重ねることは難しい

@mikuni

 

 

 

 

 生物学上の男にしてはあまりにも白く滑らかな肌をした彼は、キッチンカウンターでスーツ姿のままグラスを傾けている。恋人の自宅のブランデーは彼の口には合わず、グラスを傾けているという表現は文字通り、ただ傾けて氷の音を愉しんでいるだけに留まっているのであった。南向きの壁面のほとんどを占めているガラス窓からは東京の疲弊しきった夜景が一望できる。彼はこの窓から見る東京がこの上なく好きだった。黒塗りのタクシーの仰々しい行列も、くすんだタワーの赤色も濁った星天もコンクリートジャングルも、汚れていたが美しかった。振り返ると恋人が、髪をくしゃくしゃと拭きながらソファに腰掛けている。空いたぞ、と愛想なく呟かれた言葉は空気に溶けていく。


「何をじろじろ見てる」

「いや、相変わらずいい所に住んでるなあ、と」

「お前の家も大差ないだろう」


 いつもは整髪剤で固められた髪が濡れて束になり、恋人の顔に濃い影を落としている。清潔で交じり気も飾り気もないボディソープの匂いが彼の鼻腔を柔らかく侵害している。恋人のえもいわれぬ色気が彼には苦痛であった。思えば昔から美しくも汚いものに惹かれていた。彼は東京を好んだ。全く清々しくない朝空も排気ガスにまみれた街路樹も、渋滞を照らす夕焼けも、すべて内面に棲む獣の餌になっていく。


「…お前は考え事をする時、唇を爪で掻く癖があるな」


 切れやすいから止めておけ、と恋人は彼の右手を掴んだ。それと同時にグラスを彼の左手から攫い一気にブランデーを飲み干す。氷で薄められた酒は味気なく、なんだか非情であった。唇は切れてしまっていた。泣きそうに顔を歪めて彼は笑う。


「かなわないな」


 この世に胎芽となって生を受けた時には人類はみな女だというのに、何故ここにいる人間は二人とも男なのだろうか。どうして互いは惹かれてしまったのか。唇の血の匂いが薄れていると感じられるほど、彼からは東京の匂いがする。

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