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 衝撃的な話に驚いて聞き返せば、蔵人さんは、わたしから視線を外して、蒼い月を眺めた。


「……僕がいなければ両親は別れられたのに、って」


「蔵人さん!」


 ……そう言えば、言ってた。


 蔵人さんの耳が壊れた……わけ。


 散々殴られたせいかも、しれないって。


 その時は、夜間バイク走行走行集団『雷威神』の総長さんをやってたって、聞いたばっかりだったから。


 対等な喧嘩をして……と、思ってたけれど……!


 言葉なんて出なくなったわたしに、蔵人さんは、ライオンみたいに笑った。


「でももう大丈夫、だ。

 今では僕の方が、強い。

 爺や伯父兄弟がまとめて殴りに来ても僕が、勝つ」


「蔵人先輩……」


「それに。

 壊れた耳の代わりちょっとした特技も、ある。

 ……言葉に……声にしなく、ても。

 相手がだいたい何考えてるか判る、とか」


 そんな蔵人さんの言葉に『ウソ』って言いかけ……やめた。


 誰にも秘密だった神無崎さんの本命だって、蔵人さんは知っていたし。


 こんな特技があったから、チームワークがあるのか限りなく謎のバイク走行集団、雷威神の総長が出来たんだ。


 蔵人さんの切ない特技に、声も出せずに頷けば。


 本当は、殴られるのがイヤで、ヒトの顔色をうかがってただけの嫌な子どもの印なんだけど、なんて。


 蔵人さんは、ちらっと口の端を持ち上げて言った。


「僕は、こんな風に機械と暴力に囲まれて育ったんだ、けど。

 一度父の仕事についてミニバイクのサーキッドに行ったことが、ある」


 どうやら、十六歳以下でも講習を受ければバイクに乗れる場所で。


 蔵人さんのお父さん。


 走行中のミニバイクのレーサーとトレーナーが通信出来る機器を開発しに行ったらしい。


「そこで僕は初めて宗樹に、あった。

 まるで機械みたいなめちゃくちゃ正確な走り、で。

 誰よりも早く走るアイツが同じ年、なんて。信じられなかった。

 アイツの走りで、今まで暗かった世界が音を立てて崩れた感じ、した」


 それから僕もすぐミニバイク始めて、必死に練習したけれど。


 全然宗樹には追いつけなくて、なんて。


 笑う蔵人さんの言葉を聞いて、わたしは首を傾げた。


「え? でも雷威神で一番速かったのは蔵人先輩だったんじゃ……」


「……速かったのは、僕。

 だけど上手いのは、宗樹。

 宗樹は公道での集団走行では無謀な運転一切しなかった、から。

 皆の前では僕が一番ってことになってた、だけ。

 宗樹はトレーナーの言うことも、道路の交通標識も全部丸々インプットして、そのまま出力している、感じ?

 何時でもどこでも冷静で、正確で、歪みのない機械みたいな、ヤツ。

 僕はそのままで居心地良かった、けど。

 神無崎裕也は宗樹に『もっと笑え』って散々怒鳴ってたっけ。

 その時は、何莫迦なことをしてるんだ、って思った、けど。

 ……今なら裕也の気持ちが判るよ」


 そう言って、蔵人さんは、わたしを静かに見た。


「僕も大好きなヒトには笑っていてほしい、って」


「蔵人さん……」


「宗樹は理紗のこと本当に好きだ、ね。

 この短い時間で、僕は宗樹が機械から人間に変わってゆくのを見た気がする。

 そして、理紗も宗樹が好きだ、ね。

 これは、僕が特技を使わなくても一目で見て、判る」


 そ……そうかなぁ。


 何だか急にドキドキする言葉に首を傾げれば、蔵人さんは、青い瞳をすっと細めた。


「……だから、聞いて? 理紗。

 僕の言葉を一回、だけ。

 もう。戦う前から負けているってこと、知ってる。

 言っても理紗に迷惑をかけるだけだってこと、も。

 本当は誰にも言わずにいられればかっこいいんだ、けど。

 僕には……想いが溢れそうで。

 何もしないままではフタをするのが無理な……言葉」


 そう言うと、蔵人さんは、月光の中。


 すっ……と音も無く近づくと。


 わたしの右手をそっと取って、両膝をついた。


 そして、わたしの顔をしっかり見つめてささやく。


「理紗。

 僕はあなたのことを愛して、ます」


 ……ああ、そうか。


 ……悲しいね。


 蔵人さんも、神無崎さんも、みんな誰かのコトが好きなのに。


 その想いが届かないことを知ってる。


 その想いに応えることが、出来ないことも判ってる。


 だから、神無崎さんは、その想いを黙って呑み込んで。


 蔵人さんは、僕と付き合って、とは言わない。


 ただ、悲しげに小さくほほ笑むと。


「これからも、もう少しだけ理紗のことを好きでいさせて、ね?」


 って、ささやいた。

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