第3話 オペレーション・ルーム
執務室を出た萩生田は、早足にオペレーションルームに向かった。
一刻も早くパラセル諸島の状況を確認したかった。
殺風景な廊下には人影はなく、誰ともすれ違わない。
白い大きな扉の前まで来ると萩生田は立ち止まり、壁に埋め込まれた端末にIDカードをかざした。
小さなウィンドゥの上段には『PASS』の文字が点滅する。
次いで端末の上部の鏡に自分の顔を映すと、ハーフミラー越しの高解像カメラが顔認証と虹彩認証を瞬時に行って、ウィンドゥの中段と下段にも『PASS』の文字が点滅した。
一瞬の後、萩生田の目の前で、大きな扉が音も無く動き始めた。
※※※
重い扉が横方向にスライドすると、その先には1000平米以上もある、広いフロアーが広がってた。
通常のビルなら四階ほどの高さまである高い吹き抜けには、正面の壁面に、500インチの高解像度スクリーンが横に3つ並ぶ。
向かって左のスクリーンには世界各地から送られてくるレーダー画像が表示され、中央はひまわりが間欠的に送ってくる気象画像。
右のスクリーンは、現在通信回線が開かれている世界各国の有人観測所の情報エリアだ。
スクリーンの手前には、気象衛星のコントロールを行う管制セクションと、サポートエンジニアの制御卓、そして採取したデータの集計と解析を行う分析官のデスクが、スクリーンを要にした扇状に配置されている。
この場所で、常時50名を越えるスタッフ達が働いているのだ。
連絡が途絶えたパラセル諸島の観測所は、中国政府が管轄しており、正式名称は中国南部観測所と言う。
右側のスクリーン内にある同観測所の表示ウィンドゥは、ブラックアウトの状態であった。
文字通りの真っ黒な表示エリアの中央には、接続先を示す“CHINA(South) ”の文字が表示され、その下部には赤い文字で、“No-Signal”という警告が点滅している。
※
萩生田が入室すると、入口付近で待ち構えていた氷村が、すぐに駆け寄ってきた。
「パラセル諸島の様子はどうだ?」
「ご覧の通りブラックアウトのままです。恐らく観測所は壊滅かと思われます」
氷村の言葉に、萩生田は何の返答もしなかった。
「直前までの通話記録があります。お聞きになりますか?」
「流してくれ」
氷村がオペレーターに指示を出すと、スピーカーからは途切れ途切れに音声が聞こえ始めた。
デジタル通信の特性上、欠損の大きいデータには補正が効かないので、品質の悪い通話情報はノイズではなく無音となる。
まるで音階のような断続的な電子音と、無音状態を何度も繰り返した後、意味の無かった音の群れは、不意に人間の肉声として像を結んだ。
「……生存者は全員が地下のシェルターに避難。多分、もう地上は水没していると思われるが、センサー類が破壊されたために、確認の手段がない……」
(無音)
「……気密ハッチ周辺から浸水。洪水の水位が安全設計上の10メートルを越えたのか、耐水設計上の問題があったのかは不明。
多分一時間もしない内に、ここは水で満たされる……」
(無音)
「……明らかにホンファの挙動はおかしかった。誰かに恣意的にコントロールされたような……」
(無音)
「……パルス状の強力なマイクロ波と、ホンファ周辺の気圧がシンクロ……、正確な周期を……、自然に発生したものとは思えない。恐らく……」
(無音)
「……萩生田所長、あなたの予測通り……、後の事はよろしくお願い……」
(無音)
「……膝まで水につかった。もう長くはもたない……、最後まで観測を続けてくれたスタッフに感謝したい……」
(無音)
「……皆の家族に伝えて欲しい。我々は……」
(無音)
「……悔しい、死にたくない……」
氷村はオペレーターに目で合図をして、通話記録の再生を止めさせた。
「ここまでです。後は復号化できません」
「話していたのは張だな?」
「はい、上席研究員の張海峰です」
「可哀そうな事をした。私が彼を派遣さえしなければ……」
「張は何のためにパラセル諸島に?」
「彼は、次世代のハリケーン予測システムの中核部分を手掛けていた。
現地に滞在していたのは、中国政府が設置した最新のセンサー群で、周辺海域のデータ収集を行うのが目的だった」
「そこで運悪く、ホンファに見舞われたというわけですね」
「張たちが、命懸けで残してくれたデータは、恐らく我々がここ数年追い続けていた疑問を解く鍵になるだろう」
「彼を失ったのは、痛手ですね」
「あまりにも大きすぎる痛手だよ」
萩生田は無念そうにかぶりを振り、そして茫然とした面持ちで、その場に立ちすくんだ。
「所長、会議はどうなさいますか、少し時間を置きましょうか?」
氷村は萩生田を気遣うように声を掛けた。
「いや、張の努力を無駄にするわけにはいかない。もう皆集まっているか?」
「はい、全員揃っています」
「よし、行こう」
萩生田は氷村を伴って、室内中央にある中階段を上がっていった。
※※※
会議室はオペレーションルームの広い吹き抜けの空間に、まるで浮かぶように配置されていた。
ガラス張になった壁面からは、フロア全体と高解像度プロジェクターが見渡せるようになっている。
萩生田が入室すると、そこには氷村が招集した2名の理事と、2名のフェローが既に着席していた。
IMLの規約では、組織の重大な意思決定は、萩生田を含めたこの5名が担うことになってるのだ。
萩生田は皆が見渡せるテーブルの短辺側に着席し、氷村は議事録を取るために、一番後ろのサイドテーブルに場所を取った。
萩生田が出席者一人ひとりの顔を目で追うと、皆、たった今起きたばかりの不幸に直面し、憔悴しているように見えた。
※
「パラセル諸島の被害は既に知っての通りだ。優秀な仲間を失ったことは残念でならない。
しかし我々には今、それを悲しんでいる時間が無い。今日は重大な決定を下さなければならないからだ」
萩生田は自らの思いを全員に伝えた。
「まずはこれを見て欲しい」
萩生田はそう言って、胸のポケットから、小さなメモリーカードを取り出し、後ろにいる氷村に手渡した。
氷村が壁際に置かれた端末のスロットにそれを挿入すると、室内の中央にあるモニターには一瞬のメモリースキャン表示の後、『Doubt and verification about course operation of hurricane』(ハリケーンの進路操作に関する疑惑と検証)という文字が映し出された。
それはつい先程、萩生田が書き込んだレポートの表紙だった。
「今日の議題は見ての通りだ。世界中で年間に発生する、カテゴリー3以上のハリケーンは100個以上ある。
私はこの内の2割は、何者かにコントロールされているのではないかと考えている」
萩生田の言葉に、会議の参加者たちはざわついたが、萩生田はそれに構わず、レポートのページをめくりながら話を続けた。
「ハリケーンの進路予測は、20世紀の半ば以降に生まれたまだ若い研究テーマだが、21世紀になるとMPUの高速化と、分散コンピューティング技術の進歩で、その精度が飛躍的に向上した」
「2030年代の半ばにはコンピュータ解析の基礎理論がほぼ確立し、2040年代は世界中にモニタリングポストを張り巡らせて、計算に使うパラメーターを増やせば増やすほど、予測精度が上がって行った」
「当時の見通しでは、2050年代には予測精度は99%を越えると誰もが信じていた。
しかし実際には予想に反して、2051年の91%をピークとして、予測精度は下降しはじめ、現在は80%台前半にまで落ち込んできている」
萩生田がそこまで話したところで、一人の男が挙手をして、発言を求めた。
分析部門を統括するダグラス・マッケイだ。
「ちょっと待って下さい。予測が当たらないからと言って、誰かがそれを操作しているというのはあまりにも早計で、乱暴な解釈に感じます」
ダグラスは、ケンブリッジ大学から派遣されている気鋭の気象学者で、萩生田の理論の心酔者でもあった。
「ダグラス、気象データの分析を担当している君こそ、一番疑念をいだいている張本人じゃないのか?
私が今問題にしたいのは、“予測”の話ではない。“現実”に起きている現象についてだ」
「所長が何を仰ろうとしているのか、私には分かりません」
「“予測”は、一定の根拠に基づいて未来を想像したものに過ぎない。どんなに精度を上げてみたところで、外れるときは外れる。
しかし“現実”は想像の次元の話ではない。起こるべき時に、起こるべきことが起きなければ、それは“異常”だという事だ。
良い例が今回のホンファだ。ホンファは観測されたばかりの上空気流や気圧配置に逆らって、逆方向に移動している。それが問題なのだ」
「以前からそういう動きをするハリケーンはありました。従来の気象理論で説明できないというだけなのではないでしょうか?
最近では幾つか新しい学説も発表されています」
「新しい学説など、ただの仮説にすぎない。異常な動き一つだけを取り出せば、屁理屈で幾らでも説明ができる。
一般化して使える理論とは程遠いよ、ダグラス」
萩生田の強い言葉に、ダグラスは返す言葉もなく黙り込んだ。萩生田は更に言葉を続けた。
「ハリケーンの進路を決めるのは上空気流と気圧配置の2つ。極めてシンプルだ。
今回パラセル諸島ではじめて観測出来た、興味深い現象がある。もう一度スクリーンを見てくれ」
萩生田が手元の操作卓に触ると、先程のスクリーンが、ひまわりの衛星画像の履歴表示に切り替わった。
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