-第02訓- 女子は別れる時のことを考えない

 自分で言うのもなんだが、俺の高校生活は充実していると思う。

 クラスの中心である稲村とはなぜか入学当初から仲が良いし、江島や長谷、他にも割と友達はいる。なんだかんだノリは合うし、一緒にいるだけで楽しい。

 かといって中学が悪かったわけじゃない。ちょっと荒れた学校で俺や仲の良かったツレが悪目立ちしていたからか敵もいたが、言うほどのことでもない。十分に充実していた。


 ──ただ一つだけ、クソみたいな出来事が俺の中学時代を台無しにさせたが。


 ……この話は、やめよう。

 あと高校に入ってからは色んなやつの影響で遊びや趣味の世界が物凄く広がったというのがデカいかな。だからか、高校の今の方が充実しているように思える。


「では、これにて美化委員会議を終了します」


 けれど毎日そんなわけにもいかず、今日は由比さんと共に面倒な委員会とやらに来ている。

 大した内容ではないのになかなか話の折り合いがつかず長引いていたが、やっとこさ委員会会議は終わった。

 かぁ~終わった。ついつい過去を振り返ってしてしまうくらい退屈だったぜ。


「……な、七里くんって部活やってないんだよね。バイトとかしてるの?」


 教室までの帰り道、由比さんは俺との沈黙が気まずかったのか、話しかけてきた。


「レコード屋。でも潰れて今は何もやってない。たまに親父の仕事手伝わされてるくらい」


 このサブスクの時代にわざわざ円盤買うやつなんてよほどのファンか音楽オタクしかいないからな。音楽好きとしては悲しい現実だ。ずっと心待ちにしていたレコードやらCDやらを買って、家に持ち帰るまでジャケットを眺めるあのワクワク感を、みんな忘れてしまいつつあるようで。


「へぇー! そうなんだ。お父さんの仕事って、何?」


 ……親父の話はあんましたくないな。嫌いなんだよ。


「なんだろ。何かこう、体使う仕事」


「へ、へぇ……」


 由比さんはそれだけ言って話を続けようとはしなかった。すると二人の間には沈黙が流れ、何か変な空気になってしまう。

 たぶん、ここで俺が話を振ればこれを払拭できるのだろう。だけど、別にいいかな。そんなことをする必要性も感じないし。


 そのままそんな変な空気のまま教室に着き、俺らは帰り支度を整える。 

 同じ委員とはいえ、由比さんとは特別仲が良いわけでもないので一緒に帰るなんてことはなく、さっさと一人で帰路に向かう。


「あのっ……!」


 地元の友達から来ていたLINEに返信しながら教室を出ようとした時、まだ帰り支度をしていた由比さん上擦った声で呼び止められた。

 何か委員のことで言い忘れていたことでもあったのかなと顔を向けると、


「……?」


 振り向くと彼女の顔はみるみる赤くなり、「しまった。つい声をかけてしまった」と言わんばかりにあわわと慌てるてて口を押さえたのだ。

 そのまま何か色々と考えているようで「どうしよどうしよ」と目を泳がせながら何度も小さく呟いていた。


「……? どうしたの?」


 俺は聞くと、彼女はハッと俺に目を向けた。


「いや、あの、ちょ、ちょっと待ってね……」


 何を慌てているのか、彼女は自分をなだめるように胸に手を当て二、三度深呼吸をする。

 そして「よしっ」と小さく頷いた由比さんは俯いていた顔を少しずつ上げ、




「あの……好き、です」




 と、勇気を振り絞り、伝えたい言葉を紡ぎ出した。

 とくん、と心臓が鳴った。

 今は高校二年の五月下旬。俺はクラスで委員会が一緒の女子に────告白をされた、らしい。


「えと、もしよかったら、うちとその……付き合ってください」


 潤んだ双眸が俺を捉える。

 童顔と、小さい背丈から溢れる小動物感。

 おそらく高校入学からの一年で身に付けた都会の女子高生らしい垢抜けたメイク。

 ふんわりいとした茶髪をおさげにし、肩から前に垂らしている。


 そんな無垢で可愛らしい彼女はクラスでも目立つ女子グループに属し、その渋皮が剥けた容姿と無邪気でとっつきやすい性格から男子の中でもかなりの人気。

 言うまでもなく、『可愛い女の子』だ。けれど、


「えっと、いきなりすぎて、ちょっと……」


 俺が彼女を見知ったのはつい一、二か月前。クラスが一緒になってからだ。

 たまたま委員会が一緒になって事務的に話すようになったとはいえ、正直仲が良いと言えるほどの間柄ではない。

 なぜこんないきなり……罰ゲームか何かで告白させられているのかと疑うレベル。


「そ、そうだよね! 急にごめんなさい。そうだよね……」


 すると彼女は緊張を誤魔化すようにはははと苦笑する。

 たぶんこの笑顔に嘘はない。誠心誠意の告白なのだろうと、直感的に分かった。

 なぜなら、彼女が訴えるその瞳が、とても綺麗だったから────。


 ……というわけではない。この俺にそんなクサい恋愛小説みたいな感性はない。


 その瞬間、俺の鼓動は収まった。

 この告白が嘘じゃないとわかったのは────俺がだからだ。

 ともあれ、彼女は嘘をついてはいない。あちらが正直だというのならば、こちらも正直に対応するのが、男というもの。


「あのっ、うちが七里くんを知ったのはクラス一緒になる前からd……」


「やめた方がいいと思う」


「……え?」


 俺は彼女の言葉を遮り、忠告する。

 俺に告白した理由は知らんが、どんな理由であれ俺の答えは変わらない。


「俺は由比さんのこと何も知らないし、何より────由比さんが俺のことを何も知らない」


 そう。俺が彼女を知らない以上に、由比さんが俺の本性を知らないことが問題なのだ。


「だからこれは何かの間違いというか、気の迷いみたいなもんだと思う」


 それを知らないで表面上の俺を好きだと言われても、それは俺じゃない。もはや他人のことを好きだと言われている感覚に近い。


「そ、そんなことないよ! それに知らないことはこれから知っていけば……!」


 しかし彼女は諦めない。ならば、少し本性を見せてみようか。


「確かに、由比さんは可愛いし良い子なんだろうし、今はあれだけど付き合っていくうちに由比さんのこと好きになっていくってことはあるかもしれない」


 その言葉に彼女は「えっ……!」と期待に目を輝かせる。まだだ。この話にはまだ続きがある。


「仮に付き合うにしても……条件がある」


 そう言うと彼女は「じょ、条件……?」と少し困ったように首を傾げた。


「あくまで仮の話だけど、その条件が嫌なら悪いけど由比さんとは付き合えない」


 急に変なことを言い出す俺に面食らっていた彼女だったが、


「……そ、そっか。それで条件って?」


 困った顔をしつつも話は聞いてくれるようだ。でもさすがに引いてんな。まぁこんな変なこと言い出したんだから当たり前か。

 で、肝心なその条件というのは、


「絶対に、浮気しないでほしい」


 それを聞いた彼女は一瞬呆けた後、「なんだそんなことか」とでも思ったのか、


「うん。当たり前じゃん」


 笑顔でそう答えた。

 当たり前、ね。この世にはそんなこともできない女がいるわけだけど。

 でも、条件はこれだけじゃない。俺の細すぎる目が彼女を見据える。絵的に言うと左目だけ開眼しているとかそんな感じだ。


「──あと、乗り換えとかそういうのも、やめてほしい」


 そして俺は更に言葉を紡ぐ。


「……え? の、乗り換え?」


 と彼女は話の意図が掴めない様子。


「うん。なんつーのかな……付き合ってるうちから他の男見繕った挙句、俺はもう用済みみたいな感じで別れようとするのはやめてくれってこと。もちろん俺もそれをしないと固く約束する」


 俺の言葉に一瞬戸惑っていたが、彼女はすぐに笑顔を取り戻す。


「そんなことしないよ! そもそも別れる気なんて……」


 そりゃそうだ。告白してる人間が別れることなんか考えてるわけがない。

 ……でも、そんなのは今だけだ。だって、


「──俺らまだ高校生だし、いつかは別れるでしょ?」


「え……」


 俺のその発言に、由比さんは言葉を失う。


「だからこれはその時にお互い傷つかないようにするための約束だよ。俺はそれしたいだけ。そんなに難しい話じゃないと思うんだけど」


 意地の悪いことを言っているように思うかもしれないが俺はいたって真面目だ。


 由比さんはいかにもイマドキな女子高生。俺に飽きれば平然と数日後には別の男と……いや俺と付き合っている最中から別の男の候補を作り始めるくらいできるだろう。

 別にそれは悪いことじゃない。むしろ普通のこと。世間の恋する乙女とやらはみんなそうやっているし、被って付き合ってなきゃ無罪ってことにこの世界ではなっている。


 でも、そういうの……決して気分良くはない。

 だから俺はそんな気分の良くない思いをするかもしれないというリスクを負ってまで彼女と付き合いたいとは思わない。


「いつか別れるって……じょ、冗談きついな~……」


 ぎこちないがそれでも笑顔を忘れない由比さん。


「いや別に冗談じゃないけど。俺は本気で言ってるし、高校生カップルなんてほぼ百パーセント別れてるのは紛うことなき事実だし。由比さんだって無駄に傷つくような恋愛なんかしたくないでしょ? 別れる時は気持ち良く別れたくね?」


 突き放すような言い方になっているという自負はある。でもそれでいい。


「でも……付き合う前から別れる話されるのは……ちょっと……」


 その笑顔もついに崩れる。そりゃそうか。


「すまんの。でもそれが飲めないならこの話はなかったことにしてくれ。このことは口外したりせんし、忘れるから」


 俺は由比さんのことを何も知らないけれど、何となく、優しそうな子だと思った。

 けれど、今の俺に罪悪感など微塵もなかった。


 俺は知っている。どんなに優しそうだろうが所詮女は女でしかない。

 やつらは例外なく、恋愛が絡むと性格……いやが変わる。むしろ優しそうな女子こそ気をつけなければならない。


 なぜならも、最初はそうだったのだから────。


 男はバカでロマンチストだからそんな女に夢を見るが、結局後になって現実を見る羽目になる。


 ──だが俺はもう、二度と騙されはしない。


「ああ……ええと……」


 と、彼女は混乱しているのか、頭を抱える。


「うちも、ごめん。ちょっと今の話、保留にしてもいい? ちょっと整理したいや」


「……わかった」


 これは保留という名のキャンセルだ。自分から告白した手前「やっぱやめた」は言いづらいのだろう。整理したいというのも方便でたぶんもうそんなことはしない。ヘタすりゃ俺のことなんてもう何も考えたくもないだろう。


 そう思いつつもそれを口に出すことはしないが。


「うん……じゃあ、また」


 また、はない。だから俺はそういう意味も込めてこう返した。


「ああ、じゃあの」

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