第90話
地球への回答まで残り二日。
ごみごみしたところは、電志は苦手だ。
蚤の市の広場はとにかくごみごみしている。
酸素が薄いとでも表したらいいか、どうにも息苦しいのだ。
雑音の大きさも好きになれない。
とても何かに集中できる環境ではない。
考え事をするのにも不向きだ。
休憩の時だって静かなところで羽を伸ばしたい。
だが、一緒に来ている相棒の方は正反対のようだ。
愛佳はむしろここが自分の本領を発揮できる場所だとばかりにはしゃいでいる。
人波を器用に縫いながら進み、電志は波に飲まれ置いていかれそう。
あっちの店こっちの店と覗いていく内に電志は疲れてきた。
そろそろ休もうということになり、人の少ない部屋の隅へ移動。
電志は疲れを溜息で吐き出してそこらに設置してあるベンチに座った。
「いつ来ても疲れるな」
「充実している証さ」
一方で愛佳の方は遊び足りない子供のように元気だ。
ベンチに座ってからも足をぶらぶらさせている。
「人がまばらだと嬉しいんだが」
「人が沢山いないと寂しいじゃあないか」
「多いと息苦しいし、移動もし辛いじゃないか」
「息苦しいなら他の人より多く吸えば良い。そうしないと生存競争に勝てないよ」
「空気くらい争奪せずに吸わせてくれ」
げんなりして電志はベンチに深くもたれかかった。空気を争奪しなきゃならない状況ってのはつまり、環境維持装置が壊れた時……死を待つだけの絶望的な状況だ。そこで幾ら頑張ったとて、迫り来る死が早いか遅いかだけの話。意味が無い。
そんなダレている電志に愛佳は不満そうな表情をした。
「電志は人気の無い場所が好きだもんね。すぐボクを人気の無い場所に連れ込もうとするんだから」
「いやらしいな」
「まったくだよ。だから電志はボクを人気のある所に連れ込むようにしないと」
「人気のある場所には愛佳が連れ込んでくれているから良いよ……と、通話要請が」
電志のところに通話要請が入った。
相手はゴルドーだった。
『よお電志、お邪魔だったか?』
ゴルドーは画面の向こうで含み笑い。
電志が愛佳と一緒にいるのを見てからかっているのだろう。
だが電志はゴルドーの隣にネルハが映っているのを見て軽口を返した。
「別に。そっちこそ妹とのデート中に良いのか?」
『ははは、うらやましいだろう? 本当は水入らずでいたいところなんだが……ちょっと気になることがあってな』
「気になること……?」
電志が先を促すと、ゴルドーはその内容を話し始めた。
『今回お前さんから受けた開発なんだが、せっかくだからネルハにも手伝わせている。それは俺が万全の注意を払ってやらせているから完成が遅れるとか質が落ちるといったことはないから心配しないでほしいんだが……それで、勉強になるかと思って【黒炎】を見せておこうと脱出艇格納庫までやってきたんだよ。そうしたらさぁ……ロックされてて開かなかったんだよな。お前さん、何か知ってるかい?』
「ロックされてた……?」
奇妙な話だった。
脱出艇格納庫が開かなければ、有事の時使えない。それとも普段はロックされていて有事の時だけ開くようになるんだったか……?
電志はどういうルールになっていたか思い出そうとしたがあやふやだった。
隣の愛佳へ視線を投げてみたが、『さぁ……?』というリアクションが返ってくるだけ。
これではロックされているのが正常なのか異常なのかも分からない。
そこで電志は過去のことについて確認する。
「【黒炎】の開発をしていた時は自由に入れたのか?」
『ああ、あの時は何の問題も無かった。それに、もっと妙なのは俺のような開発者の立場でもロックが通らねえってことだな。普通は機体が置いてある場所とか資材の置いてある場所だったらロックも解除できるはずなんだが……』
ますます妙な事態だった。
ロックというものは特定の者だけ通すような設定ができる。
例えば何の資格も持たない市民は通さないがパイロットなら通す、とか。
危険物が置いてある場所などは典型的な例で、ゴルドー等の〈DDS〉の者であれば入れるが一般市民は入れない。
今回は脱出艇格納庫なので、たとえ【黒炎】が無かったとしても脱出艇が確実に置かれている。
にも関わらず〈DDS〉の者が入れないというのは変だった。
「〈DDS〉でさえ資格が無いってのは変だな……そんな強力なロックが必要な場所か?」
どんな資格が必要なんだ?
そう考えた時、電志はある可能性に思い至った。まさか……
極秘任務か?
〈DUS〉が用意したロックなら特別な権限が無ければ開けられない。七星さん、ゲンナさん、シゼリオ辺りしか入ることができないのではないか?
だが、地球侵攻は無いと結論付けたではないか。それとも単に、使う予定は無いが【黒炎】をバージョンアップさせただけ? 武装解除するのにバージョンアップさせても意味無いような気がするのだが……
謎が謎を呼ぶ状態。
しかし思いついた可能性をゴルドーに言うわけにもいかず、『よく分からないな』とお茶を濁すしかなかった。
通話が終了すると、思いがけずエミリーと出くわした。
しかも恋人の男性と一緒ではなく、単独のようだった。
エミリーは快活な笑みで近寄ってくる。
「二人とも熱いわねーいつも一緒にいるじゃないの」
昔は電志を見ると顔をしかめていたものだが、今の彼女は全く気にしていない様子。
恋人ができたことで誰かを叩く衝動が抑制されたのだろう。
幸せを感じている者ほど心に余裕ができるものだ。
愛佳が肩を竦めて応じる。
「熱いのはむしろエミリーの方じゃあないか。でも今は一緒にいないんだね?」
「うん、ちょっと忙しいみたいだから。今の内に食材の買出しをしておこうと思って。そっちも買出し?」
「電志がこの通りか弱さアピールをしていてね、なかなか捗らない」
「少しは鍛えさせたら?」
「天性のインドア派だから困難だよ。脳を弄る機械でも設計してほしいところだ。そうしたら快活イケメンに改造してあげられるのに」
「脳も顔も弄ったら、それ同じ人って言えるの……?」
それはなかなか難しい質問だった。
蚊帳の外となっている電志も考え込む。同じ人なんだろうか。書類上はそうでも、気持ち的には別人に感じてしまうかもしれない。そいつを『そいつ』と決定付けるものがどこに残るんだということになるからだ。性格も顔も変わってしまったら、どうなんだ……?
だが愛佳は大して考えずに答えを出した。
「別人だね。というか、電志が型にはまったらつまらない。ということで電志は今のままでも許そうじゃあないか」
どうやら愛佳の基準は面白いかつまらないか、だけらしい。
その後も二人のお喋りは止まらず、今日のお買い得やら友達が失恋したやら流行の占いなどあっちこっちに話が飛んだ。
それからしばらくして、エミリーはこんなことを言い出した。
「歌って……残るよね」
確かエミリーは趣味で歌を作っていたはずだが、どういうことだろうか。
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