鵠沼エネミー

-第30訓- 女子の言う〝初めて〟は初めてではない


「あちー……」


 今年の夏休みはバイト漬けの毎日で始まった。夏休みなのに休めてないとはこれいかに。

 まぁバイトと云っても親父の会社、七里組の手伝い。つまり鳶職人の現場の手伝いだ。

 鳶と一言に言っても主に『足場鳶』、『鉄骨鳶』、そして『重量鳶』の三種がある。

 『足場鳶』は建設現場で足場を組む。

 『鉄骨鳶』は鉄骨造の建物において、建築図面をもとに骨組を組む。

 『重量鳶』は足場鳶と鉄骨鳶と比べて専門性がより高く、建設現場での重量鳶は、建築物の内部に機械などの重量物を据え付ける。土木工事における重量鳶は、橋脚工事において主桁架設などを行う。

 うちの会社にはどの職人もいるが、俺のようなバイトは足場材の運搬、足場鳶や鉄骨鳶の手元(補助役)がメイン。まさに今、俺は足場を運んでいるところだ。


「おー、ご子息。久々だなー。仕事いつぶりだい?」


 同じく足場を担ぐガタイの良い四十近くの厳つい男性に声をかけられた。


「どーも。春休みぶりなんで……四か月ぶりですかね? ごんさん娘さん元気?」 


「元気だぞー。今年から中学生だ。……お前の嫁にはやらんぞ?」


「いや要らない」


「要らないって何だてめぇー」


 権さんはうちの親父の一番弟子というか、会社を興す際についてきてくれた古参の職人だ。あと親バカ。ガキの頃にしか会ったことないけど娘さんのこと大好きすぎる。


「ご子息ぅー! 何で最近遊んでくれないんだよ!」


 すると横から若い少年が元気よく入ってきた。


「いや俺も遊びたいんだけど休日合わねぇじゃん?」


「それなんだよなー。学校なんかサボってよ。どーせつまんないでしょ?」


「お前な……。まぁ今はもう夏休みだから大丈夫だけど」


「うわ、夏休みとか俺には今年からねぇやーつ……!」


 彼は原野大はらのだい。年齢は俺の一つ下だが、高校には進学せず、うちの会社に就職した新米職人だ。

 今や元気溌剌な人懐こいオーラを放ってはいるが、中学時代は街中で喧嘩したり、学校で先生殴ったり、警察にパクられたりとわかりやすいヤンキーだったらしい。

 なんというか、権さんも大ちゃんも典型的な鳶職といった感じだ。


「蔵屋さーん。これここでいいすかー?」


 俺は足場の置き場所で数量を確認する精悍な好青年に声をかけた。


「あ、ご子息さん。いいですよ、そこに重ねてください」


 彼は蔵屋さん。二十代後半で先の二人とは違い元大手ゼネコンのエリート社員だったのだが、なぜかそこを辞めてうちに来た異色の人材である。


「蔵屋さん、いいかげん敬語やめてくださいよ。俺、高校生のバイトですよ?」


「いやー、職歴は先輩ですからねー」


 蔵屋さんは爽やかな笑顔ではははと笑う。


「いや、もうとっくに経験も役職も蔵屋さんの方が上でしょ」


 蔵屋さんがうちの会社に来た時、中学生だったのになぜか働かされていた俺もいたせいか、未だに俺に敬語を使う。

 あと、お気づきかと思うが七里組の人は俺のことご子息と呼ぶ。できればやめてほしい。もう諦めたけど。


「そうすよ蔵屋さん。俺なんてご子息より経験も年齢下だけどタメ口だし!」


 大ちゃんが口を挟む。そうそうその通りよ。だが、


「……お前にそれ言われるのは何かムカつくの」


「えー、何でよ? んじゃ敬語使いますか?」


「うわ気持ち悪っ」


「焼きそばパンとジャンプ買ってきますよ?」


「うるせぇ。ってかヤンキーってマジでパシリにそれ言うもんなの? よく聞くテンプレだけど」


「いや俺、焼きそばパン嫌いだから……」


「お前の好みは聞いてねぇ」


「それにご子息だって中学じゃ結構ヤンチャしてたんだろ? 俺ら界隈でも一個上にヤバい奴いるって割と有名だったし」


「それは俺じゃなくてウェスのことだろ」


 そんな風に大ちゃんと喋っていると、「おいぃ! ガキどもぉ!」と遠くからドスの効いた声が響いてきた。


「おまんらサボっとらんで仕事せぇー!」


 親方、もとい俺の親父が俺と大ちゃんを注意してきた。

 あ、いたわ。もっと身近にいたわ。誰よりもガチな不良が。俺が生まれる前の話ではあるが。


「うっすー! すみませーん!」


 大ちゃんはかしこまってお辞儀をするが、


「……うっせんだよ。同僚とのコミュニケーションも仕事のうちだろうが」


 俺は小声で愚痴る。

 すると親父が「あぁー!? 何かゆうたかのぉー!?」と返してきた。地獄耳め……。


「うっせぇっつっただけじゃタコ!」


 俺がそう言うと親父は手に持っていたメットを地面に叩きつけ、


「どぅあれがタコじゃ! 殺すぞクソガキぁ!」


 自分の子供に殺すとか平気で言うんだよこの父親。ありえなくね?


「はっ、やってみろクソじじい……!」


 対して俺も指の関節をポキポキ鳴らす。

 もうお前の身長は抜いてんだ。ガキの頃とは違ぇぞ。


「まあまあ、ご子息さん落ち着いて」


 すると蔵屋さんが俺を制する。


「すげー。俺、親方にあんなこと言う勇気ねー……」


 なぜか大ちゃんは感心し、


「がははは。これはうちの恒例行事みたいなもんだからよ。相変わらず仲が良いこった」


 権さんは何でもないように笑う。いや仲良くはないですよマジで。

 ちっ……。あーイライラする。ストレスたまるわ。

 いつもこうなるから、俺はここで働くの嫌なんだよ。


    ×××


 毎年七月中に夏休みの宿題を全て終わらせようと思いはするが、実現した試しがない。

 そして今年もそれはさらに無理そうだ。今年はバイトのほかに、夏期講習がある。

 高校二年生対象に設けられた講座は週三回、お盆を抜いて新学期が始まるまで続く。正直そこまでハードなスケジュールではないけれど、どうせ暇だしせっかくいつでも使える自習室があるので、この夏はそこで勉学に励んでみてもいいかなと思っている。というかそれを言い訳にバイトを入れさせないようにしよう。

 今日はその初日、俺の地元から数駅経た予備校の最寄り駅で下車。そこから徒歩数分で到着。

 チューターの人の案内を聞き、二階のクラスに足を運んだ。もし授業がいい感じならば夏休み以降もこの予備校にお世話になろうと思っている。

 そのままガチャっと教室のドアを開けると、十数人の講習生たちが各々自由に過ごしていた。

 悲しくも俺には夏期講習に一緒に行ってくれる友達はいなかったので、超アウェイだ。友達百人できるかな。


「……げ」


 そんな小学一年生のような展望を掲げていると、その教室の一人にあまり気持ち良くない声を向けられた。

 その方向に目を向けると、そこには汚物でも見るような視線を俺に向けていた者がいた。

 私服姿でも相変わらずなふてぶてしい雰囲気。左耳のイヤーカフ。黒髪の中に色付き素麵みたいなエクステが一本。三白眼の威圧感ある目つき。

 そう、我が二年B組第一党女子派閥の長であるところの鵠沼が予備校の俺と同じクラスの席に鎮座していた。

 机に頬杖をつき、あからさまに嫌そうな顔を俺に向けてくる。

 いくらなんでも「げ」はないだろ「げ」は。シカトしてくれたほうがよっぽどマシだぜ。

 ってかこいつ予備校とか来るのか。あんま頭いいイメージないんだけど。


「んぁ? げぬーの知り合い? やだぁ、男の子じゃぁん」


 すると鵠沼の隣に座っていた見知らぬ女子が妙なノリで絡んできた。

 栗色でほんのりウェーブのかかった長髪。前髪は上げ、ポンパドールにしている。瞳はとろんとしたたれ目でどこかへらへらしているというか、この子はこの子で鵠沼とは別の独特な雰囲気を醸し出していた。


「ふん。顔知ってるだけで知り合いとかじゃないから」


 鵠沼はその女子とは友達のようだが、そう言うと不機嫌そうにスマホを弄り始めた。


「なにそれ意味わかんなぁい。顔知ってたら知り合いでしょぉ? ごめんねぼくぅ、この子ツンデレだからぁ」


「は? ツンデレじゃねぇし」


 うん。こいつはツンデレじゃないよ。マジで俺が嫌いなだけ。俺もこいつマジで嫌いだけど。


「ねぇ? 意地になっちゃって可愛いでしょぉ? あ、柳小路やなぎこうじっていいまぁす。げぬーとは中学が一緒だったのぉ~。よろしくぅ」


 はぁ。名前まで独特ですね。金持ちか漫談家っぽい。あと喋り方めっちゃ気になる。


「意地とかじゃねぇから。あとこんなのとよろしくしなくていいから」


 ……こんなの、だと? いちいちムカつく言い方すんなこいつはよ。


「で、ぼくの名前なにぃ? げぬーと同じ高校の人? ちなみに私は須賀女子ぃ」


 へー。

 須賀女子とは、うちの高校の隣の学区にある私立須賀女子学院のことだ。

 ミッション系の女子高で俺のいた中学から受験する子も何人かいた。どっかで聞いたのだがキリスト教的なアレで礼拝堂で朝礼みたいのが毎朝あるとかなんとか。賛美歌でも歌うんだろうか。


「ちょっと、なぎ。アタシの話聞いてた? 関わっちゃダメ。キモさがうつるから」


 別にこの柳小路さんとやらにどう思われようが知ったことではないが、初対面の相手の前で俺を陥れるような言い方をするこいつの神経は疑う。何でそこまで言われなくちゃいけねんだよクソが。よーし……、


「ああ! 俺は鵠沼さんと同じクラスの七里ってんだ! よろしくな!」


 俺は今までにない満面の笑顔で柳小路さんに挨拶をした。なんというキャラチェンジ。


「……は?」


 鵠沼は信じられないといった表情を俺を見る。

 柳小路さんとやらとよろしくするつもりなど微塵もないが、鵠沼の嫌がりそうな展開を選んでやった。さぞかし俺の腹黒さに打ちひしがれていることだろう。


「やん、ノリいいじゃぁん。ここ座りなよぉ」


 柳小路さんはすぐ後ろの席を薦めてきた。

 やだ、ノリがいいだなんて。女の子にそんなこと言われたの初めて……やかましいわ。

 ちなみに女の言う「~なのはあなたが初めて」というのは初めてじゃないから気をつけろよ。本当に初めてならわざわざ初めてだなんて言わない。


「ねぇ、なぎ。マジこいつはやめ」


「じゃあお言葉に甘えて!」


 鵠沼を無視し、俺は柳小路さんの後ろの席に着いた。よっこいしょういち。

 すると鵠沼はバンと俺の机を叩く。前もこんなことあったな。


「あんた、どういうつもり?」


 鋭い眼光が俺に突き刺さる。大抵の男子なら思わず目を背けるレベルの威圧感。

 だがしかし、百戦錬磨のミソジニストにそんなものは通用しない。


「んだよ。柳小路さんと仲良くしちゃダメなのか? あ?」


 お前が俺につっかかってさえこなければ、お前のお友達なんぞスルーしてたわ。


「ちょっとぉ、げぬーどしたん?」


 さすがに柳小路さんも俺らのやり取りに違和感を覚え始めたようだ。


「鵠沼さん今日は気分が優れないみたいだね」


 今日の俺は腹黒満点。笑顔でそんなことを言ってみた。なかなか面白いぞこれ。

 すると柳小路さんは「みたいだねぇー」と苦笑う。すると塾講師が教室に入ってきて、会話は中断。皆、授業を受ける姿勢になる。


「……あんた、なぎに何かしたら許さないから」


 鵠沼は俺だけに聞こえるよう忠告してきた。

 けっ、何もしねぇわ。ほんとこいつは俺のこと犯罪者か何かだと思ってやがる。

 俺はな、特に何も俺に迷惑かけてこない女子相手になら優しいんだよ……と、思ったけどそんなこともなかったぜ。

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