を非常識だと腐したりして。
そうした中では噂という作り話もたびたび飛び交った。
その場で誰も損をしないとなれば、噂は都合の良い真実になる。
友達が自分の機体で死んだのに顔色一つ変えなかったらしいよ……〈DPCF〉の新人が挨拶に来ても返事も返さないらしいよ……酷いよね、冷たいよね。
そうした遊び半分のフィクションも回数を重ねていけば現実と区別がつかなくなる。
「……だから、シュタリーが失われたけど電志は平気なんじゃないのか、と真っ先に思ったんだ。電志が『そういう人間だ』という先入観が出来上がっていたから」
愛佳は体育座りして膝の間に顔を埋めながら言い終えた。
こんな雰囲気でもなければ絶対に言わなかっただろう。
これを聞かされた方は良い気はしないだろう。
恐々として愛佳は反応を待った。
ぎゅっと膝を抱いた。
すると電志はいつもの声で。
「あれを見てみろ」
指で前方を示した。
愛佳は顔を上げた。
電志が示した方向には巨大な石碑がそびえていた。
それは、この【アイギス】で散っていった人達の共同墓だ。
仏頂面の少年はそれを見ながら語る。
「出撃の時にここに来るのは、忘れないためだ。自分の設計した機体で戦っている者がいるということを。その中で散っていく者がいるということを。数字だけ見ていると、それらが自分の手から離れてどこかへ飛んでいってしまうからな」
愛佳は不思議な感覚に捕らわれた。
石碑を見ながら父のことを思い出す。
七年前のことだ。
一番目の父は眼鏡をかけ理知的で穏やかな人だった。
〈DRS〉にいたが他人の失敗を肩代わりしてパイロットになった。
愛佳は何で肩代わりなんかしたの、と抗議した。
しかも周囲は父のことを偽善だと罵ったのだ。
わざわざ損をする父にやきもきした。そんなことしなくても良いのに……
『ははは、何となく流れでそうなっちゃったんだよ』
たははーと後頭部を掻いて笑う父に脱力させられた。自己主張できずに押し付けられたんじゃあるまいか。パイロットになっていくらもしない内に撃墜されてしまっては世話がない。
だが、と愛佳は石碑を見て思う。
今になって思えば、本当は父は確固たる意思で肩代わりしたんじゃないのか。
父が名乗りを挙げなければもっと酷いことになるような状況に追い込まれていたんじゃないのか。
これは数字か?
この記憶は数字か?
愛佳は手の平を見詰めてみた。
手から離れてどこかへ飛んでいったものが、戻ってきたような気がした。
電志はここにサボリに来ているのではなかった。
人知れず生と死を見詰めに来ていたのだ。
電志は類希な設計の才能があるのだと思っていた。
でも、違うのではないか?
電志の才能とは、みんなの見ていないものを視る、その視点なのかもしれない。
それが設計に奇跡的に合っていただけなのかもしれない。
胸の苦しさが和らいできて、愛佳の口も滑らかになった。
「電志は何も悪くないよ」
イライナの問題は、電志が責任を負うならボクもあたしも、と愛佳やナキが名乗りを上げて結局それぞれがちょっとずつ成績の減点で済んだ。
電志は人が背負うにはあまりにも大きすぎるものを一人で背負ってしまっていると思う。だから自然と名乗りを上げてしまったのだ。何の得にもならない、むしろ損をするのに助けてしまったのは自分の主義に反するが。まあいつも課題の面倒をみてもらっているお礼ってことで良いかな?
「イライナの様子が変なのは分かっていたんだ。俺の設計する機体に興味を示していたことも。そこで気付いていれば助けられたかもしれない」
電志は悔しさを表情に滲ませた。
「それだけで気付くのなんて不可能だよ」
「不可能じゃない。現にヒントはあったんだ。正解は分からなくても……例えばナキやシゼリオに頼んでイライナの機体を見張ってもらうこともできた。そうしていれば……助けられたかもしれない」
「ナキもシゼリオも別チームの機体を見張るのは無理だと思うよ。電志にしては珍しく論理に欠陥があるね。冷静じゃないでしょ?」
「それならっ……ナキにチームメイトの確認を、出撃後にも入念にやってくれと頼んでおくとかっ……」
「電志……もう悔やんでもしょうがないんだよ」
愛佳は再び胸が苦しくなった。
電志の後悔がまるで自傷行為に見えた。
「何か方法はあったはずなんだっ……! だってそうだろう? 間違った選択をしなければ助かる結果になったはずだ!」
電志はこれまでに無いほど感情的になっていた。
語気も荒くなり決壊したように吐き出していった。
そして吐き出す毎に自身が傷ついていくのが分かった。
愛佳の中で胸の苦しさが波濤となり心に激しく叩きつけた。
地面に降ろした手に力が入る。
ぎゅっと指が地面を引っ掻く。
「電志……もうやめるんだ」
「俺の設計も今回ばかりは間違っていたのかもしれない。ある程度質を落としてでもコンペで優勝しておけば良かった! そうすれば……エリシアよりはマシな機体を配備できたんじゃ」
そして、遂に愛佳の胸の苦しさは溢れた。
「電志っ……もういいんだ! もう、いいんだよ……!」
愛佳は電志の頭を抱き締めた。
母が泣いている子を抱き締めるように胸に抱いた。
この少年は淡々と最高性能の機体を設計する裏で、こんなにも傷付いていた。
誰かが癒してあげなければいけない。
愛佳は電志の傷付いた額をさすり、それから膝枕をしてあげた。
電志はぽつりと呟いた。
「俺は、怖いんだ」
「怖い?」
「敵よりも味方が。敵よりも、何をしでかすか分からない味方の方がよっぽど怖い」
それを聞いて、愛佳は思った。
才能があることは不幸なのではないだろうか。できることが多いほど後悔する範囲も広くなる。普通の人が一〇〇できるならそれ以上のことは諦めがつく。だが二〇〇も三〇〇もできる人は普通より一〇〇も二〇〇も後悔する範囲が広がってしまうのだ。
愛佳は、それに応えてあげられる言葉を持っていなかった。その領域に踏み込めるのは七星くらいだ。だから、今だけは分かった風なことは言わない。
「……今後五〇機の全翼機が配備されるそうだよ」
「まあそれで様子を見て、更に増産するか判断するんだろうな」
今は実証試験で得られたデータを解析中。
改良できる点が無いか模索している。
最初から電志の機体が採用されていれば……電志はコンペが始まる時に『死んでからでは遅い』と言っていたが、まさにそうだった。
「おや、あれはエリシアさんじゃあないかい?」
石碑のすぐ近くまで行って手を合わせているのはエリシアのようだった。
ここからは離れているので、気付かれてはいない。
「あいつなりに心境の変化があったのかもな」
「イライナも心を入れ替えるって言っていたよ」
「あそこまでやらかしたんだ。変わってもらわなくちゃ困る」
電志はふっと微笑を浮かべた。辛いハズなのに、そんな時の方が笑う。シュタリーのことがあったのに、その問題を引き起こしたイライナを赦すなんてどれだけ辛いのだろう。
「…………電志は一人で抱えすぎだよ」
「それなりに折り合いをつけてやっているさ。割り切りはしないけどな」
電志は割り切りをしない。
そんな珍しいタイプの凄腕設計士。
痛みを背負い続けることがどれだけ想像を絶することなのかは愛佳には分からない。
でもその痛みを少しでも和らげてあげることが自分にできたら、と愛佳は思うようになった。
その後しばらくはディベートで負けたり電志の調子は悪かったが、徐々に調子を取り戻していった。
割り切らず、かといって引きずらず。
それが電志の生き方らしい。
愛佳は初めてディベートで電志に勝利を収めたのだが、班を出ていかなかった。
勝ちは勝ちなのだが、何だか納得がいかない。怪我をした選手に勝っても勝った気がしないのと一緒だと思う。やはり電志が万全の状態で勝たないと意味が無い。だからもうしばらく班に残留しようと決めた。
五〇機の全翼機が完成すると、電志班だけでなくサントス班にも配備された。
周囲からは『もう失敗できないという大役なんだから頼んだぞ』というプレッシャーばかりがかけられたが、電志の方は飄々としていた。
そして、真価が試される出撃の時が来た。
襲撃の館内放送が流れる。
電志よりもむしろ愛佳の方が緊張していた。
「でででで電志、部屋中の人達がボクらを見ている気がするよっ……もももモテモテだねっ」
〈DDCF〉全員の突き刺さる視線。
部署としての威信がかかっているのだから失敗するなよ、という思いがありながら、しかし一方ではその大役が自分でなくて良かったと安堵している。
無責任極まりない。
電志班に来るまではむしろ愛佳もそっち側だったので、こんな視線に対する耐性が無かった。これって、する方は気付かないけどされる方はたまったものじゃないな……
「キツかったらちょっと外歩いてきて良いぞ」
「そういうわけにはいかないだろう?」
今回の出撃では部長から部屋にいるように命令があったのだ。
電志がいつも出撃の時にいなくなるため釘を刺したかったらしい。
電志が何故いなくなるかは知りもしないのだろう。
愛佳があわあわしていると、近付いてくる人影があった。
エリシアだ。
ドレスや髪をなびかせやってくると、腕組みして口を開いた。
「フン、電志のお付がだらしないわね。もっと堂々としなさい」
いきなりの口撃に愛佳はムキーと反撃する。
「ボクは電志のお付じゃないよ、電志がボクのお付なんだよっ」
「あらあら、それは大きく出たわね? でもそれじゃ私には到底敵わないわね。なにせ電志は私の下僕なんだから」
「なっ……それなら電志はボクのペットだよ!」
「俺は畜生じゃない」
電志が反論するが無視された。
エリシアはふっと表情を和らげるとかすてらを差し出す。
「電志班のメンバーなら、電志を信じなさいな」
差し出されたかすてらを見て、愛佳はきょとんとした。
これは、エリシアなりの励まし方なのかもしれない。
ムキーとなったことで少し緊張がほぐれた。
そしてかすてらを受け取り、頬を緩める。
「そんなの、ボクは最初から電志の機体なら絶対大丈夫だって分かってるよ。今回だって何も問題ないさ」
「さっきまでの慌てようが嘘のようだな?」
電志が意地悪な顔を向けてくるので愛佳はぷくっと頬を膨らませた。
「さっきまでのは嘘だもん! ペットのくせに口ごたえ禁止だよっ」
「何を言っているのかしら。電志は私のものよ? だって幼馴染なんだから」
そう言ってエリシアは見せ付けるように電志に抱き付いた。
まさか、と愛佳は思う。エリシアの心境の変化で、電志に惚れてしまったのだろうか。
「あがっ……公共の場でふしだらな行為はやめたまえよっ」
「そうだ離れてくれ」「良いじゃないのこれくらい」
電志が顔を赤くして訴えるがエリシアはにこにことして離れない。
愛佳は実力行使でエリシアを引き剥がしにかかる。
「良くない! さぁ離れたまえ、さぁさぁさぁさぁ!」
「あら、何で良くないの? 別にあなたには関係ないハズでしょう?」
「え……? 確かに関係は、ないけど……いや、ある! ボクのペットはボクが管理すべきだよね。だから恋愛とかもボクが管理するんだよっ」
「やだあなにそれ? そんなに電志を独占したいの? こんな束縛女なんてやめておきなさい電志」
「そんな、別にっ……そんなつもりじゃないもん!」
愛佳はもう自分でも何を言っているのか分からなかった。
ただ頭の中で感情が加速していくばかり。本当にそんなつもりではない。単に目の前で変なことをされるのが見ていられないというか、そんな感じだ。それだけだ。
「全くなんなんだ。わけ分かんねえ。静かに待てないのか」
電志が額を押さえて呻くが、愛佳とエリシアはその後もぎゃあぎゃあ止まらなかった。
大事な出撃なのに今までで一番騒がしい。
でも緊張は完全に吹き飛んだ。
心の中では愛佳はエリシアにそっと感謝を述べていた。
そして戦闘終了になった。
部長からは〈DPCF〉部長がやってくるから待っているようにとお達しがあった。何かあったのだろうか。
待つことしばし、〈DPCF〉の面々がやってくる。
いつもの帰還挨拶と違うところは、彼らの部長がやってきているところだ。
何が起こるかと思いきや、電志が呼び出された。
そして〈DPCF〉部長から感謝状が渡されたのだった。
今回生産した五〇機、そして既にある五機は全機帰還できたのである。
これは空前の快挙だった。
部屋の中は盛大な拍手に包まれた。
電志が愛佳を呼び寄せ、二人で感謝状を掲げた。
それが終わるといつもの帰還挨拶となり、ナキが飛んできた。
「ねーねー電志! あたしにもあの機体作ってよ!」
機体に興味が湧いたようでナキが電志に迫る。
電志は苦笑だ。
「ナキのはまだ一年も使ってないだろ? 大破すれば交換にはなるんだろうけどさ」
「そっか、じゃあ大破すれば良いんだね?!」
「なに不穏当な発言してんだよ、わざとは駄目に決まってるだろ?!」
シゼリオもやってきて顔を綻ばせていた。
「電志、やってくれたじゃないか。あの機体は新時代の幕開けを予感させるよ」
「そいつは良かった。でも俺だけの成果じゃないぞ。倉朋との合作だ」
こういう時仲間の協力があったのを電志は忘れない。全くいい奴なんだから、と愛佳は嬉しくなった。言葉では全く違うことを言うが。
「むしろボクのお陰であの機体ができたんだよ。さぁさぁ褒めてくれて、良いんだよ?」
「ははは、愛佳がメインで電志が補佐になる日も近いな」
爽やかに笑うシゼリオに電志は肩を竦めた。
「そりゃ大歓迎だ。俺が楽できる」
「そうしたらボクがこき使ってやろうじゃあないか。覚悟しておくんだね電志っ」
わいわいと四人で歓談。
ここしばらくは帰還挨拶でもこうはならなかった。今回の快挙でようやく笑顔が戻ってきた気がする。できるなら笑顔で帰還を迎えたい。そのためには設計を頑張らなくてはならない。設計とは難しいものだ。
そこで愛佳は思い出した。設計とは何なのか?
思い立ったらすぐ行動。
愛佳はインタビューするように電志に尋ねる。
「設計とは! コストダウンのためにパイロットを犠牲にしても良いんですかー?」
しばし硬直する電志。
いきなりのことで理解に時間がかかったらしい。
しかし口の端を釣り上げると、拳を突き出しながら返してきた。
「ノーだ。じゃあ設計とは! 成績のためにパイロットを犠牲にしても良いんですかー?」
愛佳はイジワルな質問だなーと思いながらも、自然と笑顔になった。
そして電志の拳に合わせて自身の拳を突き出す。
「…………ノーだっ!」
二人の拳が軽く触れ合った。
設計とは何か。
それはまだ分からない。
でも、コスト低減コンペを通じて電志と相反する設計思想と衝突し、色んな人達と出会い、そして別れも経験したり……実に色んなことがあって新しい機体が生まれた。
色んな経験をしたことで、一歩設計というものに近付けた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます