第209話 奈月さんとの上京顛末・・・その5
「もより、ほんとにここで合ってるの?」
「はい。お師匠に聞いた住所通りです」
丸ノ内線の地上を走る区間から再び地下に潜って新大塚駅で下車した。そのまま大塚公園を通り過ぎてお通りのちょろっと脇に入る。
ごく普通の住宅密集地だ。
「あ、あれです」
5階建ての、古いけれどもきれいに手入れされたマンションのエレベーターを4階まで上る。
「401号室。ここですね。心の準備はいいですか?」
「うん。いいよ、もより」
「じゃあ」
『ピン・ポン』
昔ながらのドアチャイムの音がして、インターフォンから女性の声が、『はい』と応対した。
「ご連絡してました、上代です」
わたしを視認するぐらいのちょっとの間だけ置いて、ガチャっとドアが開けられた。
「どうぞ、お待ちしてました」
きれいな人だな、と素直に思った。
「
「はい。もよりです。父が大変お世話になっております」
「いいえ。お世話になってるのはこちらの方です。本当に色んな意味で・・・そちらの方は?」
「あの、わたしの先輩で互いの用事が重なったものですから一緒に東京に来ました」
「奈月と言います。今日は厚かましくお邪魔してすみません」
「いえ、いいですよ。お客さんが大勢の方が真世も喜びます。さ、どうぞ」
わたしたちはリビングを通って奥の部屋に通された。マンションではあるけれども和室があり、畳の上に小さな布団が敷かれていた。その上に小さな女の子が寝息を立てて横になっている。お腹の上にタオルケットがちょこん、と乗せられていた。
「う・・・」
「どうしたんですか、奈月さん?」
「か、かわいい❤️」
「はい・・・ほんとに」
真世ちゃんはとてもかわいい顔をしていた。寝顔でも将来美人になることが約束された整った顔立ちであることがよくわかる。そして、よじるように寝返りを打った様子が全身で可愛らしさを表現していた。
わたしはお母さんにひそひそ声で聞いた。
「今、おいくつですか?」
「5歳です。幼稚園の年中です」
「よく寝てますね」
「すみません、お昼寝が日課なものですから。もう少しで起きると思うんですけど」
お母さんがそう言ったからだろうか、もぞもぞと真世ちゃんが体を動かしたかと思うと、むくっ、と体を起こした。眠たそうな目でわたしと奈月さんを交互に見る。
「こんにちは」
「こんにちは」
真世ちゃんの方から挨拶してくれ、わたしたちもにこっと笑って返す。
「お姉ちゃん達は、なんてお名前?」
「ナッキーだよ」
「も、もよもよだよ」
打ち合わせ通りだ。お母さんはちょっとびっくり顔になっている。
けれども真世ちゃんはご機嫌だ。
「うふ。かわいいお名前だね。じゃあ、ナッキーともよもよって呼んでいい?」
「うん、いいよ、真世ちゃん」
かわいいのは真世ちゃんだよー、と全力で伝えてあげたくなる。本当にかわいい。頬ずりしたいぐらいだ。
けれども、この子が、うちのご本尊から今のうちにご挨拶しておくようにとお告げのあった超強力な霊感の持ち主なのだ。
「ナッキーともよもよは、今日のご用事は?」
奈月さんがわたしに会話の主導権を渡そうと目で促す。わたしはその通りに真世ちゃんと対話を始める。
「あのね、真世ちゃんのお顔を見たくて新幹線に乗ってきたんだよ」
「え? ほんと? 新幹線、速かった?」
「うん。とっても速かった」
「いいなあ・・・わたしも乗って見たいなあ」
「うちのお寺に新幹線に乗って遊びに来るといいよ」
「え、もよもよのお家はお寺なの?」
「う、うん。そうだよ」
「ふーん。それでなんだ」
「え」
「もよもよの後ろに金ピカの仏様がずっとついて来てるよ」
「え・・・・」
「もよもよ、いいね。とても心配されてるよ。あ、仏様がわたしにもよもよをよろしく、って言ってるよ」
なんだろ。これって。なんだか訳がわからないけれども、涙が出て来ちゃった。
「もよもよ、どうしたの? わたし何か悲しいこと言った?」
「ううん、ううん。違うの。嬉しいの。真世ちゃんってほんとにすごいね」
「すごくないよ。わたしはただ見たまんまを言ってるだけだよ」
わたしはなんだか感無量になった。奈月さんも同じくのようだ。感動している。
「でもねえ。言っていいのかな」
「え」
「ナッキーの隣にね、女の人が立ってるんだけどね」
「え? わたしの隣に」
奈月さんは思わず左右をキョロキョロする。
「ナッキー、右だよ。何か、感じない?」
「うーん。ちょっとわたしには分からない」
「そう。その女の人ね、首がないよ」
「え⁈」
「ちょっと怖い感じ。やだなあ。わたし怖いの苦手なのに」
みるみる奈月さんの顔が土色になっていく。ガタガタ震え出した。
「奈月さん⁈」
「真世‼︎」
真世ちゃんのお母さんが真世ちゃんに向かってうん、と頷いて促す。
「お母さん。やってもいいの?」
「早く奈月お姉ちゃんを助けてあげて‼︎」
「うん、わかったお母さん。じゃあ、見えるようにするね」
「え?」
見えるようにする?どういう意味。
「もよもよ、ちょっと怖いかもしれないけど、我慢してね」
そう言って真世ちゃんは可愛らしい声でなにやら緻密で複雑な数式のような呪文を唱え始めた。
「オニオニクレタラゴカイガトケル・・・」
「え⁈」
ぼうっ、と白っぽいものが見え始めた。と思ったらあっという間にクリアな映像・・・どころか、実像として見えた。
「う・・・」
わたしは吐きそうになった。
その、霊と思しきものは白いワンピースを着ているのだけれども、80%ぐらいの面積が血でずぶ濡れになっている。女性であることは間違いない。体つきからは若いと思える。年齢は体つきで推測するしかなかった。さっき真世ちゃんが言った通り、首がないのだから。そして、その無い首の断面はスパッとした綺麗なものではなく、グジョグジョした感じで肉片も見える。そこからまだ血が溢れ出てボタボタと畳の上に落ちているのだ。
わたしの数少ない複雑怪奇現象の経験など何の役にも立たなかった。
見た瞬間にもうダメだと思ってしまうような光景。御本尊の名を呼ぶことさえ忘れてしまうような絶望の光景がそこにあった。情けないことに、奈月さんの身を心配することさえできなかった。ただただおぞましいその亡霊の姿の前に、恐怖で死にたくなっている自分がいるだけだった。
「あ、ダメだよ、ナッキーに意地悪しちゃ」
真世ちゃんの言葉にはっと我に返って現実を捉えると、亡霊が奈月さんの首筋に両手の爪をきりりと突き立てる瞬間だった。
「ダメだって言ってるのに‼︎ コロシタモウタラソナタモコロス‼︎ えいっ、えいっ‼︎」
真世ちゃんが幼稚園児の甲高い声で絶叫する。
「わあっ‼︎」
ゴゴゴっ、という、巨大な排水口に渦巻きが吸い込まれるような音が室内に響いた。ここは地獄か、と思ったけれどもなんとか恐怖に耐えて目を開けると、亡霊がぐしゃ、っとディスポーザーに吸い込まれるようにぐしゃぐしゃな赤い色に染まり、畳の中に吸い込まれていく。最後はジューっという搾り取られるような音を残して亡霊は消えた。
「奈月さん、奈月さん‼︎」
わたしは奈月さんを揺り起こそうとした。
「もよもよ、ナッキーは大丈夫。疲れただろうから寝かせてあげて」
言われるままにさっきまで真世ちゃんが寝ていた布団に奈月さんを横たえてあげた。彼女は子供のように安らかな顔ですーすーと寝息を立て始めた。
「・・・すみません・・・お手洗いは?」
「こっちですよ、もよりさん」
わたしは思い出したようにトイレに駆け込み、吐いた。
真世ちゃんのお母さんが付き添って背中をさすってくれた。
情けなくって、しょうがなかった。
わたしが落ち着いたところで真世ちゃんのお母さんが冷たい麦茶を淹れてくれた。
「お母さん、わたし、カルピスがいい」
「真世、ダメよ、甘いものばっかり飲んでちゃ」
「えー、さっきあの幽霊さんにあっちに行ってもらったから疲れちゃったよ。ねえ、お母さん」
「それもそうね。今日の人は特に怖かったもんね」
「うん。ほんとに疲れちゃった」
なんだろう。この母子は日常会話のようにさっきの地獄のような光景について話している。わたしとは次元が違う修羅場を毎日繰り返しているのだろうか。
「真世ちゃん」
「なあに、もよもよ」
「さっきの幽霊はなんだったの?」
「うーん。わたしにも分かんない。多分、ナッキーとは関係ない人」
「関係ない人?」
「うん。関係なくてもここに来ようとする人は結構連れて来ちゃうよ。ひいおばあちゃんがね、わたしに助けて欲しくて来るんだって言ってた。ほら、あれ見て」
真世ちゃんはチェストの上を指差す。手のひらに乗るぐらいの小さな仏像とお年寄りの写真があった。
「うちのごほんぞんとひいおばあちゃん。もよもよのごほんぞんさまみたいに金ピカじゃないけど、かわいいでしょ?」
仏様をかわいい、っていうこの子の器の大きさを認めざるを得なかった。
「ひいおばあちゃんがね、呪文をいっぱい教えてくれたの。わたし、全部覚えたんだよ」
「すごいね・・・ねえ、さっきの幽霊はどうなったの? 成仏できたの?」
「それはわたしには分からないの。わたしは幽霊さんたちを閻魔様の前に連れていくだけ。あとは閻魔様が裁きをなさるんだって。これもひいおばあちゃんが教えてくれたんだよ」
「・・・わたしは、全然ダメだね」
「ううん。ダメじゃないよ」
「え」
「だって、もよもよのお寺のごほんぞんさまは、とてもあらたかな仏様だよ。わたし、わかるもん。その仏様がお守り通しのもよもよはすごいよ。多分、わたしなんかよりもっとすごいことができるよ」
「うん・・・真世ちゃん」
「はい。何? もよもよ」
「わたしのお師匠になって」
「それはできないよ」
「え・・・どうして? 意地悪しないで」
「ううん。意地悪じゃないよ。理由があるの」
「理由?」
「うん。もよもよのお師匠はもよもよのお父さんって決まってるの」
「・・・確かにそうかもしれないけど・・・」
「それに、わたしはずっともよもよと一緒にいることはできないの」
「え・・・どうして」
「ね、お母さん。もよもよには話していいでしょ?」
「え、ええ・・・」
なんだろ。
「あのね、もよもよ。わたしは10歳の誕生日に死ぬの」
「え⁈」
「これはもう決まったことなの。寿命なの」
わたしはつい、真世ちゃんのお母さんの顔を見た。
「もよりさん。この子のいうとおりなんです。10歳でこの子とはお別れなんです・・・」
「そんな・・・」
「もよもよのお兄ちゃんのこともわかるよ。もよもよのお兄ちゃんとわたしは同じ。ひいおばあちゃがね、わたしは寿命が短い代わりに人を
わたしは、左目からぽろっと涙がこぼれた。そのまま右手で口を押さえた。それでも嗚咽をこらえることはできなかった。
「泣かないで、もよもよ。まだ五年あるよ。一緒にがんばろ?」
うん、うん、と頷きながらわたしは我慢がきかなくなった。
あーっ、と声を上げて泣きじゃくってしまった。
どっちが子供か、わかんないよね。
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