第19話 浴衣を着た柚葉はきっと可愛い
8月に入って一週間程経った金曜日、私とお兄ちゃんは電車でとある場所に向かっていた。
「それにしても、どうしてこのタイミングで向かうの? まだお盆には早いと思うけど」
「今日は父さんの実家近くでお祭りがあるんだよ。毎年、それに合わせて一週間くらい早めに行ってるな」
父さん達は仕事があるから後から来るけど、と続けた。
私達は二人で柚葉の父方の祖父母の家に向かっていた。電車で1時間掛からないくらい。別に行って帰ってくるでも問題ない距離である。
「個人的には、長居したくないんだけどなぁ。お祖父ちゃんお祖母ちゃんも親戚の人も誰一人知らないし」
言いながら、電車に乗る前に買ったパックの牛乳にストローをさす。そして少しだけ飲んで喉を潤した。
「毎年のことだし、急に行かないのも不自然だろ。それに今年は入院してたのもあって心配してるだろうし」
お兄ちゃんの言うとおり、事故に遭って入院していたので親戚の人たちも心配していただろう。無事退院したことになっているし元気な姿を見せなくてはならない。正確には体は元気でも、本来の中身はまだ眠り続けているのだが。
「正直、親戚の人たちを誤魔化せる気がしない。距離感とか分からないし」
「誤魔化せなくても、中身が違うなんて想像できる人はいないよ。普通考えないだろう」
「そうだけどさー」
ばれなくても、行動次第では柚葉の評判を下げてしまう。自分が知らない人ばかりの場所で上手く柚葉をする自身はない。親戚の人たちと過ごしている柚葉は自分が知らない柚葉だ。知らないものは真似のしようがない。
暑さも合わさって、気分がどんどん滅入っていく。せめて喉を潤そうと、残っていた牛乳を一気に飲み干す。
「あんまり気にしすぎるなよ。良い子にしてれば問題ないさ」
「良い子にねぇ……」
良い子って何だろう。女の子の場合だと家事を手伝うとか? おしとやかにするとかだろうか?
そんな考えを頭で巡らせながら、袋からコーヒー牛乳のパックを取り出して、それにストローをさした。
「……お前最近牛乳好きだな。背でも伸ばしたいのか?」
「えっそんなことないけど」
「そんなことあるだろ。毎日、朝は牛乳飲んでるし、最近はシチューとかグラタンとか牛乳材料にする料理ばかり作ってるし」
「牛乳が安かったから……」
「別にその牛乳パックは安くなかっただろ」
「うっ……マイブーム的な?」
「いや。疑問系で言われても困る」
別に意識して乳製品をとっているわけではないのだ。ただ、気づくと買ってしまっているので、賞味期限が過ぎる前に使っているだけで……。
「うん、マイブームだよマイブーム。本当にそれだけだから。他意はないから」
そう、別に胸の大きさが気になり始めたとかそういうわけでは断じてない。心は男のままなので、別に膨らんで欲しいとか思ってないし。
「何でそんなに必死に否定してるんだよ。別に何でもいいけどさ」
そう言ってお兄ちゃんは会話を止めて窓の外を眺めだした。私もコーヒー牛乳を飲みながら、窓の外で流れる景色を眺めた。こっち方面に来るのは初めてだな。
「到着っ!」
電車を降りて、駅から飛び出して一言。
周りを見回すと、田んぼや畑だらけでお店らしき建物はほとんどない。駅の周りが田んぼや畑とか意味が分からない。まあ、家の近くの天衣駅くらいしか駅を知らないけれど。
「まさか、駅員さんがいない駅があるとは」
「ここはいつもいないよ。まあ、たまに料金払わないで降りる人にドッキリ仕掛けるために立ってることもあるらしいけど」
それはすばらしいドッキリだ。もしかしたらサービスで警察の人も来てくれるかもしれない。
「それで、ここからどうするの?」
「叔母さんが車で迎えに来てくれるはずだけど……まだみたいだな」
時間を潰せそうな場所もないので、無人駅に置いてあったベンチに座って待つことにする。
「それにしても暑いね。さすがは8月だよ」
フルーツ牛乳をストローでごくごくと飲む。
「一体いくつ買ったんだよ……」
「えっと……5個?」
牛乳2つに、コーヒー牛乳2つにフルーツ牛乳が一つとイチゴオーレが一つ。あっ6個か。
「やっぱり何か飲んでる理由あるだろ」
「何にも無いよ」
特に思い当たる理由はないです。本当です。
二人で適当なことを話ながら待っていると、白い軽自動車が向かってきた。
「あ、あれ叔母さんの車だ」
「遂にお迎えか……」
会ったことがない人と知り合いとして過ごす時がきた。不安で心臓がばくばくする。
「お待たせ。二人とも待たせちゃった?」
軽自動車が目の前まで来ると、一人の女性が降りてきた。この人が叔母さんか。
「さっき着いたばかりなので、そんなに待ってないです」
お兄ちゃんが大人な対応で返答。実際は30分くらい待ってた気がするけど。
「それなら良かった。二人とも車に乗って」
叔母さんに促されて二人で車に乗ろうと後部座席のドアを開ける。後ろの席にも人がいた。
「柚葉、おひさ。もう怪我とか大丈夫?」
おひさと言われたが誰だか分からない。自分と同い年くらいの女の子だというのは分かる。
「従姉妹の
私が固まっていると、お兄ちゃんが私にだけ聞こえるような声で教えてくれる。
「あ、えっともう怪我とか大丈夫だよ」
慌ててそれだけ伝えた。どう話して良いのか分からない。
「あ、和矢君は助手席にお願い。後ろ3人だと狭いでしょ」
「分かりました」
返事をしてお兄ちゃんが前に乗り込む。
「ぼーっとしてないで柚葉も早く乗りなよ。どうかしたの?」
「あっいや……どうもしないよ。すぐ乗るから」
慌てて後部座席に乗り込んだ。お兄ちゃんは前の席だし、あまりフォローが期待出来ない。
「いやぁ柚葉が事故に遭ったって聞いたときは吃驚したよ。一度お見舞いに行ったんだけど、その時はまだ寝てたね」
「そ、そうなんだ……」
目覚めるまでの1ヶ月の間に来たってことか。勿論、寝ていたので分からない。来ていた時に目覚めなかったのは幸いかな? 起きてすぐは取り乱してたし。
「あれ? そういえば柚葉髪長くなったね。伸ばしてるとか?」
「うん、伸ばしてるよ……」
蜜柑に話かけられながら、当たり障りのない返事をしてどうにかやり過ごす。柚葉の祖父母の家に着くまでの辛抱だ。車を降りたらどうにか距離を取ってお兄ちゃんの傍にいよう。分からないことがあったら聞かないとだし。
駅から20分くらいかかって、目的地に到着した。古そうだがそれなりに大きい一軒家。ドラマとかに出てくる田舎の祖父母の家を思い浮かべると多分こんな家をイメージするんじゃないだろうか。
「お邪魔します」
ドアをスライドさせて家の中をのぞき込む。初めて来た場所なのでどうしてもおっかなびっくりしてしまう。
「柚葉何やってんの。さっさと入ろう」
蜜柑に背中を押されて玄関に入る。蜜柑や叔母さん、お兄ちゃんもそれに続いて玄関に入り、すぐに靴を脱いで家に上がってしまった。私も慌てて靴を脱いで追いかけた。
「もうお兄ちゃん置いてかないでよ」
お兄ちゃんにしか聞こえないように、耳元で話す。
「あ、悪い。でも家に入るくらいで緊張しすぎだって」
そんなことを言われても、初めて来た場所で緊張しない方が無理だ。
そのまま居間に行く。そこにお爺さんとお婆さんが座ってテレビを見ていた。多分お祖父ちゃんとお祖母ちゃんだろう。
「
私達が来たことに気づくとお祖母ちゃんの方が声を掛けてくれる。
「しばらくお世話になります」
「お、お世話になります……」
お兄ちゃんの言葉を復唱する形で続ける。全く知らない分柚葉の家に居る時よりさらに大変だ。どうしたらいいかまるで分からない。ていうか、柚葉は柚ちゃん呼びなのか。
「二人とも、荷物を置いてきなさい。いつも使ってる部屋使っていいから」
お祖父ちゃんの方からも声が掛かる。
「じゃあ、そうしようか」
「えっあっ……うん」
突然お兄ちゃんに話を振られて困惑する。多分適当に合わせろということなのだろうが、パニック状態なので上手く反応できない。
お兄ちゃんが居間から出てどこかに向かったので、後を付いて行くことにした。
階段を上がって、2階奥の部屋に入る。お兄ちゃんがそこで荷物を下ろした。ここを使えば良いのだろうか。
「一週間はここで寝泊まりな」
「そうなんだ……」
「大丈夫か? 反応鈍いけど……」
「だって、いきなり色んな人と知り合いの体で接しないといけないなんて……何が何やら」
「まだ、4人だろ」
既に4人もである。下手したらまだ増えそうだし……。
「大変かもしれないが、頑張れ。……よし、居間に戻るか」
お兄ちゃんの言葉に頷こうとしてとある感覚に気づいた。
「その前にトイレ行ってくる。場所は?」
「飲み過ぎなんだよ。一階の玄関脇にあるから。……先行ってるぞ」
お兄ちゃんと別れて、言われたとおり玄関まで行く。トイレを見つけて入ろうとドアノブを捻ると鍵が掛かっているのか開かなかった。
「あ、入ってますよー」
中から蜜柑の声。待つしか無いらしい。
「お待たせ……って柚葉か」
「うん、それじゃあ……」
入れ替わりでトイレに入る。女の子の後というのは以前ならドキドキしたものだが、1ヶ月女子として学校で過ごしたので、もう前ほど気にならない。混んでると入れ替わりで入るのとかよくあったし。
慣れはしたものの、まだまだ違和感のある女の子のやり方で済ませてトイレから出る。
「あれっ?」
「待ってたよ!」
何故か蜜柑がトイレの前で待っていた。先に済ませたはずなのに何でいるんだ。
「ちょっと、こっちおいで」
蜜柑に腕を掴まれてどこかに連れて行かれる。仕方なくされるがままになって付いて行くと、1階奥の部屋に入った。
「何かあるの?」
「ほら、これ!」
「これって……浴衣?」
そこには紺色に金魚柄の浴衣と水色に花柄の浴衣が掛けてあった。
「うん、お祖母ちゃんが買ってくれたんだよ。金魚が私ので水色の方が柚葉のね」
蜜柑が嬉しそうに言う。
「これ来て一緒に夏祭り回ろうね」
お祭りだと女の子は浴衣を着ているイメージはある。まさか自分がこの体で着ることになるとは思わなかったが。
「浴衣でお祭りか……」
「後でお祖母ちゃんが着付けしてくれるって」
「ふーん……」
自分が着る予定の水色の浴衣に触ってみる。思ったよりは生地が薄かった。
この浴衣を着た柚葉を想像してみる。多分凄く似合うだろうな。柚葉は可愛い顔してるし。隣に並んで歩くとドキドキするかもしれない。
でも、残念ながら今は鏡越しでしか浴衣を着た柚葉を見ることが出来ない。何故かそれが惜しいと思ってしまった。
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