第234話 料理教室はのどかじゃない・・・その3

わたしたちは調理に没頭した。

ううん。正確にいうと、調理と片付けと準備のサイクルに没頭した。

先生はこうおっしゃる。


「作るだけならばはっきり言って誰にでもできるんです。問題は、買い物・準備・片付け・更には家族の帰宅時間や自分自身の時間のマネジメントまできちんとやりながらするのが本当の料理なんです。ですからわたしは料理研究家と呼ばれる一部のセンセイ方のやっている料理は、ままごとにしか見えないんです」


うわ、厳しー。

さらに先生は続ける。


「みなさんのようにしっかりと現実の生活を生きている方々の方が切実で賢い料理ができるとわたしは信じます。さあ、あと一踏ん張り、頑張りましょう!」


日々野先生は鍋やフライパンを洗うタイミングから食器の片付け方まで、流れるような手順をわたしたちに手取り足取り教えてくださった。厳しいけれども、一部の料理研究家のように素人をバカにしたりはしない。


「知らないのならその都度覚えていけばいいことです」


うーん、とても深い。


仕事は進む。


最初に作った出汁をベースにして煮物やお味噌汁を作り、ごく普通の炊飯器で炊いたご飯を茶碗に盛る。

それぞれのグループが作ったのは本当にありふれた献立。

質素で、でも飽きがこない品々を前にいただきます、と合掌してみんなで試食した。


「あら、おいしい」


先生がちづちゃんの担当したきんぴらごぼうを褒める。


「あなた、これは誰に合わせて作った味かしら」

「はい。生前の祖母が柔らかいのを好んだものですから」

「そうですか。だからこんなに優しい味なのね」


ちづちゃんは顔を赤くして照れている。


さて、今度先生はわたしの作ったの煮豆に箸を伸ばす。


「ん・・・これはまた独特だわね。なんていうか、通常の味覚とは違うというか」

「す、すみません・・・」


あちゃー。わたしはそれなりに料理をこなしているつもりでずっといたけれども、独りよがりだったんだろうか。


「あなた、この味付けを誰から教わったの?」

「はい・・・あの、祖母からです・・・」

「おばあさまから?」

「はい。うちはお寺なんですけど、代々こういう味付けで作るよう引き継がれてきたんです。祖母もその前の代も。なんでもうちのご本尊のお好みの味だそうで、お供え用に・・・」

「ご本尊? 仏様ってこと?」

「はい・・・」

「あら、まあ!」


そう言って先生は手をパン、と打った。


「みなさん、ちょっと注目してください!」


ざわざわと受講生達がこちらを一斉に見る。


「この学生さんは仏様にお供えするお味を代々受け継いでおられるそうです。私、ずっと料理を作り続けてきましたが、初めて気づきました。そうですよね。人間が食べる前に神様や仏様にお供えしますもんね。そもそも人間は自然や、それを司る神様や仏様のお恵みで食べ物をいただくんですから。料理は食べる人への愛情、なんていう人もいますけれども、人間への愛情程度の狭い範囲の言葉ではとても言い表せないものですね・・・」


分かった人も分からない人もいるような雰囲気だ。少なくともちづちゃんは先生の言っていることが理解できているらしい。わたしも無意識のうちにばあちゃんたちがやってきたことの偉大さを少しだけ理解できた。


「すみませーん、遅くなりましたー」


カメラを抱えた男女が教室に急ぎ足で入ってきた。どうやら料理雑誌の記者たちのようだ。


「あら、随分遅かったですね。今試食を始めてたところですよ」

「先生、すみません。ちょっと前の取材が押しまして。えーと、生徒さんたちの作った料理を何品か写真に撮らせていただけませんかね」

「ええ、どうぞ。みなさん、力作ぞろいですよ」


責任者だろうか。スタッフを仕切る男性が並べられた料理を見て顔を曇らせる。


「あの・・・もうちょっと華やかな料理はないんですかね?」

「あら。見た目の派手さはないかもしれませんけど、どれも限られた条件の中できっちりと作られた素晴らしい料理ですよ」

「いやー、なんていうか。読者はみんなインスタ映えするのがいいんですよねー。これじゃあなー。読者に訴えないなー」

「インスタ映え? なんですか、それは」

「あ、先生、ご存知ないですか? ダメですよー。いくら伝統を大切にしてるからって時代の流れもきちんと押さえないと」


なんて失礼な記者だ。先生は怒らないのかな?


「あら、そう。ごめんなさいね。でも、ほら、この小松菜と油揚げの煮物なんて、緑が鮮やかに出てておいしそうでしょ?」


記者は一瞥して吐き捨てるように言った。


「地味ですねー。先生。こんなんじゃ先生の時代はもう終わりですよ。気をつけた方がいいですよ」


こいつは!


けれども、わたしが怒鳴りつけてやろうとする前に反応したのは隣にいた同じグループの若い女性だった。さっき年収一千万円超えだと手を挙げた人で、その小松菜と油揚げの煮物を作ったのも彼女だ。

その女性がいきなり、わっ、と泣き出したのだ。

しやくり上げる声で絞り出すように言った。


「わ、私は広告代理店で法務部門の統括室長をしてたんです。大好きな仕事でしたけど、先月辞めました。主人が悪性リンパ腫になって、余命半年だって宣告されたんです」


教室じゅうがしん、となる。女性は泣きながら続けた。


「だから、自宅で最後を看取るために、これまで仕事にかまけて全然作れなかった料理を主人のために毎日作ろうって決めて・・・日々野先生の日常のための料理を習って。それなのに、なんであなたにそんなことを言われなくちゃならないんですか・・・」


女性は涙をぐいっと拭いて記者に、きっ、と向き直った。


「私、あなたの会社を名誉毀損で訴えます! あなたの言ったことがそれぐらい重いものだって分からせてあげるわ!」


記者は瞬時に青ざめ、ひたすら平謝りする。


「いや、そんなつもりじゃ」

「じゃあ、どんなつもりなのよ! インスタ映えなんてどうでもいいことでしょ?私は料理を見ず知らずの誰かに見せるつもりもない。主人が心安らぐ料理を作りたたいだけよ。それをあなたは!」


先生が静かに歩み寄って2人の間に立った。


「そうね。こういうのはどうかしら」


先生は記者を憐れむような目で見る。


「来月号の取材でしたわね? ならば来月号は徹底して家庭のごく普通のお惣菜の特集にしていただけないかしら? 見栄えをよくする演出などしないで、出来上がった料理を、そのままファインダーに通してありのままの事実を伝えるのよ」


記者はすがるような目を先生に向ける。


先生は記者に背を向けて女性に向き直る。


「ご主人のこと、本当に大変ですわね。どうでしょう。あなたのエピソードと、先ほどの学生さん2人のエピソードも載せて、『実用的で滋味じみ溢れる誠実な料理を』という特集を彼の雑誌で組んでもらったら。それならばあなたの気も晴れるんではないですか?」


女性は泣きながら、こくっ、と頷く。


「記者さん。聞いたわね。どうかしら?」

「いや、そ、それは・・・」

「別に構いませんよ。あなたのところでやらないんなら、別の雑誌社に話を持ちかけますから。私も時代遅れですからあなたに干されたら代わりの出版社探さないとね」

「・・・分かりました。編集長に話してみます」

「話してみます? 気概のない男子ですね、あなたは。あなた自身の企画として押し通すんですよ。分かった⁉︎」

「は、はい」


先生は一転、にこっとした顔を記者に向ける。


「決して損はさせませんことよ」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「うわー、やっぱり僕も行けばよかった」


教室でみんなで雑誌をわいわいと見ている中で、空くんが無念そうに呟く。


くだんの雑誌で日々野先生の料理教室が巻頭の特集記事として組まれたのだ。美しい鉱石のような光を放つみんなの力作料理が、匂い立つようなリアルさで写真になっている。

あの記者さん、なかなかやるじゃないの。

そして、先生と当日の受講生全員の集合写真も掲載されている。最前列に先生、あの女性、ちづちゃん、わたし、という配置で。


「すごいねー。もよりと千鶴の料理もコメントされてるじゃん」


クラスの女子も普段目立とうとしないちづちゃんに賞賛の声をかけてくれる。

約束通り、あの女性とわたしたちの料理についての解説が掲載されたのだ。なかなかの名文で紹介されている。


「おまけの話だけどね。異例の増刷だって。あの記者さん、社内でえらく褒められたらしいよ」


まるで自分の自慢みたいにみんなに雑誌を見せびらかした。

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