第91話
人は時々、殻の内側にあるモノを打ち明けることがある。
本音など言わない人が何でもない世間話を4つ5つと重ね、その後唐突に真面目な話をしたりするのだ。
それは『真面目な話を最初から始めるのは相手に嫌がられるかもしれない』とか『自分のキャラに合わないから』とか『ある程度助走をつけないと真面目な話を切り出せない』など色々な理由から長い前置きがなされる。
エミリーはまさに、普段本音などおくびにも出さないタイプに見えた。
その彼女が唐突に、真面目な話をし始めたのである。
「歌って……残るよね」
彼女の表情は恐る恐るというか、緊張したものになっていた。
電志はそれまで手持ち無沙汰にそこいらに視線を投げていたのだが、空気が変化したのを察知しエミリーの方を向いた。なんだ、いきなり……
愛佳も敏感に空気を察知したようで、相談に乗るような口調になる。
「歌……?」
エミリーは小さく頷いた。
「うん、歌。歌ってその場で聴いて終わりじゃないの。メルグロイはね、いつの間にかわたしの歌を覚えてたんだよ。わたしのいない所でも聴いてくれていて、彼の中にしっかり根を張っていたの。コレ、凄くない?」
「…………それは良かったじゃあないか。彼がエミリーの歌を好きになってくれたんだね」
「好きなのかなあ。好きでいてくれると良いな……」
どうも迂遠な言い方に愛佳は探り探りといった感じになってしまう。
「好きじゃないと覚えないんじゃないかなあ……好きだと思うよ」
「そうだよね……きっと。ううん、たとえそうじゃなかったとしても……一番大事なのは彼の中に残ること。これから先もずっと残ってくれればそれで良いの」
「ずっと残ってくれれば?」
「そう。わたしがいなくなっても、ずっと……」
そう言ってエミリーは遠くを見つめながら微笑んだ。
そこには奇妙な違和感があった。
電志は疑問を心の中でこねることしかできない。どう対応したら良いか分からない。いったい何が言いたいんだ……?
遠くを見つめるエミリーは夢見がちな少女のようにも見えた。
恋に夢中になると周りが見えなくなるとよく言われるが、そういったものだろうか。
その様子を見て愛佳も何と言ったら良いか分からないようだった。
その後エミリーとは別れたが、電志と愛佳は不思議体験をしたように互いに顔を見合わせていた。
買い出しが終わると電志は大きな袋を両手に提げていた。
帰り道は愛佳と『人の記憶に残ることがしたいか』という話で盛り上がった。
電志は設計で人の記憶に残れれば良いと思ったが、それも難しいと思い直した。
機体は世代交代を重ねていくと古いものは忘れられていく。
自分が〈DDCF〉から離れて一〇年もすれば、忘れられてしまうのではないだろうか。
反対に愛佳は自分の描いた絵が突然、億の値段で売れるようになるなどと言い出したりした。
その他にも色々と夢のある話が続いたが、電志は全て聞き流した。
居住区に差し掛かるとかすかに食欲をそそる匂いが漂ってくる。
そろそろ夕食の準備をする時間帯だ。
みんなは何を作っているのか、これから愛佳は何を作ってくれるのか。
そんなことを電志が考えていると、近くの扉から見知った人物が顔を出した。
扉から出てきたのは女性二人組。
一方はジェシカで、彼女はもう一方の女性を送り出し手を振った。
友人を招いてお喋りでもしていたのだろうか。
電志がジェシカの方に目を向けていると、彼女もこちらに気付いたようだった。
「あ、電志くんに愛佳ちゃんじゃないの。お買い物に行ってきたの?」
「はい」
端的に電志が答えると愛佳が補足をした。
「電志がどうしても行きたいと言うので」
補足ではなく偽情報だった。
だが電志が誤りを正す前にジェシカが何かに気付いたように声をあげた。
「あっ……! 忘れてた、お味噌がなくなっちゃったんだった」
どうやら調味料が不足しているらしい。
愛佳は電志の持つ袋を漁りながらそれに応じた。
「味噌なら今日買ったので、お分けしますよ」
調味料や食材を分け合ったりするのは【アイギス】ではよくある光景だ。
物々交換や分配、そして世間話というのが一般的な流れになっているのである。
七星はこうした光景には最初驚いたらしい。
彼の育った所では近所に住んでいる者がどういう者かすらもよく分からないしご近所付き合いも無かったようだ。
ジェシカは小さな器に味噌を受け取ると、こんな提案をしてきた。
「お茶を出すから寄っていかない? さっきまで友達が来てたからね、ちょうどお菓子も並べてあるのよ」
そうしてジェシカの家にお邪魔することになった。
ジェシカは一般的な四人部屋でなく、一人部屋に住んでいる。
〈DUS〉のメンバーともなれば二人部屋か一人部屋が標準的にあてがわれるようになっているのだ。
部屋はおおむね整頓されており、ところどころに可愛らしい装飾品が置かれていた。
だがそれらよりも目を引いたのは、部屋の隅に飾られているブーケだった。
お茶を持ってきたジェシカに電志は尋ねてみた。
「あのブーケはいったい……?」
するとジェシカは、ああそれね、と苦笑した。
彼女は部屋の中央にあるローテーブルにお茶を置きながらその由来を話し出す。
「以前、友達の結婚式でもらったものよ。わたしがもらっても……って思っていたから、ブーケが投げられる時わたしは隅っこにいたの。そうしたらハプニングが起こってね、花嫁が投げたブーケが思ったより勢いがよくて、みんなが一斉に手を伸ばしたんだけど鞠みたいに弾いちゃってね……遠巻きに見ていた外野まで飛んじゃったの。そしてなんとホシさんの頭に命中。そうしたらホシさんがね、わたしにくれたのよ。別にいいって言ったんだけどねー」
ジェシカは眉をハの字にしていた。
妙なハプニングがあるものだ、と電志は思う。たいてい、そういうものは欲しいと思っていない人がゲットしたりするんだよな。七星さん、頭からブーケをかぶってさぞ微妙だっただろう。
「そんなことがあったんですか」
「そう。それでね、友達たちの間では『ブーケを受け取った者はウエディングドレスを着て写真を撮る』っていう変な掟があってね……わたしとホシさんで着替えて写真を撮ったのよ」
「……それって、七星さんもウエディングドレスですか?」
「激しい抵抗にあってさすがにホシさんのは新郎用の服にしたわ」
ジェシカは画面を出して当時の写真を表示させる。
そこには本当に新郎新婦のようなお似合いの二人が写っていた。
手を繋ぎ、緊張した表情の七星とはにかむジェシカ。
もしも二人が結ばれていたなら、という枝分かれした世界がそこにはあるような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます