第58話

 カジノ奥の通路でメルグロイはセシオラと落ち合った。

 だいたい二~三日に一度、状況を確認する意味合いでセシオラに報告させているのだ。

 巣の破壊の前はこんな報告なんて必要なかったのだが、祝勝会でセシオラがために行うようになった。

 最初は毎日だったが、今ではそこまでしなくても良いか、という空気になっている。

 聞いた話によると仲良しだった友達とはきちんとお別れできたらしい。

 セシオラには見張りもつけていたが、その見張りからもそれが事実であると報告を受けている。

 そのため、彼女からはもう『要注意』のレッテルは剥がれたのだ。

 今は経過観察、といったところか。

 メルグロイとしてもセシオラにいらぬ疑いがかかるのは好ましくなかったので、安心している。

「それで、今度は七星の……恋人? みたいなのとパイプができたのか」

「恋人じゃないです……! ジェシカさんはただ隣の席というだけの人だから」

 セシオラはずいぶんと強調した。

「そ、そうか? まあ良いけど。でもそのジェシカは昔の七星のこともよく知っているし、ずっと二人三脚で仕事してきたんだろう? それなら色々と情報が引き出せそうじゃないか」

「うん。昔話とかよくしてくれるから」

「それとなーく聞き出してみなよ。これまで七星が地球のことを何か言ってなかったか。きっと何かしらあるはずだ」

「んー、でも……聞き出してそれが噂に広まるんじゃ、わたしが噂を広めた犯人かと思われちゃうじゃない」

「そこはうまいこと逃げてさあ……そうだ、噂をそのジェシカっていうのに話してみたら良いんじゃないか? そうしたら『それありえるかも。昔こんなこと言ってた』とか引き出せるかもしれない」

「そんな簡単に言わないでよ……あなたは恋人とだけなのに」

「それは立派な仕事さ。セシオラだってすれば良い、七星とさ。宇宙に上がる前は何でもするって言ってただろう? 人生をやり直すために」

 するとセシオラは顔を赤くしてしまった。

「何言ってるの、もう。最低」

 こんな時メルグロイは微笑ましく思う。ウブだねえ、可愛らしいもんだ。若さとはこういうものかもしれない。恋人の営みに興味はあるけど、とても特別なものと位置付ける。特にファーストキスなどに代表される『初めての』なんてものはその最たるものだ。下手すりゃ物心つく前にママとキスしてる可能性だってあるのに。それはノーカンだって? 口と口が触れ合えば同じだ、犬や猫としてもキスはキスだろう。とはいえ、こんな風に考えるのも慣れてしまったからというだけで、自分も中学生くらいの頃はセシオラと同じだった。特別なことはいつ体験できるのだろうと何十パターンも想像していたな。

「実に年齢相応の反応をしてくれて嬉しいよ」

「汚れた大人ね」

「いずれそうなる」

「そんな調子でちゃんと再出発できるの?」

「できるつもりではあるけど……」

 確かにエミリーを騙しているのはよくない。しかしそれはこれっきりだ。地球に帰ったら俺は生まれ変わる。だから今の俺のしていることもその時全て捨て去るのだ。どうせ生まれ変わるならクリーンな人生を歩みたい。

 セシオラは納得していない顔で俯いた。

 それを見てメルグロイも複雑な気持ちになってしまう。再出発はできるはずだ、はずなんだ。今は今、未来は未来。連綿と続いていくその道を断ち切る。一度切れたその先は別の人生だ。連続性は無い。だから今どんなことをしていようと良いんだ。

 メルグロイの考えていることを表情から察したのか、セシオラは意味深に言った。

「今していることは消えないよ、絶対……良くも悪くも」

 思いがけず核心を突いてくる。

 メルグロイは一瞬、息を呑んだ。


 ……?

 ……?


 本当だ、消えない。捨てても、断ち切っても、今していることは消えない。あれ、おかしいな? 捨てれば良いや、と今まで気楽に考えていたのに。おかしい。

 カウセリングの考え方では『再出発する時に今までを捨て去るけど、全ての罪が消えるわけではない……ただしそれは懺悔でもすれば良いものだ』というものだったはずだ。いや、それとは合っている。『今していることは消えない』のと『罪が消えるわけではない』という話は合っている。でも感じ方が全然違う。まるで別物だ。思っていたより、これは重いのか? まさか再出発した後に延々と苦しまなけりゃならないんじゃあるまいな?

 いや、罪だけではない。

 、である。

 良いことも消えないのだ。

 エミリーの口うるさく言ってくる時の顔が一番好きで、それが脳裏をよぎる。


 この思い出も捨てるのか?

 そして、捨てるけど消えないのか?


 微かな恐れがメルグロイの中に生まれる。

 それが不気味な怪物に思え、顔をしかめた。

 子供の怖いところは、何気ない一言で物事の表層を貫き深層へ到達してしまう感性だ。

「……時間が解決してくれるさ」

 苦し紛れにそう言ってメルグロイは笑ってみせた。


 夜になってメルグロイはエミリーの部屋へ行った。

 食事をしながら考える。

 セシオラに七星の身辺を探れと言ったはいいが、ちょっと心もとない。こちらはこちらで何かできないか。エミリーから何かに辿れないだろうか。

 食事と一緒に考えも咀嚼し、世間話の合間に切り出してみた。

「エミリーは〈DDCF〉だろう? 地球でも【アイギス】を救った設計士っていうのは有名でさ。〈DDCF〉の初代部長なんだろう? その人はまだ〈DDCF〉に来たりしているのかい?」

 するとエミリーは首を振った。

「ううん。来てないよ。今は〈DUS〉にいる。あ、でも来たこともあるよ。問題があった時とか」

「へえ、問題?」

「うん。何だっけ、ミリーっていう先輩がよく分からないけど問題起こして、その時七星さんが〈DDCF〉に駆け込んできたことがあるよ。そのミリーっていう先輩とは何だか仲良かったな。そうだ、わたしの友達が言っていたけど、ミリー先輩は七星さんのことが好きだったんだ! 自称七星さんの一番弟子だとか」

 芋づる式に情報を思い出していくようにエミリーは話す。

 とりとめのない話だが、幾つか注目に値するキーワードがあった。

『ミリー』『七星が好き』『自称七星の一番弟子』

 メルグロイは顎に手を当てて考える。これは良さそうなキーワードだ。

「七星は弟子をとっていたのか。といっても自称?」

「そうね。七星さんのことが好きで弟子を自称しているだけかもしれない。成績は良いからあながち嘘でもないんだろうけど、本当のところは分からないわ」

「ふうん……【アイギス】を救ったのがどんな人物か興味あるんだけど、そのミリーっていう子に聞けば分かりそうかい?」

「そうねえ……何で知りたいの?」

「凡人なりに天才の逸話を楽しみたいのさ。天才の逸話は俺みたいな凡人にとって娯楽だからね」

「逸話だったらわたしだって色々話せるよ」

「巷に流れている逸話や噂なんて大半が創作さ。その裏の話が聞きたい。語られなかったものが沢山あるはずだ」

「へー、なかなか『通』な楽しみ方をするのね」

 エミリーは勘違いしたようで、ミリーの写真を見せてくれた。

 メルグロイはそれに乗じて得意気な顔をする。『通』か、そういうことにしておこう。

「どれどれ、この女の子が弟子か?」

 とりあえず胸が大きいな、というところや眠そうな目を頭に叩き込む。ナンパの振りでもして近付けば良いか……?

 真剣に見過ぎていたのか、エミリーは不服な顔をして写真を消した。

「この人、胸大きいからね。もしかして七星さんのことを聞くフリをしてナンパするつもり?」

 メルグロイは思わず苦笑してしまった。逆だよ、逆。

「その娘には好きな人がいるんだろう? それなら他の人になびくわけがないじゃないか」


 糸口は見つけた。

 あとはそれを辿っていくだけだ。

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