第8話 直美ちゃんの記憶

直美ちゃんの記憶


L字カウンターの内側から見るとカーブする中央に小島さん、左側にイムラさんとユリエ、右側にイワヨシさんと美女が並んだ。カウンターの上には小島さんのお土産のカレーマンが3つ残っていて、イワヨシさんはそれを見るや否や、「コジコジ、これ、懐かしいね、愛媛のみかんマンじゃない?」と話しかけた。隣の美女が「え?みかんマン?」とユリエばりにツッコミを入れたがだれも聞いていない。店長ヨッシーとイムラさんから「え!」と心の声が漏れた。小島さんは恥ずかしそうに黙ったまま。ユリエは「え?そこのコンビニのカレーマンと同じ味なんだけど」とカレーマンをぱくり。

イワヨシさんはカウンターに置かれたカレーマンをゆっくりと手に取り、隣の美女に小さい声で食べる?と言って渡しながら、昔話を始めた。


(↓イワヨシさんの話。長くなるので、小島さんの「やめて」「もう言わないで」というツッコミは省略している。)


十数年前にこっちで中学時代の同窓会があってね、当時は30歳くらいかな、男10人、女5人くらい、ビストロ料理の小さなレストランに集まったんだよ。ところが、男はみんな独身で、女はみんな結婚してて、なかなか話が合わなくて。で、たわいもない昔話になったんだけど、愛媛の修学旅行で泊まった旅館の話題になって、そこのみかんマンがうまかった、、、と。男はみんなみかんマンを食べた記憶があったのに対して、女は不思議と全員覚えてない。旅館の小さなおばあちゃんが、夜中に騒いでいた生徒達をこそっと小さな部屋に入れてくれて、みかんマンを出してくれた。見た目はカレーマンなんだけど、みかんのエキスが含まれていてすっごいうまかった、それなのに女は覚えてないの?みたいな話になった時、1人の女が「あっ、思い出した!」と。その女、直美って名前なんだけど(※なお、雑居ビル2階のナオミさんとは違う人物)、「たしかカレーマンが何個か足りなくて、小島くんが半分こして私にくれた気がする」と。そしたら女全員その時の記憶が蘇ってきて、旅館のおばあちゃんが足りない時は好きな女子に半分こしてあげてって言ったみたいで、さらに素直にあげたらこたつの上のみかんを何個でも食べていいよと、そういうことだったらしい。これがみかんマンの正体。つまりコジコジがカレーマンを食べる時は直美ちゃんのことを思い出しているわけ。甘酸っぱいでしょ、みかんマンの記憶。


カウンターの左側ではイムラさんとユリエが小島さんを冷やかし、右側では美女が「だれにあげたの?」とイワヨシさんに質問している。そう、この話には続きがある。

イワヨシさんも当時直美ちゃんのことを好きだったのでカレーマンの半分こは直美ちゃんにあげたはずだった。にもかかわらず、当時モテモテだったイワヨシさんからではなく、なぜか小島さんからもらった記憶だけが直美ちゃんには消えずに残っていた。その同窓会以降、忘れかけて消えてしまいそうだった恋の記憶が、ふんわりとした柔らかいみかんマンの記憶となって小島さんの頭にもどってきたのだった。


その時、またカラン♪と鳴った。パタゴニアのカラフルなマフラーをして現れたのはカタガワさん。カタガワさんは、年に一度のバルの記念日に、イタリア料理を特別に振る舞ってくれる。バルの常連さん達は皆、カタガワシェフの魚のテリーヌが恋しくてたまらない。この日はいつものように客として現れたのだが、めずらしく1人ではない。背後に遠慮がちに会釈する感じのいい女性の姿、なんと、直美ちゃんだった、、、、

新橋のバルに、愛媛の旅館の小さな空間が現れて、そこだけに中学時代の時間が流れているような気がした。

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